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夏が過ぎ去る直前

 なんやかんやありつつも、拓郎の夏の科学魔法訓練は順調に続いた。そして、この場所を立ち去るまであと一週間を切っていた……


「8、9、うおっ!?」


 拓郎の足の裏に作られている膜が不安定となり、拓郎は海の中へと落ちてしまった。まあ、ここは浅瀬なので溺れる事はないが。


「あー、おしい! あと一歩で初めての2桁だったのにねー」


 その横で一緒に海の上を走っていたクレアが、そんな声をかけていた。それでもここまで走れるようになったのは大きな進歩であり、拓郎がまじめにクレアとジェシカの指導を聞いて切磋琢磨しているという証拠でもあった。


「拓郎さーん、姉さーん、そろそろお昼ですよー!」


 この日の訓練は、このジェシカからの声で終わりを告げた。そして3人そろって仲良く昼を取り、食後の休憩をしている時にクレアがこう口にした。拓郎がレベル6になるのは何かのきっかけが必要なるのではないか、と。


「切っ掛け?」「そうですね、拓郎さんのレベルはたぶん、5.8か5.9ぐらいまでは来ていると思います。その最後の0.1か2を詰めるために、何らかのきっかけがが必要だ、という人は案外多いものです」


 クレアの言葉に拓郎は首を傾げ、ジェシカは自分から見た拓郎の状態を正直に口にした。


「うん、切っ掛け。レベル6にならないといけない理由。それを頭じゃなくって心で渇望する切っ掛け。それが多分、必要なんだと思う。レベル5じゃダメだって感情的に痛感しなきゃいけない、みたいな感じ」


 クレアからの言葉に、拓郎はうーんとうなった。確かにレベルはあげたい。だが、今の自分がレベル6にそこまで渇望しているか? と問いかければ……答えが出せなかった。出せなかった時点で、はっきりとYESと言えていないのは明白であり、拓郎はさらに悩んだ。


「つまり、このままではレベル6にはなれないし訓練をしても無駄、と言う事になるんだろうか?」


 この卓ろうの言葉に、クレアとジェシカは2人とも首を振った。


「そんな事はないわよ? 訓練は必ず身につくもの」「それに、訓練をしておいた方がレベル6になった時に色々と恩恵がありますよ。いわば、レベル6前に貯金をするようなものです」


 訓練はしておいた方が良い、無駄にならないと知れただけでも良かったと拓郎は考えた。ならば残った僅かな日々も、これまで通りに訓練をするだけである。


「無駄にならないなら、残りの日もこのまま訓練をしてもらうって事で良い訳か……」「うん、その考えで間違ってないわ。残り数日だけど、今の訓練を続けましょ」


 拓郎の言葉に、クレアは訓練は無駄にならないと改めて強調した。その言葉を聞いた後、拓郎は空を見上げた。


「しかし、切っ掛けか……レベル6にどうしてもなりたいと思う切っ掛け……生半可な事じゃダメなんだろうなぁ」


 その切っ掛けが、人の不幸の上に成り立つ者でない事を拓郎は願った。己を強くするために犠牲になる人が出る事を望むようでは、人間としてあまりにもよろしくない。むしろそんな悲惨な運命を止める側になりたいからこそ、今こうして訓練している訳で──


「まあ、こればっかりは仕方がないですよ。その切っ掛けは人それぞれですから……日本人なら、仏教にはなじみが深いですよね? 信仰している、していないは別として」「ええ、まあ」


 と、ジェシカに話を振られて、拓郎は相槌を打った。確かに仏教はなじみが深い、拓郎は別にこれと言った仏教の宗派を信仰している訳ではないが。


「では、当然、悟りという言葉を聞いたことがありますよね? ですがその悟りという物はなかなか手が届きません。これは今の拓郎さんのレベル6到達に近い所があるのではないでしょうか?」


 ジェシカに言葉に、拓郎も確かにそんな感じがする側面はあるかもしれないと顎に手を当てて考えた。悟りを得るために、様々な荒行に挑戦した者は数多い。石の上にも三年ということわざも、もとは石の上に九年も座り続け、石の壁を見続けるという荒行をした達磨大使という方の行動から来ている。なに? 九年座った事を元にしたのになぜ三年? ならば念壁九年という言葉もあるよ?


「ですが、悟りを得た方の方法はそれこそ様々です。荒行をした末の結果であったり、またはふとした日々の中で見た事柄であったり。切っ掛けはいつ来るか分かりません……表現も色々ありますからね、天啓なんて言い方もありました」


 ジェシカの言葉に、拓郎は頷いた。確かにそうだ、と。切っ掛けなんてものはいつ来るか分からない。だが、その切っ掛けが来た時に準備が出来ていなければ掴みたくても掴めない……


「待てば海路の日和あり、だっけ? とにかくたっくん、こればかりは焦っても仕方がないわよ? むしろ、たっくんはその切っ掛けが来ればすぐに上がれる準備が出来ている。そう考えた方が良いわ。大半の人は、準備が出来ていないのにやってきて逃してしまってそのままお終いなんて事が良くあるもの。準備が出来ているだけでも上出来なのよ?」


 まるで拓郎の考えをズバリ見抜いたかのようにクレアがそんな事を口にした。クレアの言う通りであるし、自分の中でもそう言う答えが出かかっていた。なので拓郎は、大きく息を吐いてビーチチェアに深く腰掛ける。


「確かに、こんなすごい先生2人に準備を整えてもらっているんだから焦ってもしょうがないか。後はいざという時に憶病にならずに自分が手を伸ばして掴めるか否か……ってだけか」


 準備が出来ていても、最後の一手であるチャンスに手を伸ばして己を賭けることが出来るか否かは本人の問題だ。故に挑戦者は成功、失敗問わず敬意を抱かれるべきなのだが──どうしても世の中は失敗をけなし成功を持ち上げてしまう。それが人の性なのだから仕方がないのだが……何とも悲しい話である。


「さすがにそこばかりは手伝えないですね。手を伸ばして巡ってきた機会を掴みに行けるか否かは、本人にしか行えない行為です。どんな武器を持っていても、どんな防具を身にまとっていても、出来ない人はずっとできません。逆に裸一貫であっても出来る人は出来ます。私は、それを何度も見てきていますから」


 ジェシカの言葉に、拓郎は頷く。ここでも意見が一致した、と。


「でも、私はたっくんを信じてる。その機会が目の前にやってきたその時、怯えずに──ううん、怯えていてもいい。それでも大きく一歩を前に踏み出して、そのチャンスに手を伸ばせるって。そのチャンスに手を伸ばせるように今までいろんな訓練をしてきたんだから。だから、たっくんは絶対やってくれるって信じてる」


 クレアの言葉に、少し照れ臭くなる拓郎。こうも信じてくれる野は嬉しい半面、妙に気恥しくなってしまう。だが、この信頼は裏切りたくないと思った事は間違いない。なら、後は行動するだけだ。その時が来たら迷わずに。


「その期待を裏切らない為にも、しっかりと2人の言葉を心に刻んでおかないとな……いざその時が来た時に、縮こまってしまうような事が無い様に」


 拓郎はそうぽつりとつぶやいた後に目を閉じた。そしてしっかりと心の奥底に刻んだのだ。2人の信頼を、期待を裏切るなと。そうして覚悟は自然と決まっていく。いつでも来てみろ、と。こうして、夏は過ぎてゆく。拓郎にとって実りが大きかった夏が、あと少しで終わる。

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