Page-28 灰化の剣
上段から叩きつけるように振り下ろされた緋色の大刃が、その半分ほどの大きさしかない片刃剣で受け止められる。
金属音が高鳴り、衝撃で屋上の床面に罅が走る。
飛び退く理音を追撃するため、真夜も足をバネにして前方に跳躍。右手で軽々と握った大剣を横薙ぎに一閃する。
「やるじゃん」
だが、理音は後方に高く遠く飛んで魔剣の刃をかわすと、左手を虚空に翳し唱える。
「第一段第四列――」
抜き取った二冊目の魔導書に魔力が込められ、開かれる。
「――〝風刃〟!」
発声のタイミングで緑色の魔法陣が展開され――ビュオッ! 不可視の刃が真夜目がけて襲い来る。〝風刃〟の魔導書。初心者用の初級魔導書だ。
真夜は力の軌道を読み、見切りをつけて魔剣で風を薙ぎ払う。魔力を喰らう魔剣は風の刃から力を奪い、そよ風のみを残して消滅させる。
すかさず真夜は左手に持った〝火弾〟の魔導書を発動。着地した理音に向けて赤い魔法陣から灼熱の火炎球が飛び出す。が、理音は前進しつつ最小限の動きで火炎球をかわした。
姿勢を低くし疾走する理音が一瞬で距離を縮め、真夜の胴を狙って片刃剣を振るう。
「チッ」
間一髪で避け、刃はジャケットを掠めただけで終わった。だが――
「!」
「やはは、流石、避けて正解だ」
感嘆する理音。真夜のジャケットの斬られた辺りが、白い粉になって崩れ落ちていた。
「〝灰化の剣〟の魔導書。フォーチュン家に伝わる二冊の魔導書の一冊だ。もう悟ったと思うから隠さないけど、斬った物を灰にする能力さ。強力だろ? ライセンスランクをつけるとするなら一級の一級ってとこだね」
「……」
真夜は理音の片刃剣を注視する。カットラスに似た形状だが、混戦を想定して短めに作られたそれよりも長い。日本刀くらいある。店の防犯術式を破壊したのはあの剣の力だ。確かに強力だが、要は斬られなければいいだけの話だろう。
「二冊か。もう一冊なにかを隠しているようだな」
「さあ? どうだろうね!」
風刃が飛ぶ。魔剣で薙ぎ消すが、その時には既に理音が眼前に迫っていた。
〝灰化の剣〟が刺突に構えられ、空を裂いて真夜の左肩を狙う。後ろは階段室の壁が塞いでいるため、右に体を開いてかわした。
ザクッ。とても剣でコンクリの壁を突いたとは思えない音が鳴る。〝灰化の剣〟が突き刺さった階段室の壁は、その一部が灰塵と化して風穴を穿っていた。
ゾッとするほどの力。見たところ斬った物全体ではなく、斬った箇所とその周りを灰化させるようだ。斬り込みの程度でも範囲は変わってくるのだろう。急所を斬られれば確実に命はない。だからか、理音は胴や肩など致命傷にならない箇所ばかり狙っている。真夜を殺せば来栖杠葉の魔導書について聞けないからだ。
「……一つ訊きたい」
「ほう、なにかななにかな? 特級魔導書使いさんにあたしが教えられることなんてあるのかなぁ?」
距離を取って問う真夜に、銀髪を靡かせる理音は皮肉げに返す。
「貴様は魔力を使えばその姿になるのだろう? だとしたら、なぜ〝模造〟を発動していた時は元の姿だった?」
「あー、あれね。簡単な話だ。〝模造〟の魔導書は軽い暴走状態にしてたのさ。そうすればあたしが魔力を使わずとも魔導書は発動できる。是洞真夜、お前だって知ってるはずだ。魔導書を発動させずに魔力だけを込めて放置すれば時限爆弾になるってことくらいな。あたしがマンションを燃やした時みたいに」
「なるほど、よくわかった」
理音は意図的に魔導書を暴走させることになんの躊躇いもないらしい。それさえわかれば、真夜がこれ以上彼女に質問する必要はない。
「貴様にとって魔導書は使い捨ての道具と言うなら、僕はこれ以上容赦しないことにする」
「うわっ、なにそれ。自分の本ラブを人に押しつけないでほしいね。キショイから。それともなにかな? あたしが躊躇いなくマンション燃やしたことを怒ってたりする? でもそいつは見当違い。あたしだって悩んだんだ。あのマンションはお前たちを誘き出して足止めするには絶好だったけど、余裕があれば別の場所でやってた」
「うるさい。もう黙れ」
声のトーンをより重くして凄む真夜。その気迫に理音は表情を緊張させ、なにがあってもすぐ対応できるようにするためか〝灰化の剣〟を中段に構える。
だが次の瞬間、理音は一驚を喫することとなる。
「第四十三段第八列。第四十三段第十列。第六十三段第十四列」
「なっ!?」
真夜の頭上に三冊の魔導書が浮遊した状態で現れたのだ。真夜がそれらに魔力を注ぐと、各魔導書のページが風もないのにペラペラと捲られていく。
「――〝粋護〟〝水渦〟」
唱えるように魔導書を指定する。直後、真夜の周囲を光の層がドーム状に覆い、一瞬遅れて床に展開された魔法陣から大量の水が溢れ返った。
「こいつ無茶苦茶だ!」
屋上外に零れることなく渦を成す水から逃れるため、理音は階段室の上に飛び上がる。しかし、その動きを予測していた真夜は逃がさない。
「――〝火弾〟〝雷獣〟」
一発の火炎弾と三本の青白い雷撃が迸る。理音は雷速で先に到達した雷狼たちを斬り捨てて灰にするが、遅延して飛来した火炎弾には対応できなかった。咄嗟に剣で顔を庇ったようだが、爆発の衝撃により階段室の向こう側へと吹っ飛んだ。
真夜は〝水渦〟の魔導書の発動を止め、氾濫する大渦を消し去る。それから魔剣だけを残し、左手の〝火弾〟と頭上の三冊の魔導書を虚空に消した。
「……」
少し待つが、理音が戻って来る様子はない。まさか今の火炎弾だけで気を失ったのだろうか。そう考えた真夜が階段室の裏へ回り込もうと足を動かしたその時――
「〝書棚〟からの自動引出しと空中待機だけでもムズいのに、魔導書の五冊同時使用だって? お前はバケモノか!」
どこからともなく理音の声が聞こえた。遠く聞き取りづらい、なにか遮蔽物越しに話しかけてきたような低い音声。
――下か!
真夜がそう判断して飛び退ろうとした直前、理音が〝灰化の剣〟を振るいながら足下の床から飛び出してきた。
なんとか直撃は避けるも、ジャケットの上から左腕を浅く斬られた。その部分が灰となって抉られる。血が流れ激痛も走ったが、顔色一つ変えず真夜は屋上に立った理音を睨む。
「……〝浸透〟の魔導書か」
「マジ? 一発で見抜かれるんだ。正解、その通り」
わざとらしくおどけてみせた理音に真夜は苛立ちを覚える。〝浸透〟の魔導書を使えば、床や壁などの障害物を霊体にでもなったかのように通り抜けることができる。店や来栖家に侵入した時に使用した魔導書で間違いない。
「それがフォーチュン家のもう一冊か?」
「まさか。こんな壁抜けしかできない三級魔導書が家宝なはずないじゃん。なにもかもを擦り抜けられるような力だったら話は別だろうけど」
彼女の言う通り、〝浸透〟の魔導書は本当に術者が霊体化するわけではない。魔導書に記されている『障害物』のみに効果を発揮するのだ。
だが、階級が低いからといって侮ることはできない。どのような魔術でも、使い方次第でその効果を何倍にも引き出すことができるのだから。
特に〝浸透〟は建物内だとかなりの脅威となる。現に真夜は不意を突かれてしまった。
真夜が身構えると、理音はやれやれというように首を振った。
「てか、やっぱお前みたいなバケモノとは戦いたくないね。盗んだ魔導書は返すから、来栖杠葉の魔導書の仕組み教えてくんない? まあ、ぶっちゃけると昨日の今日で解読できたのが〝模造〟だけだから持っててもしゃーないって言うか」
「断る」
「だよねぇ。即答だぁ」
オーバーリアクションで溜息をつく理音。
「まったく、永劫のお人形さんは脳味噌カチカチだぁ。頑固者でやんなっちゃうよ」
「!? 貴様、なぜ――」
「どうしてそれを知ってるのかって? やはは、お前のことはいろいろ調べたからなぁ。たぶん月葉より断然知ってるよ。それに、あたしの家は『白き明星』の幹部だったんだ。お前があの禁書を読み解いたことくらい耳にしてるって」
「それを知っていて僕に挑もうと?」
真夜は一歩引き、協会がもみ消した事実を知悉している理音に探りの視線を送る。
「だから本音を言うとやりたくないんだって。というかさ、お前の動揺した顔見るのってけっこうレアじゃん? あとで月葉に自慢しよっかな?」
ふざけた調子でニヘラと笑う理音は、左手に持つ〝浸透〟の魔導書と〝灰化の剣〟を構え、告げる。
「そんなわけで、さっさと第二ラウンドと行きますか」