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Page-33 魔書ハンター

 アドリアンの切れ長の青眼が月葉を見下ろしている。その瞳は寒気を覚えるほど冷たい。虫ケラを見るような目だった。

「ふむ、そちらが来栖杠葉氏の魔導書か」

 月葉の隣に落ちている魔導書をアドリアンが拾おうと手を伸ばす。

「だ、ダメ!」

 月葉は直感的に動いて母親の魔導書を掴み、自分の胸にぎゅっと抱き寄せた。ギロリ、という表現がピッタリの眼球運動でアドリアンは月葉を睨む。

 と――

「コラコラ、そこのヘンタイ貴族。あなたなにしに来たのよ? というか、なんてことしてくれたの。月葉ちゃんを助けたつもりかもしんないけど、仲直りの最中だったのよ?」

 日和がぷんすかと肩を怒らしながらこちらに近づいてきた。アドリアンの注意が月葉から腰に手をあてて長身を睨み上げる日和に向けられる。

「姉さん! そいつから離れろ!」

「え?」

 真夜の叫びに日和がきょとんとしたその時――

「――〝炎輪〟」

 煌々と燃える火炎のリングが、日和の体を容赦なく薙ぎ飛ばした。短い悲鳴を上げて日和は屋上の床を何メートルも滑る。

 冷酷な視線が月葉に刺さる。

「君も彼女やそこのフォーチュン家の娘みたいになりたくなければ、さっさとその魔導書を渡すのだ」

 月葉は戦慄する。彼の口調はこれまでと同じだが、纏っている雰囲気はまるで違っていた。別人の域と言っても過言ではない。

「や……いや……」

 恐ろしくて立つことが叶わないままずりずりと後じさる月葉を、アドリアンは億劫そうに追ってくる。

 ――殺されるっ!?

 自然とそう思ってしまうほど、月葉は彼から危険を感知していた。初めて会った時の比ではない。大斧を担いだ殺人鬼を前にしているような気持ちに意識を刈り取られそうだ。

 すると――ブォン!

 緋色の刃が弧を描く。真夜の魔剣がアドリアンを両断する勢いで振られたのだ。しかし、アドリアンは身軽なバックステップでその一閃をかわしていた。

「そのような危ない物を振り回しては恐いではないか、是洞真夜氏」

 唇を酷薄に歪め、初めて真夜の名を口にするアドリアン。やはり今までの真夜を見てビクビクしていた彼とは違う。月葉を庇うように立った真夜を前にしても、見下した感のある豪然とした態度を崩さない。

 真夜が来てくれたおかげで幾分か落ち着きを取り戻した月葉は、アドリアンを警戒しながら立ち上がった。

「本当に、アドリアンさんなんですか?」

 慎重に訊ねる。

「無論、私はアドリアン・グレフだ」

 冷然と答えられる。

「どうして……? もう強引な手段は取らないって約束してくれたじゃないですか! 元貴族として、コレクターとして、そんなことできないって言ったじゃないですか!」

「違うよ、月葉」

 と、目を覚ました理音がヨレヨレに上半身を起こした。

「元貴族? コレクター? そうかもしんない。だけど、こいつの本性は魔書ハンターだ。狙った魔書は誰が所持していようとも、どこに隠されていようとも、どんなことをしてでも手に入れようとする最低最悪の屑。そして――」

 理音は殺意を孕んだ視線でアドリアンを射る。


「あたしの、家族の仇だ」


「……え……?」

 自分でもマヌケな声を出したと月葉は思った。驚きよりも戸惑いの方が大きかったのだ。

「はぁ? こんなアホでヘタレな二級魔導書使いがあなたの家族の仇ですって? 冗談にしては笑えないわよ?」

 なんともないように身を起こした日和が無理やりな笑みを作った。月葉の戸惑いも彼女と同じだ。真夜に一方的に敗北した彼が理音の家族を殺した犯人だとは考え難い。

「日和さん、大丈夫なんですか?」

「ええ、まあ。一応この服は魔術で防御力を上げてるからね。拳銃の弾丸程度なら軽く跳ね返せるわ」

 それはそれで凄いと月葉は思う。

「理音って子の冗談は置いといて、真夜、そこのヘンタイ貴族は全然懲りてないみたいだからちょろっとフルボッコにしてあげなさい」

 と命令口調で真夜に指示を飛ばす日和だったが、

「いや、冗談を言っていたのはあいつの方だ」

 真夜は威嚇するようにアドリアンから目を離さず、そう告げた。くはっ、となにが面白かったのかアドリアンが汚く吹き出す。

「ははははは! その通りだよ、是洞真夜氏。まったく、小物のフリをするのは毎度毎度肩が凝るからいけない」

 コキコキと首を鳴らし、自分の肩を軽く叩くアドリアン。そのどこか嫌味ったらしい仕草に月葉は嫌悪感を覚えた。

 日和が訝しげに訊く。

「小物のフリ? 意味不明ね。どうしてそんなめんどくさいことをする必要があるのよ?」

「都合がいいからに決まっているだろう、是洞日和氏。例えばそう、『白き明星』の幹部の屋敷を襲撃するという少なくとも一級魔術師が五人必要な事件を起こしても、実力が二級と思われている私は疑われない。この二級という位置は様々な意味で丁度いいのだよ」

 アドリアンは得意げに顎を上げて語る。理音の家族を殺したことを認める発言に、月葉は生まれて初めて『憎い』という感情を抱いた。

 要するに、彼はわざと自分を弱く見せていたということだ。それが表の顔。恐らく何年も続けてきたのだろう演技力は、月葉が本気で彼の気弱さに憐憫の念を抱いてしまったほどである。

 その演技力でどれだけの人を騙し、どれほどの犯罪を行ってきたのか未知数だ。月葉には知る由もない。

 ただ、疑問はある。

「でも、アドリアンさんは商店街もちゃんと弁償してくれたし、マンションの時だって私たちを助けてくれたじゃないですか」

「あー、それかね。君たちを油断させるという名目もあったが、私はこれでも穏便に魔書ハンティングを行っていてね。滅多な騒ぎは起こしたくないのだよ」

 心底どうでもよさそうにアドリアンは打ち明けた。少しでもいい人だと思っていた月葉は、なんとも言えない悔しさと怒りが込み上げてくるのを禁じ得なかった。

「協会の敷いたルールのおかげで、今や多くの者がライセンスランクで魔術師の実力が測れると勘違いしているのだよ。確かに測れるかもしれんが、それは最低限の実力までだ。現にそこのフォーチュン家の娘は一級レベルだがライセンスは持っていない」

 アドリアンは薄く嗤笑して理音を指差した。理音は『だからなんだ?』というように鋭い視線を返しているが、そんな彼女など気にも留めずアドリアンは得意げに述べ続ける。

「より正確に実力を測りたければ、魔導書使いなら〝書棚〟の最大収容数を知ればいい。それつまり魔力の大きさだからだ。参考までに私の本当の最大値を教えておこう」

 彼は月葉たちが聞く姿勢になっていることを確認するように一拍置き――


「私の〝書棚〟の最大収容数は三千三百四十冊だ。これはライセンスランクで例えるなら特級に値する。まあ、流石の私でもそんなに魔書は持ち合わせていないがね」


 愉快そうに言い放った。

「さ、三千さっ……」

 日和が愕然としている。月葉には程度がよくわからないのだが、彼女の様子からその数字がとてつもない数だということはわかる。三千と言えば、依姫の祖父が集めていた古書の数と同等だ。

 ただ、驚いたのは日和だけである。知っていたらしい理音は表情を変えていないし、常から無表情の真夜に至っては驚いているのかいないのか判断できない。

「三千三百四十冊……凄いじゃない。間違いなく特級よ」

 割とすぐに落ち着きを取り戻した日和が皮肉げに言った。「どうも」とアドリアンは白々しいお辞儀をする。

「もっとも、是洞真夜氏は端から私を警戒していたようだがね。特にあの時、曝露の魔術をかける前に疲労させられたことには焦ったものだ。そのせいで完全に術にかかってしまったのだからね」

「あっ……」

 月葉は声を漏らすと同時に得心がいった。あれは真夜がアドリアンの所持する魔書を見たかっただけだと思っていたが、よく考えれば切迫した状況で彼が私欲のために時間を潰すはずがないのだ。

「完璧に小物を演じていたと思っていたのだが、なぜ私を疑うことができたか聞かせてもらえるかな?」

 これ以上ないってくらいの上から目線でアドリアンが真夜に問う。真夜はくだらなそうに鼻息を鳴らし、

「フン、貴様は怯えているようでいて、常に目の奥では僕を見下していただろう? それに貴様は他にも疑わしい行動を取っている。例えば二級程度の雑魚に易々と〝曝露〟の魔導書を使われるほど姉さんは馬鹿じゃないし、あれほど大勢の野次馬どもを同時に忘却させたことも二級の力を越えていた」

 魔術師の力の『程度』を知らない月葉にはピンと来ない。日和を見ると、感激したように瞳を輝かせていた。弟に信頼されていたことが余程に嬉しいのだろう。

 フッ、とアドリアンが唇を斜に構える。

「なるほど、まったく恐ろしい観察眼だ。協会公認の特級魔導書使いがどれほど温いのか決闘で試してみたりもしたが、やはり君は別格のようだ。協会の管理下に置いておくのは実に惜しい。どうだね? 私と共に魔書ハンティングをしてみな――」

「断る。そのような下衆の遊びに付き合う気はない」

 言い終わる前に真夜は即答した。却下されたアドリアンはわざとらしく残念そうに肩を竦める。

「まあ、そう言うだろうとは思っていたよ。どうも私は嫌われているようなのでね。それならそれで、まずは来栖杠葉氏の魔導書をハントしようと思う」

「ふざけんな! そんなことさせない! お前はあたしが殺してやる!」

 月葉に視線を向けるアドリアンに理音が激昂した。

「吠えるな小娘。私は君に感謝しているのだよ。わざわざ自分から尻尾を出してくれた上に、貴重な魔導書の情報をくれたのだからね」

 ギリッ、と屈辱的に歯軋りをする理音。思うに、彼女の最大の失敗は情報を売った相手を間違えたことだろう。アドリアンが初めて月葉の前に現れる直前、彼女の様子はどこかおかしかった。きっとその時に売った相手が家族の仇だと知ったのだ。

「せっかくだから纏めていただいた方が楽だと思ったのだよ。そして今がその機会。わざと君の掌の上で躍ってやった甲斐があったというものだ」

「うるさいうるさい! とりあえず死ね! 第一段第四列――」

 理音の髪と瞳が再び色を変える。銀髪金眼となった彼女のこれまで見たことのない恨み顔に月葉は慄然とした。

「――〝風刃〟!」

 理音の取り出した魔導書から不可視の刃がアドリアン目がけて飛出する。しかしアドリアンはその場を微動だにしない。

「フォーチュン家の二冊目は回収したから、もう君には用はないのだよ」

 パン! なにかが破裂したような音を立てて、アドリアンは先程拾った理音の魔導書で風刃を弾いた。ピクリ、とそれを見た真夜が片眉を僅かに吊り上げる。

「貴様……」

「ん? なにか言いたそうだね、是洞真夜氏。どのようなことをしても傷つかない魔導書にはこういう使い方もあるのだと知らなかったのかね?」

 自慢するように理音の魔導書を振ってみせるアドリアン。敵愾心を剥き出しにする理音は「第一段第六列――」と早口で〝書棚〟の位置を唱えて魔導書を入れ替える。

「――潰れろ!」

 ズン! アドリアンを中心に柱状に歪んだ空間が特別教室棟を一階まで貫通させた。だが、アドリアンは寸前で横に飛んで避け、一瞬で理音の下まで疾走する。そして右手に持っていた理音の魔導書を彼女の腹に叩き込んだ。

「あぐっ!?」

 ボキッ! と骨が折れる音と共に、理音は吐血してその場に崩れた。アドリアンは非情にも倒れた理音を蹴り転がし、その手から零れた魔導書を拾う。

「〝重力柱〟の魔導書か。まったく、いつの間にこんないい物を手に入れていたのだね」

 すぅと髪色が元に戻っていく理音を、アドリアンは冷酷な青瞳で見下している。

「理音ちゃん!?」

「行っちゃダメよ月葉ちゃん!」

 駆けつけようとした月葉は日和に羽交い締めにされた。必死にもがくが、日和は女性とは思えない力で決して放そうとしない。

「でも日和さん、理音ちゃんが!? 理音ちゃんが!?」

「大丈夫、ウチの坊主に任せときなさい」

 強い信頼が籠った日和の言葉に促され、月葉が理音とアドリアンに視線を戻す。

 と――

「よりはっきりしたことがある。僕は貴様が気に喰わない」

 アドリアンと対峙した真夜が、なにもない空間を魔剣で薙いだ。刹那、凄まじい衝撃波が魔剣から放たれる。

「――ぬッ!?」

 かわす時宜を逸したアドリアンは、大型トラックにでも撥ねられたかのように屋上から弾き飛ばされた。

 グラウンドの方に吹っ飛んでいくアドリアンを尻目に、真夜は理音を見る。すると理音が苦しそうに口を開く。

「あたしを……助けたつもり、か?」

「フン、貴様がどうなろうと知ったことじゃない。ただ、僕は個人的にも『白き明星』の魔導書使いとしても、あの屑を野放しにできないだけだ」

 とか言いつつもしっかり理音を助けているところ、やはり真夜は素直じゃない。

「悪いが、あいつは僕が仕留めるぞ」

 そう宣言して、真夜は砲弾のように飛んでいくアドリアンを浮遊で追いかけていった。

 日和が羽交い締めをやめる。

「私は真夜を追うけど、月葉ちゃんはどうする? 私としてはここに残っててくれた方が安心なんだけど」

 階段室の方へ体を向けた日和がそう言ってくるが、月葉は首を振る。

「行きます。真夜くんが心配だから。足手纏いになることはわかってます。でも、自分だけなにもわからないところに隠れてるなんて嫌なんです」

 本心からの主張をぶつけると、日和は『やっぱり』というように浅く息を吐いた。

「まあ、月葉ちゃんならそう言うわよね。その代わり、お姉さんから離れないこと」

「はい! あ、だけどその前に理音ちゃんを手当てしないと……」

 月葉は倒れている理音を見る。気を失っているようだった。真夜がアドリアンを吹き飛ばしたことで緊張の糸が切れたのだろう。

 理音の傍に寄り、両膝をついて彼女の状態を診る。外傷は火傷だけだったが、やはり肋骨が折れているのかもしれない。月葉は手持ちの物でどうにか手当できないか検討する。

 日和はしばし逡巡していたが、そんな月葉の一生懸命さに負けたらしい。月葉の肩に優しく手を置いた。

「……わかったわ、月葉ちゃん。ここは治癒魔術の心得のあるお姉さんに任せなさい。と言っても、ここでは即興で魔法陣を組むしかないから応急処置程度になるけどね」

「あ、はい」

 月葉が見守る中、日和はポーチに手を突っ込み、一掴みしたビーズをばら撒いた。


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