ほとぼりが冷めて
子供が飢えて助けを求めても周りの耳には届かない。
親が我が子を失って悲しみ咽び泣いても周りの者たちは気に留めない。
男が女に全てを捧げた挙句に破滅させられても因果は巡らない。
女が愛してくれと叫んでも男は冷ややかな眼しか向けない。
世界はどこまでも無意味だ。
勇者イーグル・バルゼスト
週に一度の風牙からの定期報告が無いまま、今日で一週間が経つ。どうやら風牙もついに殺されたらしい。実に残念な事だ。
一年ほど前に元アレルパの領主であったというコヴィルを殺す事で解放された特典は、大雑把に言えば、自分の力を特定の者に授けるというものだった。
授けられる力は単純におれの持つ魔力と、それと稀にではあるが、おれが殺して奪う事に成功した特性に関しても低確率ながら与えられる事ができるらしい。ただし、相手がどの特性を得られるのかについてはおれにも選べない。
それだけを見ればかなり有用度が高いように思えるが、勿論欠点も存在する。
まず第一に、与える力に適合できなければ死が待っているという事だ。
詳しい原理など調べてなければ検証もしていないので知らないが、原理的には臓器移植に常に付き纏う免疫性のようなものが原因ではないかと思っている。
今までに大体五〇回以上試して来たが、成功した例はたった三体のみ。それを元に成功率を求めても、僅か五%にも満たない。
さらには、力を分け与えるのには自分の力を結晶化させる必要があるという欠点もある。
その結晶を相手の体に埋め込む事で初めて力を与えた事になるのだが、この結晶は一つを作るのに、結構な量の魔力を持っていかれる。しかも輸血とかのあれと違って、それに費やした魔力が戻って来る事も無い。
一応せめてもの慰めとして、生み出す結晶に費やせる魔力量はある程度ならば自由に上下させる事はできる。しかしそれとて、費やさなければならない最低量というものがあるらしく、その最低ラインも馬鹿にならない量だったりする。
それと断定はできないが、その結晶に費やした魔力の量に反比例して成功率も低くなっている気がする。というのも、最初の適合者である風牙を出すのに四〇回以上試してようやく成功したのに対して、その次から費やす量を減らして実験したところ、一〇回弱程で二体の適合者が出て来た為だ。
もっともこれはまだ検証数が少ない上に、種族や個体差といった要素によっても成功率が左右される可能性もある為、確定事項と言えるには程遠くもあるのだが。
ともあれ、まだまだ利用価値の高かった風牙を、この段階で失ったのはかなり痛い。
度重なる実験の為に費やされた魔力は相当な量になっており、度々狩りを行って簒奪したりはして来たが、それでも比べてみると明らかに保有上限量は脱走前日の時よりも少ない。
まあ実戦経験などを積んで魔力運用能力や、その他の能力が向上した事を踏まえれば最終的な収支はプラスに傾くのも事実ではあるが、それでも風牙の協力があれば、損失の補填はもっと進んでいた筈だ。
「噂の高位冒険士とやらにでもやられたか」
民間や国を問わず、協会を介して報酬と引き換えに様々な依頼をこなして生計を立てる職に就く者を、一般に冒険者と言うらしい。
その冒険者の中でも、特に荒事専門の冒険者を冒険士と呼んでおり、元軍属の者も多数所属している戦闘のエキスパートであるのだとか。
ただ冒険士の全員がそうであるという訳でもなく、個々の実力については協会側から厳しく査定されており、その実力に応じた位階が授けられているとの事。そして謳い文句のエキスパートというのは、その冒険士の中でも高位の位階の持ち主の事を指すらしい。
全て又聞きな為にイマイチ実感は沸かないが、少なくとも低位の冒険士たちは今までに何度も風牙に狩られていたという点と、その狩られた冒険士から聞き出した限りでは、風牙程度は高位の冒険士が動けば簡単に滅ぼせると言っていたのは推測材料となるだろう。
「どうするか……」
欲を張れば、もう少し風牙の奴を手駒として活用して、力を蓄えたかったのが本音だ。だが風牙が何者かにやられたというのならば、あまり悠長にもしていられない。おれの存在が漏れる事は十分にあり得るし、現段階から漏れても全く問題ないのだが、それに対してどんな対応を取って来るのかが不透明な為だ。
少なくともおれの存在は漏れても、おれの顔が割れる事はあり得ない。風牙に対しても常に変装の魔術を発動した上で対面しており、本来の顔どころか姿そのものを怪物に変えていた。そして風牙がその事に気付けていないのだから、おれの姿形を特定するのは不可能と見て構わない筈だ。
かと言って、見付かっても大丈夫だという保証もない。一年以上経過しているが、おれの扱いが街ではどうなっているのかが不明な為だ。さらに付け加えるのならば、奴隷の管理から外れている半人半魔の扱いというのもイマイチよく分からない。尋問した奴は、そんな奴にそもそも会った事がないらしかった為に何の手掛かりもない。
「……となると、街に行くのが最善か」
ややリスキーだが、それが一番合理的なように思える。少なくとも現状において、おれには自分を除いて戦力となりうる手駒が無いのだから。
風牙の後に結晶に適合した二体も、風牙が殺されるよりも遥か前に死んでいる。
小次郎と名付けた、風牙の後に適合したやたら胴長で筋骨粒々な野犬は、最初こそ近隣の同族を従えてボスに君臨したものの、慢心したんだか何だかは知らないが奥の方に進んで行ったきり戻って来なかった。
その次に適合した醜悪な豚人間ことオークは、適合した瞬間に何を勘違いしたのか襲い掛かって来た為に返り討ちにした。お陰でそいつには名前すら付けていない。
そういった理由で手駒が皆無なのがおれの現状だ。ますます風牙が死んだのが惜しい。
「さてと……」
そうと決まったら、さっさと準備を始めるか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
街に入る事自体は簡単だ。魔境の森に隣接している都合上外周を壁で囲むのは仕方が無い事だが、時代錯誤も甚だしい通行許可証なんてものもなければ、検閲なんて面倒なものもない。
考えてみればそれも当然で、そんな面倒な事をイチイチやっていると、人の流れの回転が悪くなって仕方が無い。そしてそれは、結果的に街の損失にも繋がるからだ。
まあさすがにノーガードという訳にもいかないため、最低限の見張りという名の守衛が、門番として立ってはいる。しかしそれとて、余程怪しい素振りを見せている奴や、出回っている手配書に似た顔をした奴でない限りは声を掛けて来たりはしない。
挙動不審になるからやましい事あるのではと疑われるのであって、やましい事があっても堂々と胸を張って歩けば、向こうだって滅多な事が無い限りは疑って声を掛けて来やしないのだ。
「おい、そこのお前」
まあ、滅多にという事は逆に言えば、ごく稀にそうならないという事もある訳でして。
運が悪かったと割り切るしかないか。
「何か?」
「お前、変装の魔術を使っているだろう」
前言撤回。運が悪かったんじゃなくて、おれがマヌケだったというだけの話だ。
一応術式の隠蔽も頑張ってやっていたのだが、ぶっちゃけた話、相手の事を所詮は門番をやらされる程度の奴と無意識のうちにどこかで舐めていた。
「今ここで解除して見せろ」
「分かりました」
とは言え、全く想定していなかった訳じゃない。
身に着けていたものを、上半身の服も含めて脱ぎ捨てる。そして心外な事に、武器をいつでも抜けるように構え始めた門番二人や、ざわついて距離を取り始めた周囲の連中の目の前で、相手の言う事に素直に従って魔術を解除する。
ただし、一部だけ。
「これで良いですか?」
「それは……」
現れたのは、左胸を中心に胸部全体から左の脇腹と前腕、そして首筋にまで及んでいる酷い火傷の跡。
忌々しい隷紋を消し去るために負った傷は、今も消える事無くおれの体に刻まれていた。
「残りも解除した方が良いですか? 正直、あまり人に見せて気持ちの良いものではないのですが」
物憂げに言ってみせると、周囲の者たちも徐々に同情の乗った声を各々で漏らし始める。それらの声は明確に誰かに対して向けられた訳ではないが、それでもその場の空気の流れが、特定人物に向けてそれらの声を押し流していく。
「……いや、必要ない。無神経な事をしてしまい、すまなかった」
彼らも周囲の自分たちに対する心象が急速に悪くなっていくのを、気付かないで居られるほど鈍感ではなかったらしく、気まずそうに、あるいは申し訳なさそうにそう言って来る。おれもその言葉に甘えて術式を組み直し、火傷の跡を隠蔽。脱ぎ捨てた装備を再度身に付けていく。
世の中を動かすのは、いつだって世論だ。それさえ身に着けてしまえば、多少の無理など簡単に押し通る。それが明らかに間違っている事であってもだ。
まさに数は力という奴だ。おれは少数派に属している存在なのだが。
「さて……」
無事に街に潜入できたところで、こなすべき優先順位の高い事項と、それを達成するのに必要な事柄を頭の中に列挙していく。
まず真っ先に必要なのが情報だ。特に必要なのが森に関する情報と、もし何か街の連中が森に異変があったと認識している場合における、森に対する動向。それと可能ならば、一年前のおれの脱走がどんな扱いなのかも知りたい。
そしてそれを達成するのに必要なのは、まず金が挙げられる。素人のおれに情報収集なんて芸当ができる訳がないのは自明の理で、それならば金を支払って教えて貰った方が建設的だ。
あと、情報を手に入れる時は、できる限り自分に関する情報が知れ渡らないように細心の注意を払う必要もあるだろう。背格好や顔立ちといった情報は勿論、おれがどういった情報を求めていたのかという点についても。
神経質になり過ぎかもしれないが、おれに関するどんな情報が、どんなところから漏れるか分かったものじゃない。
仮に何か情報が漏れたとしても、おれみたいな小物に関する情報に執着するような者が居るとも思えないが、念には念を入れるに越したことはない。
それらを踏まえた上で、おれが取る事のできる行動はかなり制限される。
「まあ、ある意味では好都合か」
目的に合致している建物の扉を潜り、中に入る。
外見こそ他の建物と比べてやや大きい程度だが、内部に仕切りは殆ど無く、開放的な倉庫のような構造をした建物。その内部では何人もの人々が肩に荷物を担いで忙しなく動いては荷馬車に運び込んだり、あるいは多種多様な物品を仕分けして置いたり、あるいは乱雑に詰まれた物品の山を前に真剣な表情で検分している光景などがあった。
「ようこそいらっしゃいました。本日は我が商会に、どのような御用で?」
「物品の買取を頼みたい」
「……畏まりました」
入った建物は、街にいくつも存在する商業組合の一つが利用しているものの一つだった。
ここで顧客から持ち込まれた物品の査定を行って買取をし、あるいは仕入れた商品を保管し、場合によっては直接ここを訪れた顧客に注文に応じて提供したり、あるいは傘下の店舗へと必要に応じて卸したりしているらしい。
おれが訪れたのも、ここで直接持ち込んだ物品の査定を行ってもらい、買い取って貰うためだ。
別に物品の買取自体は、ここや他の商業組合でなくとも、大陸中に存在する冒険者協会とかいう組織も大体的に行っているらしい。というか、大抵の者は殆どの場合においてこちらを利用するのだそうだ。
というのも、商会ができる限り利益を上げる為に値切るのに対して、協会の方はマージンを取られこそするものの適正価格で買い取ってくれるからなのだそうだ。
ただおれの場合は、主に協会側で買い取っているのは魔物の素材といったものであるのに対して、おれが持ち込んだのはおれや風牙が仕留めた人間が身に着けていた物品が大半を占めるのと、何より協会側はそういった類の物品の持ち込みに非常に厳しいと聞いているからだ。
主に強盗行為によって得た物が換金させるのを防ぐ為だと言うのだが、正規の手段で手に入れた訳ではないおれにとっては厄介極まりない。
その点商会側は、安く買い叩かれる可能性が大いにあるものの、一方で滅多な事が無い限り出所を探られたりする事も無い。その辺りの事情も協会側が適正価格で買い取るようにしている事に関係しているらしいのだが、ともあれ、おれにとっては商会側の方が都合が良いのが事実だ。
おれの姿を見て近付いて来た、仕立ての良い衣服を纏った中年に差し掛かった風貌の男も、おれが買取を頼むと一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべるもすぐに引っ込め、営業用の笑顔を浮かべて持ち込んだ物品を査定し始める。その大半が、そこら辺にそうそう転がってはいない金品が占めていてもお構いなしだ。
利益が出せる可能性のある物品ならば、出所は問わないという事なのだろう。
「これくらいになりますが?」
提示して来た金額が、適正価格なのかどうかを見極める知識はおれにはない。
ただ、眼前の男がかなり値切っている事は分かった。というよりも、表情を読み取る限りにおいて、眼前の男が嘘を吐いているという事が分かると言った方が正確か。
まあ即金で貰えるのならばどのくらいの金額だろうと文句は無いが、あまり安く買い叩かれすぎて、変に相手の印象に残っても困る。かと言って適正価格に近付け過ぎるのも問題だが、ひとまず値段について相談してみる。
「……でしたら、このぐらいでどうでしょう?」
「それで頼むよ」
次に男が提示したのは、その前の一割増しの金額。それでもまだまだ値切られているらしかったが、一度価格を釣り上げられれば十分だろう。
納得したという事にして、金の入った袋を受け取る。既にこれまでに人間から奪ってきたのと合わせれば、当面の資金はこれで問題ないだろう。
商会を後にして、いよいよ本腰を入れて情報収集をする事にする。探すのは当然、脛に傷のある連中だ。
別に情報を売り買いするような、本物の専門家を見付ける必要は無い。そんな奴と顔を合わせた瞬間からどんな事になるか分かったものじゃないし、何よりも何の伝手も無いおれに、そんな奴を探し出すのは不可能に近い。
加えて、あまり深い情報も必要ない。あくまで世間一般が認知しているレベルから、少し掘り下げた程度のもので良い。それくらいの情報ならば、適当にスラム街みたいな場所を探し出して、そこにたむろしている日の下を歩けないような連中から簡単に聞き出せるだろう。むしろ欲を掻いて、情報を集めるのに時間を掛ける方が遥かに危険だ。
そして何より、そういった連中の方が後々口を塞ぎやすい。元々おれは軍に売却が決定していたのだし、実際に下位の冒険士とやらも軽く捻れていた。それぐらいの事を達成できるだけの力はある筈だ。
「っと、痛えな」
「あっ、ごめんな、さ……」
唐突に人にぶつかり、反射的に謝罪の言葉が口から出そうになって、注意力が散漫になっていたのは事実だが、それでも人にぶつかったという事に違和感を覚えて途中で一端途切れさせる。
そしてぶつかった相手を目にして、出掛かっていた言葉も完全に呑み下される。
「何だ、最近のガキはちゃんと謝る事もできないのか?」
「おいガズス、子供を相手に何絡んでんだよ」
そこに立っていたのは、赤銅色の髪を無造作に撥ねさせた、おそらく一八〇の後半はある長身の男。
そしてそのすぐ傍に立つ、二メートルは超えているであろう巨躯の、顎に傷跡のある禿頭の男。
このうち赤銅色の髪の男が少しだけ膝を折り、おれの顔を至近距離から覗き込むように顔を近づけて来る。
「お前、オレ様と似た臭いがするな。本当に人間か?」




