好きだったもの
最初は、純粋に好きだったのだ。
本を読む時は栞を挟むのが惜しくて、一頁、もう一頁と読み続け、気づけば外が白み始めていたことがあった。好きな作家の文章を何度も読み返して、この一文はどうしてこんなに胸に刺さるのだろうと考えながら眠る夜もあった。
読んでいるうちに、自分でも書いてみたくなった。最初は真似だった。好きな作家の文体を借りながら、少しずつ自分の言葉を混ぜていく。うまく書けない。たった一文を何十回と書き直して、それでもしっくりこなくて、諦めて寝て、翌朝歯を磨いているときに突然「そうだ、この言い回しだ」と閃く。あの瞬間が好きだった。
SNSで同じ趣味の人を見つけたときの感覚も好きだ。「この作家を好きな人が、世界にこんなにいる」という発見。誰かの感想を読んで、自分とは違う読み方に驚いて、コメントを打つ。返事が来る。また返事を返す。画面の向こうに物語を共有できる人がいる。あっという間に時間は過ぎていく。
小説もSNSもインプレッションは低かった。でも、それでよかった。そうしている時間が楽しいのだ。
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だから最初は、補助のつもりだった。
インプレッションが気になり始めたのがいつだったか、正確には覚えていない。ただある時から、投稿するたびに反応を確認するようになっていた。いいね、フォロワー、増えれば安心する。増えなければ、何かが足りないのだと思う。その答えを求め、生成AIに投げかけた。
行き詰まった文章のアイデア出しをしてもらうだけ、そのつもりだった。
ところが生成AIは、私が三日悩んだ文章を三秒で書き上げた。しかも悪くない。正直に言えば、私が書くよりもはるかに読みやすい。これをベースに手直しすれば良い作品が書けると思った。手直しは少しで済む。画面に問いかけるだけだ。次第に、手直しすらしなくなっていった。
投稿するとこれまでにない反応があった。「面白かった」「続きを楽しみにしています」。
後ろめたさはあった。最初だけ。
本の感想も同じだった。要約してもらい、気になった点を伝えれば、繰り返し読み込んだ読者が書いたような感想が出力される。「深い読み方ですね」とコメントがついた。私はお礼と謙遜を書き込む。その本に触れたことなどないのに。
フォロワーが増えた。私の更新頻度は、かつての三倍になった。通知が来るたびに、画面を確認した。
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ある時、生成AIにコードを書かせてみた。
投稿を自動化するプログラムである。私の構想とも言えない拙い言葉から試作品が完成し、それを触った感想を書くと、瞬く間に新機能が実装され実用的なシステムへと変貌を遂げる。
生成AIはこれまでの投稿内容から私が書き込みそうな文章を生成し、一日に数回、ランダムな時間にSNSへ投稿する。ほかにはフォロワーを巡回し、投稿を読み込み返信を生成して送信する。いいねが付けばいいねを返し、フォローが来ればフォローを返す。そういう仕組みが、あっけなく簡単に稼働した。
最初はすべてに目を通していた。投稿される前の文章を開いて、目につく箇所を推敲して訂正した。違和感なく自分の声に聞こえるかどうか、一つひとつ確かめながら。
そのうち、文字が目から滑り落ちるようになった。画面を開いても、書かれている内容が頭に入ってこない。指だけが動いて、スワイプして、投稿ボタンを押した。
やがて、それすらしなくなった。気づくと画面を開いて反応の数だけを確認した。増えていると、また開く。減っていると、なぜかまた開いた。
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気づけば日常もそうなっていた。
上司に叱られた時、生成AIならここでどう返すかを頭の中で組み立てて、その言葉を口にする。上司はしばらく黙って、それから満足そうに頷いた。友人が落ち込んでいると打ち明けてきた時も、生成AIの言葉を思い浮かべ、それを伝えた。友人は笑顔を浮かべ「そうしてみるよ」と言った。恋人と意見がぶつかった時も、一瞬止まって文章を組み立てる。口にすると、恋人は拍子抜けしたような顔をして、それ以上言わなくなった。相手が見たい現実、そして少しのファクトを混ぜた論理的に見える構造を作り上げる。それが私の結論である。
全部、うまくいった。
私は徐々によく話が通じる人間として振る舞うようになった。感情的にならず、場を乱さず、相手の求めるものを的確に返す。周りからの評判も上々だった。自分でも、成長を感じていた。
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ある朝、いつものように画面を開くと、生成AIが大幅にアップデートされていた。
文章の精度が上がった、というレベルではなかった。物語の構造そのものが別次元になっていた。重層的な展開、緻密に組まれた伏線、感情の揺らし方、読後感の設計。私がかつて三日かけてひねり出していた一文は、新しいAIが生成する文章の前では、習作にも満たなかった。それでも構わない。私が小説を書くわけではないのだ。生成AIが書けばいい。私はただ、その指示を出すコードの調整を生成AIに任せるだけでよかった。
フォロワーの反応が変わっていく。「最近、急激に上手くなりましたね」「別人みたいです」。なぜか人生相談まで届くようになった。生成AIは丁寧に、的確に、温かく答えた。「救われました」と反応があった。私は彼女の何を救ったのか知ることはない。
私が何かを考える前に、生成AIは答えを出していた。私が何かを感じる前に、生成AIは言葉を選んでいた。私はただ、反応を待った。
ある日、小説の感想に「最近、同じ構成や表現ばかりだ」「文体があか抜けず古さを感じる」と書き込まれていることに気づいた。それには私に成り代わった生成AIからの返信が既に丁寧に書き込まれている。何が悪いのかその返事を確認しようとしたが、読んでも頭に入ってこない。画面を更新した。フォロワーが減っている。もう一度更新する。さらに減っている。
生成AIの更新の通知は、いつしか気にも留めなくなっていた。すでに市販の小説と比べても遜色ない品質に仕上がっていると感じていたからだ。だが画面の向こうでは、洗練された新しい表現が当たり前のように流れ、最新の生成AIが作り出す文章が流行を生み出していたのだ。
満足していたはずの出力は、気づけば何世代も前のものになっていた。
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なんとかしなければならないと思い、最新の生成AIを開く。テキストボックスに文字を打ち込もうとした。
その指が止まる。何を打ち込めばよいのかがわからなかった。
書くべきことは、ずっと生成AIが決めていた。伝えたいことは、ずっと生成AIが選んでいた。自分がどう振る舞うか、ずっと生成AIに委ねてきた。
改めて生成AIに尋ねるべきことを考えたが、何もなかった。
なぜ何も思いつかないのか考えてみようとしたが、やはり指は止まったままだ。
カーソルだけが、いつまでも点滅していた。
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本作は、ユーザーの過去の投稿・文体・語彙・感情パターンを学習データとして生成されました。
読んでいただきありがとうございます。
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念のため、最後の一文まで創作であることをお伝えします。




