その12
夏休みが始まる数日間は、拓郎にとっていろいろな意味で地獄だった。クレアの発言のせいであらゆる形であれこれ噂は大きくなるわ、嫉妬の視線は今まで以上に飛んでくるわ、そりゃあもう針山の上どころか槍衾の上にいるような精神状況であったと言えるだろう。
それでもようやく明日が終業式、とりあえずクラスの内外から飛んでくる好奇心と嫉妬と、その他のもろもろの感情が乗った視線からはとりあえず一か月半ほど解放される──2学期が始まった後の事はとりあえず考えない方が良いだろう。そんな中、雄一が拓郎に声をかける。
「いよいよ夏休みだなタク。所で旅行に行くとは言っていたが、どこに行くんだ?」「それがさっぱり。クレアに聞いてみても楽しみにしててと言ってほほ笑むだけなんだ。正直不安しかないんだよなぁ」
クレアは、拓郎に対してどこに旅行に行くのかを一切教えていなかった。いつの間にか用意されたパスポートを始めとした用意だけは整っており、クレア曰く「終業式が終わったらすぐさま行くからね」と言われている。なので、いったいどこに連れていかれるのかという悩みと不安が拓郎の正直な心境であった。
「まあ、クレア先生がお前を害するような場所には連れて行かないだろ?」「そうだと思うんだがなぁ……アメリカでもヨーロッパでもアジアでもないって言ってるんだよ。じゃあどこに行くんだって話になるだろ? 不安だぜ……」
拓郎の言葉を聞いて、クラス内ではあそこじゃないか、ここじゃないの? なんて言う拓郎の行き先予想大会が勃発する。正直、このクラスが共通で盛り上がれるネタは拓郎から発信されており、拓郎の言葉一つで周囲が盛り上がってしまうのだ。
「アメリカでもなく、ヨーロッパでもアジアでもない、か。南アメリカ方面とか?」「それも聞いたが違うらしい。アフリカでもないそうだ。ふざけて聞いたが、北極圏、南極圏も違うって話だった」
雄一の問いかけに対する拓郎の返答で、クラス中が拓郎は一体どこに行くのだろうと首を捻る。
「パスポートは必要なんだよな?」「ああ、間違いなく用意されていたから実は日本国内でした、って言うオチはないと思う。クラス内で、もしかしてここじゃないか? って思い当たる場所があるなら教えて欲しい」
拓郎の問いかけに、数人が世界地図を開くが……ここじゃない、ここも違うだろうという話ばっかりで、ここじゃないか? という意見はさっぱり上がってこない。
「俺も分かんねえな……まさか宇宙って事はないよな」「それは流石にない、と思いたい。もし宇宙に行くとなったら、もっと手続きが複雑な事になってると思うからな」
うーん、とクラス中が唸った所で次の授業の教師が教室に入ってきたので、拓郎の行き先の話はお開きとなった。
そして翌日。終業式にちゃんと参加した拓郎は、なぜかどこの学校でも長くなりがちな校長の話を右から左に流しながら、この後の予定を確認していた。そもそも校長の話をかいつまんで説明すれば、羽目を外し過ぎない事、犯罪行為に手を染めない事、一定の節度を持って行動する事である。文字にすれば一行にも満たない事をなぜこうも長ったらしくくどくどと、どこの校長も話せるのかは謎だろう。もしかすると、そう言う言い回しを覚えるのは校長の義務なのではないか? と思いたくもなってくる。
(終業式が終わったら、クレアとジェシカさんが待っている車に乗って空港直行だったよな。車はでかいのをレンタルしてくるから着替えはその中でやれると。そこから先はどこに連れていかれるのか……ジェシカさんは良い所だから大丈夫ですよ、ジャパンアニメーションの様な修行する場所じゃないですからとは言っていたが)
なお、ジェシカが気に入ったアニメ作品だが。ある流派を収めた格闘家主人公が、特殊なスーツを着て大きな機体を動かすGなあれだったらしく……毎日DVDで鑑賞していたりする。特に数々の必殺技を気に入ったらしく、科学魔法で再現するのに、拓郎も付き合わされた。そして、ジェシカと拓郎はともにフィンガーでむぎゅっとひっつかむあれが出来るようになってしまっている。
実用性は? と問われると……防御が出来ない人にやった場合、掴んだ部分が爆発四散する。メカならパーツ交換で済むが人間相手の場合は……ミンチの方がまだましかもしれない。故に、これは基本的に封印しておくべき必殺技になってしまった。加減が聞かない、というのも理由である。必殺技とは必ず殺す技と書いているので、そう言う点では間違っていないのだろうが……
さて、とにかく長かった校長の話がやっと終わり、生徒全員と教師の一部が内心で無駄に長いよと思っていた。その後はこまごまとした連絡が行われた後に教室に戻り、1学期最後のホームルームが行われる。
「まあ、校長の話が長かったのでうんざりしているだろうから私からは一つだけ。警察のお世話になるような事はするなってだけだ。後拓郎、私はお前の良識に期待しているぞ……」
担任の男性教諭から名指しされてしまい、拓郎は顔を覆った。クレアの発言は当然教師達の間でも騒ぎになったが……クレアに何を言っても蛙の面に水でしかないとも分かっている為、男性教師は拓郎にそう言うしかない。もっとも、クレアが力ずくで襲い掛かってきた場合はどうしようもない事も分かっている。
「それでは、皆元気な姿で2学期に会えることを願っている。解散、ひと月半、目いっぱい楽しんで来い!」
この一言で、一気に騒がしくなる教室。この夏休みが始まった! という時に沸きおこる熱気は何時の時代も変わらないのだろう。さて、一方で拓郎は静かに教室を出て行こうとした所で雄一と珠美に呼び止められた。
「拓郎、帰る前に一緒にどこかで飯食って行かねえか?」「私達と一緒に。夏休みは会えないんでしょ?」
誘ってくれた二人だったが、すでに学校の外でクレアとジェシカが待っている事を知っている拓郎は、それを伝えて済まないが行けないと伝える。
「まじか、もう待ち構えてるのか」「すごいね……って、なんか大きなキャンピングカーが止まってるけど……」
折角なので学校出るまでぐらいは一緒にいく事にした拓郎、雄一、珠美であったが……学校の正門からちょっとだけずれた所にどでかいキャンピングカーが鎮座していたのである。十中八九、あれで間違いない。
「あ、たっくん出てきたねー! こっちこっち、このまま空港まで行っちゃうから!」
そしてクレアが出てきた事で確定した。あれで空港まで行くのだろう。しかし、でかいのをレンタルしてくると言ってたけどなんでキャンピングカー? まあ着替えるのは楽そうでいいけどと拓郎は思っていた。
「それじゃタク、2学期でまた会おうな」「お土産話楽しみにしてる!」
クレアがやってきたのに変に長引かせたら、クレアをイラつかせる可能性が高いと察している雄一と珠美の二人は、さっさと拓郎を置いて校門から外に出て行った。その後に雄一もクレアと一緒に校門から外に出る──周囲からは色々な視線がぶっ刺さっているが、全力で無視している。
「じゃ、出しますよ」
運転はジェシカがする様だ。静かに動き出したキャンピングカーの中で、拓郎は制服を脱ぎ私服に着替える。私服になると、一気に楽になったような気がするのは気のせいだろうか……なんにせよほっと一息ついた拓郎であったが、これから行く先をまだ知らない事に対する不安がまだ消えていない。
「もういい加減教えてくれてもいいんじゃないか? 一体これからどこに行くんだ?」
その拓郎に問いかけに対するクレアの行動は……拓郎を催眠音波で眠らせる事だった。突然のクレアの行動に対して、一切の防御行動をとれず拓郎は一瞬で眠りについた。拓郎が倒れこむ前にクレアが拓郎の体を支え、ベッドに連れて行く。
「姉さん、拓郎さんは?」「大丈夫、ぐっすりよ。どうやって行ったのかを流石に見せる訳にはいかないからね」「あそこは特殊な場所ですからね。拓郎さんにはどうやって行くのかの道筋は見せられませんし……まあ、それを除けば良いところなんですけど」
拓郎が寝たことを確認したクレアとジェシカはそんな会話を交わしつつ、人気のない場所へとキャンピングカーを走らせて……周囲の状況をチェックする。誰も居ない事を確認すると、術式を起動。紫色に輝く穴が生み出される。
「じゃ、ジェシカれっつごー」「了解です、姉さん」
キャンピングカーを、その紫色に輝く穴の中へと突っ込ませるジェシカ。それから十数秒が経過すると……キャンピングカーは全く別の場所へと到達していた。
「転送は無事完了です。ま、私と姉さんがいる以上失敗する確率はゼロですけどね」「ゼロじゃなきゃたっくんを連れてこれなかったけどね。さ、この楽園で修行&ヴァカンスよっ!」
出た先は、グアム島が一番近いだろうか? だが、ここはグアムではない。完全に隔離された、地図にない島。それが、クレアたちの旅行先であり目的地だった。