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命名

 欺瞞に満ちた世界にも、探せば贋作の存在しない絶対のものが存在する。殺しと闘争こそが真実だ。


 勇者イーグル・バルゼスト




 おれの売却が決まった。予想していたよりも若干早い。

 値段は五〇〇万ギーツだそうだ。こちらの世界の相場など知る由もないが、支払い自体は白金貨なる物五枚で終わる。高いのか安いのかはよく分からない。

 因みに例のガキ大将のほうは、おれよりもさらに高い八〇〇万ギーツで買われるらしい。地味に腹が立つ。

 まあ他の連中は大体一人当たり五〇万ギーツであり、尚且つニーナ曰く、自分たちが所属している商隊の奴隷は相場よりも高く売れるとの事だから、一般的な相場から見ればおれの値段は大分高いはずだと自分で自分を慰めておこう。

 最も、大人しく売られる気など元よりないのだが。


 松明に用いられる、油の染み込んだ布をくすねて、左胸を中心にに刻まれている奴隷紋を覆い隠すように巻きつけていく。

 左胸も含め、首から胸部を経由して左の脇腹、左腕の一部にまで及んでいる忌々しい刺青を布がすっぽりと覆い、更に二重に巻きつけたところで布が尽き、作業は次の段階に移る。

 野営の際に明かりを確保する為に設置されている篝火の側まで行き、乾いた木の枝にその火を貰う。

 魔術という文化が発展しているのに、未だ明かりに原始的な火に頼っているという事をおかしく思いながら、手頃な木片を銜える。

 そして火を布に近づけ、押し当てる。


「――ギィッ!!」


 燃え移った火は瞬く間に布全体に広がり、必然、その下にあったおれの体も容赦なく燃やす。

 皮膚が蒸発し、脂肪が溶け、肉が焼ける。周囲には独特の甘ったるい匂いが漂い、噎せ返りそうになる。

 最初に襲ってきたのは灼熱感。ワンテンポ遅れて刺すような痛みが襲ってくる。熱によって眼球の水分が乾いていき、堪らず眼を閉じる。

 そのまま木片を噛み締めて苦痛を堪えたまま、一分、二分と経過し、火は徐々に沈静化していき、最後には燃えカスだけが残る。


「フーッ! フーッ! フーッ!」


 その燃えカスを右手で剥がすと、その下の溶けた皮膚や脂肪も一緒にペリペリと剥がれ、体に新たな痛みを送ってくれる。それも終われば、そこには見るも無残な状態になった体が現れる。

 皮膚は全く残っておらず、露になった焼けた肉からは溶けた脂肪が溢れてはポタポタと地面に落ちては染みを作る。

 火傷の周辺は真っ白に変色しており、所々に炭化した部位や水疱が発生している。

 明らかに重症だったが、おそらく大丈夫だ。火傷で一番マズイのは痛みすら感じなくなった状態だと聞いた事がある。その点、今のおれはちゃんと痛みを感じている。状態は極めて悪いが、最悪ではない筈だ。


 ふらつく足取りでその場を移動して、水や食料が積んである馬車の下に行き、水桶の中身を拝借。火傷した部位に掛ける。


「ッ……!!」


 脳に新鮮な痛みを送りながら傷口を洗えば、改めて自分の状態の酷さが確認できた。

 腕は肘を通り越して上腕にまで及び、体は左半身全てに加えて、布を胸部に巻きつけていた為に右胸にまで火傷が及んでいる。実際に見ることはできないが、痛みから察するに首も似たようなものだろう。

 しかしこれは、あくまでも火傷が特に酷い部位の話だ。それよりも程度が軽い火傷も含めるならば、さらに範囲は広がるだろう。

 おぼろげな記憶だが、人間は全身の二〇%が火傷になると死に到るらしい。だが今のおれは、二〇%どころかその倍の四〇%以上は火傷しているだろう。死んでいないのが不思議なくらいだ。

 だがそのお陰で、左胸を中心に刻まれていた奴隷紋は、綺麗さっぱりに消えていた。


 結局奴隷紋の効果を確実に消し去る方法は、ついぞ見つける事はできなかった。それでも無い頭を必死に捻った結果思いついたのが、この方法だった。

 正直な話、おれは奴隷紋がどんなメカニズムなのかを知らない為、この方法で奴隷紋の効果が消えるかどうかは賭けだった。さらに言えば、仮に消えたとしても、奴隷紋は体の広範囲に及んでいて、それ全てを焼くとなればその分体に掛かる負担が増大する。その負担は唯の人間ならば普通に死ぬだろうし、おれの半人半魔の体でも耐え切れるかどうかは怪しかった。

 だが結果として、少なくとも今は生きている事に対し、頑丈な体を授けてくれた転生神に対して感謝の念を送り、続けて冷静に考えればこんな境遇を送っているのもあいつのせいだという事に思い至り呪詛の念を送る。


 口に銜えていた木片を離そうとして、顎が強張っている為に失敗する。

 鼻で息を吸い、吐き出して、右手で木片を持ってゆっくりと口から外す。噛み締める物が無くなった口が震え、ガチガチと歯が煩いくらいに鳴る。

 それもいくらか深呼吸を続けて食いしばる事で無理やり収める。まだやる事がある。苦痛に悶えるのはその後でいいだろう。


 とりあえず笑顔を浮かべてみる。顔の筋肉も強張っている為にそれすらも困難で、おまけに火傷した部位が引っ張られて苦痛を生んだが、それでも不恰好なものを作り出す事に成功する。

 その不恰好な笑顔を維持したまま、奴隷たちが雑魚寝する方向とは反対側の、上等な天幕が並ぶ場所に向かい、その中でも特に質の良い天幕の前に立ち、気配を消して侵入する。

 中には羽毛の布団に重い体を意識と一緒に沈めている豚の姿。

 おれを含めた奴隷たちの支配権の大本を握る、おれの飼い主――名前は結局分からないままだったが、この豚を殺せるかどうかで、奴隷紋の効果が消えたかどうかが判断できる。

 もし効果が消えていなければ、殺そうとした途端に全身が麻痺して動かなくなるだろう。それは同時に、おれに永久に自由が訪れないという事の証左でもある。今後自分がするべき事を考えれば、自由の身分は何物にも変え難いものだ。


「…………」


 寝ている豚の腰に下げられているナイフを拝借する。

 月の光を反射して光るそれを逆手に握り、豚の喉元へ一息に差し込む。


「ギュッ……!?」


 都合の悪い事に左腕が上手く動かないので、口を塞ぐことができない。よって声を出す暇を与えずに、一気に気道を含めて喉を掻っ切る事にする。

 この目論見は上手くいき、豚は目を見開いて何かを言おうとするが、口をパクパクと動かすだけで声は出ない。程なくして噴出する血も収まり、ピクリとも動かなくなる。

 完全に事切れているのを確認してナイフの血糊を拭い、天幕内にある目ぼしい物を選別して集め、それを邪魔にならないように布で包んで腰に提げる。

 そして天幕を後にしたところで、思わぬタイミングでガキ大将と遭遇した。


「おい落ちこぼれ。テメェ中で何をしてやがった」

「別に何も。答える必要性を感じられないね」

「……そうか、なら当ててやるよ。テメェ、オレたちの主を殺しやがったな」

「なんだ、知ってるんじゃないか。知っている事を相手にイチイチ訊ねるなんて、不合理極まるね」


 おれの言葉に一瞬顔を赤く染めたが、それでも辛うじて堪えたらしい。息を大きく吐いて、表面上は冷静に聞こえる声で続ける。


「オレが聞きたいのは、そういう事じゃねえんだよ。なあ落ちこぼれ、テメェだって知ってるだろ? オレたちはこの忌々しい隷紋が有る限り、飼い主に危害を加えられない筈なんだよ。だがテメェは現にアイツを殺した。一体どうやった?」

「それを聞いてどうするつもり?」

「決まってんだろ。このクソみたいな生活からおさらばするんだよ」

「どうしてそうする必要がある? お前の売却額はおれよりも高かったじゃないか」

「値段の問題じゃねえ、自由度の問題だ。このまま軍に買われたところで、飼い殺しにされるのがオチだ。オレにそんな人生は合わねえ。オレはもっとデカい地位が似合う。こんなところで終わるようなタマじゃねえんだ。

 なあ、落ちこぼれ。お前は確かに犯行的だったけどよ、これでもそれなりに評価してんだぜ? さすがにこのオレには及ばねえけどよ」

「要領を得ないね。結局、何が言いたいわけ?」

「簡単だ。隷紋を解除する方法を教えろ。そうすりゃお前を連れて行ってやる。悪い話じゃない筈だ。オレはオレに尽くす奴にはちゃんと報いる。今後オレが進む道の隣に、常にテメェを立たしてやるよ」


 どうだと言わんばかりに胸を張る相手に、おれは密かに溜め息を吐く。呆れて物を言えないというのはこういう事だろうか。

 少なくともおれにとっては、こいつは自分で言うほど大した器の奴だとは思えない。それでも勝手に一人で慢心するならまだいいが、それにおれを巻き込まないで欲しい。


「三つ、親切に教えてやる。

 一つ、人に物を頼む態度がなっていない。そんな上から目線じゃなく、下手に出て頭を下げて懇願するのが常識だ。それすらできていない奴に物を教える訳ないだろう。

 二つ、お前は自分で思っている程大した奴じゃない。別に自分の事を過大評価するのは勝手だが、それを自慢気に喋るな。聞いているこっちが恥ずかしい」


 相手の顔が憤怒に染まり、視線だけで相手を射殺してやると言わんばかりにおれを睨む。知った事か。


「三つ目。おれは落ちこぼれじゃない。いつまでも同じ立ち位置に居座ってられると思うな。いい加減ウゼェし、死ねよ」


 二年分の鬱憤をまとめて吐き出す。


「……そうかよ。折角人が親切にチャンスをくれてやったってのに、それがテメェの答えかよ。なら遠慮は要らねえ、半殺しにして必要な事を聞き出してやぐっ!?」


 わざわざ相手の口上を全部聞いてやる程、おれはお人好しじゃない。隙だらけだったので、即座に間合いを詰めて腹に右拳を埋めてやる。

 衝撃で前屈みになった相手の顎に、間髪入れずに右フックを放つ。これで脳が揺れてくれれば楽だが、相手はやっぱりタフだ。


「テメェ、人が話している間にぎゃっ!?」


 敵が目の前に居るのに、わざわざ喋って隙を見せるアホがどこに居ると、声には出さずに回し蹴りに意思を込めて教えてやる。

 その思いが伝わったかどうかは不明だが、蹴りを喰らった際に舌を盛大に噛んでいたので、さすがに学習しただろう。


「テメェ――」 


 伸ばされてきた手をいなして、相手の懐に潜り込んで金的を狙おうとする。敵もさるもので、おれに懐に入り込まれても冷静に対処して間合いを離す。

 同時に右足が持ち上がり、間一髪で頭を下げたおれの頭上を薙いでいく。その膝裏に肘を叩き込んで相手のバランスを崩そうとするが、その直前に相手は蹴りから踵落としにシフト。おれの右肘と相手の右の踵とが衝突し合い、右腕全体に痺れが襲い掛かる。

 舌打ちをして今度はおれの方から間合いを離そうとするが、向こうがそれを許さない。足で地面の砂利を蹴り上げて目潰しとするが、相手は片腕で目を庇った状態で突進。空いた手でおれの左肩を掴んでくる。


「ぐっ……つぅ……」


 途端に盛大な痛みが脳を刺激し、全身が一瞬だけ硬直する。

 さすがに転げ回る事も悲鳴を上げる事もなかったが、相手としてはその一瞬で十分。肩を掴んだ手を離さずに力任せに自分の方に引き寄せる。

 おれも当然抵抗するが、体格からして劣っているのに膂力で勝てる道理も無い。引き寄せられたところに顔面にモロに拳を喰らう。


「そんな怪我をした状態で、本気で勝てるとでも思ってるのかよ。図に乗ってんじゃねえ」

「思ってるよ。丁度良いハンデだろう?」 


 安い売り言葉に買い言葉で応じると、簡単にこめかみに青筋を浮かべる。

 おれの言葉に簡単に冷静さを失う事もそうだが、そもそもおれの火傷を見ても奴隷紋の解除法に行き着かない辺り、やはり頭の回転も高が知れている。だが反面、その体格から繰り出される打撃は驚異的だ。今の一撃で既に鼻が折れて口内に血の味が広がっているし、軽く足取りがふらついている。何発も喰らえば即KOされる事は請け合いだ。

 しかも――


「なら、もっとハンデを負わせてやるよ!」


 ガキ大将が手の平に炎を灯し、サイドスローでおれに投げつける。

 投じられた炎は軌道上でその面積を広げるように拡散していき、あっという間におれの全身を包み込む。


「がああああああああああっっ!!」

「ハッ! 属性変換の才能すらない落ちこぼれが、オレに勝とうなんて一〇〇年早いんだよ!」


 こいつの言う通り、おれは自分の魔力を無属性以外に変換する事ができない。技術的に不可能なのではなく、根本的に適性が無いためだ。

 だがおれには、適性が無い代わりに翼があった。


「なっ、テメェ――」 


 炎を受ける直前に、恒常的に展開していた変異魔術を解除し、背中から翼を顕現させて身を包んだ。

 直後に炎が襲いかかり、容赦なくおれの全身を炙ろうとするが、生憎おれの翼の防御性能はニーナの魔術にも耐えるレベルだ。こいつ程度の炎では焦げ痕一つすら付けられない。

 演技の声を聞いてまんまと油断している隙を突いて、膝立ちの状態から一気に眼前にまで跳ね上がって膝を鼻っ柱に叩き込み、おれがされたように鼻骨を圧し折ってやる。

 鼻を折られてよろめいている所に、着地と同時に膝裏に蹴りを叩き込んで追撃。堪らず相手が膝をついたところで、丁度良い高さに来た相手の顎にアッパーを喰らわせる。手には確かに顎を砕く感触が伝わるが、相手は状態を揺るがせたものの倒れない。追撃に一発鼻血に塗れた顔面に蹴りを叩き込み、さらに砕けた顎の辺りを殴るも、踏ん張って倒れる事を防ぐ。

 そしてもう一度蹴りを喰らわせようとしたところで、おれの蹴りを正面から受け止め掴む。


「て、テメェ、調子に乗ってんじゃ、ねえぞ!」 


 瞬間、ガキ大将の全身の筋肉が膨張。

 麻布の服が下から筋肉によって押し上げられ、ミチミチと音を立てて裂ける。服という束縛をなくした筋肉はさらに肥大を続け、加えて全身からは剛毛と表現するのに相応しい太さの体毛が急速に生い茂っていく。

 いつだったか、こいつの親はオーガではないかと疑った事があったが、その疑いはあながち的外れでもなかったようだ。今のこいつの姿はまさしくオーガだ。

 魔物としてはポピュラーな部類に入り、尚且つ個の力量も上位に位置するオーガ。それの外見に多少の人間味を加えたような巨躯が、目の前に現れる。


「同じ奴隷相手に変身は禁じられているんだけどよお、テメェはもう対象外らしいな!」


 ハーフオーガとでも呼ぼうか、そいつが吼え、掴んでいたおれの足を握り締めて骨を砕く。

 それでも足を離さずに握り続ける相手に、不恰好な体勢での拳を喰らわせるが、向こうは意に介した様子もなく腕を振るいおれを地面に叩き付ける。

 その衝撃に息を詰まらせるのも一瞬。更に続けて数回同じように地面に叩き付けられた挙句に放り投げられ、地面を転がる。


「ゲホッ……!」


 内臓のどれかでも傷つけたのか、咳き込むと僅かに血が吐き出される。

 向こうは余裕のつもりだかなんだかは知らないが、ご丁寧に仁王立ちの体勢でおれが起き上がるのを待っていた。さっさと追撃を掛ければいいのにと思わなくも無いが、少なくともおれにとっては都合が良いので、体のダメージを分析しながら慎重に身を起こす。

 まずは砕かれた足。立ち上がった後にゆっくりと地面に下ろすが、地面に足の裏が触れた途端に痛みが走る。だが我慢できない程ではない。砕かれたのは足だけで、足首から上に損傷はない分、体重を支えるのに支障はなさそうだった。更に不幸中の幸いか、砕かれたのは右足で軸足となる左足よりはマシだ。

 次に地面に叩き付けられていた背面だが、叩き付けられる際に背中の翼が上手い事クッションの役割を果たしてくれたようで多少はマシだった。仮に翼が無かった場合、背骨が砕けていた可能性もあるので、ここは素直に感謝しておく。

 結論から言ってしまえば戦闘は継続可能だが、戦闘能力の低下は避けられないだろう。


「馬鹿力め……」 


 元々膂力ではおれのほうが劣っていたが、ここに来て更に圧倒的な差をつけられた。それは単純に向こうの攻撃力が上がったというだけでなく、防御の面でも優位に立たれたということだ。

 先ほど相手を殴りつけた右の拳が鈍い痛みを放っている。まさに鋼のような強度を持った相手の筋肉を、変身前と同じ感覚で殴ったために痛めてしまったのだ。

 骨に異常が無いのは幸いだが、このままでは生半可な拳打では碌にダメージを与えられないだろう。


「邪魔な羽だな」


 ポツリと相手が呟く。小さな声だったが、そこにはハッキリと忌々しいという思いが表れていた。


 再び相手が手に炎を灯す。ただし変身した影響か、炎の量は初回の時よりも多い。

 その炎が灯った手を振り被った瞬間に、防御の為に翼で身を包む。ところが予想していた熱はいつまでも襲ってこなかった。

 嵌められた事に気がついたのはその直後で、その時には既に相手に間合いに入り込まれていた。


「クソっ……!」


 慌てて後退しようとするが、それよりも先に相手に翼を掴まれこじ開けられる。

 そして翼を掴まれてその場に固定されているおれに、手の炎を至近距離で放つ。


「―――ッッッ!!」 


 既に戦いの前に一度身を焼かれる苦痛を体験しているお陰もあり、何とか苦鳴は噛み殺す。こんなところで大声を出せば、不審に思われる事は間違いない。

 更に幸運にも、相手が炎を右手で放ってくれたお陰もあり、既にある火傷を上書きする形になった為に新たな火傷を作らずに済んだ。まあその分火傷の度合いは悪化するのは必死だが、少なくとも現状では新たな傷で動かなくなる部位を生み出すよりはマシだ。


 しかし相手は、それだけでは終わらない。おれの翼を掴んだまま拳を握り、正面からおれの顔面を打ち抜く。

 あまりの衝撃に一瞬意識が飛び、続けて腹部にも同様に拳を喰らって意識が覚醒する。喉奥から苦いものが競り上がってくるが、それを吐き出す事を他でもない相手が許さない。


「そろそろ喋る気になったか?」


 声に含まれるのは優越感。まあ当然だろう。現状はお世辞にもおれに有利とは言えない。


「……クソ喰らえ」

「そうか」


 殴られ口の中が盛大に切れる。

 口内の鉄の味が鬱陶しかったので、唾液に混ぜて相手の顔に吐き掛ける。それに対して顔面から地面に叩き付ける事で返答とされる。


「まだ話さないか?」

「……くたばれ」

「そうか」


 掴んでいた翼を唐突に離される。

 支えを失って一瞬ふらつくが、すぐに踏ん張って体勢を整えて殴り掛かる――直前で腹部に貫き手を喰らい穴を開けられる。


「カハッ……」


 それまで喉奥に留まっていた汚物が、血と一緒に口から吐き出される。


「いい加減素直になれよ。早く手当てしねぇと、出血で死ぬぜ。知ってるか? 生物ってのは血を流しすぎると命を落とすんだとよ」

「知ってるよ。教えられる、までもない。むしろお前が、失血死の事を知っているほうが、驚きだ」

「…………」


 ガキ大将が唇の端を引き攣らせ、貫き手をおれの腹腔から引き抜く。と同時にその傷口を抉るような強烈なブローを喰らい、反対の手でフックを喰らう。


「生意気な事言ってんじゃねえよ。勝てるとでも思ってるのか!?」


 そこからはひたすら乱打を喰らう。顔や腹部といわず、全身にくまなく、息を吐く間もないラッシュ。

 一撃一撃の威力が半端じゃなく、歯が数本纏めて折れ、肋骨が折れる。顔面に拳が当たるごとに司会が明滅し、足元が覚束なくなる。

 そして最後に前屈みになった所に後頭部目掛けて拳が振り下ろされ、地面に這い蹲らされる。


「……が、どう……いても……は……こぼれ……だよ」 


 頭上で相手が何かを言っている気がするが、よく聞き取れない。殴られた際に鼓膜が破れたのかもしれなかった。

 いや、そんな事はどうでもいい。今のおれがするべき事は相手の言っている事を理解する事じゃない。


「……して、下さい」

「あぁん?」


 声が掠れる。何度か咳き込んで喀血し喉の調子を整えて、もう一度同じ言葉を口にする。


「もう勘弁して、下さい。おれの負けです」


 身を起こして膝立ちの状態になり、両手を地面につける。最大限相手から見て誠意的に見えるように。


「はっ、ようやく認めたか」


 満足気な言葉と共に、おれの頭に足を置く。本人は然程力を込めていないつもりなのだろうが、ただそれだけでもかなり重い。


「で、さっさと解除方法を教えろよ。そうしたら命だけは見逃してやるからよ。その方法を使ってオレは自由になる」 

「奴隷紋の、解除方法は……」


 腰からナイフを抜いて、素早く頭上の足首に突き入れる。

 強靭な筋肉による抵抗を受けるが、意外と斬れ味はいいようで、目的通りすんなりとアキレス腱を切断する事に成功する。そのまま間髪入れずに引き抜き、同じように膝に突き入れ靭帯を断ち切る。


「教えるわけ無いだろ。馬鹿かお前は」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」


 相手が絶叫を上げる。いい気味だ。人の頭に汚い足を乗っけた報いだ。


「テメェ、降参した振りを……卑怯だぞ……!」

「卑怯? 甘いんだよ。どんな手を使おうが、勝った者勝ちなんだよ。正々堂々戦おうが負けたら無意味だ。敗者は何も語る資格は無く、勝者だけが全てを語り決定する権利を持つ。そんな当たり前の事すら理解できない奴が、軽々しく自由なんて口にするな」


 顔を真っ赤に染めて吼える。もう殺さないようにという意図が全く感じられない、明確な殺気の篭った拳を放って来るが、その速度は目で終える程に遅い。

 アキレス腱に膝の靭帯が同時に切れているのだ。普通ならば歩行すら困難で、碌な踏み込みもできやしない。そんな状態で放たれる拳など高が知れている。

 飛んで来た拳に横から手を当てて軌道をずらし、そのまま手首の骨を相手の拳の勢いも利用して捻りへし折る。

 無傷の状態で繰り出される拳はおれには目で追う事すら不可能だが、今の拳をいなす事など朝飯前だった。


「ぐあっ!?」


 折れた手首を信じられないものを見るような目で眺める。その姿が余りにも隙だらけだったので、反対の左腕を正面から絡め取りながら無事な右足を刈り取る。

 当然ながらアキレス腱と靭帯を切断されている左足だけでその巨体を支えきれる筈もなく、相手の顔が苦痛に歪みながら体が左側に傾く。その傾いた体の下に潜り込むようにして背後に移動しながら、絡め取った腕を一気に反対側に捻り上げる。


「あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 転倒の勢いと自重を利用されて捻られた腕は、やったおれが言うのも何だが、かなりグロテスクな事になっていた。

 単純に折り曲げるのではなく、捻るように捻じ曲げた結果複数箇所に渡って折れたようで、腕の所々の皮膚を突き破って折れた骨の尖った先端が露出していた。

 朧気な知識を使って簡単に状態を説明すれば、捻転骨折並びに螺旋骨折、そして開放骨折(所謂複雑骨折)といったところか。こちらの世界の医療レベルなど知らないが、場合によっては一生この腕は使い物にならない。

 ニーナが教えてくれた技だが、中々エゲツない。


 しかし悲鳴が凄まじくうるさい。これだけの声量だと誰かしらが様子を見に来てもよさそうなものだが、運の良い事に今のところ誰も気付いた様子はない。とはいえ、余りのんびりしていられないのも事実だ。さっさと済ませてしまおう。


「テメェ、一体……一体何をしやがった」


 うつ伏せになったガキ大将が、下からおれを見上げながらそんな事を言う。何を訳の分からない事をと思ったが、冷静に考えてこいつの骨を折ってやったのはこれが初めてだと思い出す。


「テメェよりもこのオレの方が、力も格闘も圧倒的に優れてる筈だ。テメェ如きの非力な腕力じゃあ、オレの骨を折るなんて事ができる筈がねえ。一体どんな汚い手を使いやがった」

「格闘? お前の言う格闘っていうのは、その馬鹿力で力任せに殴ったり蹴ったりする事を言うのか?」


 余りにも的外れな事を言うので、親切に解説をしてやる。


「お前はただ馬鹿力で力任せに殴るだけで、そこに技術が全く無いんだよ。確かにそれだけの膂力があれば技術無しでも十分強くて速いし、事実おれも躱せなかったが、逆にちょっとでも遅くなれば、さっきのおれみたいに簡単に躱す事ができる。お前のやっていた事は、常識外れの馬鹿力を持っただけの考えなしのガキと同じだ」


 というか、まさにその通りなんだよな。こいつのあり得ないくらいデカい外見で忘れそうになるが、これでもおれと同い年なんだから。

 かく言うおれも、実年齢と外見が一致していない。精神年齢的にはまだ肉体が追いついていないが。


「お前はただ膂力でおれに勝っていただけで、技術ではおれよりも圧倒的に劣る。技術さえあれば、力なんてなくとも相手の体を壊す事なんて簡単にできるんだよ。今のお前がそうなっているように」


 最初に手首を折ったのだって、筋肉の少ない関節を横方向にではなく捻るように力を込めたから碌に力など使わなかったし、その後の左腕に至っては、体重と転倒の勢いを利用しただけで、おれの力などほぼ〇だ。

 勿論それだけの技術を身に付けるのにはかなり苦労をしたが、おれの師は他でもないあのニーナだ。魔術もそうだったが、ニーナは格闘技術も並外れていた。今までおれが一本とれた事は一度もない。そのニーナが、暇さえあればおれに徹底的に技術を叩き込んだのだ。身に付かない方がどうかしている。


「理解できない、って顔をしてるな。別にいいよ、理解できなくて。理解できなくともお前の手足が壊れているのは事実なんだし、その事実が変わる事もない。それに、すぐに死ぬんだから」


 おれがそう言った途端、サーっと顔色を変える。


「お、オレを殺すってのか?」

「当たり前だ。今さら何を言っている。さっき言っただろ? いい加減ウゼェし死ねよって」

「待てよ、何も殺す事はないだろ!?」

「今まで散々おれを殺そうとしたくせに、何をほざいている」

「殺してねえじゃねえか!」

「隷紋の禁則事項に触れて全身が麻痺したからな。それが発動してなければ、おれは殺されていた」


 おれがナイフを手に持つと、急にもがき始める。だが両腕が折れていて、さらに左足も動かせない状態では起きる事すらできなかった。


「待て、オレが悪かった。許してくれ。

 そうだ、オレをテメェ……あんたの後に連れて行ってくれ。オレが強いのは、あんたもよく知ってるだろ? 絶対に役に立つし、オレも忠誠を誓うよ。

 勿論信用できないのは百も承知だ。けど、約束する。絶対に逆らわないし、命令にも絶対に従う。だから信頼してくれ」

「信頼してくれ? 信頼って、何を持ってして生まれるんだ? 血の繋がり? ある程度の時間の共有? それとも境遇の共有? でもいずれにもおれとお前との間には当てはまらないよな」

「待ってくれ! 確かに、オレは今まであんたの事を散々痛めつけていた! けど、それでも仲間じゃねえか! 同じ奴隷の!」

「おれはもう奴隷じゃない。

 そもそも仲間ってなんだ? 同じ状況下に置かれた間柄なら、それは仲間と呼べるものなのか? 仲間の間には、無条件で信頼関係が発生するものなのか?」

「……そ、そうだ。だから――」

「別に残念でもないけど、おれはそうは思わない。そして思想の共有もない。よって殺さない理由がない」

「助けてくれ! 本当に何でもする! だから――」

「最後まで生に執着する、その姿勢は評価できる。だけど見ている側としては醜いだけだ」


 ナイフを首にねじ込む。強靭な筋肉がやはり抵抗するが、このナイフは余程質が良いらしく、ついでに循環させた魔力を纏わせる事で強度も増し、あっさりと頚動脈を切り裂き、頚椎を断ち切る。

 血が瞬く間に地面に広がっていき、それに比例して急速にガキ大将の目から光が失われていく。

 数秒後には完全に事切れ、おれの中で魔力が増大する。その量はいつかの嫉妬野郎の比ではない。その事に満足する。


 他にも恩恵がないか調べたいが、のんびりはしていられない。即座にその場を移動し、他の奴隷たちが寝ている場所へと向かう。

 気配を消した状態で近付けば、あれ程騒いだのにも関わらず、静かに寝息を立てる奴隷たちの姿があった。

 その中から事前に選別しておいた奴隷だけ寝首を掻く。殺す人数が多い程作業の途中で血臭やらなにやらで目を覚ます可能性が高まるし、何より時間を掛ければ掛ける程おれの脱走が発覚するリスクは高まる。とはいえできる限り力は欲しいし、ただの人間を殺すよりも余程多くの力が得られる半人半魔の奴隷たちが無防備に寝ているチャンスを逃したくもない。

 そこで妥協点として、奴隷の中でも力のある者をピックアップしておいて、そいつらだけを殺す事にした。転生ボーナスは殺した対象の力が強い程得られる恩恵も多い為、下手に沢山殺すよりも少数を殺した方が結果的に得られる恩恵が大きい時があるからだ。

 力の大小の基準は売却の値段だ。おれに力量を正確に計るなんて芸当はまだできないので、それよりは専門の人の判断に従った方が合理的だからだ。

 殺すかどうかの基準は、一〇〇万ギーツを超えているか否か。超えていれば殺すし、超えていなければ殺さない。

 基準を満たしていたのは八人で、途中で誰かが目覚める事もなく作業は完遂される。本音を言えば全員殺してやりたいところだったが、今回ばかりは自重する。

 因みに正確な力量は分からないが、明らかに基準を超えているであろう者は同期以外――つまりは後輩にもいた。だがそいつらを殺す事はなかった。後輩たちに直接的な恨みなどない上に自分を慕ってくれていたからだ。さすがにそういった子たちを殺さないだけの慈悲くらいは持ち合わせている。


 一通りの作業を終え、その場から移動。もう商隊に用はなく、速やかに商隊から離れる。


 現在商隊がおれたちを売却する為に滞在しているのは『アルレパ』という名前の街であり、世界にいくつも存在する魔族たちの領域となっている地と接し、日々戦いを繰り広げている都市であるらしい。

 そのアルレパと接している魔族の領域となっているのは広大な樹海であり、正式な名前はなく近隣の者たちからは単純に『アルレパの樹海』と呼ばれており、そしてそのアルレパの樹海がおれの目的地でもある。

 なるべく人目に付き辛く、同時に力も蓄えられて尚且つ人間側の情報を得られやすい場所としては魔族の領域が最も理想的な場所である。そこで身を隠すと共に、力を地道につける事から始めなければならない。


「ああ、そうだ。名前は今後絶対に必要になってくるな」


 いずれおれの事を恐れ慄く者が現れたとき、そういった思いを的確に自分に向けさせるためにも、名前は必要不可欠だろう。

 とはいえ、前世の自分の名前すらおれは知らない。そんなおれが、果たしてどう名乗ればいいのだろうか?


「……アキュラ・カルメラ・ルドフォン・ドルーギ・エルレイン・ロッソ」


 ふと口から出てきたのは、おれをこの世界に転生させた転生神の名前だ。


「エルレイン……そう、エルレインだな。今日からおれはエルレインだ」


 ここは素直にあの転生神から、名前の一部を頂く事にする。事後承諾という形になってしまうだろうが。問題ないだろう。




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