闇市場
まずは爛れた両手を切り落として、答えが永遠に返って来ないその祈りを終わらせろ。
次に爛れた両足を切り落として、結果が実ることの無いその歩みを終わらせろ。
最後に首を切り落として、無意味な問いを組み立てるその言葉を終わらせろ。
そうすればオレ様がお前の話を聞くのを始めてやる。首だけになっても尚も言葉を紡げるような珍しい奴の話を聞かない奴は居ない。
虐殺王ガズス・ウォルケンス
やばいやばいやばい、誰が何と言おうとも今の状況は間違いなくやばい。
目の前でおれを見下して来る、赤銅色の髪の男。この男は明らかに危険だと一目で分かった。
足運びだとか、目線の動きだとかで実力を推し量ったなんて格好良い理由なんかじゃ断じてない。そんな事はおれにはできないし、そもそもそんな事ができる奴が本当に居るかどうかも疑わしい。
にも関わらずおれがこの男を危険だと判断したのは、できたのは、この男がそうであると教えて来たからだ。
言葉とかそういう次元ではなく、この男を視界に収めた瞬間に本能レベルでそれを教え込まれた。そうとしか言いようがない。
しかも最悪なのは、その明らかにやばい男に現在進行形で目を付けられている事だ。
「ガズス、お前良い加減にしろよ。子供にまで絡んで見境無しかよ」
「黙ってろよヴォルフ。すっこんでろ」
「お前がどんな奴か知っているのに、そう言われてハイそうですかって引き下がれるかよ」
そこでヌッと横手から手が出て来て男の方を掴み、おれから強制的に引き剥がす。
そんなありがたい事をしてくれた救世主は、一緒に男に居た禿頭の男だ。
「老若男女はおろか、挙句の果てには種族問わず生物全てが殺戮対象の、どうして娑婆を歩けているのかが摩訶不思議な歩く大災害がお前だろうが」
本当に摩訶不思議だね、檻の中に放り込んでおけよ。この世界の治安ってそんなに悪いの?
いや、地球の治安も大概だとは思うけど。連日のようにニュースは殺し殺されたの報道をするし、その報道に上がらないだけで、毎日のように殴られた人やら刺された人やら、殺された死体やらが病院には運び込まれてきたし。
殺された奴が相当性質の悪い怨霊になるのなんてしょっちゅうだったし。同じ空間内にいるとこっちの気分まで悪くなってくるお陰で、定期的に密告する必要があった。
「オレ様の事を客観的に見ればそう見えるのも仕方が無い以上、お前のその言葉を否定する程オレ様は野暮じゃない。
でもって、その上でもう一度言ってやる。状況も満足に把握できてねえんなら、オレ様の邪魔をしようとしてねえで、大人しくすっこんで――」
「あっ、おい、坊主!」
どういう意図があったにしろ、結果的におれを助けてくれたハゲのおっさんには悪い気がするが、おれとしてはその場にそれ以上留まって居たくなく、多少目立ってしまうリスクを承知でその場から全力で退避する。
道行く人々の隙間を掻い潜り、できる限り速く遠くへ、それでいて人ごみに紛れて万が一にでも自分の姿を負えないように細心の注意を払って路地裏へ。
さらにその路地に、人はおろか小動物の一匹たりとも存在しないのを確認して跳躍。一回で建物の屋上へ――行けたら格好良いのかもしれないが、残念な事にそこまでのポテンシャルはないので、変わりにある程度の高さの壁に張り付き、そのまま木登りの要領で登って屋上へ。
尚も一息吐く事も惜しんで、いくつかの建物を経由。向こう側の通りへと飛び降りて転倒し、立ち上がって周囲を確認。
「サルかお前は」
「ッ!?」
振り向き様に攻撃を――加えようとして動けない。
特に何かされた訳ではないのに、心臓を鷲掴みにされたかのような、明確な生殺与奪権を握られたという感覚が全身を支配していた。
「にしても逃げたって事は、ますます疑わしくなったな。普通は気付かない筈なんだよ、オレ様みたいな善良な真人間を見て、違うってのはな」
「どっ……あん、たは」
どこが善良な真人間なんだよと言い掛けて言葉を呑み込んで、別の言葉を、縺れる舌を動かして紡ぎ上げる。
「半人、半魔なの?」
背後に立つ男が口にした、自分と似た臭いがするという言葉。その言葉が、背後の男が人族ではないのではないかという疑いをおれに強く持たせていた。
だが返答は、実にあっけらかんなものだった。
「いいや違う。だがそうか……その言葉が出た辺り、お前は半人半魔か。道理で……」
こっちの答えを簡単に否定されたばかりか、むしろ逆にあっさりとおれの正体を看破される始末。まあ今のはおれの質問がマヌケ過ぎたのもあるだろう。せめて魔族なのかと聞くべきだった。
しかしそうなると、分からない事が一つ。
「お前の疑問に答えてやろうか? どうしてオレ様がお前を、あたかも同列であるかのように語ったのか」
パンッ、と肩を平手で叩かれて前に押し出されるのと共に反転させられる。
視界の中に、赤銅色の髪を持った男の姿が収められる。
「そうガチガチに固まるなよ、肉が不味くなる……いや、別に取って食いやしねえから安心しろよ」
おれの内心の緊張など、欠片たりとも意に介してないかのように語るが、正直に言って無理な話だ。
肉が不味いのくだりに、まるで上段を言っているかのような軽さは無かった。
「どうして同列のように語ったかって言うと、その言葉の通り、似た臭いがするからだよ。もっと言えば、オレ様とお前の中身は非常に似通っているんだよ」
「何を……言ってるか分からないね」
「だからそれなんだよ。お前、オレ様の事が周りと比べれば明らかに異質だって気付いてんだろ? だがそれはあり得ない。さっきも言った通り、普通の連中にはオレ様は善良な真人間にしか見えないからだ。面倒な事だが、イカレた連中に紛れる為にもそういう風に擬態してるからだ。
にも関わらず、たった一目見ただけでオレ様がそうと分かる奴なんて、そうは居ない。同じ類の奴でもなければな」
「へえ。でも生憎だけど、その栄誉は謹んで辞退させて貰うよ。どう考えても審査ミスだ」
「誤魔化すなよ。いや、誤魔化せてすらいないけどな……お前、日の下をまるで歩けないような類の奴だろう?」
「そんなの、半人半魔なら皆そうでしょうが」
「種族が云々って話じゃねえよ。もっと根源的なもの、その存在の根っこに積み重なっているものの事を言ってんだよ」
何を言っているのか、本気で理解できない。
大よその趣旨らしきものは辛うじて理解できなくもないが、それに行き着いた根拠やら、他にも補足やらがちっとも理解できない。
そんなおれの都合など考えてもいないのだろう男は、そのまま意味深な笑みを浮かべておれの目を覗き込みながら、懐から紙切れを取り出して押し付けて来る。
「そこに書かれている場所は、ここの近くにある。興味があるなら行ってみろ、役に立つ筈だ。そこでおもしろく殺して、おかしく正そうぜ」
「…………」
この時点でおれは、眼前の男を頭のおかしな異常者として扱う事に決めた。おそらく、そう大きくは間違っていない筈だ。
ともあれ、用は済んだと言わんばかりにさっさと踵を返して立ち去って行くのはありがたい。ハッキリ言って、同じ空間の空気すら吸いたくなかった。
「…………」
その後ろ姿が完全に見えなくなって、押し付けられた紙切れを開いて見る。
「……どうしようか」
無視するのも、見なかった事にするのもおれの自由だろう。実際、異常者として決め付けた奴の書いたものなんて、読む価値すら無いだろう。
だが読んでしまった上で、男の紙に書かれた内容を無視するのは難しかった。
「少しだけ見てみるか」
どちらにせよ明確な目的となる場所は無かったのだから、大した手間ではない筈だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
変装の魔術をもう少し調整して、外見を変えていく。具体的には、成人を過ぎたくらいの背丈の男に。勿論、背丈だけでなく顔立ちも髪と瞳の色も変化させる。
そうして準備が整ったら、まるでどこかにある、いつかの洞穴のように異臭の漂うズタボロの毛布だけを垂らして扉代わりにしているオンボロの建物に足を踏み入れる。
「いらっしゃい、兄ちゃん。一体誰の紹介だ?」
「……いや、誰の紹介でもないけど。ていうか、ここってどこ?」
「……知らないで入って来たのか。運が悪いな、兄ちゃん」
据えた臭いが充満する木造の建物の中に広がっていたのは、そこそこの広さを誇る玄関前と、その室内の奥のほうに存在するカウンター。そしてそのカウンターに両足を乗せて椅子に座る、生え際の大分後退した哀れな頭を持った男。
「ここは『青翼会』の窓口の一つだ」
「性欲会?」
何だその碌でもない臭いがプンプンする組織名は。
「本当に知らないのか。兄ちゃん余所者だろう。ここには観光に来たのか? だからってこんな汚い場所を観光する事も無いだろうに」
「清掃業をする身からすれば天国だよ。飯の種に塗れてる訳だからね。で、その性欲会ってのは何なの?」
「……まっ、簡単に言えば協会とは正反対の組織の一つだ。殺人犯や放火魔、殺し屋とか落ちぶれた職業軍人が集まる、ならず者の互助会と言ったところだな。金さえ貰えれば、何だってやる。協会よりも帰属意識は遥かに高いがな」
「なるほど、所謂マフィアみたいなものか」
度々銃創をこさえては搬送されて来ていたが、大体認識に差異は無いだろう。
「そういう訳だ兄ちゃん。ここには怖い、こわーいお兄さんたちが沢山居る。少しでも知識があれば良識ある大人は当然として、子供だって足が竦んで入り込めない場所だ」
「…………」
地面に垂れ流してある魔力に引っ掛かる人影が三つ。何かやましい事でもあるのか、慎重な足取りで足音を立てないように移動をしている。当然気配も同様だ。
だが、どれだけ気配を消そうとも地面の上を移動する限りは、絶対におれのこのレーダーを避ける事はできない。半径にして一〇メートル近い範囲をカバーできるお陰で、壁越しの相手だろうが問題なく察知できる。
「金で解決、できないかな」
「紹介なしの初見さんは例外なくお断りなんだよ。本当に運が悪かったな、兄ちゃん」
壁がブチ破られるのと同時に、カウンターに向けて跳躍。同時に両手に風輪斬による不可視の高速回転する円刃を複数ずつ生み出して投擲。
立体的広範囲に効果を及ぼせる炎や爆発系の魔法は、室内で使うのには自殺するのに高い効果を発揮してくれる。ましてや腐りかけのこの木造建築は、実によく燃えて倒壊してくれるに違いない。
その代わりに放った風の刃は、後ろ手に放ったが故に戦果は不明。確認は後回しにして、着地予想地点の先にいる男を襲撃。男もカウンターの下からナイフを取り出して応戦してくるが、交錯する直前で変装の魔術を解除。一気に縮んだおれの頭上をナイフが遠ざかって行き、がら空きの胴体に手を向ける。
「散矢」
至近距離故に拡散しきる事無く、上半身を中心に数十の細かな矢が一斉に殺到し、衣服の上から体に刺さり、貫通して背後の壁に突き立つ。
全身を穿たれて絶命した男を引き倒して、自らもカウンターの影に伏せる。遅れて頭上を魔弾の光球が通過して行き壁に穴を開ける。
レーダーで探った限り、後ろ手で放った風の刃は一人も仕留める事ができなかったようだ。これが爆裂魔法や炎の魔法ならば、大雑把な狙いでも被害を及ぼせたのにと歯噛みする。
気を取り直して、男の死体を掴んで放り投げる。
カウンターの影から飛び出て来たそれに魔弾が着弾し、続けて踏み込んで来た男が剣を振るって死体に刃を食い込ませ、抜こうとした瞬間に影から強襲したおれがその男の顎を思い切り蹴飛ばす。口の端から砕けた歯と噛み千切られた舌の先端が飛び出し、痛みに目を白黒させながら口元に手をやった瞬間、魔弾を炸裂。胸部に風穴を開けて殺す。
その死体の穴の向こう側から、残る二人の敵と間違いなく目があった瞬間、術式の構築を終えて腕を振り被る。
「晶刃」
大きさも形もバラバラな、だが一枚の薄さは折り紙つきで、それでいて向こう側をハッキリと見通す事のできない独特の光沢を持った結晶が放たれる。
その殆どが途中で地面に深々と突き刺さったり、あるいは明後日の方角の壁に深々と突き刺さったりと精度はお察しだったが、それでも狙った以上はある程度収束し、そのうちの一枚が男たちのうちの一人の右足に突き刺さる。
「ぐあッ――!?」
相手が痛みに呻いている時はチャンスで、障害物が地面に転がって消えた瞬間に手負いの男は無視して、無傷の男へ。男の両手に握られるのは、まるで童話に出て来る木こりが持っているような斧。
それが渾身の力で振り下ろされ、途中で停止。さらに魔術を解除したおれの背中から、衣類を突き破って出現した翼が斧の斬れ味の鈍い刃を受け止めたのだ。
そうして眼前で自分の必殺の攻撃が受け止められて呆然としている男を目掛けて、象徴目掛けて膝を全力で叩き込む。たまらず呻いて膝を突いたところに、素早く回り込んで首筋目掛けて死体が生きていた頃に握っていた、無断拝借した剣を突き入れる。
「これで残ったのはあんただ」
最初に応対してくれた男も含めて、四人の刺客のうち三人を殺して、最後に残った男に剣を突き付けて尋問する。
足の傷はかなり深いのか、地面に寝かせたままその場から移動しない――できない男が喉を鳴らしておれを見上げる。
「安心してよ、おれはただ知りたい事がいくつかあるだけだからさ。用が済んだら解放もするよ」
まあ何から解放するとは、一切言っていない訳な、ん……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「紳士淑女の方々、今宵は良くぞ集まってくださいました」
後頭部の熱と痛み、そして頭の中のガンガンという騒ぎを首を振る事で払い除け、状況を把握しようとして真っ暗なのに気付く。
そしてそれが、目隠しされているが為の事だとも分かる。
しかも拘束はそれだけではなく、両手首にもご丁寧に枷が嵌められているらしい。二つの間にあって繋いでいるのだろう鎖がジャラジャラとうるさい。
「今週もまた様々な商品が入荷いたしましたが、中でも目玉となる商品はこちら」
身動きした覚えは無いのに、自分の居る位置が移動していくという感覚に襲われる。おそらくは荷台の上か、もしくは檻の中に入れられているのだろう。
「年齢は不明ではありますが、紛れもない半人半魔! 性別は男!
保有する魔力はその中でもかなり高く、本日出品致します商品の中では最大でしょう。また背中にはカラスの片翼。瞳の色は左右で違く、エメラルドとアメジストの異色同士。さらに髪は白銀色!
持ち帰って愛玩動物にするもよし、はたまた頼りになる護衛にするのも、あるいは雑務の一切を押し付けてみるのも良し! つきましては、最低価格八〇〇〇ギールから!」
「九〇〇〇!」
「一万!」
「一万二〇〇〇!」
「…………」
何となく分かった。今のおれはオークションに出品されている。
記憶の最後に残るのは、性欲会だか何だかの事務所の一つを潰した事だった。そして生き残りである最後の一人を相手に尋問を始めようとした直後からの記憶が消えている。
その時に、何者かに襲撃されたと見ていいだろう。根拠は主に後頭部の痛みと熱。
おそろしいのは、事前に張ってあった魔力レーダーには一切引っ掛かっていないという事だ。
どうやってだかは不明だが、おれが張っていたレーダーには一切感づかれる事無くおれに近付き、背後から強烈な一撃を与えた――大体そんなところだろう。
勝利を収めたと確信した直後で油断していたというのも、勿論ある。だがそれでも、レーダーに引っ掛からなかったのは紛れもない事実だ。
「八万五〇〇〇!」
「九万!」
「九万四〇〇〇!」
「九万六〇〇〇!」
「九万七〇〇〇!」
どうやら競りはまだ続いているらしい。そして値段の刻み方がせこくなって来た。ハッキリ言って、かなりムカつく。
だが今のおれにできる事は殆どない。先ほどからイドから魔力をくみ上げてはいるのだが、汲み上げた傍から押し戻されていた。
推測するに両手首に嵌められている手錠が原因なのだろうが、さすがに素手でどうにかなるようなものでもないだろう。
「クソっ……」




