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Page-01 開かずの本

「う~ん? どうなってるんだろ?」

 午前中の授業を終えた昼休み、来栖月葉くるすつきはは教室の窓際にあたる自分の席に腰掛けて難しい顔で唸っていた。

 開け放たれた窓から初夏の温もった風が入り、セミロングに伸ばした髪を靡かせる。今日は髪留めをつけ忘れたため、前髪が目の上でチラついて微妙に鬱陶しい。

 いつもつけているお気に入りの髪留めを忘れるほど、月葉は今朝から別のことが気になって仕方がなかったのだ。

 その『気になって仕方なかったもの』は今、机の上に置かれている。

 本だった。

 それも辞書のように分厚くて重みのある本だ。薄汚れた焦げ茶色の表紙には、アルファベットとは違う見たこともない文字でタイトルが書かれている。世界史の授業で見た楔形文字になんとなく似てなくもない。

 月葉は意を決した表情になり、本のページを捲ろうとするが――

「うぐ……あーもう、やっぱり無理かぁ」

 そう、この本、どうやっても開かないのだ。接着剤かなにかでくっつけられているわけでも、実は本の形をした別物というわけでもない。まるで開こうとすると一ページがトン単位で重くなったかのようにビクともしないのだ。今朝から月葉を悩ませている原因はこれである。

 私立凛明高校に入学してから二ヶ月、個人的な悩みを学校にまで持ち込んだことなどなかった。一体、この本はなんなのだろうか。

「やはやは、月葉、さっきから眉間に皺寄せてなにしてんの?」

「せっかくの可愛らしいお顔が台無しになってますよ」

 腕を組んで黙考していると、二人の女子生徒から声をかけられた。

「あ、理音ちゃんに依姫ちゃん。えーとね、ちょっと訊いてほしいんだけど」

「なにかななにかな? あ、もしかして恋のご相談かい? ふふん、だったらばこの理音様にお任せあれ!」

 底なしの明るい声で盛大に勘違いしている彼女は、八重澤理音やえざわりおん。整った小振りの輪郭にパッチリとした大きな目、青みがかった長い黒髪はうなじの上辺りで一つに結わえている。制服のブレザーは見事に着崩し、丈を短くしたスカートは明らかに校則違反しているが、週に一度抜き打ちで行われる服装検査にはなぜか一度も引っかかったことのない曲者だ。

「え? 本当ですか? 月葉さんにもついに春が来たってことですか? お相手はやっぱり椎橋陽しいばしようさんとかですか?」

 丁寧でゆったりとした口調とは裏腹に、どこか瞳を爛々と輝かせて詰め寄ってきた彼女は紀佐依姫きさよりひめ。肩甲骨辺りまで伸ばした髪をソバージュにし、理音とは真逆にきっちりと制服を着こなしている。本人があまり話さないためよく知らないが、彼女は紀佐財閥のご令嬢――つまり大金持ちのお嬢様だとか。

 八重澤理音は高校から、紀佐依姫は中学時代からの気の合う友人だ。

「もう、そんなんじゃないよ。これ! この本について悩んでたの!」

 月葉は机に置いてあった本を両手で持ち上げて友人たちに示す。二人はまじまじと本を見詰め――色恋沙汰じゃなかったことに興醒めしたのか、ふう、と自分を落ち着かせるように息を吐いた。

「ずいぶんと古い本ですね。わたくしのお爺様が喜びそうです。それで月葉さん、この本がどうなされたのですか?」

「開いてみたらわかるよ」

「さ、触ってもよろしいのですか!」

「え? なんでそんなに嬉しそうなの依姫ちゃん? 触っちゃダメなんて言わないよ」

 依姫の反応を怪訝に思いながらも月葉は本を手渡す。依姫は恭しく両手で受け取ると、なぜか恍惚とした表情で本を眺めた。それから表紙に細い指をかけて捲ろうとし――固まる。

「……ひ、開きませんね」

「そういうこと」

 ぐぐっと力を込める依姫だが、彼女の華奢な手では数ミリたりとも表紙は持ち上がらない。中学で空手部に所属していた月葉でも無理なのだ(人数合わせの幽霊部員だったが)。

「ふんふん、ちょいと貸してみ依姫。今度はあたしがやってみるよ」

 と理音が依姫から本を引っ手繰り、その表裏を探偵のような顔で検分する。

「本当だ。どのページもピッタリくっついちゃってる感じだね」

 それから理音はコッコッと本をノックするように叩き、「とりゃっ!」と天に放り投げ、ブンブンと高速に振り回したりもする。が、やはり本は捲れる気配を見せない。

 それに少々ムッとした様子の理音は、次に本の表紙に手を添え、

「開けゴマ!」

 秘密の洞窟の扉が開きそうな呪文を恥ずかしげもなく唱えた。

「……」

「……」

「……」

 もちろん、開くわけがない。

「フ、フフフ、フフ」

 怪しい笑い声が俯いた理音の口から漏れる。どうしたのかと月葉が彼女の顔を覗き込もうとすると――

「うぉおりゃあぁあああああああああああっ!!」 

 額に青筋を浮かべた理音が引き裂く勢いで強引に本を捲ろうとし始めた。

「――って理音ちゃんそれ破れる!? 破れるからやめて!?」

「うるさいうるさい! こうなったらどうやってでも中を見てやるんだぁーっ!」

「落ち着いてください理音さん!」

 月葉と依姫が慌てて止めに入っていなければ、本は四階にある教室の窓から放り捨てられた上、焼却炉にまで運ばれそうだった。

 何事かと注目してきたクラスメイトたちに三人で平謝りする。

「それにしても、どんなに乱暴に扱っても傷一つついていませんね。不思議な本です」

「もういいじゃん、月葉。捨てちゃいなよそんな本。読むことのできない本に価値なんてないよ。古本屋だって買ってくれないと思うね。汚いし」

 ぷいっと本から視線を反らす理音は完全にへそを曲げていた。

「でも、私、どうしてもこの本の内容が知りたくて」

「どうしてですか?」

 小首を傾げて訊ねてくる依姫に、月葉は本の背表紙を見せた。

「ほらここ、擦れてるけど『来栖杠葉くるすゆずりは』って書いてあるよね? これ、私のお母さんの名前なんだ」

「月葉のママって確か、十年くらい前に死んだんだっけ?」

「理音さん、言葉がストレート過ぎです」

「あ、ごめん」

「いいよ、別に。数えるほどしか会ったことなかったし」

 来栖杠葉――月葉の母親は、海外で作家活動を行っていて家には滅多に帰って来ない人だった。取材中になんらかの事故に巻き込まれて亡くなったらしいが、当時五歳だった月葉にはかろうじて名前を知っている遠い親戚が亡くなったのと同じ感覚だった。

 父親曰く、優しくて綺麗でカッコいい、生まれ変わったならもう一度出会って結婚したい人だそうだ。確かに写真で見る母親はその辺の女優よりも綺麗だった。そんな人と結ばれたのだ、父親が再婚しないのも頷ける。

「私、お母さんの書いた本って読んだことも見たこともないんだよね。たまたまうちの倉庫でこれを見つけて、なんか気になっちゃって。お父さんも知らないって言うし」

 今さら母親のことを知りたいと思うのは、遅いのかもしれない。けれど、自分をこの世に誕生させてくれた人が残したものを気にならないと言えば嘘になる。

 たかが本であるが、これはただの本ではない気がするのだ。いやどうやっても開かない時点でただの本とは言い難いけれど、なにか自分に訴えかけているような、そんな不思議な感覚を月葉は覚えていた。

「じゃあさ、あいつに訊いてみる? もしかするとなにかわかるかもしんないよ?」

 理音が人差し指を立ててそう提案してきた。彼女のなにかを企んでいるようなニヤ顔には『名案』と書かれてある。

「あいつって、誰のこと?」

「あいつだよ、あいつ。ほら、いっつもオカルトっぽい怪しげな本読んでる顔はいいけどネクラな奴」

是洞真夜これとうしんやさん、ですか?」

 依姫が微妙な表情をする。その名前は月葉も知っている。というか、クラスメイトだ。

 理音の言う通り、常にどこの国のものとも知れない分厚い本を持ち歩いている男子生徒。無口無表情で人を寄せつけない雰囲気があるので、月葉は一度も会話したことがない。

「そういえば、是洞くんの持ってる本って私の本と似てるような……」

 注意して観察したことなどなかったので記憶はあやふやだけれど。

「でしょでしょ! 訊いてみる価値はあるって。昼休みだから、たぶん図書館にいるはずだよ」

 楽しそうに言いながら理音は月葉の手首を掴むと、「レッツゴー♪」と掛け声をかけて歩き始めた。依姫もとりあえずといった様子でついてくる。

 引っ張られる月葉は、つんのめりながらも理音に抗議することにした。

「ちょ、べ、別にそこまでしなくてもいいよ」

「月葉はどうしても本の内容を知りたいんでしょ? あたしだって同じ気持ちだよ。絶対に開いて復讐を遂げてやるんだからフフフフフ」

 またも地の底から響くような笑いを漏らす理音に、なにも言えなくなる月葉だった。


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