ニーナ・アルメニア
殺すことは簡単だ。死ぬ方法などいくらでもある。
けれども、どうしてか殺されることだけには滅多に巡り合う事ができない。
傭兵ヴォルフガング・フォン・ベルリヒンゲン
ニーナ・アルメニアは狂魔族の魔人である。
狂魔族の『キョウ』は狂気の『キョウ』であり、凶悪の『キョウ』であり、強者の『キョウ』であり、そして享楽の『キョウ』でもある。
その身に凶悪な性格を宿し、思いのままに生きては快楽を貪り、狂ったように強大な力を振るう。それが狂魔族の特徴である。
外見も限りなく人間に近い容姿を持ち、それでいて高度な知性も併せ持つので亜人に分類されてもよさそうなものだが、しかしその性質故に狂魔族は人間からは魔物として扱われており、一度その存在が確認されれば、例えその狂魔族が一体だけであったとしても即座に災害種認定をされて国が軍を動員する事を決断するほどの脅威として認識されている。
何より厄介なのが、決して一箇所に定住することもなければ、滅多に集団を作ることもなく、各々が好き勝手に各地を巡り、ある時は人間を残忍に殺すこともあれば、逆に魔物を殺して間接的に人間の側に立ったりと、その行動に一貫性がないことだ。
強大な力と深い知性を併せ持った存在が、予想もつかない場所で突如として現れては何の脈絡もなく行動し、場合によっては災厄を振り撒く。その余りにも気まぐれな生態は事前に対策を立てる事も許さず、ただ何事も起こらぬ事を祈り過ぎ去るのを待つしかない。
確実に討伐をしようとするのならば、完全対魔特化武装の一個大隊か、軍によらないのならば五〇人以上の高位冒険士のみでなる討伐隊を編成する必要がある。
災害種として認定されている事は伊達ではなく、まさしく個でありながら災害に等しき存在なのだ。
だがそういった特徴は、全ての狂魔に当てはまるわけではない。
何事にも例外があるように、狂魔族の中において例外と言える狂魔だって存在する。その例外がニーナだ。
それは彼女が魔人であるという理由ではない。魔人とは一定以上の力と知性を併せ持った魔族の総称であり、その条件には狂魔族のほぼ全てが当てはまる。
ニーナが狂魔族の中において例外と言えるのは、その性質だ。
強大な力も深い知性もその身に宿しているし、性格だって享楽的で気まぐれだ。だがしかし、狂っているわけでもなければ、残忍な性格もしていない。どちらかと言えば理性的で、申し訳程度の慈悲だって持ち合わせている。それは狂魔の本来の在り方としては、余りにも異端だ。
そして異端故に、気づけた事があった。
ある時、ニーナは気になった事があった。
一体どうして、自分たち魔族は迫害される立場にあるのだろうかと。
いや、迫害される事の理由は言われずとも理解できている。人間と魔族は敵対関係にあり、敵を迫害するのは当然の事だ。そこに疑問を挟む余地などない。
だが、その迫害の度合いが余りにも異常過ぎるのだ。
ただ魔族であるという理由で迫害する人間の数が、明らかに多すぎた。
魔族に直接的に危害を加えられた事がある訳でもない者が、残忍な性格の多い魔族であっても驚くような冷徹な行為を平然と行う。
それまで魔族など見た事もない筈の子供が、魔族というだけで敵意など欠片もない者に対して嫌悪感と敵意を剥き出しにして襲い掛かる。
その光景は、余りにも常軌を逸している。
ニーナが現在身を置いている奴隷商隊の半人半魔の子達の扱いなど、まだ生易しい。一応は商品であるが故に、下手に壊すわけにはいかないからだ。
よしんば忌み嫌い遠ざけるのならば分かるが、殆どの者が熱に浮かされたかのように、わざわざ死に至らしめるまで平然と迫害する。それも一過性の出来事ではなく、年間を通して日常茶飯事と化している。
それは単純に魔族が敵であるからという理由だけでは、到底説明がつかない。
まるで人類全体が、何者かによって洗脳を施されているかのではないか――そんな疑念すら抱いてしまう。
そしてその疑念は、ある事に気付いたときに決定的となった。
人間が相手の身の上で差別をする事など、良くある事だ。
どんな宗教を信仰しているか、どんな国に生まれたかなど、差別する要素などいくらでもある。
だがそれでも、相手をそういった偏見抜きに個人を見る者だって確かに存在する。それと同様に、種族全体を忌み嫌うのが普通だったとしても、どこかしらに団体としての魔族ではなく個としての魔族を見る者もいるはずなのだ。
自分のような異端が存在するように、そういった者が居て然るべきなのだ。いや、居なければおかしい。
しかし現実には、そういった者が碌にいない。
いや、全くいないという訳ではない。事実ニーナ自身、片手で数えられるほどだけだが、そうした人物に出会い言葉を交わした事だってある。だが、その絶対数が明らかに少ない。
果たして、そんな事が現実的にあり得るのだろうか?
全体から見た割合が圧倒的に少ないのは当たり前だが、人類の数は膨大だ。その僅かな割合であっても、実際の数となればそこそこは集まる筈なのだ。
ニーナは狂魔族という種の中では然程長く生きている訳ではないが、それでも人間と比べれば遥かに長い年月を生き、様々な地を巡り経験を積んできた。
そのニーナですら、出会えたのは片手で数えられるほど。その事に気付いた時に、彼女の疑念は確信に変わった。
そして一度確信に変わってからの彼女の行動は的確だった。
元々狂魔は全体的に能力は高いものの、如何せんその能力の使い道は自分の快楽の為にのみに限られる。
しかし狂魔の中において異端であった彼女は、その生まれ持った能力を、例え他の狂魔が気付いたとしても気にも留めなかったであろう事に対してフルに使っていった。
そして、この世界に張り巡らされているものに辿り着いた。
世界の仕組みの一端に辿り着いた。
彼女が抱いた、洗脳云々の疑念は的外れでも何でもなかった。そして、それを実行しているものが何なのかも理解した。
彼女は更に突き詰めて考える。自分が今後、どうするのかを。
見なかった事にして、気付かなかった事にして、何事もなかったかのように生きる? 答えは否だ。
だが抗うにしても、敵は強大だ。狂魔である自分であっても、まず勝ち目はない。
かといって、他の同族に協力を求めるのも間違っている。狂魔族などは当然として、他の魔族も自分の言う事を信じる者はいないという事ぐらい、容易く理解できたからだ。
ではどうする? 自分はどうすればいい?
その答えを求めて、更に奔走する。
そして自ら、奴隷に身を堕とした。
入念な下調べをした上で奴隷商を厳選し、自分自身を半人半魔の戦奴隷の子供たちの教官役として売り込んだ。
当然の事だが、最初のうちは信用などされなかった。奴隷紋を刻み込んだ後も常に警戒されていたし、それは数年経っても変わらなかった。
だが、やがて彼女が訓練させた奴隷たちが実戦で他の半人半魔の奴隷たちと比べても著しい成果を上げ、軍部からも高い評価を受けた事により、ニーナに対する奴隷商たちの評価は自分たちの商品に付加価値をつけられる便利な道具に変わっていった。
そしてより多くの利益を得る為に奴隷の数を増やしては、ニーナに預けて訓練を施させた。
その頃にはニーナに対する警戒も大分薄れており、商隊の者たちも彼女に奴隷を預ける事にイチイチ目くじらを立てるような者も居なくなっていたし、実際ニーナも奴隷の数が増えても叛逆の素振りすら見せる事はなく、かといって訓練の手を抜く事もなかったので、彼女に預ける奴隷の数を増やす事に反対する者はいなかった。
もっとも、ニーナが自分のする事に手を抜かないのは当然の事だ。そもそもその為に自分を売り込んだのだから。
ニーナがやるべき事は、自分が受け持った奴隷たちを育て上げて力を付けさせる事。それ以上でもなければ、それ以下でもない。故に自分が受け持つ奴隷の数が増える事に対して、文句を言うはずもなければ手を抜く筈もなかった。
後はその育て上げられた者たちがこの世界に業を振り撒けば、それでニーナの目的は自然と達成される事となる。
そうすれば自然、その業を振り撒く者を育て上げたニーナ自身もまた世界に業を振り撒いた者として扱われる。そうして業を溜めていけば、やがて彼女は自らを神格化することができる。
それでようやく、相手と同じ土俵に立てる。
ニーナは世界の仕組みの全てなど知る由もない。精々がそのシステムの表層を触り程度に知っただけだ。
しかしその触りの部分を知る事ができただけでも、十分以上に凄い。例え他の狂魔であっても同じ事を知り得る可能性など殆どないだろう。それは即ちニーナの能力と、他でもないその執念が並外れていたものであった事の証明でもある。
あくまでも自分は教官役に徹するのも、自らが業を稼ぐ為に動いたところで、途中で命を落とすのを理解していたからだ。出る杭は打たれるのはどこも同じで、だからこそ自分は育成だけに心血を注ぎ、業を稼ぐ事はその育てた奴隷たちに任せる。そうした選択肢を取れるのも、彼女がシステムをきちんと理解できるだけの知性を持っていたからだ。
当然間接的である分、直接的に動くよりも遥かに長い年月を要するが、それを大した問題ではないと考えている辺りは長寿種族の面目躍如と言ったところだろうか。
そんなこんなでやっていく事、数十年余り。
ニーナはそれまで順調に進んでいたプランの数十年分の成果を、見事にブチ壊される事となる。