Page-34 激闘
アドリアンも〝浮遊〟の魔導書を使っているようだった。
追ってくる真夜を、彼はグラウンドの上空で待ち構えていたのだ。彼が〝浮遊〟の魔導書を所持していることはホテルでの検閲で判明している。しかし、あの時の魔書が全てではないはずだ。アドリアンは二級以下の魔導書しか真夜たちに見せなかったのだから。
アドリアンは両手に一冊ずつ魔導書を持っている。どちらかが〝浮遊〟だろう。
「第百二段第十列――」
真夜は飛翔しながら眼前の空間に魔導書を出現させる。術を向ける対象をその目で捉え、発声により発動タイミングを合わせる。
「――〝炎弾群〟」
真夜の前方を無数の赤い魔法陣が埋め尽すように展開した。それら全てから〝火弾〟よりも一回り大きな炎が時間差で射出される。
これは〝火弾〟の魔導書の最上位互換に値する一級品――〝炎弾群〟の魔導書だ。
「ははは! 素晴らしい! まさに絶景だ! ――第九十段第二列」
夜闇に映える火炎群に対し、アドリアンも魔導書を空中待機させて開く。
「――〝光樹〟!」
途端、その魔導書の前に展開した魔法陣から、巨大な光の柱が生え伸びるように飛び出してくる。光は途中で無数に枝を分けると、迫りくる炎弾の流星群を正確に貫き防いだ。
「どうだね? 一級を退けるには一級がベストな――むっ?」
魔導書の発動を解いて光の大樹を消滅させたアドリアンが顔を歪めた。
新しい魔導書を取り出した真夜が、魔法陣から発生する激流の大竜巻を鞭のように撓らせていたからだ。
「――呑まれろ」
水の竜巻はアドリアンを巻き込んでグラウンドに叩きつけられる。凄まじい水飛沫を上げ、洪水のようにグラウンドが浸水した。
「まだだ」
水の中にアドリアンの姿を確認した真夜は、その場で魔剣を振るって衝撃波を放つ。小隕石が海に落下したような水柱が立ち昇り、グラウンドに巨大なクレーターを生成した。
真夜が魔導書を仕舞うと、グラウンドを満たしていた水が幻のように消滅する。それから〝浮遊〟の魔導書の出力を下げ、今まで水浸しになっていたとは思えない乾いた地面に足をつける。〝浮遊〟の魔導書も〝書棚〟に収めた。
と、その時――
「今のは〝水渦〟かね? 面白い使い方をするものだ。それにその魔剣、魔力を喰らうだけでなく、溜め込んだ魔力で衝撃波を発生させることもできるようだね」
グラウンドの陥没箇所からアドリアンが無傷で浮かび出てきた。真夜はすっと目を細める。あれほどの攻撃を受けて無傷でいられるはずがない。
「先程の〝炎弾群〟といい、君はレアな魔導書の宝庫のようだね。ハンティングのし甲斐があるというものだ」
「貴様、なにをした?」
真夜の知らない魔導書を使ったことは間違いない。真夜は知っている魔導書ならその力を一度見ただけで看破できるからだ。
「さて? 自分で見極めたまえ、是洞真夜氏。それよりも知っているかね? 魔導書使いが死ぬと〝書棚〟の魔書はどうなるのか」
無論、真夜は知っている。というか、そんなことは初級魔導書使いでも理解していることだろう。
「そう、答えは簡単だ。命と共に〝書棚〟も失い、全ての魔書は吐き出されるのだよ! 第八十一段第八列――」
アドリアンは右手の魔導書と入れ替えに別の魔導書を引き出した。どうやら右手の方が〝浮遊〟だったらしい。
「――〝地裂〟!」
ガガガガガ! 道路工事のようなけたたましい音が響き、ダイナマイトを連鎖的に爆発させたような衝撃が真夜に向かって走る。
「チッ」
間一髪で真夜は横に飛び、かわす。
直後、地面が大きく割れた。あと数瞬飛ぶのが遅ければ、底の見えない深淵に呑み込まれるところだった。――〝地裂〟の魔導書。先程の〝光樹〟もそうだが、奴はホテルで見せていない魔導書のみを使って戦うようだ。
「第百三十段第一列」
そのアドリアンは端から真夜を地割れに落とすつもりはなかったらしい。〝地裂〟の魔導書を別の魔導書に入れ替え、地割れが自然に閉じていくのを横目に真夜へと迫る。
アドリアンの右手の魔導書が歪み、クランク状に曲がった柄に蛇行する刀身――クリスタガーに似た形状の短剣に変わる。
真夜は魔剣で防御の姿勢を取るが――ザシュッ! 舞い上がっていた砂煙が不自然に集中し、刃となって真夜の肩を斬り裂いた。
鮮血が迸る。だが真夜は顔色を変えない。
「……」
魔剣の衝撃波で砂煙を薙ぐ。アドリアンは嫌らしく嗤いながら真夜との距離を取った。
「ほう、一撃受けただけで効果を悟ったようだね。しかし、その様子だと完全には理解していないのかな?」
真夜は半秒黙り込み、
「……砂を操る力か?」
「惜しい。不正解だ。これは〝粒操の剣〟の魔導書。粒子状の物体なら砂でなくとも操れるのだよ。流石に視認できないほど小さな粒は不可能だがね」
自分から能力をバラすアドリアン。それが絶対的な余裕からなのか、ただ単に自分のコレクションを自慢したいだけなのかはわからない。
奴の思考なんて知りたくもないが、真夜は一つだけ確信したことがある。
「なるほど、それがフォーチュン家のもう一冊か」
「ふむ。察しがいいではないか、是洞真夜氏。その通りだよ。本来ならあのフォーチュン家の娘が持っていた〝灰化の剣〟と二冊セットで使うのだが、残念なことにあちらはいただいたばかりで読み解いていないのだ」
本当に残念そうに首を振ったアドリアンは、惨忍な笑みを浮かべたまま真夜を見やる。
「だがね、ここはグラウンドだ。〝粒操の剣〟で操れる砂が大量にある。来栖月葉嬢たちを巻き込まないために私をここへ吹き飛ばしたつもりかもしれないが、君は戦場を間違えたのだよ」
アドリアンが短剣を真夜に突きつけると、グラウンドの砂が舞い上がり、彼の周囲を生き物のように旋回し始める。
「フン、なら貴様にその力を使う暇を与えなければいいだけだ。――第百六段第十二列」
真夜の頭上に魔導書が出現。魔力を流して開くと、さらにその上空にグラウンド全体を覆い尽くすほど巨大な魔法陣が広がる。
「――〝千刃〟」
真夜が呟いた次の瞬間、魔法陣から多種雑多な西洋剣が数限りなく降り注いだ。
「――ッ!?」
剣嵐が吹き荒れる。凶刃の暴雨がアドリアンへと殺到する。〝千刃〟の魔導書は真夜が所持する中で最大の範囲攻撃魔術を秘める特級魔導書だ。
どこに飛んでも避けられない。焦り顔のアドリアンは短剣を構えて砂を操り、飛来する刃を迎え撃とうとしているが、無駄だ。〝千刃〟はその一撃一撃が強力な威力を誇っている。一級と思われる〝粒操の剣〟が操る砂塵程度では到底捌き切れない。
よって――
「ぐあっ!?」
砂の防御を貫いてきた複数本の西洋剣が、アドリアンの肉体に容赦なく突き刺さった。
大量の血液を撒き散らして吹っ飛んだアドリアンは大の字に倒れたまま動かない。即死させたつもりだったが、奴の魔書が逆流しないところを見るにまだ生きているらしい。
それでもあの傷だ。もう一分も持たないだろう。そう確信した真夜は〝千刃〟の魔導書を閉じて虚空に消す。瞬間、グラウンドに刺さっていた全ての西洋剣も消失した。
これでひとまずは来栖杠葉の――月葉に贈られた魔導書を狙う奴はいなくなった。あとは協会に連絡すれば勝手に事後処理をしてくれるだろう。
――来栖杠葉の魔導書、か。
実は、真夜はあの魔導書の内容までは知らない。読み解いていないのだから当然だ。わかっているのは『開き方』と、本に込められた子を想う母親の願いまでである。
――僕には関係ないのだろうが、興味はある。
会ったこともない来栖杠葉の願いを叶えてやりたいという気持ちは正直薄い。そこまでしてあの魔導書を守る理由があるのかと問われると、真夜は「ない」と答える。しかし、なんであれアドリアンのような屑に魔導書を奪われることだけは我慢ならなかった。
フン、と鼻息を鳴らし、真夜は踵を返した。
が――
「いやはや、君には驚かされてばかりだ。まさかそのような魔導書まで持っていたとはね」
「!?」
珍しく目を見開いた真夜が振り返る。
するとそこには、たった今殺したはずのアドリアンが無傷で立っていた。
見下した笑みで顔を歪め、アドリアンは口を開く。
「安心するといい。今の魔導書も、君を殺した後でしっかりといただくのでね」