28話
10月も中盤まで過ぎた。クレアとジェシカは合同訓練の関係で打ち合わせなどに割かなければいけない時間が増えてしまった結果、今までよりもはるかに忙しくなり拓郎のそばにいない時も増えた。そのことに関して2人は不満たらたらだが、あともう少しすれば落ち着くから今だけは我慢と言い聞かせて仕事をこなしている。
拓郎も2人の事を気遣い、無茶な事でない限りは受け入れて二人を癒す用に心がけていた。その結果、ますますクレアとジェシカが拓郎に心を寄せるようになっていった。この調子だと拓郎が高校卒業と共に結婚しそうな勢いであるが、拓郎を遠くから守っている魔人と魔女達はそうなれば一安心だと考えている……当然、拓郎を護るように指示している上の人間も、である。
そんな思惑が動く中、10月の休日。拓郎は午後、一人で街に出かけていた。目的は欲しい物の調達。行き、帰り共にバスを使い、外出時間も3時間未満という軽い外出。当然両親も暗くなる前に帰ってくるなら問題ないと、拓郎の外出を咎める事はしなかった。そうして出かけた拓郎はバスに乗り込む。
休日と言う事もあってバスの利用者はそれなりに多かった。椅子はすべて埋まっており、拓郎を始めとした数人が吊革につかまっていなければならないぐらいの混雑具合。バスは各停留所に時刻通りの運航をし、拓郎が下りる予定の二つ前位に差し掛かった時、それはやってきた。
「なんか、サイレンの音がしない?」「ああ、するな。しかも結構多い……何かあったのか?」「火事ではないっぽいけど……救急車でもないよね? 妙に数が多いし」「こっちに近づいてきている感じだね、何があったんだろ?」
バスの前方から、複数のサイレンの音が聞こえてきたのである。その音を聞いた知り合いと思われるバスの乗客が先のやり取りを行い、拓郎を含む乗客がみな状況を知ろうと耳をすませる。そんな中、バスは予定通りのルートを進むべく右折しようとした所で動きを止めて待機した──まさにその瞬間の出来事であった。
バスに激しい轟音と、衝撃が襲い掛かってきた。その後にやってくる嫌な浮遊感。拓郎はとっさに自分を護るべくクレアから教わっている防御魔法を自分に展開した。その判断は非常に正しかった──バスはその後数回横転し、乗っている全員をもみくちゃにすることになったからである……バスの横転がようやく収まった時に拓郎が見た物は、修羅場であった。
幾つものうめき声、多くの出血者、そして明らかに危険な状態にあると分かる重傷者……とっさに防御魔法を展開できた自分以外、無事な人間はただの一人もいない。そしてそこに子供の泣き声まで混ざり始める。その時、拓郎の脳内に走った物は──7歳の時、何もできずに大勢の人が死んで逝くのを見ているしかなかった過去の記憶。
(──呆けるな、今の俺はあの時とは違うだろう! レベル5まで上げて回復魔法を習得したのは何のためだ! こういう時の為だろう!)
とにかく、まだ死んでいない以上自分に出来る事はある。両頬を強く叩いて気合を入れてから、拓郎は見える範囲で明らかに治療があと数分遅れれば命の灯が消えてしまいそうな男性に近寄って回復魔法を施す。だが、レベル5では重度のダメージを受けてしまった男性を治癒するのに時間がかかってしまう。
更に、拓郎の回復魔法を見た大勢の人は拓郎に這いずって近寄ってくる。血にまみれた体で、早く、早くこちらにも回復魔法をと迫ってくるのである。しかし、拓郎のレベルでは複数人相手に回復魔法を施せる能力はない。それに、いま治療を行っている男性への回復行為を止めれば、助からないのも分かる。
(くそ、くそくそくそ! なんで俺のレベルは5で止まったままだったんだ! こんな日が再びやってくると知っていれば、無理やりにでも6になっておくべきだった! だめだ、このままでは大半の人が間に合わない! 救急車もまだやってくる気配が無い……! どうしようもないのか!?)
出来るだけ早く治療を終えようとする拓郎であったが、焦りの為に普段より集中力が落ち治療速度が却って落ちてしまう。周囲はそんな拓郎を急かすばかりか、自分達を見捨てるつもりかと怨嗟の声すら上げ始めた。この状況に置かれた拓郎は、覚悟を決める。
(ジェシカさんからレベル上がったら使えるようになると前もって教わっていた複数回復魔法……使うしかない! 身の丈に合わない魔法を使えばレベルが下がる……どころかレベルゼロになるかもしれない危険性があるけど、自分の身可愛さに多くの人を切り捨てるような真似をしたら……今までの訓練も、志もすべて意味がない物になってしまう。力は、こういう時の為に使うものだろ!)
拓郎は男性に施していた回復魔法を止め、目を閉じて集中する。そして数秒後にレベル6以上の人でなければ十全に使えない集団回復魔法を発動する。淡い青と緑の光が、バスの中に満ちていく……それを感じたバスの乗客たちは、自分の体の痛みがゆっくりとではあるが引き始めた事によって弱々しいながらも歓声を上げた。だが──
(い、っきに力が抜けた感じがした。やはり、身の丈に合わない魔法を使うとこうもきついのか! だが、ここで魔法の発動を止めたらその時点で大勢の人の命が消える! 今までの訓練を思い出せ、今、こういう時の為に歯を食いしばってキッツい訓練を耐え忍んできたんだろうが! ここでその成果を出せなきゃ漢じゃないだろ!!!)
魔法を発動している拓郎は、急激に襲ってきた脱力感の中で必死に歯をくいしばって耐えていた。周囲の声などとうに聞こえず、自分自身を必死に鼓舞して魔法を維持していた。ある程度の治療は進んだが……まだ致命傷から抜け出せていない人はかなり居る。ここで魔法を止めてしまったら、彼らは助からないだろう。
あの時、7歳の時見た無力感、喪失感。それを今繰り返してなる物かと、拓郎は歳に見合わない強靭な精神力で身の丈に合わない魔法を維持する──普通なら拓郎が先に言った通り危険な行為であり、科学魔法のレベルダウンやレベルゼロに陥る可能性が高い。しかし──拓郎には大きな貯金があった。レベル5から全然上がらなかった科学魔法のレベル。それでもなお、挫けることなく魔女の指導に下で己を磨き続けてきたという貯金が。
その溜めていた貯金が、この窮地に大きくなって帰ってきた。正当な報酬として拓郎の心身へと支払われた。この極限状態の中、拓郎はレベル6に覚醒した。それもただのレベル6ではなくレベル7に極限まで近いレベル6である。それはつまり……爆発的な回復魔法の効果をこの場にもたらす事に繋がった。
「うおおおおお!!」
急激に脱力感から解放され、それどころか力がみなぎってくる感覚に包まれた拓郎は声をあげてより魔法を強く発動する。青と緑が入り混じった光は強まり、大勢の人を一気に治していく。血まみれのバスの中に生まれた修羅場すら押し流す勢いで。拓郎が、全員の治癒が完了したと感じたタイミングで魔法を終了させると……流石に流れでた血こそバスにこびりついているが、怪我人は皆完全に回復していた。
(やった……あの時の悲劇を、繰り返さずに済んだんだ……! 自分の手で、止めることが出来たんだ!)
拓郎は内心でガッツポーズを決めていた。まさにやり切った、人を救えたんだという満足感に満たされていた。しかし、その満足感はそう長くは続かなかった。その理由は……
「おい! 集団回復できるっていうならさっさと最初からやれよ! 危うく大勢の人間が死ぬところだったんだぞ! 出し惜しみしてんじゃねえよ!」
──何とも的外れ、かつ理不尽すぎる声が拓郎に向けて投げつけられたからである。自分の命を救ってもらったのに、感謝の言葉よりも先にこんな言葉を発する人間は、一人だけではなかった。唖然としている拓郎に対して容赦なく次々とナイフのような言葉が拓郎に向けて飛んでくる。
「うちの子供もあとちょっとで死んじゃう所だったじゃない! 強力な回復魔法が出来るならなんでもっと早くやらないの!」「体に傷が残ったらどうしてくれるのよ! 名前教えなさいよ、住所も! 訴えてやるんだから!」「もしかして、治療したから多額の金がもらえるとか、内心でほくそえんでるんじゃねえか? このクソガキが!」
そんな心をどこに置いてきたのだ? と言いたくなるような罵声が、次々と拓郎に向けられる。拓郎はそんな言葉を聞きながら思い出していた。回復魔法の使い手は罵声を受ける事も多いと──これがそうなのか、と。命を救ったのに、できる事を全力でやったのに。その報酬がこれなのか、と。それと同時に、拓郎は今を生きる回復魔法の使い手に対して敬意を持った。こんな罵声に耐えながら、こんな苦しみを味わいながら、それでも道を曲げずに進んでいる先人に。
(こうやって、自分が罵声を浴びせられる状況になって始めて分かった。同じ道を選んだ先人は皆とてつもなく苦しい道を歩んでいるだって事を、本当の意味で理解できた……それでも、自分も続こう。7歳の時に見た地獄を、自分の手で止めるために。救える命をできるだけ救うために)
止まらない罵声の中、拓郎の中に新たな決心が刻まれる。こうして、拓郎はこの瞬間本当の意味で回復魔法の使い手となった。更に、その決心を抱いた瞬間罵声とは別の声がバスの中に響き渡った。
「揃いも揃って馬鹿じゃないの!? 私を含めたあんたたちは皆、彼に命を救ってもらったのよ!? 今になってもまだ救急車はこない! 間違いなく彼が回復魔法をかけてくれなかったらここに居る人間の半分は死んでた! その事実すら理解せず、救ってくれた人間に対して罵声を浴びせ続けるなんてあんた達、本当に人間? ただの屑じゃない!」
1人の高校生ぐらいの歳である女性の声が響いた。それに続け別の男性の声も響く。
「彼が範囲回復魔法を発動した瞬間、ものすごく苦しそうな表情を浮かべていた。彼は間違いなく、必要なレベルに達していない身でありながら上位の魔法を発動させたんだ。意味が分かるか? 彼は自分の科学魔法のレベルを犠牲にして我々を救ってくれたのだ! 最悪レベルゼロという今後一生苦しみ続ける事になる事を理解した上でだろう! そうやって命を救ってくれたのに、傷が残る? 多額の金? お前たちの下種な推測こそ屑だろうが!」
2人の言葉を聞いて、罵声を浴びせ続けた側が押し黙った。そのタイミングで、更に男性は口を開いた。
「先ほどの言葉は全て、回復魔法使いに対して法律上固く禁じられている過度の中傷行為、並び脅迫行為に当たる! 私は一弁護士として、そして一人の人間として命を救ってくれた回復魔法使いに対する中傷や脅迫は絶対に許さない! よって今、彼に対して中傷を行ったお前達を告発する! バスに備え付けられている記録媒体は当然お前たちの事を記録しているはずだし、私の持ち歩いている記録媒体にもお前たちの顔と吐いた暴言はしっかりと記録されている、絶対に逃がさんぞ!」
弁護士と自分の生業を明かした男性の声に、罵声を浴びせていた一団は真っ青になる。彼の言う通り、回復魔法使いは罵声を浴びやすい。だが、彼等だって救いきれない命はある。人事を尽くしているのに、結果が受け入れられないからと言って回復魔法使いの名誉を毀損したり、更に悪質になると襲うという人間も出た。
なので、法律で回復魔法使いが真摯に仕事をしたにもかかわらずその行為を中傷する事は禁じるとされているのは、今の世の中では常識であった。そうして法で回復魔法使いを護らなければ、彼らがいる事で救える命を多く失いかねないからだ。
「私もその裁判に出席するわ。彼のお陰で救ってくれた命に対する礼としてはあまりにも小さすぎるけど、それでも何もやらないよりはずっといいし」「俺も出る、彼に対しての罵声は酷すぎた。許す訳にはいかない」「私も出ます。ごめんなさいね、意識がはっきりと戻ってくるのが遅かったせいで、罵声がおぼろげながらも聞こえていたのに止められなくて」
次々と、拓郎に対して行われた罵声、中傷、更には脅迫が行われた事を証明する人間として裁判に出る事を決める人たちが現れる。こうして、日常の風景は一転して、とんでもない方向に進み始めたのである。




