115話
翌日。目を覚ました拓郎はクレアにしがみつかれている事に気が付いた。それ自体は(拓郎にとって)特に気になる事ではないが──クレアの顔には涙の跡があった。何があったのだろうか? そう思いながらクレアの顔を拓郎が見つめていると、ゆっくりとクレアの目が見開かれていく。
直後、クレアが拓郎を強く抱きしめた。その抱擁は愛しい人への物ではなく、まるで幼子が孤独から来る寂しさを必死に紛らわせるような感じがすると拓郎は感じ取った。そのまま抱き着かれること数分、クレアが小さくつぶやいた。
「よかった、たっくんがいる。ちゃんとここに居る。夢だった、悪い夢でよかった……」
──それで拓郎は大体の事情を察した。今までクレアから聴いて来た事はクレアの今までの人生のごく一部の話に過ぎないのだろうが、それでも孤独な人生という一人旅を歩んできたことは想像に難くない。それに加えて魔女の中でもさらに強力な力を持つという所からも、より孤独を感じる事になったことも理解できる。
そんな彼女がこうして自分に抱き着き、そして泣く。よほど悪い夢を見たのだろう、その夢の中だと自分は死んだのかもしれないと拓郎は考えていた。故に目をさましたクレアがこんな行動に出ているのだと。このタイミングでジェシカも目を覚ましたようで反対側から音がする。
「姉さん、そろそろ起きないといけません。拓郎さんは間違いなくここに居ますよ。だから解放してあげてください」「うん、分かった……」
普段とは全く違う元気のない声。それでもクレアは拓郎への抱きつきを終わらせて着替えようとする。慌てて拓郎が部屋から出ていったのは想像に難くないだろう。流石に着替えまで一緒にするというのは、気恥ずかしいなんて言葉では済まない。
しかし、着替えが終わった後もクレアは拓郎に引っ付きっぱなしであった。朝食時も、登校時も。こうも一緒に居たがるなんて、どれほどの恐ろしい夢をクレアは見たのか。
なので無数の人から注目を浴びても拓郎は気恥ずかしさ、羞恥心を全力で押し殺してクレアの傍にいた。結局学校につくまでクレアは拓郎から離れることは無かった。当然、学園ではその話でもちきりになってしまう。当然拓郎にも話が振られる。
「拓郎、クレア先生何かあったのか?」「怖い夢を見たようでな……起きてからずっとあんな感じだった。どんな夢を見たのかなんて、恐ろしくて聞くことすらできなかった。落ち着きを取り戻してくれるといいんだが」「そうか、心配だな」
ただ、話の内容は冷やかすものではなく心配する声ばかり。そもそも拓郎とクレアの仲は周知の事実でありはやし立てるようなことではない。むしろはやし立てようものなら命が危ない。それに加えて、今日のクレアを見た人からは普段とは全く違う儚げな雰囲気を嫌でも感じ取るだけの雰囲気を彼女は放っていた。
「あのクレア先生があそこまで恐怖を覚える夢か……よっぽど怖い夢を見たんだろうな」「その夢の中で自分の力では何もできなかったんだろうな。クレア先生はいろいろ魔女の中でも特殊だし、そんな夢を見させられたら辛いだろ」「下手につつかない方が良いよな、蛇どころか核爆弾が顔を出しそうだ」
クラスメイト達も心配する雰囲気の中で話し合う。恐ろしい魔女であるという事と同時に、一度面倒を見始めると大事にしてくれる所があるという両方を一番知っているのは拓郎だが、次に知っているのはクラスメイトの面々だ。故にクレアに対しての恐怖心はほぼなくなっており、クレアの事を一人の人間として考えるようになっていた。
その後、授業は滞りなく進み、科学魔法の訓練の時間を迎えたのだが。
「あの、クレア先生。非常に申し上げにくいのですが、そのお姿はちょっと……」「いやです。この時間はずっとこうしています」
やや幼児化してしまったクレアに、拓郎は抱き着かれていた。いや、抱き着いたという表現は正しくないだろう。厳密には前方からしがみ付かれているというべきだろう。両手両足で気に掴まるコアラの様にしがみ付き、全く離れようとしていない。
「授業は普段通り、指導も普段通り行います問題はないでしょう?」「いや、その点は疑っておりませんが、流石にその姿は……」
クレアと教師のやり取りを見ていた周囲の生徒達はお互いに一度頷き合い、そして声を上げた。
「クレア先生がああなってるって事はよっぽどのことがあったんですよー、今日だけは大目に見ましょうよー」「そうですよー、訓練の指導さえきちんとしてもらえば私達は構いませんからー」「話し合ってる時間がもったいないですよー」
などという声が次々と上がった。生徒が良いというのなら、という事でクレアに意見していた教師も言葉をひっこめた。そしてこの日の訓練が始まったわけだが……クレアは拓郎に対して重力を高めて体の全身に負荷を与えるという訓練を課した。拓郎はその不可に対し、体を魔法で強化する事で対処する事を求められる。
普段通りの魔法を受ける訓練は中止となった。今の状態のクレア先生に向けて魔法を放つのはちょっと、という意見が多数上がったからである。それでもクレアの指導はきちんと行われ──
「良いわね、一週間前より安定しているわ。ならばもっと絞り込んで、頑丈に、かつしなやかさを上げていきましょうか」「はい、先生!」
防御魔法を中心に、補助的な魔法の訓練をメインに行われる事となった。先日の一件もあって、生徒も教師も身を守る防御魔法の重要性を痛感しておりより強力な防御手段を手に入れる事を切望する形となっていた。その要望にクレアたち魔人、魔女が応えた形となったのだ。
拓郎にしがみつきながらも、各生徒達への科学魔法精度、ならびに防御力向上の指導を行っていくクレア。その姿を受け入れている学園の生徒と教師を見て戸惑うのは他校の生徒達。
「指導内容は為になるし、魔法の質が上がっているのもわかるんだが」「なんとも締まらないというかなんというか……」「可愛いと思うけど」「普通の仲じゃあんなことしないだろ……相当信頼しているんだろうなぁ」
なんて会話が小声で交わされている。教師たちもさすがに突っ込みずらいうえに邪魔になる様な声の大きさでもないので、耳に入ってきてもスルーしている。
「先生、防御魔法がどうしても必要以上に硬質化してしまって脆くなってしまうんです。原因は分かりますか?」「それは、貴方が防御魔法を使う時の心境が大きいわね。必要以上の恐怖心を持っているとよ
くなる事なのよ。私も昔はよくやっちゃったわ……防御魔法という物は恐ろしい物から身を守るものだけど、怯えすぎてはいけないのよ」
言っている事はもっともな事なのだが、しがみ付かれている拓郎からしてみればなんだかなぁとも思ってしまう。そんな拓郎の心境など当然知る筈のないクレアは、防御魔法の指導をを続行していく。いくつもの指示を飛ばし、生徒に積極的に魔法を使わせて確実に改善させてゆく。その手腕は確かに素晴らしいのだが。
(クレアがここまでなる悪夢か。相当なものだったという事は分かるが……それが正夢にならないことを祈っておこう。相当な不幸に繋がる夢だったんだろうし)
しがみ続けるクレアの姿が妙に幼く見えてしまった拓郎は──そんなことを願っていた。クレアの寝起きの様子から、自分が不幸な死を迎えたかもしくは消えてしまったという夢であることだけは容易に想像がつく。
そんな結末は、拓郎としてもごめん被りたいところである。この日の訓練の途中から、クレアの頭を撫でたい衝動に駆られたが、必死に抑えつつ訓練を行うという普段よりある意味負荷のかかる時間となった。