8.恐怖の「逆やおい」
ご無沙汰でした。
さて、久しぶりの更新ですが、しばらくの間にかなりの経験を積むことができました。
あまり好きではないな、というような書き方をしてる小説を読むとすごく参考になります。
ではいきなりタイトルどおりにはじめようと思います、恐怖の「逆やおい」について。
「やおい」=「やまなし、おちなし、意味なし」ですが、これに関しては以前少し話をしましたね。イベントやテーマではなく、純粋に作品世界のみで書く小説のことです。
というわけでその正反対である「逆やおい」については、「やまだけ、おちだけ、意味だけ」となるわけです。
具体的にどういうことか、説明していきましょう。
逆やおいの作品、というのはそれなりに巷に流布していますが、この形式で面白い小説を書こうとするとかなりのスキルが必要になってきます。
にもかかわらず、初心者の(それも少年漫画指向の)小説というのが、ともすればこの形式になってしまう傾向が強いようです。
例えばここに、こんな物語があったとしたらどうでしょう。
1.主人公「母親を殺した魔王を倒しに行こう」
↓
2.魔王「主人公、お前は伝説に記された神の生まれ変わりで英雄の子孫でお前の父親は私だ!」(←「やま」)
↓
3.主人公、魔王と一緒に自爆(←「おち」)
↓
4.主人公の友人「愛情がすべてに打ち勝ったんだ……」(←「意味」)
……どうですか?
少なくとも私は、この話を最後まで読める気がしません。
別にファンタジーとして破綻している訳ではない、と思います(ファンタジーにしたのは単純に分かりやすいからで、主人公が改造人間だったりしたらSFになります)。にもかかわらず、全体から「だめなオーラ」が出ているのは何故でしょう。
ここまでの内容を読んでくれた方なら、「世界観がない」「主人公に弱点がない」という辺りはすぐに思いついて頂けるかもしれません。そういう人はとてもすごいと思います。私は勝てません。
そうですね、世界にも主人公にも魅力がないとなれば、なかなか最初の一行を読む気にはなれません。この主人公がいくら「常軌を逸した能力」という魅力を持っていたとしても、残念ながら物語の中ではそれは「ありふれたこと」であって、「没個性」にも繋がってしまうのです。
また先ほどの説明には、風景や人物の見た目に関する描写が何一つありません。これはとてもとてもよくない事です。よくある田舎町ならばよくある田舎町なりの風景というのが必ず存在するはずで、例えばそこに「村外れには水車があって」とか「畑の真ん中に黄色っぽい案山子がぽつんと立っていて」とかいう何気ない描写が加わると、一気に物語世界が読者に近いものになってくるのです。
さらに、そこに出てくる主人公が「背が低くて子どもっぽい顔」なのか「金髪の美少年」なのか、また主人公の友人はどうなのか詳しく考え、描写していくと、生き生きした風景が浮かんできます。
しかし、こういう描写にはもちろん「やま」も「おち」も「意味」もありません。つまり、情景描写や人物描写をギリギリまで削った小説、それが「逆やおい」なのです。
絵付きで考えると、逆やおいの小説というのは「喋っている人物の顔アップ」という図で大半が構成された漫画だと考える事が出来ます。情景がいらないなら他に必要な絵は「人物が他の人物に影響を与えているところ」だけですから、アップの比率はかなり高くなります。
これでは、いくらコマの大きさに差をつけてもいい漫画だとはいえないでしょう。
ただし、もちろんその良さを生かす事は出来ます。没個性さ、情景のイメージしづらさが上手く作用すれば、面白く書ける事はあります。
ただそこに、前述の作品のような非常に抽象的な「意味」をつけること……それは、とても難しいと思います。
小説における「意味」は、決して「友情」とか「愛情」とか「夢」とか、そういう抽象的なものだけでは作れないのではないか、と私は考えています。
悲しいことに人間は、物事が具体的ではないと感情移入することが出来ません。そのため、「逆やおい」のようなイベント先行の書き方ではなかなか主人公の気持ちが伝わりにくいのです。
現在、世の中にはありとあらゆる物語が満ち溢れています。その中で自分の作品を意義あるものにするためには、作品世界をどんどん具体的に、オリジナルにしていかなければならないと思うのです。
「冒険」「魔法」「秘密」……決して魅力がないわけではない単語ですが、それだけでは今や何の意味もありません。逆に、「この町」「この人物」といった物語要素は、作者にとってはあまりにもありふれたものですが、読者をひきつける大きな要因がこちらにあるのです。
次回は、もっと具体的なレトリックについて。