122話
先週はすみませんでした。腰痛はガチ辛いです。腹痛よりはましですが。
それから数日後の夜。拓郎、クレア、ジェシカは一つの部屋の中でのんびりと寛いでいた。何気ない雑談を躱しつつ、拓郎は読書。クレアは雑誌の閲覧、ジェシカはちょっとした予定を考えていた。そんな穏やかな時間は突如終わりを告げる……クレアの一言によって。
「ねえたっくん、寿退社って知ってる?」「寿退社」
クレアの言葉に拓郎はついオウム返しをしてしまった。寿退社とは結婚をきっかけに会社を辞める事を指し、特に女性に多く見られた行為だった。しかし今は男女ともに結婚したからと言って会社を辞める事などまずない。故に今は死語となっているのであるが。
「悪い、ちょっとわからないな」「──へえ」
拓郎の言葉に、クレアは本当は分かっているんでしょう? と言いたげな声色で拓郎の言葉に応えた。拓郎は当然知らぬ存ぜぬと決め込む。もっとも死語となっている以上、知らぬ存ぜぬでも通るのだが……ここでジェシカが興味を持った。
「姉さん、寿退社って何ですか?」「そか、ジェシカは分からないわよね。かつて日本にあった仕組みの一種みたいなものでねー」
と、寿退社に対してクレアはジェシカに一通りの説明をする。最後にクレアは「という事で間違ってないよね?」と拓郎に話を振ったが、拓郎は知らないと言った以上「俺も知らなかったぞ」と返答するしかない。
「寿退社は分かりましたが、姉さんは突然そんなことを調べ始めたんですか?」
ジェシカの問いかけは最もだ。何の脈絡もなく寿退社という言葉をクレアが使い始めたのだから疑問に思わない訳がない。このジェシカからの問いかけにクレアからの返答は。
「来年の3月、たっくんの卒業と共に私達も辞めるでしょ。その時の説明としてどうかなーって。流石に私とジェシカがいなくなるとジャックとメリーの二人の負担が増えるから、その前に後一人ぐらい教師をやれる魔人か魔女を見つける予定だけど」
とのことであり、クレアの言葉を聞いてジェシカも納得した。
「そうですね、確かに拓郎さんがいなくなれば私やクレア姉さんがあの学園に留まる理由はなくなりますからね。だから寿退社、ですか。学園を卒業すれば一般的に大人とみなされますし、結婚という形でやめるという説明は無理のない話でしょう。うん、良いかもしれません」
ジェシカまで載ってきたことで、拓郎の背中には突如冷や汗が流れ始める。いや、まあ、拓郎としても結婚するという事はまあ構わないのだ。この二人から離れるという選択肢はもうないし、ならば一つのけじめとして結婚するというのはいい。しかし、高校卒業と当時にというのはさすがに勘弁してほしい。
拓郎としては、せめて回復魔法使いとしてやっていける道筋ができるまでは待ってほしいというのが本音である。学園卒業後数年はかかるだろうが、需要が多い世界だから一度軌道に乗ればあとはそれなりにやっていける。そこまで来れば年齢的にも結婚してもおかしくない状態になっているから問題はない、というのが拓郎の考えだった。
「でしょ? 良い案だと思うのよ。納得させやすいし、たっくんの年齢的にも問題なし。後は子供を作って教育して成人するまで見守って、そしてその後はゆっくり過ごす。そういう人生を送れると思うの」
しかし、クレアとジェシカの会話内容は非情である。拓郎の予定など蹴り飛ばして結婚、妊娠、そして成人するまでの子育てのプランまで練り始めている。そもそもすでに二人と同時に結婚する、という所から完全に決められてしまっており、とてもではないが拓郎が口を挟める場所など一切ない。
(下手に反論したら、文句あるのー? って言われるならまだいい方。最悪この場でーって事になりかねない。こういう時は下手につつかない方が良い)
読書に戻りながら、拓郎はそう考えてあれこれ話し合っているクレアとジェシカの言葉を耳の外に置いた。そうしないと落ち着けそうになかったからである、が。
(卒業と同時に身を固める事になるのかー。まあ、それも人生だって割り切ることはできる。けど、ただ籍を入れてお終いなんて事にはならないだろ。普段はこうして気安く接してくれるから忘れがちになるけど、世界からしてみれば災厄の魔女扱いも受けているクレアと、そこまでではないにせよ危険人物扱いされているジェシカ、その両名と結婚ってだけで、世界からはどう見られる事になるのやら)
その一点だけは気が重くなる拓郎。何にも関わらず放っておいてくれるのが一番いいんだが、絶対そうはならないだろう。結婚すれば、組み易しとみて自分に対してあれこれちょっかいをかけてくる人間や、脅しをかけてくる連中も間違いなく出て来る。そういう意連中に立ち向かうにはしっかりとした地盤と力がいる。
(数年が勝負だな。数年で地盤と手を出しずらくなるだけの何かを身に着ける。力だけでは足りない、あいつには手を出すな、手を出すなら俺らが止めるという意見が出るだけの空気が必要だ。つつかなければ無害、つつくと地獄。そういう認識を世界に持たせるだけの実績なりなんなりがいる。ただ、それをどう作る? 今はその為の一手すら見えない)
何時しか読書している本の文字など目に入らなくなっており、拓郎は自問自答を続ける。どうなるべきかのゴールは見えている。だが、そのゴールに向かうためのスタートラインが見えない。スタートラインが見えないのであればその行程も見える筈もない。経験のなさとは、こういう事なんだなと拓郎の心が沈みゆく中、その胸中を炉見透かしたかのように肩に手が置かれる。
「たっくん、不安にならなくていいよ。不安に思うのは分かるけど、その不安を物理的に蹴り飛ばせるだけの力があるもの。それに、世界の魔人や魔女はもうたっくんの味方と言ってもいい状態よ。たっくんが穏やかかつ回復魔法使いを目指して訓練を積んでいる姿を彼らも見ているもの、邪魔者は排除するって意見で一致しかけてる。後はこのままたっくんが日々を過ごせば問題ないわ」
なんでこんなことをクレアが口にできるのか、それはクレアが音を集めて必要な情報、会話から分析することが可能だからである。実際クレアの言葉は間違っておらず、今までの拓郎の行動を鑑みて拓郎を守っている魔人や魔女たちは、拓郎が馬鹿な事をしない限りはこのまま力になろうという意見でほぼ一致している。
もちろん完全に一致しているわけではないが、99%が同意している時点で、ほぼ一致と表記しても問題はないだろう。残り1%にしてもまだ監視すべき、様子を見るべきなどの意見であって敵対しているわけではない。クレアという世界を滅ぼしかねない爆弾をうまく消火して落ち着かせているというだけでなく、拓郎本人の頑張りが認められたからこその結果と言える。
なので、拓郎の心配事の一つであるしっかりとした地盤はすでに出来上がっているのである。拓郎に下手な事をすれば世界中の魔人、魔女がクレアの暴走を止めるために動く。が、クレアはそんな事実を拓郎に伝えることは無い。知らなくていい事だからである。
「そっか、魔人や魔女の皆さんと敵対なんてしたくなかったからな。お互い必要以上に関わらず穏やかにやっていければそれでいいだろう……」
と、拓郎は外を見てから頭を一度下げる。今もどこから自分達を守ってくれている魔人や魔女の方々がいる筈。だからこそ感謝を伝えるべく頭を下げたのだ。
「後は回復魔法使いとしての実績を積み上げていけばいいのか。そうすれば変な連中がちょっかいを出してくる可能性はどんどん下がる」
一つの情報が入るだけで、見えなかった道が一気に鮮明になったと拓郎は感じている。世界の魔人、魔女の皆さんが護衛ではなく明確な味方になってくれるなら、自分が愚かな事さえしなければかなりの問題は消える。後はそこに回復魔法使いとしての名声と結果を出せば、国も保護に回ってくれるから心配事はさらに減る。
「その為にも訓練をしっかりと行って、回復魔法使いとして一流の仕事ができるようにならなければいけない──」「はいそこまで。今はそっちよりも~」
拓郎の言葉はクレアの指で遮られ、そしてクレアに抱き付かれる。
「恋人としての時間を楽しむことが大事よー。あとちょっとしか味わえないこの時間を大事にしてほしいなぁ~。夫婦になったらまた変わっちゃうんだし」
などと言いながら、クレアは拓郎の胸辺りに頭を押し付けてぐりぐりとしてくる。その時拓郎は思った、変わらないような気がするんだなぁ、と。
最近学級閉鎖どころか学校閉鎖すら起きているそうです。
皆様も外出後は手洗いをすることを強くお勧めします。手を洗うだけでも違います。
洗う際に、石鹸などを使えばより安心ですね。




