104話
そしてゴールデンウィークが始まったが、拓郎にはあまり関係がない。進路として選んでいる先に進むためにも勉強は必要だし、空いた時間は体を軽く動かして鈍らないようにする日々を送るだけ。旅行なんていく時間もないので(まあ、受験生は皆そうだが)、日々と大差ない時間を過ごしていた。
幸い勉強の進みは悪くなく、詰まったところはクレアやジェシカに質問することで理解を深めていた。拓郎の両親はそんな姿を見て遠くから応援するだけに留めてプレッシャーをかけないように配慮していた。そうしてゴールデンウィークはあっという間に過ぎて、最終日の夜を迎えていた。
「たっくん、体の方は問題ないわね?」「ああ、運動の方は勉強の合間を見て動かしていたし、魔力の流れの方も異常はない。魔法を放つことはしてなかったけど、練り上げる訓練はきちんと時間を定めてやっていた。鈍っていることは無いと思う」
一応、クレアやジェシカにも見てもらって異常がない事を再確認する。
「うん、問題はないですね。これならば明日からの訓練に差支えが出ることは無いでしょう。拓郎さんの方はこれでよいとして──問題は、他のクラスメイトの子たちでしょうか? 無理な訓練を強いる事のないように、プリントは出しておきましたが」
ジェシカがこうつぶやくのも仕方がないだろう。何せレベルゼロ事件が起きている以上、また暴走した親が出ないとも限らない。と、そんなタイミングで拓郎のスマホが通知音を奏で始めた。電話をかけてきたのは、まさにレベルゼロ事件の当事者の一人である男子生徒だ。まさか、と思って拓郎は急いで通話を繋げる。
「もしもし? 拓郎ですが」『ああ、拓郎。すまないな、夜に。ちょっとだけ時間を貰えるか?』
拓郎はクレアとジェシカに目配せをして、スマホをスピーカーモードに切り替える。これでクレアとジェシカにも話している内容がすぐに伝わる。
「時間は問題ない。何か問題が発生したのか? まさか、また……」『いや、俺の方は問題ない。親の方も懲りているからな、科学魔法の訓練については一切何も言ってこなくなったよ。勉強も自主的にしているし、親の方は静かだ。ただ、な』
歯切れの悪い言葉と共に、一旦言葉が途切れた。だがその後深呼吸をした後に、電話先の男子生徒が再びしゃべり始めた。
『正直、不安なんだ。いや、例の病気を治癒して貰った事には本気で感謝している。おかげで今の俺があるんだしな……しかし、俺達3人はほかのメンツと比べると出遅れている状態なのは事実だからな。クレア先生はレベル4になれると言ってくれたが、それでも俺達3人の体は見えない所の傷が残っている分、どうしても不安に駆られる』
気持ちは分かる、と拓郎は返した。何せ彼ら3人はレベルゼロになってしまった経験がある以上、他のクラスメイトと比べると見えない所に傷がある分不安要素がどうしても残る。拓郎とジェシカが定期的にみているとはいえ、やはりそういった傷に対する怯えは消えてはくれないのだ。
『今日の昼間にも集まって話をしたんだが、やっぱり誰もが不安でさ……今のレベル2だって、いつ何かの拍子で壊れてしまって戻らなくなるんじゃないかって思ってしまうんだ。こんな話をして済まないとは思うが、拓郎にしか話せない事だから……』
声が震えているように聞こえたのは気のせいではないだろう。そして、そんな3人に対して臆病になるなという事はできない。何せ科学魔法があって当然の時代において全く使えなくなったというのは、まさに恐怖そのものでしかない。そしてその恐怖がトラウマとなって心を常に苦しめてくるのである。
「そうか、そう考えてしまうのは無理もないだろ。何せその恐怖心は一度味わった人じゃないと理解できない程の深さがある。だが、俺は少しでもその恐怖心が薄れるように治療をさせてもらっている。今はかなり安定してきている、という事は事実だと言わせてもらうぞ」
あれこれ言うよりも、事実として安定してきている事を拓郎は伝える。むろんこれを伝えるのは初めてではないが、ゴールデンウィーク前に診断した3人の科学魔法の回路というべきものは大幅に回復しており、安定してきているのは間違いなく事実だ。
「むろん、以前のような無茶をすると仮定すれば不安が残るが、治療はきちんと前進している。夏休み前ぐらいまでには、残っている不安要素も消せるはずだとジェシカさんも見ている」
これも事実。ジェシカも口にそこ出さないが、頷いて同意する。彼ら3人の治療を行う事で拓郎の治癒士としての腕前は確実に進歩を遂げており、レベル8の科学魔法レベルも相まって、確実に3人の科学魔法の回路を修繕が進んでいるのである。
『本当か!? そこまで我慢すれば全力を気兼ねなく出せるのか!? そして、夏の合宿にも参加できるのか!?』「ああ、俺じゃなくてジェシカさんを信じろ。彼女が間違いないと言っているのだから、疑う余地はないだろう?」
自分ではなくて魔女のお墨付きがあると伝えれば、より安心できるだろうと拓郎は考えてそう伝えた。何せ魔女は科学魔法のトップに立つ存在だ。そんな存在が魔法に関してこれは間違いないと証言することは実に重みがある。
『そうか、そうか……! 分かった、もう少し我慢することにする。だが、ジェシカさんだけじゃなく俺達3人は拓郎だって信じている、それは忘れないでくれ。あの日の絶望から俺たちを救ってくれたのは──他でもない拓郎、お前なんだから』
嗚咽交じりの声が、拓郎達の耳に届く。その言葉を聞いて、少しだけ誇らしげな表情を浮かべた拓郎を、クレアとジェシカもまた嬉しそうに眺めている。
「とにかく、あと少しだけ辛抱してくれ。ここで焦ったらすべてが台無しだ。それはもったいないだろう?」『ああ、ああ、そうだな。それに勇気づけられる言葉が聞けたことは希望を持つには十分すぎた。後の2人にもこの事を伝えていいだろうか?』
拓郎は伝えていいと許可を出した。あとの2人もやはり常に心のどこかで恐怖におびえながら日々を過ごしている事は間違いない。だが、その恐怖を取り除ける希望を与える事は治療にとってもいい。病は気から、という言葉は決して迷信でも何でもないのだ。たとえどんな難病であっても、本人が希望を残していれば治癒する可能性はあるのだから。
『拓郎本当にありがとうな、俺達はこれで希望をもって明日からの学校に来れる。また明日な』「ああ、また明日。ただ一つだけ、学校に来ても3人そろって頭を下げに来るのはなしで頼むぞ。今は内外でいろいろと学校は注目を浴びているからな……少しでも妙に感じられるようなことは控えてくれよ」
このやり取りを経て、通信は終わった。直後、拓郎はクレアとジェシカに頭をゆっくりと下げた。
「2人が俺を厳しくも優しく指導してくれたから、こうしてクラスメイトの明日を救う事が出来た。そして、去年の10月も多くの命を散らすことなく救い上げる事が出来た。本当にありがとう、感謝をいくら伝えても伝えきれない。あの時、小さいときになりたいと願った以上の自分に俺はなろうとしている。二人の指導がなければ、決してこの道は開かれなかった」
と、拓郎は嘘偽りのない正直な心の内をはっきりと口にした。回復魔法を使えるようになって、あの日救えなかった命を今度は救いたい。幼いころに願った拓郎の夢。だがその夢は遠く、クレアと出会う前は魔法のレベルの伸びも鈍化しており、拓郎自身がどこかであきらめかけていた夢。それがクレアと出会ったあの日から、あきらめて錆掛けていた夢が輝きを放ち始めたことを今にして拓郎は思っていた。
あの唐突な出会いが、今の俺を形作っている。あの時なんだかんだと言いつつもともに歩いたおかげで今がある。あそこでかたくなに関わり合いを避けていたら──小さいころに願った目標は砕け、去年の10月に同じ運営を繰り返し、絶望の淵に沈んでいたかもしれない。そんな運命を丸ごと変えてくれた2人の魔女。感じているものは感謝なんて言葉では到底足りない。
「お礼は私も言わなきゃいけないわ。いきなり押しかけても、なんだかんだで受け入れたくれた貴方がいたからこそ、私は今こうして人らしく在れる。もしあの時の出会いがなければ、私はすさんだ心のまま世界を旅し続けていたと思うわ。その行き着く先は絶望か暴走か──どちらにしろ、いい結末にはならなかったでしょうね」
クレアの言葉もまた、素直な心の内を明かしていた。事実、もしあそこで拓郎と出会わずに日本を後にしていたら──彼女は数年後、絶望に沈んで暴走していた可能性が否定できない。そうなればどれほどの被害が出たか、想像すらできない。その可能性を、拓郎は消したのだ。クレアにとってもまた、拓郎に感謝と愛情を抱くだけの理由はある。
「そうですね、私も感謝していますよ。私もまた、拓郎さんと出会っていなければこんな穏やかな心を持つことは難しかったでしょう。それこそクレアお姉さまと一緒になって、世界に絶望していたかもしれません。なので、今日は一緒に寝ましょう。お互いの温もりを感じ合いながら、世界には絶望だけではないのだと感じましょう」
と、ジェシカは感謝の言葉を口にしつつも更ッと拓郎に添い寝の注文を付けた。だが拓郎も慣れたもので、やや苦笑しながらも受け入れる。そこにはただ温もりを求めるだけで、色気が孕む話ではないのだと今までの付き合いで分かっているから。こうしてゴールデンウィーク最終日は、3人が一つの布団で温もりを分かち合いながらゆっくりと眠りに落ちた。
来週はゴールデンウィークで休みを頂きます。