拠点確保
拒絶して、拒絶して、拒絶して。気に入らないもの全てを拒絶して。
そうして最後に残ったものには拒絶され。
こうして私はひとりぼっち。
私を拒絶したあなたもひとりぼっち。
世界に私たちは二人きり。
一緒に居るのに孤立して。
大魔導師メルクリア
地面に落ちている木の実を齧り、清涼な川の水を飲む。それがここ数日のおれの食事だった。
それが終わったら、火傷の跡を水で洗い流す。できれば煮沸したいのだが、火を起こす事ができないおれには過ぎた願望だった。一応数日間ずっと飲んでいて体調を崩した事はないから大丈夫だと開き直ってはいるのだが。
そんな事よりもおれにとって心配なのは、火傷の方だった。
自分で焼いてから今まで、水で洗い流すくらいしか手当てらしき事をしていない。焼いた時は死なずに済んだが、このままだと雑菌が入り込んで死ぬなんて事もあり得る。彼の体の免疫機能がどの程度のものかは不明だが、わざわざ確かめたいとも思わなかった。
また薬は元より、使える野草などの知識もない。せめて清潔な布くらいは欲しかったが、生憎身に纏っている服はとても清潔とは言えない代物だ。
かといって、街へと調達しに行く事もできない。おれがやった事は相当な騒ぎになっているようで、ほとぼりが冷めるまでは街に入る事はおろか、近づく事もできそうにない。
この数日の間に、軍属と思わしき集団を見掛けたのは一度や二度ではない。
統一された装備を身につけて整然と行進する、数人から数十人によって構成された部隊。その総合力は勿論の事、個々の力量も遠目に見ても高いという事が分かった。
まかり間違っても、手出しをしてはいけない。もし手を出してしまえば、地獄の果てまで追い掛けられた挙句に嬲り殺しにされる事は想像するまでも無い。
「……腹が減ったな」
腹から音が響いて来て、努めて意識の外に追いやっていた空腹感を思い出してしまう。
何せここ数日、口に入れているのは胡桃ほどの大きさの木の実だけだ。しかも、それすらも満足のいく量を確保できていない。
噂で聞く限りでは人外の犇く魔境を想像していたのだが、魔境どころか、獣の一匹も見掛けやしない。
「鳥なら見掛けるんだけどなぁ……」
ちょうど上空を横切る、黒い鳥――もといカラスらしき何かの群れ。
多い時は日に一〇羽以上は見掛けるそいつらは、この森に入ってから目にしている唯一の生命体だ。
「……カラスって、喰えたよな?」
もしかしたらカラスじゃないのかもしれないが、少なくとも見た感じはカラスだ。
記憶が正しければ、確かカラスはフランス料理の食材にも使われていた筈だ。そんな番組を入院患者と一緒に見た記憶がある。
世界に誇る美食大国が食材に使うぐらいなのだから、さぞかし美味いのだろう。いや、不味くても全然問題はないが。食事が取れるというのは素晴らしい。
「よし、食おう」
幸運かどうかは知らないが、件のカラスらしき何かは今日に限って頻繁に見掛ける。羽ばたきの音やカァカァという鳴き声が若干うるさく感じられる程だ。
……もう鳴き声もあれだし、カラスで良いんじゃないかって思う。
イドから魔力を汲み上げて手のひらへと送り、魔弾を生み出す。最近ではこの作業は、平均して大体二秒前後で完了するようになった。
もっと速度を求める事もできるが、そうすると術式が未完成で不発に終わったり、あるいは通常よりも威力が大幅に低い代物となってしまう事がある。こればっかりは回数を積むしかない為、地道にやっていくしかないだろう。
ぶっちゃけ、魔弾の術式を極めるよりも体術や他の魔術を習得するのに時間を割いていたというのが大きいのだが。
ともあれ、完成したそれをやや遠ざかりつつあるカラスの群れに向けて放ち、狙いを大きく外れて空振りに終わる。
一方カラスの群れといえば、突然の襲撃に驚いたのか隊列を一瞬崩した後、速度を上げて飛翔して行った。
「……うん」
まあ、あれぐらい小さな、それでいて動く的に当てる訓練はあまり積んでなかったし。
じゃなくて。
「待ちやがれ、おれのめ……じゃなくて、このクソガラス共!」
逃げるカラス共を追って走り出す――直後に川に落ちるが、即座に上がって追跡を再開する。
意外と速く飛行するカラス共に対抗して、おれもイドから魔力をどんどん汲み上げては全身に回して行く。それでようやく互角……いや、僅かばかり向こうの方が上か。徐々にだが距離が離されていっている。
ただ幸運な事のか、カラス共は既に落ち着きを取り戻し、尚且つおれの事を振り切ったと思い込んでいるのか――あるいは最初から追い掛けられているという認識すらされていなかったという可能性もあるが、遠目に高度を下げていくのが見えた。
それを見てさらに進んで行くと、やがてカラスの大合唱をが聞こえ始めたので速度を落とし、打って変わって慎重に歩を進めて行く。
「……多いな」
やがて開けた場所にでると、そこには数十羽ものカラスが地面に脚を降ろしている光景だった。
一体そんな事になっている原因は何かと思えば、そのカラス共の中心に人が倒れているのが見えた。
「……死体か」
うつ伏せで倒れてこそいるが、それが生きてないのは火を見るよりも明らかだ。というのも、胸にでかい風穴が空いている。
そしてその穴にカラス共は代わる代わる嘴を突っ込み、おそらくは死肉を啄ばんでいた。
それを眺めながら、おれは手元の術式を慎重に変更して行く。
ただ放つのではなく、放たれた瞬間に幾本にも分かれて散弾と化する術式へと。
「散矢」
たっぷり一〇と数秒の構築時間を掛けて完成させたのは、一発につき大体二〇から三〇発の針のような魔力の結晶を撃ち出す基本レベルの魔術。
ニーナ曰く、魔力量に物を言わせて通常の五割増しの弾数を撃てている上に一発の密度も練度に反して高いとの事。ただし精度は恐ろしく悪いが。
それでもあれだけ密集していればどれかは当たる。下手な鉄砲何とやらではないが、数羽のカラスが撃ち抜かれて動かなくなり、また他のカラス共も一斉に飛び立ちうるさく鳴く。
「やっぱどっからどう見てもカラス……じゃないね」
死体の一つを掴んで検分してみると、嘴の中にびっしりと牙が、舌の上にまで生えているのが確認できた。
ただそれを除けば、サイズ的にも見た目的にもカラスそのものだった。
味は……肉を食べられるというのは素晴らしい、と言ったところか。
まあ生だしね。それに味覚が感じられるというのは、やはりどんな味であろうとも素晴らしいものだ。
「いやぁ、助かったよ。礼を言おうじゃないか」
そうやって半分くらいを平らげたところで、背後からそんな声が響いて来たので即席の魔弾を作り振り向く。
「いやいや落ち着いてくれたまえ。吾輩は敵ではないよ。君はおそらく魔族だろう?」
そこには両手を挙げて敵意がない事をアピールしている、直前まで地面にうつ伏せで転がっていた胸に穴の空いた男の死体が立っていて、そんな事を主張して来た。
「あっ……!」
そして生成した魔弾が暴発し、おれとその何故か起き上がって言葉を話し始めた死体が衝撃で吹っ飛ぶ。
即席で作った不安定な魔弾を、寸前で放つのを辞めて維持するなんて芸当はおれには早過ぎた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「では改めて、腐肉鶏から助けてくれて感謝する」
「あんたって何者なの?」
魔弾の暴発など最初から無かったかのように顔を向き合わせてそう言って頭を下げて来る相手に、一番気になる事を聞く。
「おお、そう言えば名乗ってなかったか。吾輩はコヴィル=フォン・アレルパと言う。人間だった頃の名前ではあるがね」
「そう言う事を聞いてるんじゃなくてさ、あんたってアンデッド?」
「失敬な! 吾輩をあのような低俗な存在と一緒にしないでもらいたいね!」
いきなり怒髪天を衝く勢いで怒ってくる。だったら最初から、こっちの意図に沿った回答をしろと言いたいのだが。
「なら何なの?」
「……それについては、移動がてら話そうではないか。良ければ吾輩が拠点として利用している隠れ家まで案内しよう。是非ともそこでお礼がしたい」
逡巡の後に述べて来た提案を、おれは吟味した上で都合が良いと結論を出して呑み込む。
その意向を伝えると、コヴィルは満足そうに頷き「では、ついて来たまえ」と偉そうに言って先導を始める。
「さっきも少し口にしたが、吾輩は元人間だ。ただし、生前に独自に研究して完成させた特殊な魔術を自身に施していてね。その魔術は被術者を死後に蘇生させ、より高位の存在へと昇華させる事ができるのだよ」
「で、その結果がアンデッドだと」
随分とショボい魔術だな。
「だから、そのような低俗な存在と一緒にするなと言っておろうが!」
「なら、何であんたはそんなに死んでんのさ」
どっからどう見ても、アンデッドにしか見えない。
百歩譲ったとしても、良いところがリビングデッドだろう。
「それなのだよ、問題は。それこそが今も吾輩を悩ます最大の種でもある。
名前からも分かる通り、吾輩は生前はこの近くにあるアレルパの領主をしていた。そして領主であると同時に、優れた魔術師だったのだ。
能力に、その能力を存分に活かす事のできる財力。その二つを揃えていた吾輩の研究に失敗はなく、当然完成させたその術式も完璧なものだった」
いきなりの自画自賛に入る。この手の連中は小物と相場が決まっているのだが、少なくとも話を聞く限り、その言葉に見合うだけの能力はあったらしい。
それを考慮すると、多少高慢なところがあっても小物であるかどうかまでは一概には言えない。
「その魔術には下準備が必要不可欠でな。まあ人間よりもさらに高位の存在に到る為の魔術であるのだから当然の事なのだが、その下準備を進めていたら領民共が大層反発して来てな」
「その下準備って、具体的には?」
「高位の魔物や、あるいは強い力を持った魔術師の心臓を食す事だな。まあ厳密には心臓そのものではなく、イドに意味があるのだがね」
「馬鹿じゃないの?」
たったいまこいつが小物だという事が確定した。
百歩譲って魔物の心臓はまだ良いとして、人間の……元同族の心臓を食べれば、それは反発されて当然だろう。
「幸いにして魔術師の心の臓は立場を利用すれば訳なく手に入ったのだが、お陰で発覚と共に身を追われる羽目になってな。
加えて当時のアレルパは今ほど規模の大きな都市ではなくて、どちらかと言えば良くある辺境の町だったのだ。そのせいで碌に司法の精神というものが領民共には宿っていなくて、捕まったかと思えば私刑に晒されて嬲り殺しにされた挙句、死後に心臓を逆に抉り出される始末だった」
「因果応報だろ」
昔のアレルパの発展度合いがどの程度のものなのかは知らないが、仮に今と同じくらいに発展していたとしても、結構な確率で同じような仕打ちを受けていただろう。
「ただ殺されるのならば問題は無かったのだが、心臓を――イドを破壊されたのが不味かったようで、結果から言えば魔術は失敗した。
それも失敗しただけならば良かったのだが、よりにもよって不完全な形で発動してしまったのだ。お陰で高位の存在へと到る筈が、今のような存在に身を堕とす羽目になってしまった」
「へー」
要するに、アンデッドないしリビングデッドであると。
当人にすら自分の存在が何なのか分からないんだから、それと混同しても文句を言われる筋合いは無い。
「この体は酷く不安定だ。何せ存在し続けるのに魔力が必要不可欠だというのに、その魔力を生み出すイドが無いのだからね。
故に存在を維持する為にも、吾輩は外部より魔力を取り込む必要があるのだよ。どうやってだか分かるかね?」
「心臓を食ってじゃないの?」
「正解だ、良く分かったねえ。君の言う通りだとも。私は獣や魔物や人間の心臓を食べる事で、外部から魔力を取り込んでいる。
基本的には周囲を探索して見付けた死体から食べる事が多いが、場合によってはまだ生きている個体を狩る事もあるね。何せイドに宿る魔力は、死体の鮮度が命だからねえ」
「やっぱあんたアンデッドでしょ」
どう考えても、アンデッドと大差がないと思う。
「まあそういう訳で、先ほども日課の死体探しをしていたのだが、奇妙な事にここ数日ほど街のほうから軍属の人間らしき者たちが来ていてね。運悪く遭遇してしまって命からがらで振り切ったところで魔力が尽きてしまって倒れていたところに腐肉鶏に襲われてしまっていたというのが、あの場に倒れていた理由だよ。
そこに君が現れて腐肉鶏を倒して助けてくれたばかりか、その死体から心臓を拝借して僅かだが魔力も補充する事ができた。改めて礼を言おうではないか。君には感謝してもし足りない」
「……別に、おれは腹が減ってたから狩っただけだし。あんたを助けようとしてやった事じゃないよ」
言えない。その軍属の人間たちが徘徊していたのは、一から十までおれのせいですなんて絶対に言えない。
思い返してみれば、ここ数日中にその腐肉鶏なるもの以外の生命体を見掛けなかったのも、その軍属の連中が積極的に狩っていたからではなかろうか。
「さて、着いたぞ。これが吾輩が拠点にしている洞穴だ」
指し示されたのは、周囲に自生する植物のお陰で死角となっている場所に空いている穴だった。
「元々自然界に存在していたものを吾輩が見つけて、さらに手を加えてある。外から見たら分からないが、意外と中は奥行きがある上にいくつも分岐していてね。それほど複雑な訳ではないが、所見で迷わずに踏破するのは中々難しいだろう。
加えて、反対側には緊急時用の脱出路も確保してある。使用した事はないが、万が一攻め込まれたとしても、相手が迷っている隙にそちらから脱出する事ができるのだよ」
「そりゃ凄い」
おれの言葉に気分を良くしたのか、満足そうに頷いて見せる。
「さらに入り口には警報と地雷の魔術が仕掛けてある。それで侵入を知ると同時に地雷で足止めも可能な為、脱出する場合には先手を打つ事が可能な訳だ。その代わり、出入りする度にイチイチ解除する手間があるがね、安全には変えられないだろう」
「あっ、いいよ。おれがやるよ」
そう語った後に、その仕掛けてあるのであろう罠を解除し始めたのを遮る。
「むっ、できるのかね?」
「簡単簡単」
術式を組み立てて、手にありったけの魔力を込めて圧縮した魔弾を生み出す。
それを入り口目掛けて放とうとして、止められる。
「待て待て、何をする」
「だから、罠ごと吹き飛ばすんだけど?」
「万が一にでも倒壊したら困る。吾輩が解除するので、大人しく待っててくれたまえ」
家主の命令に放つのを一端止める。
そしておれの行動に対して若干愚痴を口にしながら屈んだコヴィルに対して、改めて投じる。
こんな至近距離で外す訳も無く、魔弾は狙いを寸分違わずに屈んでいたコヴィルの後頭部に命中。頭部を吹き飛ばす。
さらに頭部を失った事で倒れた死体が、仕掛けてあった罠を作動。けたたましい音の後に入り口の地面が連続して爆発し、首から下も骨の一つも残さずに吹き飛ばす。
「魔術師としては優秀だったのかもしれないけどさ、少なくとも誘拐犯としては未熟過ぎだったね」
話を鵜呑みにしたと仮定して、残る魔力量が極めて少ない状態で、わざわざ自分の巣に戻る余裕がある筈が無い。何かしらの当てが無い限りは。
そもそも、助けられたからといって、たかがお礼の為に自分の隠れ家まで案内する奴が居るものか。ましてや、こっちにはそんな意図は無かったと言っているのにも関わらず。そんな初対面の相手を信用する奴など居る訳がない。
しかも、洞穴の中から漂って来ている死臭が半端じゃなかった。
それ以前に、最初にこっちに向けて来た眼からしてアウトだ。
おれはあの眼を良く知っている。死の危険のある入院患者の部屋の外で、未来の算盤を弾いている奴の眼と同じ、自分の利益しか考えていない奴の眼だった。
「じゃ、ありがたく使わせて貰うよ」
若干広くなった入り口を潜って、中の探索をする。
先ほど言っていた通り、中はそこまで入り組んではいないようで、途中にいくつか分岐路や脇道とその先の人工的に掘られたのであろう小部屋こそあったものの、全てを見て回るのに一〇分程度しか掛からなかった。
ついでに探索の途中で、上から布を垂らして仕切られた小部屋があった。
その布を取っ払って中を見てみれば、案の定、そこには大量の人骨が積み上がっていた。
死体から心臓を喰らうにしろ、狩りをするにしろ、心臓を喰らうだけで済むのにわざわざ獲物を道中のリスクを犯してまでここまで運んで来たとは考え辛い。
差し詰め、迷ったり傷を受けたりした人間を甘言を弄して招き入れて殺して喰ったのだろう。
その推測が正しい事も、すぐに証明される。大よその構造を把握し、次に何があるのかを確認している途中の事だった。
雑な造りの最低限の家具が置かれたとある部屋には、ニーナがかつて言っていた魔導書らしきものを始めとした数々の書物に混じって、紙の束が机の上に置かれていた。
魔導書と違っておれにも読める字で書かれたそれの内容を改めると、人間の食べ方について纏めた代物だった。
血抜きの仕方やその後の解体の仕方、臓腑の腑分けの仕方や、それらの際に使う道具について。挙句は各所の肉や臓物を使った何通りもの料理のレシピまでこれでもかと綿密に書き込まれていた。正直内容を理解する事はできたが、あまり実践したいとは思えない内容だった。
「確かにただのアンデッドではなかったね」
少なくともアンデッドは調理などしない。ただ噛り付いて、生で食べるだけだ。
自分の利益を考えて殺したのだが、案外世の中の為になる事だったのかもしれない。
まあ何にせよ、重要なのは今後の拠点として使える場所が手に入ったという事だろう。
「あっ……」
とそこで、アキュラから授かった特典の一つが解放されたのを確認する。
原因は考えるまでも無い。コヴィルを殺してその力を吸収したのが原因だろう。
それを考えると、少なくとも魔術師として優秀だという言葉に偽りは無かったらしかった。