目覚め
少々寝不足ながらも、夏のあやまちという言葉が出るような事態は無事に回避して拓郎は目覚めた。だが、彼は感じている。これは真綿で首を絞めに来ているのだと。締められても今はまだ何ともない……だが、もっともっと締まった時、自分はどうなるのだろうか? この二人に依存する人間になるのだろうか? それともこの二人を先生として一角の人間になるのだろうか?
(──尤も、締めに来ているこの二人には悪意はないんだよな。むしろ自分の願いを積極的に叶えてくれている。この二人に出会えなかったら、自分は科学魔法のレベルを18歳までに今のレベルまで上げられたかどうかは怪しい所だ。いや、十中八九上がらなかっただろう。いいとこ4、もしくは3で止まっていた可能性は十分ある)
穏やかな寝顔を浮かべて寝ているクレアとジェシカを順にみながら、拓郎はそう思った。二人の寝顔は──何というか、幼く見えた。二人の歳からは考えられないほどに幼い子供が浮かべるような……そして寂しげな表情だった。
(本気をちょっとでも出せば街一つなんか簡単に吹き飛ばせる魔女の寝顔とは思えないな。むしろ……そう、むしろ親に捨てられた悲しみを必死に隠して生きてきた子供のような感じがする)
拓郎が持った感想は、あながち外れていない。そんな寝顔を二人が見せるのは拓郎と添い寝をした時だけだ。それも、つい最近に限られる。これが何を意味するのか……拓郎でも容易に想像がつく。
(見せてもいい、ってぐらいには信用されたと言う事なんだろうなぁ。この付き合いがどんな形で終わるのかはさっぱい分からないし、終わらないかもしれない。ただ、終わる時が来ても──それが俺の裏切りによって終わると言う事だけは絶対にしない様にしよう。こんな寝顔を裏切ったら、それは人として屑以外の何物でもない)
そのままそっと寝床を出て、朝食の準備をする。夜の内に面倒な下ごしらえは終えていたので、外に出て用意してあった飯盒でご飯を炊き、みそ汁を鍋で作る。バカンスに来て食べる料理じゃないと思われるかもしれないが、たまにはこういう日本にいるときの食事もしたいという拓郎の願いを二人が聞き届けた結果だ。
(ま、流石にクレアやジェシカの二人の腕には劣るけど……悪くない出来じゃないかな。よし、後は簡単なおかずを作ったらあの二人を起こしてこようか)
なんて事を考えながら拓郎が朝食を作っていたら、後ろからドアが開く音がした。振り返れば、そこにはクレアとジェシカがいた。
「おはよう。あと少しで朝食が出来るから中で待っていてくれ」「たっくんの作った朝食か~、楽しみ~」「残念ながら二人のような味は出せないぞ? ある程度学んでいるとはいえ、流石に経験が足りないし」
クレアの言葉に、苦笑しながら拓郎は返答する。クレアとジェシカは拓郎の言葉に従い、家の中で完成を待つことにする。その間──クレアはちょっと魔法で細工をして、外の音は聞こえるが室内の音が漏れないようにした。
「──杞憂で良かった」「ええ、本当に。目が覚めた時にいなかったのは、本気で焦りました」
クレアとジェシカの二人は、目が覚めた時に拓郎がいなかった事に焦りを覚えていた。もしどこか別の場所で変に魔法の訓練などをしていたらと思ったのだ。この場所は──かなり特殊な場所であり、一人で歩かれるとかなりマズイ。だが拓郎は家の前で朝食の準備をしていただけであった。
「それにしても……」「我ながら、おかしくなってしまいますよね。年下の子一人にこれだけ心を揺さぶられるなんて。こんな日が来るとは思いませんでした」
魔女として生を受け、片や規格外、片や危険な存在として扱われた。冷たい視線、実験動物にしたい事を隠さない視線、そして何より自分の者にしてその力を自分の欲の為に振るわせたい視線という物は、彼女たち二人は山ほど浴びてきた。そんな手合いにお仕置きをすれば、今度は一方的に恐れられた。自分達がやった事などすべて棚に上げて。
そんな日々を送れば、心は寒く凍てつくナイフのような物になっていく。だが、幸いだったのはクレアもジェシカも善性が強かった事により、むやみやたらと他者に対して攻撃せず、ある程度までならその冷たいナイフを鞘から抜く事が無かった事だろう。もし彼女二人がそうではなかったら……拓郎を始めとした大勢の人間が、生まれる事は無かった未来を迎えていた可能性が高い。
「でも、それが心地よいのよね」「そうですね……私も、拓郎さんに出会えた事によって久々に仮面を脱ぐ事が出来たような気がします」
その氷が、解けた。もちろん完全にではないが……それでも、こんな感情を抱えたまま生きていく事になるのだろうと思っていただけに、その衝撃は大きかった。クレアは一目ぼれしたことが切っ掛けで拓郎と関わりだしたが、拓郎の目は、言動は、自分がまさに望んでいた物ばっかりだった。兵器扱いしない、普通に日常の会話ができる……本当に欲しかった日々が、そこにはあった。
そして、ジェシカを呼び寄せた。拓郎ならジェシカの悲しみも癒してくれるのではと思って。そして読みは見事に当たった。ジェシカの穏やかな表情を見るのなんて、本当に何時ぶりだろうとクレアは会話の中で思っていた。なお、比較のために拓郎と会う前のジェシカは、無表情で冷徹で、会話すら基本的にしない人物であった。
「──だからね、もしたっくんに余計な事をする連中が万が一来た場合……ねえ?」「殲滅ですね。ええ、拓郎さんにばれないようにやればいいでしょう。周囲をこそこそ走り回っている連中は、基本的にこちらに協力する立場を取っているようですからそちらは良いとして、他の連中ですね」
クレアもジェシカも、拓郎に接触した魔人を始めとした連中の存在など、とっくに気が付いていた。だが、彼らと彼女らはこちらを邪魔する連中を遠ざける事を目的としている事を理解している為、放置しているだけに過ぎない。そしてそれ以外の連中も残念ながら存在する。拓郎がクレアとジェシカのアキレス腱となったと勘違いしている連中だ。
そいつらがもし拓郎を誘拐した場合……犯人は虐殺されるだろう。そしてもし、拓郎を殺傷してしまった場合……地球がどうなるか分かった物ではない。だが、この手の馬鹿はそんな事を考えず自分がうまくやって、クレアとジェシカを手駒にした事の先しか考えない。その為、他の人から見れば愚かな行為を平然とやるのだ。
「おーい、そろそろ完成するから配膳だけ手伝ってくれー」
ここで、外から拓郎の声が聞こえてきた。二人は頷いて先ほどまでの話を打ち切り、元気よく返答して配膳をするために動き出す。そこには先ほどまでの重い空気はどこにもなかった。
「んー、なかなかおいしいじゃない」「そうですね、料理を学び始めた時間から考えて、これだけの味が出るなら十分ではないでしょうか?」
内心拓郎がどんなことを言われるか心配だった朝食だったが、クレアとジェシカからの評価はなかなか良いものであった。そのことにほっとしながら、自分も朝食に口をつける──うん、まあ悪くはない。味見をちゃんとしたうえで味の調整をしたし、イメージと大きくずれていない。完全に一人で作った朝食は初めてだったが、それなりの出来になってよかったと拓郎は胸をなでおろした。
「しかし、こうして一から自分一人で作って思うよ。毎日作ってくれる親がいかに大変な事をやっていたって事を」
毎日毎日、献立を考え、栄養バランスを考えて食事を作ってくれる親。その仕事はいかに大変な事かを、拓郎は知識ではなく実感として理解した。材料から作り始める料理という物はとにかく手間がかかる。更にそのうえで栄養バランスを考え、美味しい物を作らなければならない。相当な重労働である。
「じゃあ、たっくんも今度時々朝食を作ってみる? ご両親も喜ぶと思うわよ?」「うん、夏休みを利用して魔法だけじゃなく料理も学んで、一週間に一回か二回かだけでもやれるようになっておくべきだって痛感した」
クレアの言葉に、拓郎はまじめな表情で返答を返した。これにより、晩御飯の製作は拓郎の料理の練習の時間にもなったのである。
「じゃ、料理は晩御飯を作る時に鍛えてあげるから、今は午前の科学魔法の連中について教えるからね。昨日も言った通り、水の上を走るって事になるんだけど、かなり特殊な膜の張り方をするから。多分今日の午前はそれだけで消費する事になると思うよ」
クレアの言葉に、拓郎は頷いた。訓練をする時のクレアの指導は厳しい。それに耐えるためにもしっかりと食べておかなければならない。そんな拓郎を、ジェシカはやさしい表情で見つめていた。
やっぱり、ウェハースは一週間かけてああでもないこうでもないで考えないとかけない。
ある意味、藤堂総理よりも難しい。