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ガルデニアの涙と抱える物







 小さくノックをして、ゆっくりと扉を開ける。

最初に目に飛び込んで来たのはこちらに背を向けて寝台に腰掛けるエルだった。



「エル…悪かった」



 アシルがそう声を掛けると、小さな肩がぴくりと反応した。

しかし一向に振り返る様子を見せないエルに、アシルは表情を曇らせて一歩一歩慎重に歩み寄る。



―――怒っているのだろうか。



 それもそうだ。

反射的にとはいえ、自分はこの少女の小さな手を払い除けたのだ。

それは、エルにとっては"拒否"されたとしか取りようがない行動で。



「…怒ってるのか?」



 エルが腰掛ける寝台の反対側の端に腰を降ろし、後ろを振り返ってそう問い掛ける。

すると、エルは強く首を横に振った。

窓から差し込む光で、金色の髪がきらりと輝く。



「じゃあ何でこっちを見ない?」



 アシルが言うと、エルはまた動きを止めて俯いた。

その様子に、アシルは少し苛立ち始めた。

何か心に靄がかかったような気分に襲われる。


 フィリクスには弱った顔を見せたのに、自分にそんな表情を見せたことはなかった。

いつも感情を押し込めたような表情で、その心の奥底で何を考えているかなんて此方に読ませようとはしない。


 それなのに、フィリクスには見て取れる程の悲しみを晒した。



 考えれば考える程、アシルの心にかかる靄が一層濃さを増していく。



「エル、こっち向いて」



 いつもより数段低い声で言ったアシルに、エルはふるりと首を横に振った。

侍女用のドレスの裾をぎゅっと掴んでいるのがアシルからも見えた。



「エル」



 ギシ、と寝台に上がったアシルが再び低く囁いても、エルは首を振った。

そして咄嗟に立ち上がろうとしたエルの手首を掴み取ったアシルは、そのまま強く引き寄せた。




「――――っ」




 どさりと再び寝台に腰を落としたエルの顔を見たアシルは、思わず息を呑んだ。

肩を震わせて唇を噛み締めるエルの目からは、大粒の涙が止めどなく溢れ出していたのだ。



「エル…泣いてる、のか……?」



 両手で顔を覆いながら嗚咽を漏らすエルの姿に、アシルは心臓を鷲掴みにされたように胸が痛くなった。

震える肩に、手を触れることすらできない。



―――エルが泣いてる



「―――俺の、せいで…」



「……ち、がいます…っ」



 アシルが溢した瞬間、エルは思わず声を上げてアシルの服の胸元を掴んだ。

眉をハの字に足らして悲しげに顔を歪ませたエルは、それでも美しい。

しかしアシルはそんなことよりも他の事に対して目を見開いていた。


 


「エル……お前、話せるのか?」


 アシルの言葉にエルは小さく頷いた。


「黙っていて、ごめんなさい…」


 視線を落とすエルをふわりと撫で、面と向かう様に体勢を直した。

それに気付いたエルも、遠慮がちに視線を上げる。


「何から聞けばいいのか分からないけど…話せる事だけでいいから、話して欲しい」


 真っ直ぐに目を見つめて真剣に言ったアシルに、エルは小さく頷いて再び視線を落とした。



「私は…私の本当の名前は、エルネスティーヌ・アフロディテ・ジラルディエールです」



「ジラルディエール?……まさか…」



「はい。私は一月と少し前、隣国との戦争で亡国となったジラルディエール王国の第二王女です」



 アシルはその言葉に息を呑んだ。

まさかエルが、つい最近亡国となった王国の元王女だったなんて誰が想像できただろう。

顔を驚愕の色に染めているアシルに少し気遣わしげな視線を送ったエルは、再び静かに語り始めた。



 エルの両親は最後まで抗い、そしてエル達の目の前で敵国の王に殺された事。

二人だけ残されたエルとその姉のあまりに美しい容姿に目を付けた敵国の王が二人を手元に置くと決めたことを、敵国の宰相が冷ややかな目で告げた事。

そしてその夜荷造りの最中。

"あの恐ろしい男の慰み者に成り下がるのは自分だけで十分だ"と、姉と侍女達がエルだけを逃がした事。




「"幸せになりなさい"と…お姉様はそう仰いました。今まで…私が共に過ごして来た間で一度も涙を見せなかったお姉様が…っ!目を真っ赤にさせて、肩を震わせて、涙を流しながらそう仰ったんです……!」



 眉根を寄せて酷く苦しそうに、悲しそうにそう吐き出したエルはその両の目に涙を溜めて悲痛な目でアシルを見上げた。



「お姉様を犠牲にして、どうして私だけが幸せになれましょうか…っ!どうして、私だけが、笑って過ごせましょうか…!」



「エル…」



「本来ならまともな生活を送るのも許されないはず…それなのに……私は、アシル様達に出会ってしまった…」



 掠れた声でそう絞り出す様に言ったエルは、両手で顔を覆ってしゃくり上げながら首を振った。



「許されない…許されないのです…!私だけがこんなにも温かい人に囲まれて、何の不自由も不満もなく過ごすなんて!だから、だから表情を消して、言葉を話すのを辞めたんです…っ、人間らしい表情で言葉を交わしてしまえば、このお屋敷の方達と馴染み親しんでしまうから……そんなこと、私が許されるはずがないのに…っ!」



 泣き叫ぶようにそう言い続けるエルから、アシルは視線を逸らす事が出来なかった。

こんなにも弱く小さい少女が背負っていた哀しみと苦しみの大きさに、初めて気付かされた。



 エルが抱えていたのは、哀しみだけだった。

あまりにも大きいそれにきっとエルの心は耐えきれなかったはずだ。

目の前で自分の両親を殺された挙げ句姉を親の仇である人間に奪われ、そして自分だけが全てから守られ逃がされた。


 それなのに、エルはこの屋敷でずっと自分の殻に閉じ籠ったままで弱音一つ溢さずに、その哀しみを一人で抱えてきたのだ。

それに気付けなかった自分を、心の底から憎く思った。



 そしてそれと同時に、目の前で震えて泣き崩れるエルを。

あと少しでも傷が付けば簡単に壊れてしまいそうなこの弱々しい少女を、守ってやりたいと思った。



 思わず手を伸ばして、か細い身体を掻き抱いた。




「エル…お前は幸せになるんだ。俺が、お前を幸せにする」






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