夏の終わり
この場所にいられる最終日の一日前。拓郎、クレア、ジェシカは今まで住んでいた家を解体していた。この日の夜はキャンピングカーの中で眠り、翌日の朝に帰るのだ。
「たっくん、そのままゆっくりねー?」「了解、えーっと、これはこうでここはこうだったな……」
組み立てた時の逆をやる訳だが、ここに来た時の拓郎とは違う。サクサク家の天井や壁の解体が進む。解体されたものは、クレアとジェシカが次々と焼却して処分していく。結局家を解体し、全てを片付けるのに3時間もかからずに終わってしまった。
「組み立てるときはあんなに苦労したのにな……」「ですが、拓郎さんはこの夏の訓練で科学魔法の技術がかなり向上していますから、今度組み立てるときは以前の半分ぐらいの苦労で済むと思いますよ? それぐらい拓郎さんは大きく成長していますから」
拓郎のつぶやきに対して、ジェシカがそう告げる。これはお世辞でも何でもない、それだけ拓郎はこの夏で成長している。
「じゃ、お昼にしましょ。今日はパエリアよ」
クレアが作っておいたパエリアを皆で食べる。かなりの量があったのだが、見事に完食してしまった。満腹になったお腹を軽く撫でつつ拓郎は満足げに一つ息を吐いた。
「今日のお昼もおいしかった。俺の料理の腕はまだまだだから、美味しい料理は目指すべきいい指標になるな」「これもレシピは教えてあげるから、後で一緒に作って練習しようね」
料理もクレアとジェシカから学び始めている拓郎は、2人が出してくる料理の味が目指すべき場所であると認識するようになった。これだけの味が出せれば、十人中九人は満足するだろう……そう言うラインだ。残りの一人は好みの違いなどで合わないという感じになる。
「これで夏も終わりか……でも、多く得る物があったから充実していた。学校の連中はどうしているかな」「あー、そこはちょっと気になるのよね。休むように言っておいたけど……全員大人しく私の指導に従ったかは分からないからねぇ。下手したらせっかく上げた科学魔法のレベルが下がっているどころか、一切使えなくなっている可能性もあるのよ」
クレアは夏休み前に、拓郎のクラスメイト全員にこの夏は科学魔法の訓練をしない事を通達している。だが、それを素直に聞いてくれたかは不安が残るというのは事実だ。特に本人がそうしたくても、レベルが上がった事に気を良くした親や親類が、休まず訓練しろとせっつかせて訓練するように持って行ってしまう──という可能性はあった。
「休ませないとどうなるか、を分かりやすくプリントして配っておきましたが……アレルギーは食べれば治るというあまりにも乱暴な考えを持っている人はどうしてもいますからね。訓練すれば上がる、大丈夫だと何の裏づけもなく他者に強要する人がいないと良いのですが」
ジェシカの言葉に、拓郎とクレアは頷いた。この手の話は今の時代でもたまに耳に入ってくる。食べれば治る、とアレルギー持ちの人間に食事を強要させて病院送りにする──で済めばまだいい。殺してしまった、という事が数年に一件、二件起きてしまっている。この場合どうなるかといえば……強要した人間は殺人者という扱いとなり、問答無用で死刑となる。
死刑になると知ったとたん、そんなつもりはない、私は良かれと思ってやったと口にするのがほぼお約束となっており──揃いも揃って一切の反省を全くしないのである。特にこのアレルギー強要によって亡くなってしまう命の大半は子供、特に小学生低学年までに多く、親や祖父、祖母の指導に逆らえないので食べたというパターンが一番多い。他は会社の上司に言われて断り切れなかった、と言う事もある。
このような犠牲を防ぐべく、政府は積極的にアレルギーは病気ではなく体質であり、治る直らない以前の物であるという情報を定期的に流している。にもかかわらず、なぜかいつになっても食べていればいつかは治る、アレルギーではなくただの好き嫌いだと決めつける人間が一定数出てきてしまうのである。
そして、この手の人間は科学魔法の訓練においても同じ感覚で口を出す。科学魔法のレベルが上がれば上がるほどいい所に進める、給金が高い仕事に付ける確率が高くなると言う事でかなり無茶な訓練を子供に強いる親はどうしてもいなくならない。そんな無茶をしないようにする為にも、クレアとジェシカはかなりきつい言葉を用いて、この夏科学魔法の訓練を子供にさせるなとプリントで忠告しておいたのだが……
「ゼロだとは考えにくいわねぇ……レベルが上がったんだから、この夏頑張ればもっと伸びる──何の経験も知識もないくせに、そうやって他者をたきつける奴らってのは消えないから。こちらでもなんとかフォローできる部分はするけど……」
と、ここで明確にクレアの表情が曇る。同時にジェシカも顔を曇らせつつ言葉を続ける。
「レベルの低下、で済めばまだいい方です。それならばまだフォローが効きます。ですがもしレベルゼロ症候群になってしまったら……流石に私達といえどお手上げです。レベルゼロになる事を防ぐために休ませたいのですが……素直に聞いてくれていたでしょうか」
ジェシカが口にしたレベルゼロ症候群とは、科学魔法のレベルがゼロに落ちるというだけでなく二度ともう上がる事が無い状態になってしまった事を意味する。治療方法は現時点では不明。ただ無茶な訓練を続けた場合に起きやすく、発祥した瞬間一秒前まで使えていたはずの科学魔法が全て使えなくなるのですぐに分かる。
なので、科学魔法のレベルがある程度上がったら休息を取らせて発症しないようにするというのが、今の世界での当たり前の指導内容となっている……が、それを理解しない人間は残念ながらこれまた一定数存在し、その理解しない人間が親だったりもぐりの科学魔法のトレーナーだったりした場合は……取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。
「俺はクレアとジェシカという二人の指導の下でやってたから問題ないけどさ……他の皆はそうじゃないんだよな。皆無事に夏休みを終えていると良いんだけど……」
クレアとジェシカの言葉を聞いた拓郎も、不安になってしまう。今の学校のクラスメイトには悪い奴はおらず、皆で比較的仲良くやっていけている稀有なクラスだと思っている。そんなクラスから犠牲者が出るような事が無いと良いのだが……こればかりは9月の登校日初日を迎えるまでは分からない。
そこからしばし、誰も口を開かなかった。それでも時間は無常に過ぎ、夕焼けが来て夜が来る。三人ともキャンピングカーの中に入り、最後の忘れ物や後始末が終わっていない物がないかの点検を分担して行っていく。しっかりと確認し、貫けは無いと言う事でこの場所で食べる最後の夕飯の時間となる。
「最後にカレーか……」「あれ? たっくんカレー嫌いだっけ?」「あ、そうじゃなくって。こういうキャンプで食べる物の定番の一つとしてカレーがあるんだけど、全く出てこなかったーって」
事実、今まで出てきた食事にカレーは無かった。なので、拓郎は定番なのに食べてなかったなーと思っただけである。
「確かに今まで出しませんでしたね。ですが、これは私の自信作です。日本のカレーを食べ歩いて学んだことをこのカレーに込めています。是非食べてみてください」
そう言えば、この日の料理の訓練は無しでとジェシカから言われていたな、と拓郎は思い出した。その分、拓郎は忘れ物などがないかの確認に時間を使っていたのでサボっていた訳ではない。役割分担と言うべきだろう。さて、それはさておき。ジェシカがここまで言うカレーとはどんなものか──拓郎とクレアは口に運ぶ。
辛さの程度で言うなら、中辛より多少辛めか? という塩梅だろう。激辛が好きな人には物足りないだろうが、拓郎とクレアにとってはちょうどいい塩梅の辛さである。そして肝心の味だが──
「美味しい……」「ジェシカ、やるじゃない」
2人はこう評した。辛さだけでなく、野菜……特にニンジンなどが程よい甘みを出している為カレーの辛さがより一層、しかしながら穏やかに引き出されている。肉のうまみが良い出汁となってカレーの味を引き上げている。それらの要素が絡み合い、美味いカレーとなっていたのである。
「ですが、日本のカレーはまだまだ奥が深いです。今後も様々なカレーを食して、より極めたいところですね」
当のジェシカは、自分のカレーを口に運びつつそんな事を口にする。そんなカレーを食べられるのはずっと先になるだろうが、実に楽しみだと拓郎とクレアは思ってしまった。青して食事を終え、後片付けが済むとクレアは拓郎に話を始める。
「さてたっくん。この後の予定だけど……たっくんは今夜眠りについたら明日の朝には日本に帰ってきているから。ここと日本をどうやって行き来するのかを、たっくんには悪いんだけど教えられないからそうするしかないの」
クレアの言葉に拓郎は頷いた。
「構わないよ、言えない事は言えない、それでいいと思う。じゃあ俺は今日はこの後寝ていれば後は二人に任せていればいい、そう言う認識で間違っていない?」
拓郎の確認に、クレアとジェシカは頷いた。こういう聞き分けの良いところは拓郎の長所だろう。他者の秘密に対して、アレコレ詮索を入れてほじくり返そうとする連中がそれなりに多い中、言えない事は言えないをすんなり口にできる人はどれぐらいいるだろうか……その後、拓郎はしばらくのんびり過ごし、やがて眠りについた。
「──姉さん、大丈夫?」「一応睡眠を深くするようにはしたけど、その必要はなかったかも。たっくんは寝たふりなんかせずちゃんと寝てくれているよ。今のうちにやっちゃおう」
2人はこの場所に来た時と同じように魔法を使用し、キャンピングカーごと日本へと移動。日本に無事帰還した後は周囲に結界を展開してから眠りについた。こうして、拓郎、クレア、ジェシカの夏は終わった。ちょっと危ういところもあったが、担任が心配したひと夏の過ちは起きずに済んだのである。
次回からまた〇〇話という形に表記を戻します。