魔力レーダー
凡夫は外面の綺麗な女を選んだ。
聖人は内面の綺麗な女を選んだ。
悪人は弱く御しやすい女を選んだ。
貴人は富を齎す女を選んだ。
彼は強い女を選んだ。
私は異性には興味がない。
僧侶レヴェリー・オーギュスト
魔力球がようやく実戦で使えるようになった頃、おれは次に覚える魔術に、変装の魔術を選んだ。
というのも、先日川辺の側で野営をした折に体を洗いに川に行ったところ、水面に映る自分の姿に驚愕したからだ。
前世のおれは日本人らしい黒髪黒目だったのだが、今のおれは前世とは似ても似つかない、白銀色の髪に右はアメジスト、左はエメラルドの眼というかなりカラフルな容姿をしていた。
半人半魔には珍しくもないかと思っていたが、他の奴らの中にも、銀色の髪はいても虹彩異色症の奴はいなかった。要するに、目立つのだ。
そこでニーナに何か目立たなくする方法はないかと尋ねたところ、教えられたのが自分の外見を変える魔術だった。
変装の魔術と言っても、そこまで派手な事はできない。精々が髪の色を変えたり、眼の色を変えたりする程度だと言う。それに魔力の変換を必要としない無属性である為に広く普及しており、その分見破る為の魔術も多く存在する為、余り汎用性はないとの事だが、パッと見で目立たなくなれば十分なので、早速教えてもらった。
で、今は練習しているのだが。
思った以上に難しい。
魔術は事象を起こしたい部位に術式を構築する訳なのだが、これまで魔力球は手の平に生み出していた為に、他の部位に術式を構築するというのが中々上手くいかないのだ。
取り敢えずは眼の色を変えようと苦心しているのだが、中々編む事ができない。手の平に術式を編むのとは勝手が違い、何度やっても途中で術式が霧散してしまう。
まあ魔弾の魔術だって最初はこんなものだっただろうと気を取り直して続けようとしたところで、来客があった。
「よう落ちこぼれ、また無駄な努力をしているのか?」
おれの事を未だに落ちこぼれと呼ぶ奴は少ない。
魔力循環を習得し、嫉妬野郎の事故死を境にそこそこの制御能力を身につけて魔力球を生み出せるようになったお陰で、奴隷の間でのヒエラルキーに変動が生じて、結果おれが底辺でなくなったからだ。
それでも尚、おれを落ちこぼれと呼ぶ奴は、今ではこのガキ大将とその取り巻きだけである。
「無駄な努力ではないよ。現におれは順調に力を付けている。無駄な努力だったら、力なんて付く筈がない」
「屁理屈並べてんじゃねえ」
「屁理屈じゃない。屁理屈というのは筋の通っていない、もしくは道理に合わない理屈の事を指すのであって、今回の――」
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねえッ!」
殴られる。それは傍から見れば理不尽極まりなく、余りにも唐突な暴力。
しかしそれも、慣れたものだ。
こいつは内心恐ろしいのだ。自分が追い抜かれるのが。
今のおれは、最下層から抜け出したとはいえ、ヒエラルキーにおいてはまだまだ下層に位置する。普通ならばそんな事を恐れる必要はない。
だがある日を境に変質し無抵抗主義を翻した事と、その成長速度に対して危惧を抱いていた。
自分よりも弱い奴が、どれ程痛めつけても反発してくる。そして日を追うごとに力を身に付けていくその過程は、こいつらにとって恐怖を抱くのに十分なものだろう。
だからこそ、安心を得るために痛めつける。まだ自分のほうが強者であると、虐げる側であると確認するために。
そして、もし仮に自分が追い越されたとしても、反抗など考えられないような恐怖をその身に刻み込むために。
それを本人が意識しているかどうかは不明だが。
いや、おそらくは意識などしてはいないだろう。そこまで自分を客観的に見れるほど、頭が良いようにも見えない。
どちらにせよ、こいつらの行為は無意味でしかない。
確かに少し前のおれだったら無様に屈服していたのだろうが、自分の為すべき目的を思い出した以上、その程度の事でこのおれが屈するはずがない。そしてなにより、おれにとってもその行為は好都合だ。
魔力循環などを用いた戦い方を、実戦を通して学ぶ事ができる。今のところは一方的にやられるだけだが、その経験が積めるというだけでも十分有益なのだ。
魔力循環を維持しながら、前世でテレビで見た程度の動きや技術を再現しようとする。
成功すれば精度を高めるために練習し、失敗すればどこが悪かったのかを検証する。一人で行うよりもよほど効率よく、自分を高める事ができる。
こいつらにとっての制裁は、おれにとっての訓練だ。
初撃は喰らったが、次の拳は回避し、逆に相手の腹部にお返しとばかりに拳を叩き込む。
確かに鳩尾に入ったはずなのだが、相手は舌打ちを一つしただけで、もう一発拳を、今度はこめかみを抉るように喰らわせる。
強烈な一撃に脳が揺れて踏鞴を踏んだところで、髪の毛を掴まれて顔面に膝を叩き込まれる。
視界が一瞬で真っ暗になり、次に赤く染まって星が飛び回る。口内に鉄の味が広がり、鼻からの呼吸が途絶する。間違いなく鼻の骨が折れた。
さらにもう一回膝を叩き込もうとする相手よりも先に、髪の毛を掴んだままの手の甲に爪をつき立てて、思い切り引っかく。
皮膚を破って肉を抉る感触と一緒に、拘束が緩む。その隙をついて相手の手を引き剥がし、さらに腹部に拳を入れる。
さすがに同じところに二度も攻撃を喰らったのは応えたのか、一瞬怯んで身を屈めて丁度良い位置にきた相手の顔を殴ろうとして、横から伸ばされた手に手首を掴まれて行動を封じられる。同時に背後から足払いを掛けられ、顔面から地面に突っ込んでしまう。
身を起こす暇もなく、未だ掴まれたままの手首を引っ張られて強制的に体を横にされ、無防備になっていた鳩尾に爪先を埋められる。その事に呻くよりも先に、今度は頭に蹴りが入る。
三発目が来るよりも先に、空いている手で砂利を掬い取って、手首を掴んでいる取り巻きの一人の目に投げつける。
目潰しを喰らって怯んでいる隙に逆に掴んでいる相手の手を引っ張って身を起こし、手首を掴み返して捻り上げると同時に足払い。上手いこと自分の方向に倒れこんできた相手を身を翻して背負い、地面に投げ出す。そのまま仰向けに倒れた相手に跨ってマウントを取ろうとしたところで、もう一人の取り巻きに脇腹を蹴り飛ばされて逆に仰向けになる。しかもすぐ側にはガキ大将がいた。
後は一方的だった。
おれに起き上がる隙を与えずに、主に蹴りを中心に徹底的に暴力を振るう。
そのリンチは十分以上は続いただろうか、地球だったら間違いなく相手を殺していたであろう暴行が終わり、ガキ大将とその取り巻きはその場から消え失せる。
おれといえば受けたダメージが大きすぎて丸まっている他なく、周囲からはお決まりのように嘲笑の嵐。
ほぼ毎回のように周囲から降り注ぐこの嘲笑の嵐にも、慣れたものだ。どうも他の連中は、落ちこぼれが這い上がってくるという事が余程気に入らないらしい。
そうやって丸まって体を休めて、小一時間は経った頃。
飯時になった為か周囲から嘲笑する連中も消え失せたところで、視界の外から別の人影が近づいてくるのが感じ取れた。
感じ取れたといっても、熟練の魔術師ができると言われている、対象の魔力を感じ取っただとか、ましてや達人のように気配を感じ取ったとか、そんなカッコいいものではない。少なくとも今のおれに、そんな事を可能とするような実力など備わっていない。
では何なのかと言えば、自分を中心に水面に発生する波紋のように魔力を地面に広げる事により、地面に浸透した魔力に触れる物体を探知しているのだ。
継続的に使用するには、魔力をイドから汲み上げた側から垂れ流す必要があり、おまけにある程度の範囲を確保するには相当な量の魔力を流す必要がある為、まず人間には使用する事は不可能だが、反面、地面に接する物体ならば『魔力隠蔽』をしていようが『透明化』をしていようが、さらには生物だろうが無生物だろうが関係なしに探知できるという利点がある。
元々はそういった『魔力隠蔽』や『透明化』といった芸当ができる者がいるとニーナから聞いて、ならばとソナーをイメージして試しに作ってみた代物で、欠点に関しても、一度に汲み上げられる魔力量も保有する魔力量も突出している(らしい)おれには然程関係がない。
今でこそ半径四メートルが限界だが、常日頃から使用していれば範囲も広がる筈だ。
将来的には追っ手を振り切るのに重宝するだろうから、是が非でも極めたい技術である。
基本的に地面を介して広げる為か、相手がレーダーで索敵されているとも気付けないのは、ここ数日の実験で確認済みである。
「そんな状態でも修行かい? 精が出るじゃないか」
そして例外がいるのも、確認済みだ。
「一分一秒の時間が惜しいからね。体が動かなくても、できる事があるならやるよ」
「向上心があるのは良い事だね。あたいの講義も、そうやって最初から真面目に受けていればよかったのに」
「返す言葉もないよ」
魔力というものは、何も生物だけに宿るものではないらしい。
自然界の物にはどんな物であれ、大なり小なり魔力が宿っており、むしろ生物の方に全く宿っていない個体が現れる程度だとか。
その法則は当然ながら誰もが踏み締める地面にも当て嵌まり、非常に微弱ではあるが常時地面が魔力を発しているが故に、魔力を読み取れる者であってもおれが魔力を広げている事に気付けないらしい。
ただし、ニーナ曰く「自分みたいに魔力を読み取る感覚が極端に鋭敏なら、微妙な違和感を感じ取る事は可能だよ」との事。加えて、地面に接していない――飛行する敵などは感知できない為、あまり過信しすぎると痛い目を見る羽目になるだろう。
「しっかし、お前さんも懲りないね。今のお前じゃ、例え一対一だったとしても、逆立ちしたって勝てやしないよ」
「……? 逆立ちすれば尚更勝てないのは、当たり前の事でしょ」
「比喩表現だよ」
ニーナがおれの体に手を押し当てると、そこから暖かな物が体の中に流れ込み、全身に巡っていくのが感じられた。
魔力循環で向上する能力の中には代謝能力も含まれており、より多くの魔力を循環させる事で、怪我の治りをより早くする事を可能とする。
最もそんなものは本当に微々たるものなのだが、魔人であるニーナは保有する魔力がおれよりも圧倒的に多く、しかもそれを他人に譲渡し、尚且つ外部から循環させる事ができる。
いくら微々たるものであっても、塵も積もれば山となる。おれが循環させられる限界量を遥かに超えた量の魔力を一時的に譲渡され、尚且つそれ全てを無駄にする事無く循環させられれば、ダメージの回復速度も劇的に向上する。
そのまま五分程度だろうか、前世では余りにも時間に縁のない生を送っていた為にイマイチ自分の体内時計に信が置けないが、ともかく短時間で身を起こして動くのに支障が無い状態までに回復する。
実のところ前世の記憶が蘇ってからは当たり前となっている事なのだが、こうして治療される度に、つくづく自分とニーナとの間にある圧倒的な差というものを実感する。
知識や保有する魔力、そしてそれを運用する技術や単純な戦闘技術まで、天井がまるで見えない。あくまで勝手な予測だが、ニーナは魔人という括りの中でも相当上位に位置するのではないだろうかという考えを、事ある度に抱く。そして同時に、どうしてそれ程までに強い魔人が、こうして奴隷の身分に身を堕としているのかという疑問も。
「いい加減諦めたらどうだい? 一々治療する身にもなってもらいたいね」
「それはできない。あいつ程度に勝てないようじゃ、この先も高が知れてる」
「程度って、実際手も足も出てないじゃないか」
「殴れているし、蹴れている。手も足も出てるよ」
「だから比喩表現だって……まあいい。ともかく、敗北しているのは事実だろう」
「今だけだよ。体格はともかく、保有する魔力量も循環の技術も、素質だっておれのほうが上なんだ。だから後は、体格の差を覆せるだけの格闘技術を身に付けられれば勝てる」
「体格差を覆すって、あいつはあたいよりもデカイんだよ?」
ニーナの言う通り、ガキ大将の体はデカイ。
ニーナは割と小柄で、大体一五〇を少し上回るくらいなのだが、あいつはそのニーナよりも頭一つか二つ分はデカイ。おれよりも長くは生きているとは思うが、どちらにせよ五歳未満であのガタイとなると、親はオーガとかじゃないのかと疑いたくなる。
一方のおれは、一メートルと+一〇センチ前後。前世の人間の範疇で考えれば発育はかなり良いのだが、ガキ大将との身長差は実に五〇センチを越える。そんな体格差を覆すには、魔力や技術面で相当な差をつけないといけないという事は、おれだって分かっている。
だがそれでも、こんなところで足踏みをしていられるほど、おれに余裕は無い。この先はともかく、今のおれには売り飛ばされるまでという明確なタイムリミットがあるのだから。
仮に脱走に成功したとして、他の奴隷たちが追っ手として掛からない保証は無い。その際に自分よりも強い奴隷がいるようでは、逃げ切れる可能性はグッと下がる。だからこそ、力が要る。他の奴隷を寄せ付けないほどの力が。
「……まあいいさ。さっきも言ったとおり、向上心があるのは良い事だからね。お前さんが強くなりたいって言うんなら、あたいは最大限に手を貸してやるよ」
どうもニーナは、おれが将来的に脱走を企てているのに気がついている節がある。
まあ新しく開発した技術についてや、教えを請う魔術の内容を知っているのだから、多少頭が回れば気付いてもおかしくは無い。
ただ問題なのは、その事に関して、飼い主に対して一切報告している様子が無い事だ。
とりわけ新しい技術に関しては、ニーナ曰く画期的な代物なのだから、報告すれば相当な手柄になるだろう。上手くいけば、自由の身になれるかもしれない。なのに、その技術をニーナは一切誰にも話していない。
「……そういえば、ニーナって格闘もできる?」
「当たり前だろう。これでも魔人なんだ、一通りの事ができて当然だよ」
「なら、おれに教えてくれない?」
「……一応、あいつらには魔力の扱い方に関連したものだけを教えればいいって、言われているんだけどね」
「別に禁止されているわけじゃないでしょ? それに、さっき手を貸すって言った」
「……分かったよ。時間の空いたときに、教えてやる」
ニーナがどうして、飼い主に対して何の報告もしていないのかは分からない。分からないが、その方が自分にとって都合が良いのも確かだ。
ならば、最大限に利用すればいい。それが目標を達成するための近道である事に間違いないのだから。