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プロローグ

 黒い天井に白い壁、そして青い床。それがこの部屋を構成する大まかな色だ。

 おれを始めとした存在は上から落ちて来て、それまでの生の全てを黒く濾し出され、真っ白な状態でこの部屋に望み、そして真っさらな青へと染まって堕ちて行く。この部屋の色の構成には、そんな意味があると聞いている。


「そろそろ転生する覚悟は決まったか?」


 背後からは、すっかりお馴染みとなった声。振り向けば、ずっと変わらない姿がそこにある。


 金髪をオールバックに撫でつけ、素肌の上から革のジャケットを羽織って椅子に深く腰掛けて踏ん反り返った男。

 顔には幾つかの傷跡があり、その上からサングラスを掛けているため、ぱっと見堅気には到底見えない。

 しかし、右手で広げられている聖書だけが、その印象を裏切っていた。


「チッ、またオレの事が載ってねえじゃねえか」


 バサリと聖書を青い床に投げ捨てる。その行為を罰当たりだと咎めることは、誰にもできないだろう。

 何故なら、この堅気には見えないこの男こそが神だからだ。


「聖書ってのはよぉ、毎年毎年発行されるくせに、どうして位の低い連中か、そうでなけりゃ存在すらしないでっち上げの神についてしか書かれてねえんだよ?」

「そんなの決まってる。信仰する大衆にとって、実在するという仮定の上で自分たちに益を齎してくれたりウケが良いもの以外は、比較的どうでもいいからだ」

「オイオイ、オレは転生神だぞ? 益もあるし、ウケだって良いだろうが」

「転生を司るってだけじゃ、大衆にとってはあまり益があるようには思えないんでしょ。益があるかどうかを判断するのも、ウケが良いかどうかを判断するのも、神じゃなくて人間なんだから」

「気に食わねえな」


 この男は自分でも言うとおり、神で転生を司る転生神だ。

 アキュラ・カルメラ・ルドフォン・ドルーギ・エルレイン・ロッソとかいうクソ長ったらしい名前をしたこの神とは、もう一〇年以上の付き合いになる。

 数日ごとだったり、あるいは数週間ごとだったりと極めて不定期だが、事あるごとにおれをこの部屋に呼び寄せては転生を勧めてくる。


「いい加減お前みたいなのにうろつかれてると、オレの査定にも響くんだよ」


 おれは有り体に言えば、幽霊だ。何を言っているんだと思うかもしれないが、事実なんだから仕方が無い。

 生前の記憶はなく、自分の名前も分からない。だがそれは、忘れているからという訳でもない。


 物心ついた時には、既に幽霊だった。体が透けて宙に浮いた状態で、ベッドの上で機械を取り付けられた自分の体を見下ろしていた。

 所謂、植物人間という状態だ。


 通常、おれみたいな霊体になって現世(うつしよ)に留まっている魂は、死神が狩り取ってその地区を担当する転生神の元に運ばれ、即座に転生させられるらしい。その為、現世に未練のあるやつは死神に見つからないように隠れながら生きて(死んで?)いるらしい。

 ところが、おれみたいに体が綺麗なままで霊体になっている魂は、規則で狩る事はできないらしい。

 生き返られる可能性が、僅かながらあるからだ。

 その為、こうして自分の元に呼び出す事はできても、転生させるには本人の同意がなくてはならない。転生神に強制力はないのだ。


 しかし転生神側にとって、おれみたいな幽霊は目の上のタンコブらしい。

 転生神が各自担当している地区内に、転生せずに留まっている魂が多いと、上司に減点を食らうらしい。そして減点が重なると、詳細は知らないが本人(本神?)にとって余り都合が良くないとのこと。意外と神の世界も、かなりシビアなようだ。


 おれが幽霊になってからかなりたったが、未だおれは現世に留まっている。

 おれの本体には、特に変化はない。日に一度、看護婦の人に体を拭かれ、点滴の中身を追加され、何度か体の向きを変えられて終わりだ。それ以外に、顔を合わせる相手はいない。

 こうして延命させられているという事は、誰かしらが支払いをしているという事だが、不思議な事におれの見舞いに来る人は誰もいない。

 だからおれは自分の名前も知らないし、もっと言えば愛されているのかも分からない。

 一体どうしてそんな状態になったのかも分からないし、何故生かされているのかも分からない。


 一度、自分が何なのか、外に手掛かりを探しに行こうとした事がある。だがそれは、即座に断念させられた。

 出られないのだ。病院内から。

 体がある為に浮遊霊にすらなる事ができず、体が置いてある病院内に縛られているのだと、病院内を彷徨う魂を狩りに来た死神さんは言っていた。


 ともあれ、病院内から出られないおれの娯楽といえば、入院患者が読む本を覗いたり、テレビを見たり(チャンネル権はない)、後はたまに見かける死神さんと話し合ったり、同胞の居場所を密告したりするぐらいしかない。

 それをもう一〇年以上――二〇年近く続けている。


 体の成長に合わせてか、おれの霊体の体も大きくなっている。年月なんて数えてないが、多分本体の肉体年齢は二〇歳を超えていると思う。

 それだけの年月を、おれは霊体のままで過ごしている。


 転生するつもりは、まだない。

 別に今の生活が気に入っている訳じゃなくて、転生したくない理由があったからだ。


 この部屋に最初に連れて来られた時、おれはアキュラに言われた。


「さあガキ、転生先を選べ。つっても、選択肢は三つしかないがな。

 この世界か、別の世界か、魔界の三択だ。好きなのを選べ。

 ただし、お前は今回の生ではまるで徳を稼いでいない。つっても、カルマも稼いでないんだがな。ともかく、そのお陰で、どの世界に転生しようが、転生できる存在は限られてるぜ。

 参考までに教えておくと、この世界の続投を望んだ場合、転生できるのは木か花の二択だな。木を選んだ場合、さらにクヌギか杉のどちらかを選べる。花を選んだ場合、パンジーかタンポポかチューリップのどれかを選べる。どうだ?」


 勿論、そんなのは子供だった自分でも嫌だと分かったので、はっきりと拒否した。


「なら別の世界か? お前が選べる世界は一つだけだが……喜べガキ。この世界ならお前は人間として生きられるぜ。ただし、生まれた瞬間から奴隷で、一生そのまま扱き使われるのは確定だがな」


 やはり子供心ながらに嫌だと感じたので、再び拒否した。


「となると、残ったのは魔界だな。転生するとなると……植物にすらなれないな。魔界じゃ割りと植物ってのはレアだからな。お前でなれるのだと……インプ一択だ。個人的にはあまりお勧めはしない。碌な力も無い上に、人間の奴隷のほうがマシだと断言できるぐらいに徹底的に虐げられるからな」


 まだ当時のおれはインプが何なのかを理解していなかったが、人間の奴隷よりも酷いという事は理解できたので、やっぱり拒否した。

 するとアキュラは、いきなりブチ切れた。


「あれもやだ、これもやだ、どれだけ我が儘なんだよテメェはよ! 一体何様のつもりだ!」


 今にして思えば理不尽極まりない怒りだったが、当時のおれにそこまで理解できるだけの余裕など無く、その道の人にしか見えない強面に凄まれた事による恐怖に泣くだけしかできなかった。

 アキュラからすればそれは耳障りな事極まりなく、とりあえず病院に、即効で送り返した。

 が、おれはそれでも尚の事泣き続けた。恥や外聞などその時は持ち合わせてもいなかったが、今にして思えば情けなさ過ぎて頭を抱えてしまうぐらいみっともなく泣いていた。

 余りにも酷すぎて、たまたま通りがかった死神さんに心配されて慰められるほどだった。


 ただ、結果的にはその行為は正解だった。

 慰められてようやく泣き止んだところで、死神さんはおれに何があったのかを尋ね、おれは自分の体験した事をありのままに全て打ち明けた。

 話を静かに聞いてくれていた死神さんはまるで自分の事のように憤り、次におれが置かれていた境遇について懇切丁寧に説明してくれた上で、一つの抜け道を教えてくれた。


 転生神は、おれのような魂に対する強制力を持たない。かと言って、放置しておけば後々の査定に響いてくる。その事を嫌う転生神はかなり多く、転生をある程度優遇してくれるとの事。

 その事を知ったおれは、アキュラから譲歩案を引き出すまで現世に留まる事と、同時にその事を教えてくれた死神さんの仕事に協力する事を決心して、今に至る。


「テメェも大概頑固だよな」

「譲歩案を提示してくれれば、即座に転生してあげるよ」

「チッ、死神のクソ共が、余計な入れ知恵をしやがって」


 譲歩案を提示してくるのは、数年から数十年掛かる事もあるというのは死神さんから聞いているので、未だにアキュラが提示してこなくとも、おれに焦りは無い。

 今回も譲歩案を提示してくれないのなら、さっさと転生を断って、元通りの場所でノンビリ気長に暮らすだけだ。

 

「そんなお前に朗報だ。今回の査定で、上に警告を喰らった。次の査定までにお前を転生させなきゃ、オレを降格するそうだ」


 アキュラが虚空から分厚い冊子を取り出し、ページを捲る。


「お前のお望み通り、譲歩案を提示してやる。ただし、譲歩っつっても本来はルール違反行為だ。多少は大目に見られるが、余り大っぴらにやればオレだけじゃなく、お前まで処罰の対象になる。仮に提示条件が気に入らなかったとしても、受け入れろよ」

「それは選択肢次第だよ。そっちに強制力はないのをお忘れなく」

「クソガキが……」


 心から忌々しそうにアキュラが吐き捨てる。


「まず続投の場合だが、選択肢にヒノキとネズミが増える」

「前も思ったけど、何で地球はそんなに厳しいのさ」

「地球は、他の世界を経験した事がある奴らに人気なんだよ。碌な争いもなく、文明が高度に発達している。平和からは程遠い他の世界と比べて、雲泥の差だからな。

 そもそも、続投に碌な選択肢がないのはお前のせいだろうが」

「前世で稼いだ徳を、転生に全て費やしたからでしょ? 程々にして徳を繰り越しておけば、今回みたいなケースでも繰り越し分を消費してまともな選択肢を増やせた。もう耳にタコができるほど聞いたよ」


 そう、少なくともおれは今回の人生において、生まれた時点でのハイスペックなステータスは約束されていたのだ。

 ところが、生まれてすぐに脳死になって、そのハイスペックなステータスを発揮する機会を失うのだから、人生というものは何が起こるか分からないと、つくづく実感する。

 こんな事になるのが分かっていれば、徳を全て消費するなんて愚挙は犯さなかったというのに。


「そんな事をいくら言われたところで、おれに前世の記憶なんてないんだ。何も言えやしないよ。アキュラがおれに前世の記憶を思い出させてくれるっていうなら、話は別だけどさ」

「それこそ無茶な話だ。意図的な記憶の引き継がせは重罪だ。降格で済めばいいが、オレの地位じゃそく削除デリートだ」


 偉そうな態度を取ってはいるけど、アキュラの地位は実際はかなり低いらしい。

 その事を昔アキュラ本神に訊ねたら「確かに転生神の中じゃ地位が低くいがな、転生神自体が神の中じゃ地位が高いんだよ」と負け惜しみをのたまっていた。


「それで、続投するか?」

「まさか」


 ネズミになったところで、碌な徳を積める気もしない。


「なら、次は異世界になるが……生まれが少しばかり上等になるな」

「平民とか? それなら構わないけど……」

「馬鹿言え、生まれた瞬間から奴隷は確定だ。ただ、片親が魔族――しかも悪魔になる。ただの奴隷よりは力が強くなるな。その分別の方向に酷使されるが、上手くやれば脱走できるかもな。

 ま、個人的にはお勧めはしない。脱走した奴隷の末路は想像できるだろ? 一生追い掛けられて殺されるのがオチだ。

 んでもって、最後に魔界に転生する場合だが、インプに転生するのは変わらないが、特典として成り上がりの素質が僅かに加算される。進化ってのが一番近いな。できるかどうかは完全に運任せで、確率も極僅かだが……個人的にはこれがお勧めだ。上手くやれば、徳――は諦めろ。悪魔が徳を積むのは至難の所業だからな。だがカルマを一気に稼ぐ事は可能だ」


 転生の際に必要となる徳やカルマは、別に相反するものという訳ではない。

 転生した世界で、その世界に対して正の影響を与えた場合は徳が。負の影響を与えた場合はカルマがそれぞれ貯まる。

 そして転生の際に、徳を消費すれば正の存在に。カルマを消費すれば負の存在に、それぞれ転生できるのだ。


 だが当然ながら、存在そのものが矮小では、余程の事がない限り徳もカルマも貯める事はできない。

 例えば先ほどのネズミの場合、ペストの大流行の際には大量のカルマが稼げるが、それ以外だと稼げる徳やカルマは皆無に近い。

 稼げて一か二か、間違っても一〇を超える事はないらしい。


「どうする? 魔界に転生するか?」

「……いや、異世界で頼むよ」


 提示された譲歩案は、碌なものではなかった選択肢に、多少の色を加えていた。

 その上で各条件を吟味して、最も自分にとって都合の良い選択肢を選ぶ。


「……お前が転生してくれるならそれに越した事はねえが、本当にそれでいいんだな? 言っとくが、碌な人生にならねえぞ?」

「全然問題ないよ。半分悪魔なんでしょ? つまりそれって、種族が悪魔だって名乗っても良いようなものじゃん。なら、悪魔は悪魔らしく生きるよ。しかも魔界じゃなくて、地上でね。魔界なんかよりも、よっぽど効率よくカルマを稼げるよ。それで、自己の神格化を目指す」

「…………」


 文字通り、度肝を抜かれたという表情をするアキュラがおかしくて、つい吹き出してしまう。


 どの世界に転生しても、存命中に一定以上の徳やカルマを稼いだ存在は、自分の存在を神格化する事ができる。

 要するに、自分自身が神になれるということだ。


 地球で例を出せば、一九世紀にイギリスを恐怖のどん底に陥れた『切り裂きジャック』も、大量のカルマを稼いだ事により最終的には神格化されて邪神となったそうだ。最後まで犯人が見付からなかったのも、既に事件後には犯人が現世に存在しなかったからだという。


「それに……転生神にとっては、転生させた存在が世界に大きな影響を与えると、手柄になるわけでしょ? なら、おれが神格化すればそっちも大手柄になって、降格どころか昇格できるかもしれないじゃん」


 アキュラは目を見開き、次に俯き、肩を震わせる。

 やがて堪えきれなかったのか、震えは徐々に大きくなると共に押し殺された笑い声が聞こえ始め、程なく盛大な笑い声へと変化していった。


「なるほどな、面白い事を考えるじゃねえか。今までそんな事を言い出した奴なんざいなかったぞ? いや、神々のシステムを聞き出すような酔狂な魂がそもそも居なかったんだが……そうか、神格化を目指すか……」


 ニィ、と悪い笑みを浮かべる。人相が人相なので、ひどく似合っていた。


「いいぜ、お望み通り異世界に――『サハリエル』に送還してやる」

「天使の名前を冠する世界とは、皮肉が利いてるね」

「なら皮肉ついでにもう一つ教えといてやる。お前がこれから向かうサハリエルは、おれとは別の転生神が転生させた、神格化した奴が管理している世界だ。魔族の肩身は狭いぞ?」

「上等じゃん。転生しても目的を忘れずに済みそうだ。下剋上してやる」

「ハッ、それでいい。こいつをくれてやる甲斐があるってもんだぜ」


 大体ティッシュ箱程の大きさの箱を、懐から取り出す。

 蓋の上には、見事な筆跡で『成り上がり魔人転生キット』と書かれていた。


「それは?」

「転生ボーナスの一つだ。転生の際に、幾つか有用な特典が得られる」

「いいの? 処罰されるんじゃなかったっけ?」

「バレなきゃいいんだよ。お前の事が気に入った。遠慮なく持っていけ。安心しろ、バレないように保険は打っておく」

「まあくれるって言うなら、貰うけどさ」


 箱を受け取る。手頃な大きさの割に、両腕にはずっしりとした重みが掛かる。


「それで、どうやって転生するの?」

「ちょっと待て」


 パチンと指を弾くと、床の上に突然赤ん坊が出現する。

 泣きもせず、身じろぎもしないその赤ん坊の体色は異常なまでに白く、マネキンで再現したと言われれば納得してしまう程だった。


「こいつはお前が次に宿る肉体だ。お前には今から、その箱ごとこいつの中に入ってもらう」

「入るって、どうやって? 言っとくけど、浮遊霊にもなれなかったんだから、他人に憑依した経験なんてないよ?」

「安心しろ、手伝ってやる」

「手伝うって、一体――」


 何も言わずに立ち上がり、指を鳴らしながら近づいて来るアキュラを見た瞬間、おれは全てを悟った。


「あっ、ちょ、待っ、人間の関節はそっちに曲がらな、やめっ、痛いイタいイタイいたいっ!? 腕の関節は八つも存在しないって、背骨は巻き取れるようにできて、あだだだだっ、ちょっ、本当にやめっ、アッ――!?」


 生まれて始めて感じた痛みは、想像を絶するものだった。

 霊体故に気絶もできず、手足を折り畳まれ、身体を巻き取られ、グシャグシャに圧縮されて赤ん坊の体の中に押し込まれる痛みは、おそらく生きていたとしても一生経験する事はなかっただろう。


 こんなに痛いのなら、そりゃ誰も転生したがらない訳だ――薄れゆく意識の中、ボンヤリとそんな事を思った。




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