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片翼

 死ぬなら死ね。オレはそれを嘲笑ってやる。


 勇者イーグル・バルゼスト




 ニーナが行うのは全てが戦闘技術に直接的に関連する講義ばかりという訳ではなく、中には純粋な座学というものもあった。

 と言っても今のところは学ぶ事は大した事がなく、精々がこの世界における一般的な読み書きについてがメインだった。

 何でもいくら戦闘用の奴隷と言えど、場合によっては司令書という形で命令を受ける事も間々あるようで、そういう時に肝心の司令書が読めないと話にならないとの事。

 もっとも、そう言った司令書は暗号化されている事も多いのだが、その暗号について学ぶ段階にしても基本的な読み書きができなければ、学ぶ事もまともにできないだろう。

 まあさすがにこれは極端な例ではあるものの、軍に飼われているとそう言った基本的知識を要する場面がある為に、必要最低限の教育は奴隷に施すようにしているらしい。


 さて、そんな座学の講義だが、おれはやはり落ちこぼれていた。

 正確には、記憶を取り戻すまでは落ちこぼれていたと言うべきか。

 前の世界で覚えた言語が、この世界の読み書きを覚えるのに大きな妨げになるかと思えばそんな事はなく、むしろ記憶を取り戻したお陰か自分でも驚くほどスムーズに覚える事ができた。

 既に散々言葉として話しているのを差し引いても、実質的に新たな言語を一から学ぶのに等しいのだが、それをあっさりとおれはクリアしていた。


 これはおそらくという言葉が頭につくが、前の世界においておれが大量の徳を消費していた事が原因ではないかと思っている。

 生まれた瞬間から勝ち組が確定していたらしいが、具体的にはどの程度のものなのかまでは知らないままだった。おれはてっきり生まれがそうなのかと思っていたが、案外素養という面でも相当なものだったのではないだろうか。


 まあ、こういった自己分析ができるのもそのお陰だと考えると、中々複雑な気分になって来るのだが。


 さて、いくら記憶を取り戻した事を境に読み書きが理解できるようになったからと言って、急にそういう風に振舞うのはどうしようもない違和感を抱かれるだろう。

 何せそれまでのできの悪さは折り紙つきだ。それが一晩の間に秀才に変貌していたら、まず何かしらの疑いを持つ事は想像に難くない。

 となると、あえて愚鈍な振りをしつつ適当に成長して行く過程を偽って行くのが最も妥当なのだが、そうした場合のメリットは実のところ殆ど無い。

 実技は別に教えて貰わずとも自主練習という方法があるが、生憎現状において座学でそんな事は不可能だ。そんな中で愚鈍な振りをしても、無用な遅れを招くだけで何の旨みも無い。

 とすれば不自然なのを承知で秀才に変貌したという事を回りに示す事になるのだが、冷静になって考えてみれば、それは既に魔力循環の時に一度やっているので今更だという事に気付き、問題はあっさりと解決する。

 むしろ問題なのは、実力において下位に属するくせに座学はできるという典型的なイジメの対象と化したお陰で、ガキ大将を始めとした連中によるちょっかいがより熾烈さを増したという点だろうか。

 まあそれすらも、今のおれにとっては格好の訓練時間と化すのだが。

 精神が未熟な奴らは陰湿な行動を取る奴が少なく、大抵の場合が直接的手段を選んで来るのでかなり好都合だった。


 ついでに座学の一環として、ニーナが魔導書と呼ばれる存在について言及してくれた事があった。

 人間が魔術について記したそれらは、未発見の物も含めて現存する物の殆どが、解読という作業を要するものであるらしい。

 というのも、魔術について研究する集団は昔から多数存在しており、またそういった集団は自分たちの成果を他人に知られる事を良しとしなかったらしい。

 そこで彼らは、自分たちの一門にのみ読めるように独自に作り出した暗号で書に記す事で、技術の独占を図ったのだとか。そうして後継者を残せずに現代に至るまでの過程で廃れていった一門の研究成果は、現在も未翻訳の魔導書という形で大量に存在しているのだそうだ。

 加えて、当時と比べればいくらかマシにはなってこそいるものの、やはり現在においてもそう言った風潮は根強く残っており、成果を独占しようとして自然消滅して新たに生み出された魔術が世の中に出回らなくなるというのは後を絶たないらしい。


 それを愚かだと評する事は簡単だが、一方で個人的には、そういうのも理解できなくはない自分もいる。

 未知の技術を独占する事は、自分のみが持つ大きなアドバンテージとなる。それがどんな場面で発揮されるかは分からないが、有事の際に自分に対して効果的に働くであろう事は確実だ。

 折角の自分だけが持つ優位性を、惜し気もなく無償で他人に与えるという行為の方こそが、愚かな事極まりない行為だ。


「だから、仮の話だけど、もしお前たちが未翻訳の魔導書の解読に成功した場合、それは大きな発見になると同時に大きな武器になる筈だよ」


 という事を、ニーナは明らかにこっちを見て意味ありげに笑いながら言って来ていた。

 やっぱりニーナは、おれが逃亡を企てている事を――ともすれば、その先で何かをしようとしている事に感付いている。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 朝起きると、嫌に体が重く感じられた。

 とりわけ右半身が重く感じられ、肩凝りが酷く、加えて変な寝相で寝ていたせいなのかジクジクとした鈍痛が走っている。

 早く起きないと鞭で引っ叩かれるので、取り敢えず起きて、そこで誰も周りにいない事に気付く。

 一瞬置いて行かれたのかと思ったが、すぐに自分を除く奴隷たちが馬の世話や馬車の掃除などをしているのが見えて、そうではなかったと落胆の溜め息を吐く。

 しかし直後に、何故自分は誰にも起こされなかったのだろうという疑問に行き着く。いや、他の奴隷たちが起こさないのはまだ分かるが、さすがに飼い主の連中は奴隷がいつまでも眠りこけている事を許したりはしないだろう。

 疑問に対して明確な答えを出せないままに、馬車馬の如く働かされる奴隷たちの輪に加わろうとする。起こされなかった理由は分からないが、だからといって仕事をサボって、余計な目くじらは立てられたくはない。

 ところがいざ歩き出すと、フラフラと重心が安定せずにふらつく。眩暈こそ無いが、体の重さも相変わらずで、少なくとも一過性の症状でない事は確かだった。

 これは本格的に風邪でも引いたかと、自分の不運さを呪う。

 体調が悪いときに体を動かしたところで毒にしかならないので、できれば体を休めてじっくりと療養したいのだが、生憎そんな気遣いなど商隊の飼い主たちは持ち合わせてはいない。

 その事に溜め息と呪詛を吐き出しながら、ふらつく体を叱咤して馬車の下へと向かう。


「おい、あいつ……」

「今……こっち……一体……」

「見て……気が……」


 心なしか、普段よりも割り増しで視線の集中を感じる。

 常日頃から、自意識過剰でもなんでもなく注目を浴びるような生活を送っているという自覚はあるし、実際に絡まれるまでは無くとも、視線を浴びせられるという経験はしてきた。

 だが今日に限っては、その視線の種類が違うように感じられた。

 これまでのものは、嘲笑や侮蔑、そして最近になって混じり始めたやっかみといったものが込められた視線であるのに対して、今浴びている視線は、どちらかといえば恐怖や畏怖といった種類のものが多量に含まれているような気がした。

 そんな視線を向けられるような真似をしただろうかと考えるが、ここ最近の自分の行動を振り返っても心当たりは無い。

 いつものように修行をして、ガキ大将とその取り巻きにボコボコにされて嘲笑を浴びる、その決まりきったサイクルを送っていたはずだ。

 気にしなければいいと言えばそれまでなのだが、奇妙な事に、普段ならばすぐに外されるはずの視線が、今日に限って作業をしている間も終始集中していた。詳しい内容が把握できない、それでいて話をしているのが分かる絶妙な音量で交わされる、ヒソヒソ話の特典つきで。

 それだけならばまだしも、あの何かと難癖をつけて絡んでくるガキ大将とその取り巻きですら、今日は遠目にチラチラと視線を送ってくるだけで、一向に絡んでくる気配が無い。これでは気にするなという方が無理な話だ。

 さすがにこいつらの視線に恐怖や畏怖とかいった類のものは含まれていなかったが、それでも気味の悪いものを見たとでも言いたげな表情は、十分に普段の態度とのギャップを感じさせてくれる。


 結局作業が終わるまでそういった視線にさらされ続け、奴隷たちがぞろぞろと馬車に乗り込み始めたところで、ニーナの姿を捉える。

 手を振りながら声を掛けて、重心の安定しない足取りで近づき、簡潔に自分の置かれている奇妙な状況について説明し、何か知らないかと尋ねる。

 すると、驚愕に染まった表情で、逆に尋ね返される。


「まさか、気付いていないのかい?」

「気付くって、何に? 視線にはとっくに気がついているんだけど」

「…………」


 ニーナの向けてくる表情の種類が変わる。

 どこかで見た事のある表情だと思ったら、いつだったか魔物が襲って来たときに、奴隷となってから初めて戦う事になった連中が浮かべていたものに似ていた。

 未知のものに遭遇して、驚きや恐怖よりも先に好奇心が来ているような、そんな表情だった。


「ちょいと、動かないでおくれよ」


 そう言ってニーナはおれの背後に回る。

 一体何をしているのかと思っていると、直後に背中に痛みが走った。


「……痛い」

「……あんまり痛そうじゃないね」

「いや、ちゃんと痛みを感じてるって」


 ただ他人事のものに思えているだけで、感じていないというわけではない。


「一体何をしたの?」

「……自分の背中を見てみな」


 言われて左側に首だけを動かし、背後を見る。何もない。


「逆だよ逆! 痛みがあった部位で分からないのかい!?」


 地団駄を踏むニーナに気圧されながら、反対側に首を捻る。


「……翼だ」

「本当に気付いてなかったのかい」


 肩甲骨よりやや下辺りの位置から肩よりも高い位置まで伸びている、腕よりも長さのある翼が一枚。

 長さもさる事ながら厚みも相当なもので、見た目からしてズッシリとした重厚感が漂っている。もしかしなくとも、朝からの倦怠感もとい体にのし掛かっている重みの原因はこれなのだろう。


「えっと、何これ?」

「かなり強く引っ張っても取れないし、痛覚もあるって事は、変異魔術を使って生やしたものじゃないって事だ。つまり、お前自身が生まれ持った体構造だね」

「おれ、こんなの今日初めて見たよ」

「あたいだって初めて見たよ。おそらくだけど、お前さんの親の持った性質が今になって発現したんだろうね。珍しくはあるけど、あり得ない事じゃない。片翼なのは、半人半魔である影響だろうね」


 親――当然ながら人間がこんな体構造を持つわけが無いので、必然的に悪魔側の体構造という事になるのだが、その割には、何と言うか……物凄く鳥っぽい。

 普通悪魔に翼があるとするならば、それは蝙蝠の翼に近いものを連想すると思う。つまりは、骨格に皮膜を貼り付けたものだ。

 ところがおれに生えている翼は、皮膜ではなく羽毛に覆われている。

 一応は悪魔をイメージできる、カラスのように真っ黒な色をしているが、一枚一枚の羽が手の平よりも大きく、加えて数も多いようで、全体でそこそこの重量となっていた。


「どうりで、朝から体が重いと思った」

「むしろ、そう感じていながら今の今まで気付いていなかった事に驚きだよ」


 手を伸ばして、翼に触れてみる。しかしその肌触りは想像していたふわふわとしたものではなく、ごわごわとしたものだった。

 一応は感覚は通っているらしく、上部を触ってみると触られている感触はあった。だが、個人的にこれは頂けない。

 さっきから色々と試してみているのだが、問題の翼を動かす事ができない。感覚が通っているのならば動かせてもおかしくないのだが、うんともすんとも言わない。これでは的が大きくなったようなものだ。


「ねえニーナ、これ消せないかな? 全然動かせないし、何より重くて重心が安定しないんだ」

「そうだね……手っ取り早い方法としては引っこ抜くという手段があるけど、どうなるか保証はしかねるよ。最悪、背骨ごともげるかもね」

「それはさすがに嫌だね。別の案は?」

「なら、魔術しかないね。大分前に変装の魔術を教えたろう? あれよりも大分難しいけど、応用したものに変異の魔術って言うものがあるそれを使えば、魔術が持続している間はその翼も消えているよ」

「それでいいよ。早速教えて」

「そう焦るんじゃないよ。元々は持たない体構造を生み出すためのものだから、まずはそっちができてからだ」

「分かった」


 取り敢えずは今後の方針のようなものを決めただけで、その場はお開きになった。

 その後おれも馬車に乗り込んだわけなのだが、周囲から不評を買ったのは言うまでもない。

 動かす事もできないから畳む事もできず、おれ一人で数人分のスペースを占領する羽目になる。当然ながら周囲はその事に文句を言うが、こちらとしてもどうしようもないので放って欲しかったというのが本音だ。

 その本音を呑み込んだおれは、暫くの間、変異の魔術を会得する事と平行して、翼がある状態に慣れる事に時間を費やした。


 最初こそ周囲も気味悪がったが、冷静になってみれば、耳だの尻尾だのが生えている奴だってちらほらといたのだ。翼が生えている奴こそいなかったものの、おれもまたそういった類のものだと片付けられ、徐々にだがガキ大将の嫌がらせも再発していった。

 とりわけガキ大将なんかは、翼のお陰で重心を掴む事ができず、普段よりも大分弱い抵抗しかできずにいるおれをここぞとばかりに攻め立てた。

 的を大きくなったようなものというのは正しく、簡単に掴まれては動きを封じられるわ、引っこ抜こうとされると痛いわで、散々だった。


 だが全部が全部不利益だったわけではなかった。

 いくつか検証して分かった事だが、この翼自体は、意外と防御力が高い。

 物理攻撃はその羽毛で衝撃を殺す事ができるし、魔力を翼にまで循環させると、その羽毛の硬度自体が上がる事が判明した上に、外的な魔力に対する耐性も抜群で、ガキ大将共の放った魔弾だの炎だの雷撃だのを完璧に防いでくれた。

 最初は動かす事ができなかったが、連日練習する事で自分の意思で動かす事もできるようになったため、盾としてかなり役立ってくれた。

 残念な事に、動かす事ができても飛ぶ事はできなかったが。まあ片翼では当たり前かもしれない。


 それと意外な事に、後輩たちにも謎の人気があった。

 後輩――つまりはおれよりも後に生まれた半人半魔の連中な訳だが、そういった連中の一部はおれが落ちこぼれであった時代を知らず、また訓練にも参加していないため、おれに対して最初こそ物怖じしていたものの、すぐに好奇心満載で触ってきたりした。

 自分ではごわごわとしていて、あまり手触りは良くないなと感じたのだが、チビッ子共は触って感触を楽しんだり、抱きしめたり羽を毟り取ったりと大喜びだった。


 その時には分からなかった事だが、片翼故に飛ぶ事はできなかったが、後に飛行魔術を習得して飛んだ際に、姿勢の制御や舵取り、そして速度の上昇にも役に立つ事が判明した。


 そんなこんなで、ようやく翼がある状態での体の動かし方に慣れてきた頃に変異の魔術を習得したのだが、思っていたよりも魔力の消費が激しい。

 こういった恒常的に効果を発揮させる魔術は、維持の為にイドから汲み上げた魔力から相応の量を割かねばならないのだが、現在のおれが一度に汲み上げられる魔力量のおよそ四分の一を割く羽目になるとは思いもしなかった。

 魔術の維持の為に魔力を割けば、その分循環させられる量も減るし、そうなれば必然的に向上する能力の幅も減る。

 結局得られるメリットとデメリットを天秤に掛けたところ、短期間的に見ればデメリットの方が大きかった。

 反面、長期的に見ればメリットの方が大きくなるのだが、今のおれに残されている時間は余り多くない。

 あとどれほど多目に見積もっても、一年有余があるかないか。その間に逃げ切れるだけの力量を身につけなければならないのだが、未だにガキ大将に勝つ事すら果たせていないばかりか、奴隷紋の解除法の糸口すら掴めていない。

 一度売り飛ばされてしまえば、以後はずっと軍属となる。まだ周囲がアマチュアの集団である今だからこそ逃げられる可能性があるのだ。それがプロフェッショナルに代われば、逃げられる可能性は絶望的となる。

 刻一刻と近づいてくるタイムリミットとは裏腹に、中々思い通りにいかない展開に、おれの焦りは募るばかりだった。




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