Page-29 魔術界の歴史
月葉と日和は学校の裏門に停めてあるMRワゴン――店の車を目指していた。
「月葉ちゃん、さっきの話なんだけど……今、聞ける?」
「……お母さんの、ことですか?」
日和に手を引かれている月葉は、俯いていた顔を上げる。
「うん。あの子はあんな風に言ってたけど、月葉ちゃんのお母さんは兵器的な魔導書ばかり作ってたわけじゃないわ」
「でも、作ってたんですよね?」
「それはまあ、今さら隠しても遅いから言うけど……作ってたことは事実ね。だけど、それは二十年前までの話」
「二十年前……?」
月葉が生まれる前の話だ。不安げに眉を顰める月葉を元気づけるように、日和は努めて明るい口調で魔術師の歴史を語る。
「そう。二十年前、世界中の魔術師たちが今の協会派と、当時存在してた結社派ってのに分かれて争ってたの。結社派は、わかりやすく言えば『悪の魔術組織』的なものが集合した無法者集団だったって聞いてるわ。協会は数年かけて結社を殲滅し、現在の魔術界のルールを作った。これは魔術界では二番目に大きくて革命的な戦争だったそうよ」
戦争。魔術界で勃発した大きな争い。いくら日和が明るく語ろうとも、内容が内容なだけに月葉の表情には一層濃い影が落ちた。
そんな月葉を見た日和が取り繕うように顔の前で手振りをする。
「で、でね、来栖杠葉は協会側で切り札となる魔術を研究・開発するのと同時に、それらを魔導書や魔術書に記すことのできる唯一の魔書作家だったらしいわ。彼女の魔導書がなければ結社に負けていたとも言われてるわね。英雄よ、月葉ちゃんのお母さんは」
「お母さんが、英雄……ですか?」
月葉の影が少しばかり晴れる。日和の話からすると、悪者の集団を来栖杠葉――月葉の母親のおかげで壊滅させることができたということだ。結果的に母親の魔導書は人を殺めているのだろうけれど、それを含めても誇れることなのかもしれない。
「そうそう、英雄。んで、その戦争の後も月葉ちゃんのお母さんは魔導書兵器を作ってたと思う? 私は思わない。だって意味ないもの。だからあの魔導書はきっとそういうのじゃないと思う。もし魔導書兵器だとしたら、なんでそんな危ない物を家族の傍に置いたのか理解できないわ。まあ、あの子は魔術界から隠してたって思ってるんでしょうけど」
そう言われてみると確かに変だ。おぼろげだが、月葉の記憶にある母親は優しい人だった。家にある母親の写真を思い出しても、とてもそんな怖い物を作っていた人だとは信じられない(実際には作っていたらしいが……)。
理音の言う通り、あの魔導書が超強力な攻撃魔術だったとする。それを魔術界から隠蔽したかったとする。だとしたら来栖家の自宅ではなくもっと適した場所があったはずだ。完全に消し去りたかったのなら深海にでも沈めればいい。活火山の火口に放り捨てればいい。魔術師がそういう場所に平気で入れるのかどうか月葉は知らないが、とにかく自宅に隠す意味はない。
それに、封印だ。どうして今日解けるようにしていたのだろうか。母親が生きていて、今日魔導書を回収しに戻って来るつもりだった可能性もあるが、それでも納得はいかない。
必ず意味がある。月葉はもう一度そう思うことにした。
「そう、ですよね。私、お母さんを信じます!」
「うんうん、それでいいのよ」
恐らく真夜は全て知っているのだろう。最初から隠さず話してくれていれば月葉がこんなに苦しむことはなかったのだ。後で文句言って『マヨちゃん』を連呼してやろうと心に誓う。
そうこうしているとワゴンの下まで辿りついてしまった。日和はリモコン式の鍵で車をアンロックし、月葉を後部座席に乗せる。
「じゃ、月葉ちゃんは車で待ってて。お姉さんはあの坊主がやり過ぎないか監視しに行ってくるから。あの子、月葉ちゃんの友達なんでしょう?」
「はい……私は、そう思ってました」
今だって友達だと思いたい。でも、理音は最初から月葉を友達だと思っていなかったのかもしれない。そう考えると、また暗い気分になってくる。
「大丈夫よ。気休めの言葉だけど、なんとかなる。真夜がなんとかしてくれる。あの坊主を信じなさい」
日和は優しく微笑むと、車をロックして戦闘が行われている特別教室棟に戻っていった。
日和の姿が見えなくなると、再び一気に不安が込み上げてくる。
「理音ちゃん……」
ふと、月葉は校舎の方を振り返ってみた。理音が月葉たちを見逃したのは、彼女の用が真夜にあるからだ。来栖杠葉の魔導書を手にした今、もはや月葉など用済みといったところなのだろう。
――理音ちゃん、どうして……。
その理由は聞いた。けれど、月葉は何度も頭の中で『どうして』を繰り返し呟いていた。
高校の入学式の日、自分の教室がわからず困っていた月葉に彼女から声をかけてきた。来栖杠葉の娘だから接触してきたのだ。友達としてではなく、利用するために。
――でも……理音ちゃん、いつも楽しそうだった。
天真爛漫な彼女の笑顔も、果たして演技だったのだろうか。月葉にはどうしても心の底から笑っていたように思えてならない。
利用するためなら、もっと距離を置いてもよかったはずだ。なのに理音はたった二ヶ月で月葉に『親友』と呼ばせるほど踏み込んできた。それも作戦だったと考えられるけれど、ただ魔導書を奪うだけなら月葉と関係を築かずにこっそり探し出して盗めばよかったのだ。是洞古書店に忍び込んだように。
――あっ、時間がなくなったって言ってたっけ。でも、時間があったからって私と友達になることなかったんじゃ……?
当時は魔導書に封印がかかっていたなんてことは彼女も知らなかったはずだ。月葉の家に忍び込んで魔導書を見つけ、封印のことを知ったら、もっと早く月葉は真夜と引き合わされていたことだろう。
――もしかして理音ちゃん、寂しかったのかな?
それは月葉の予想に過ぎない。しかし家族を殺され、その犯人から逃げていた理音はずっと一人ぼっちだったのだと思う。その寂しさから、彼女は月葉と友達になるという回りくどいことを選択した。
その考えだと、ギリギリまで彼女が正体を明かさなかったことも頷ける。人質作戦に他人を使わなかったこともわかる。
月葉を、他の誰かを傷つけたくなかったのだ。
「……やっぱり、私、戻らないと」
呟く。
「戻って、理音ちゃんとお話して、戦いをやめさせないと」
決心を声に出し、揺らがないように固める。
「真夜くんと理音ちゃん。二人が戦い合うなんて、私、嫌だから」
強い意志を瞳に宿し、月葉は車から降りた。