Page-11 接触
「つーきはっ! 今日こそは逃がさないからね。一緒に帰ろっか」
放課後、教科書等をカバンに片づけていた月葉の後ろから、理音が抱きついてきた。
「レッツ寄り道だぁ! 商店街に新しくケーキバイキングのお店ができたっぽいからそこ行こそこ」
「うん、いいよ。でもその後で私はバイト行くから」
「むぅ、毎日バイトやってると身が持たないよ? 風邪とか引いたらこの家庭科1の理音様があんなことからこんなことまで看病しちゃうぞムフフフフ」
「え、遠慮しとくよ。ていうか手つきが嫌らしいよ理音ちゃん」
理音の抱擁から解放された月葉はカバンを持って席を立った。そこでいつも一緒にいる友人が一人足りないことに気づく。
「依姫ちゃんは?」
「んー、なんか用があるから先に行ってオッケーだってさ」
先生と進路相談でもしているのだろうか、と特に疑問を持たずに月葉は理音と二人並んで下校する。
「月葉ってさ、ママのことどれだけ覚えてる?」
廊下を昇降口に向かって歩いていると、理音がなんの前触れもなくそう訊いてきた。
「え? どうしたの、理音ちゃん? いきなり」
「やはは、いやぁ、あたしもここ数年親と会ってなくってさ。ママの残した本のためにバイトまでして頑張ってる月葉見てたら思い出しちゃって。なんとなく訊いてみただけ。あっ、気分悪くしたらごめん!」
また拝み倒すように両手を合わせられた。周りの生徒から好奇の視線が集い、月葉は慌てて手を振る。
「えっと、それは別にいいよ。ていうか、理音ちゃんってもしかして家出してるの?」
「違う違う。まあ家は出てるけど、あたしんちは基本的に家族円満さ。今はちょっと都合で離れ離れになってるだけ」
海外転勤とかそういった事情なのだろう。理音が少し寂寞とした表情をしたので、月葉はこれ以上追及しないことにした。
「で、月葉はどんくらい覚えてるわけ?」
「んと、正直言うと全然かな。前にも言ったけど、あまり会ったことなかったから」
頑張って記憶も巡っても、やっぱりそれしか言えなかった。すると、理音が感心したように目を真ん丸に見開く。
「ほえー、それなのに頑張れるんだぁ。月葉って凄いよ」
「全然覚えてないからだよ。だからお母さんのこと知りたいって思えるんだ」
「なるほどなるほど、言われてみればそうかもね。そんじゃあ月葉、ママの本のためにアルバイト頑張りなよ。あたしも応援してる。途中で投げ出したらストレートアームバーをかけるぞフフフフフ」
空恐ろしい笑いを漏らしながら自分の腕をペシペシ叩く理音に、これは絶対投げ出せないと思う月葉だった。
昇降口を出たところであっさりと依姫を発見してしまった。
「あっ、あれって依姫ちゃんと……え?」
彼女は野球のバックネット裏にいたのだが――そこにはもう一人、綺麗な黒髪をした男子生徒もいた。
「ややや? なんで依姫、ネクラ野郎と一緒にいるんだ?」
そう、是洞真夜だ。どうも二人でなにかをコソコソと話しているようで、人がいないバックネット裏で密会といった雰囲気である。
しばらく様子を見守っていると、真夜が突き放すようにその場を去っていった。残された依姫はどこかしゅんとした悲しげな様子だ。
――依姫ちゃん、なにを話してたんだろう?
不安げに依姫をじっと見詰める月葉を見て、理音が鼻息を荒げる。
「修羅場!? なにこれ修羅場!? 月葉の彼氏に親友が告白! あたしの周りでまさかの三角関係発覚なのかっ!? 次回に続く!!」
「落ち着いて理音ちゃん続かないから! あと彼氏じゃないから! 断じて彼氏なんかじゃないからっ!」
すると、騒ぎ立てる月葉たちに気づいた依姫が小走りで駆け寄ってくる。
「月葉さんに理音さん、お恥ずかしいところを見られてしまったようですね」
依姫は少し照れたように頬を染めて微笑んだ。泣いた様子はないし、強がっているわけでもない。普段通りの彼女だった。
「依姫ちゃん、その、なんの話をしてたの?」
月葉が訊くと、依姫は少し逡巡するように口籠った。彼女は興味津々とメモ帳まで構えている理音をチラ見し――
「すみません、内緒です」
苦笑混じりにそう答えた。
「ムフフ、内緒と言われたら知りたくなるのが人の性! 甘い物でも食べながらじっくり話を聞かせてもらおっか。ねえ、月葉」
「理音ちゃん、そのニヤ顔もうやめない?」
「ケーキバイキングに行くのでしたね」
というわけで、三人は適当な会話をしながら商店街へ向かうことにした。
商店街は学校から徒歩で約十五分の距離にある。理音の言っていたケーキバイキングの店は月葉も知っていた。なにせバイトに行くため毎日商店街を通っているのだ。
「あっ、そうだそうだ月葉。午後の授業のノートなんだけど、後で見せてくんない?」
商店街通りに入った時、唐突に理音が月葉に頼み事をしてきた。
「え? 理音ちゃん、ノート取ってないの?」
「理音さん、ずっとお昼寝してましたもの」
理音とは席が離れているとはいえ、月葉は全然気づかなかった。それどころか先生も一切注意していなかったように思える。バレなかったのだろう。相変わらず彼女は曲者だ。実は月葉も五分ほど夢の世界へ旅立っていたことは秘密。
「ごめん、理音ちゃん。私も一部ノート取れてないから、依姫ちゃんに頼んで」
「バッキャロー、月葉! 失恋で傷心中の友達にノート貸してなんて言えるかぁ!」
「あの、理音さん、わたくし別に失恋したわけじゃ……」
「てことは保留中? 三角関係続行? トゥービーコンティニュード?」
「いえ、ですから、そういうことではなくて――」
依姫が言いかけたその時――理音が急に立ち止まった。
そして具合でも悪そうに頭を抱えて蹲る。
「理音ちゃん?」
「どうされたのですか?」
月葉たちが近寄ると、彼女は「ヤバイヤバイヤバイ」と幽霊にでも取り憑かれたように連呼している。
顔を覗き込もうとした月葉に、深刻な表情の理音が掴みかかってくる。
「ヤバイよどうしよう月葉! あたしテニス部に試合の助っ人頼まれてたんだった! もうバイキングはすぐそこだけど……友達と依頼、あたしはどっちを選べばいいんだぁ!」
なにがあったのかと思って心配した月葉だったが、どうやら大したことなさそうでほっとした。
「もう、ビックリさせないでよ理音ちゃん。それなら早く行ってきなよ。バイキングは明日付き合ってあげるから」
「そうですよ、理音さん。試合の助っ人は明日だとできません」
説得させられ、理音は二人に背中を向けて立ち上がる。
「うん、わかった。そだね。よーし、ヒーローは遅れて登場しようじゃあないか! 月葉、依姫、明日は絶対バイキング行くから予定空けときなよ!」
月葉と依姫はダッシュで来た道を戻っていく理音を見送る。そして彼女の姿が見えなくなってから、依姫が月葉を向いた。
「では、月葉さん、わたくしもバイオリンのお稽古がありますので」
「あれ? 依姫ちゃんも用事あったんだ……」
「はい。ですが、サボるつもりでした」
てへ、とでも言うように依姫はチョロリと舌を出した。かくいう月葉もバイトがあるし、理音がいなくなったためこれ以上寄り道をする気にはなれない。
依姫には訊きたいこともあったが、彼女は手早く別れの挨拶をすると駆け足でこの場を去っていった。実はかなり時間が危ないのかもしれない。
――まあいいか。バイトの時に真夜くんに訊けば。
教えてくれるかどうかは激しく謎だけれど。
「君が来栖月葉嬢だね」
その時、背後から知らない男性の声がかけられた。
振り返ると、グレーの燕尾スーツを着た外国人男性が道の中央を通って歩み寄ってきていた。銀髪のロン毛を揺らし、切れ長の青い目がはっきりと月葉の姿を捉えている。
彼の歩き方は悠然としていて品がある。どこかの国のお金持ちかもしれない、とお金持ちの友人がいる月葉は直感した。
だがやはり、知らない人である。月葉に外人の知り合いはいない。
「あなたは?」
「私の名はアドリアン・グレフ。魔導書使いだ」
魔導書使い。
――真夜くんと同じ……。
月葉は後じさった。魔導書使いが月葉に声をかけるなど、可能性としてはただ一つしか考えられない。つまり、母親関係だ。
「待ちたまえ、別に君に危害を加えるつもりはない」
今にも逃げ出そうとしていた月葉をアドリアンと名乗った男は制した。本当に危害を加えるつもりがないことを証明するためか、両腕を大きく広げている。
「私に、なんの用ですか?」
「ふむ、単刀直入に言おう、君の母――来栖杠葉氏の魔導書を譲ってもらいたい」
「嫌です」
それしかないだろうと予測していた月葉は事前に返事を用意していた。
「金なら言い値の倍払おう」
「どれだけお金を積まれても譲る気はありません。それに今私はお母さんの魔導書を持ってません。だから帰ってください」
真夜に『預かって』もらっていることはもう構わない。そのうち必ず取り返してみせるからだ。しかし、この得体の知れない男に渡ってしまうと、魔導書の内容すら知ることなく二度と戻っては来ないだろう。
内容と言っても、魔導書の時点でなんらかの魔術だということはわかっている。それでも月葉があの本を手離さないのは、ただ一冊だけ自宅に置いてあったからである。魔導書が暴走することを魔術界で有名だった母が知らないわけがない。わざわざ封印まで施して自宅に置いたのには、きっと意味があるのだ。月葉はそう信じている。
アドリアンが呆れたように肩を竦める。
「やれやれ、是洞日和氏の言った通りだ」
「! どういうことですか!」
彼の口から日和の名が出たことに月葉は動顛する。
「いやなに、君の情報は是洞日和氏から買ったのだよ。随分と金を積まされたが、来栖杠葉氏の魔導書が手に入るのなら安い買い物だ。ただ、売ってくれないだろうとは言われていてね。実際その通りになってしまった」
「日和さんが私を……そんなこと、あるわけない。嘘を、つかないでください」
日を重ねていくにつれて実の姉のように思ってきた彼女が、月葉を売った。とても信じられることではなかった。いや、信じたくない。
「嘘じゃない。人間誰しも心の隙を突けばなんだって話すものなのだよ」
アドリアンは項垂れる月葉を見下して不敵に笑い、
「第一段第一列」
「――ッ!?」
聞き覚えのある呪文を日本語で唱え、虚無の空間から一冊の魔導書を取り出した。
それからその魔導書を月葉に見せつけ、自慢するように語る。
「これは〝曝露〟の魔導書と言ってね。私の問いかけに対し強制的に『真実』を答えさせる力を持っている。もっとも、是洞日和氏のような上位の魔術師が相手だと、大金を握らせるなどして心に隙を作ってもらう必要があるがね」
――じゃあ、日和さんはあれで……。
日和が自らの意思で月葉を売ったわけではないと知って安堵すると同時に、そこまでしたこの男を月葉は善人だとはとても思えなかった。正直、暴漢に絡まれるよりも怖い。
――逃げないと!
「だから待ちたまえと言っている」
「きゃっ!?」
今度こそ本気で逃げようとした月葉の腕を、アドリアンが魔導書を持っていない右手で掴んだ。そのまま力任せに月葉は引き寄せられる。
「だ、誰か! 誰か助けてください!」
大声で叫ぶが、誰一人として月葉を助けにくる勇者は現れなかった。それどころか――
――嘘っ……なんで?
月葉は驚愕する。普段は活気に満ち溢れているはずの商店街に、人っ子一人としていなかったのだ。
「この辺りには〝人払い〟の魔導書の力が働いていてね。呼んだところで誰も来やしない。君の友人たちが最後だったよ」
理音と依姫が別れたのは偶然ではなく、アドリアンの仕業だったのだ。
――やだ……こんなのやだよ……。
「さて、危害を加えないと言った手前悪いが、次は君が口を割る番だ。さあ、私の目を見ろ。――来栖杠葉氏の魔導書はどこにある?」
アドリアンの持つ魔導書が強烈に輝き、その光が月葉を包む。どこか生温く気持悪い感覚が体を侵蝕していくように広がる。
「あっ……」
頭がぼーっとしてきた。視界もぼんやりする。自分がなにを考えているのかすら、もう月葉にはわからなくなっていた。
「お母さんの、魔導書は」
口が、月葉の意思とは無関係に言葉を紡ぐ。
「貴様、なにをやっている?」
寸前、誰かがアドリアンの右腕を掴み上げた。彼に捕まっていた月葉は突然の解放に尻餅をつく。
「……何者かね、君は?」
〝曝露〟の魔導書の光が弱まる。月葉の意識が鮮明になっていく。
そこにいたのは――
「一般人に魔導書を使うような下衆に、この僕が名乗るとでも?」
――真夜くん!
だった。