異界竜発光循環体 ネプラキオン
ルルリサが両手で目を押さえ、うずくまって叫んだ声が、まだ耳の奥で反響していた。
「見ちゃダメ!!!!!」
……遅かった。
俺は、見てしまった。
真っ赤な髪のアンドロイド女と目が合った瞬間、世界の音が一回だけ消えた。
彼女は、最初は優しく微笑んだ。
それが、次の瞬間。
口角が、裂けるほどに上がった。
笑いが、形になって俺の脳を撫でた。
心臓が、ひゅっと縮む。
俺はもう、終わりを感じていた。
その時だった。
彼女が――上空で、ゆっくり背中へ手を回した。
そこにあった宝剣を、抜いた。
抜く、というより“引き剝がす”に近い。
剣が、空気のルールを一枚だけ剥ぎ取ったみたいに、周囲の圧が変わった。
刃は闇夜に不気味に光る
危険という概念だけが、刃から滲んでいた。
彼女は笑ったまま、こちらを見た。
そして――
投げた。
俺の横、木と木の間。
狙ったように正確に、一本の大木へ。
ズン――
音が遅れて来た。
木が、爆散した。
樹皮が砕け、幹が裂け、枝と葉が夜空へ吹き上がる。
土が跳ね、砂利が頬を叩く。
爆風が、肺の奥を一回ひっくり返した。
俺は咄嗟に腕で顔を庇い、よろめく。
剣は――木の残骸の中に、突き刺さっていた。
微動だにせず、ただそこにある。
赤髪の“アンドロイド”は、もう興味を失ったみたいに身体を反転させた。
宇宙の棺へ戻る。
棺は、闇に溶けるように森へ消えた。
残されたのは、焼けた木の匂いと、粉塵と、剣だけだった。
「……な、なんだよ……」
声が、情けなく震えた。
ルルリサはまだ目を押さえたまま、歯を食いしばっている。
その指の隙間から汗が光っていた。
俺は、足が勝手に動くのを止められなかった。
剣へ近づく。
近づくほど、身体の芯がざわつく。
怖い。
でも――何かが、欲しがっている。
俺の中の“生存本能”より下に、もっと原始的なものがいる気がした。
剣の柄に触れた瞬間。
視界が、裂けた。
戦場が――見えた。
知らない空。
知らない地平。
知らない旗。
知らない叫び。
誰かが剣を振るい、世界を割り、巨人が崩れ、星が落ちる。
英雄。
いや、英雄という言葉が安っぽくなるほどの――“何処かの世界の勝者”たちの戦いが、走馬灯みたいに脳へ流れ込んだ。
俺の全細胞が、歓喜している。
同時に、悲鳴も上げている。
「これを握れ」
「これで終わらせろ」
「お前には無理だ」
「でも握れ」
「ケガラワシイ臆病者よフレルナ」
「握れ握れ握れ、全てを変えろ。逃げれる者よ」
矛盾した声が、骨の内側で鳴った。
吐き気がするのに、笑いそうになる。いかれそうだ。
泣きそうなのに、立っていたい。
――剣は、意外と軽かった。
重さじゃない。
重いのは“意味”だ。
剣そのものが、文明の歴史みたいに感じる。
触れただけで、俺の中の何かが書き換わりそうだった。
「触っちゃダメ!!!!!」
ルルリサが、目を押さえたまま叫んだ。
「それは剣じゃない……! 叡智の塊。文明の核よ。あなたの脳が焼ける!」
俺は手を離そうとして――離せなかった。
指が吸い付いているわけじゃない。
“握り続けたい”という意志が、俺の意思より深い場所で発生していた。
「……っ、やばい……」
ルルリサが歯を食いしばったまま、俺の手首を掴む。
冷たい指。意外と華奢で綺麗な指、細い手首
その冷たさが、逆に俺を現実へ引き戻した。
一瞬だけ、視界が戻る。
俺は剣を引き抜いた。
そして、抱えた。
抱えた瞬間、走馬灯は消えたが、余韻だけが残った。
身体の奥に、何か危険な火種が置かれたような感覚。
ルルリサはとても不安そうな顔で俺を見つめる
「……持ち歩くの?」
「……捨てられるかよ……こんな高そうなもの」
「馬鹿なの?……死ぬよ?」
「どの道、何かが無いと生き残れないだろ?」
「..........」
ルルリサはようやく俺から目から離した。
瞳が薄く潤んでいる。
恐怖と、怒りと、焦りが混ざった顔をしていた。
「それは“目立つ”ってレベルじゃないわ。それに……拾った時点で、あなたの中に何かが入ってる可能性がある。やつらは皆それを感知する筈だから」
「……入った?」
「叡智は、所有者を選ぶ。選ぶ、というより……侵入する.....」
俺は剣の柄を見た。
何の文字もない。
でも、見ているだけで頭の奥がきしむ。
「移動する。今すぐ」
ルルリサが短く言い、俺の腕を引いた。
俺たちは森の斜面を登る。
遠回りして、音を殺して、枝を避けて、息を整えながら。
剣は軽いのに、持つほど精神が削られる気がした。
しばらくして、ルルリサが空へ指を向ける。
目玉。最初の戦いで得た野人の力
彼女の翼の力で展開されている“無数の目玉”が、暗い空中で静かに漂っていた。
それらは鳥のように、散開して森の上を観測している。
俺はスマホを見た。
21:20
残り時間が削られていく数字に、胃が沈む。
「……腹、減った」
俺はリュックから、ぐしゃっと潰れたお菓子と水を取り出した。
水は半分以下。
でも、ルルリサにも必要だ。
俺は黙って、彼女に差し出す。
ルルリサは一瞬、きょとんとした。
「ほいっあげるよ」
「……あなた、自分が生き延びることだけを最優先に考えるべきじゃない?」
ルルリサは理解できないという風に困惑した表情だ
「今夜、チームだろ」
ルルリサは少し瞳を開いてはっとしたように受け取った。
口に含む。
それだけの仕草なのに、不思議と胸が軽くなる。
とても可愛い子だ。女神にそんな事を思うのは失礼か
彼女はすぐ顔を背けて、ぼそっと言った。
「……変な優しさ。……心拍が乱れるじゃない......気持ち悪い」
「心拍が乱れる?」
「変な感じよ、今までにない感じ」
「これがチームの気持ちなのかしらね?」
恐らく、この美しき女神は使命の為に異性と関わることがほぼ無かったのだろう。いや、そういう種族なのか?
「あぁそうかもな」
俺は息を漏らした。
こんな状況で、笑いそうになるのが怖い。
それから、俺はずっと引っかかっていたことを聞いた。
「……なあ。なんで日本語喋れるんだ」
ルルリサは当然みたいに答える。
「知ってたから」
「知ってた?」
「この世界の日本。文化。アニメ。結構好き」
俺は一瞬、剣より驚いた。
「……アニメ?」
「ええ。趣味が合うかもね。あなた、顔がオタクっぽいし」
「失礼すぎるだろ」
ルルリサは肩をすくめる。
「私たちの種族は、知性が高いの。単純な言語はすぐ習得できる。発音は少し難しいけど」
「単純って言うなよ……日本語は難しいって言われるぞ」
「規則性はある。例外が多いだけ」
俺は苦笑した。
例外が多い。
この夜みたいだ。
――その時。
ルルリサの表情が、すっと消えた。
目玉が、空で一斉に微細に震えた。
鳥肌が立つ。
「……来る」
ルルリサが低く言った。
「禍々しい気配。……今までのとは質が違う」
森の奥。
闇が、一箇所だけ濃くなる。
音はない。
そこから――現れた。
スラっとした、長身。
六メートルほど。
竜に似ている。
だが、竜じゃない。
形が歪で、輪郭が“正しくない”。
頭と尾が、火炎放射器みたいな形状になっていて、そこから未知の発光体を吐き出している。
炎ではない。光でもない。
“発光する何か”が、重たい粘度で空気を汚す。
胴体の中身は水晶みたいで、キラキラした未知の流体が循環している。
血ではない。
光でもない。
その透明な内部の上から、無数の骨が鎧みたいに全身を覆っていた。
骨が、外側へと棘になって伸びている。
手は十本ぐらいある。
恐竜の手のように短く強いが、数が多すぎる。
それぞれの指先が、別の動きをしている。
飛行して近づいてくる。半重力みたいだ
森が、息を止めた。
ルルリサが、俺の腕を掴んだ。
「なにあれ――」
ルルリサも知らない存在みたいだ、なのに.......
「ネプラキオン.......」
知らないはずの言葉が俺の口から出てきた。
「え.......」
ルルリサが訝しげに俺の顔を見る
「なんであんたが知ってるの?」
剣の影響かもしれない
「さぁ、言葉が勝手に.......」
言葉の途中で、発光体が一瞬、脈打った。
まるで、“こちらを照準に合わせた”みたいに。
俺は剣の柄を握り直した。
軽いのに、手が震える。
そして、嫌な予感が確信に変わる。
——こいつは、逃げるだけでは済まない。
そう思った瞬間、ネプラキオンの頭部――火炎放射器みたいな筒が、わずかに上を向いた。
“吸う”音がした。
世界の光が引き剝がされるような吸い込み。
次の瞬間。
噴いた。
白でも青でもない。
色の名前が追いつかない発光体が、線になって森を貫いた。
音がない。
なのに、当たった場所から「バキッ」と乾いた破裂音が遅れてくる。
木が――鉱物になった。
葉がガラスになる。枝が水晶になる。幹が結晶の柱になる。
そして、柱のまま耐えられず、粉々に砕けて砂になって舞った。
「……っ、鉱化光……!」
ルルリサの声が、裏返った。
「触れたら終わりよ! 治癒できない!」
俺の喉が凍った。
“治らない”という言葉は怖い。
母さんの顔、妹の顔が、勝手に浮かんで、引き裂かれそうになる。
ルルリサは歯を食いしばり、緑膜の羽の星図を走らせた。
目玉が――空中で一斉に散った。
鳥みたいに、いや、弾丸みたいに。
森の上、左右、背後、地面すれすれ。
厳戒警備だ
ネプラキオンの尾が、別方向へ向いた。
尾の筒が、もう一発――
撃つ前に、ルルリサの緑膜の羽からプリズムが弾けた。
虹の粉が、森の中に“俺とルルリサ”を十人、二十人、増殖させる。
足音まで複製される。
息遣いまで複製される。
ネプラキオンの頭部が、わずかに揺れた。
照準が迷う。
その隙に、ルルリサが展開した緑膜の羽に星屑の呪文の様な物を浮かび上がらせ空中から鎖が一本、二本、三本。
空間を縫って、ネプラキオンの胴へ絡んだ。
ガチン、と音がした。
骨の鎧に鎖が食い込み、火花じゃない“星屑”が散る。恐らくその鎖の物質は相当な硬度だ
「動くんじゃないわよ!!恐竜!!!」
ルルリサが叫ぶ。
だが、ネプラキオンは止まらない。
異常に速い。
鎖で拘束されながら、あの六メートルが――“滑る”みたいに横へ移動する。
木々が、真っ二つに裂ける。風圧だけで森が揺さぶられる。
「嘘だろ……」
最初の戦闘より遙に苛烈な、ルルリサの絶対強度の炸裂する鎖にも驚愕したが
それを力技で引きずり暴れるネプラキオンにも畏怖を抱いた、まさしく神々の戦闘だ
俺の膝が、勝手に折れそうになる。
ネプラキオンの頭が、こちらを向いた。
目がないのに、見られている。
いや――“狙われている”。
筒が、再び吸う。
世界の光が、俺から奪われる感覚。
「ギガドロ!!!」
ルルリサが俺の前に出た。
羽が開く。
星図が走る。
エネルギーの使い過ぎで羽の色が少し変わり、ルルリサの表情は辛そうだ
無数の鎖が、盾みたいに折り重なる――
間に合わない。
ネプラキオンの光が、盾へ触れた瞬間。
鎖が、鉱物になった。
金属でも石でもない、透明な結晶へ。
次の瞬間、その結晶がひび割れ、砕けた。
ルルリサの身体が、ガクンと揺れた。
「っ……!」
鎖は彼女の力の延長だ。
砕けた衝撃が、そのまま彼女へ返っている。
肩のあたり――甲冑の継ぎ目が、白く固まり始めた。
鉱化が、侵入してる。
ルルリサの唇が震えた。
「……やっぱり、やばい……」
「ルルリサ!!!」
俺は、剣を抱えたまま固まっていた。
目の前の恩人がさらに自分を犠牲にして庇ってくれてるのに、何もできない
いつもそうだ、死ぬほど情けない
頭の奥で、また声がする。
握れ。
終わらせろ。
臆病者よ触れるな。
触れろ。
変えろ。変えろ。変えろ!!!
剣の柄が、熱い。
燃える様だ
「ギガドロ……逃げて――」
ルルリサが諦めた様につぶやく
でも俺は、真顔で首を振った。
「無理だ」
声が、自分でも驚くほど低かった。
ルルリサはこちらを信じられない様な顔で見つめる
「俺は母さんや妹、そして君。この世界を守る可能性が0.1%でもあれば、その道を選ぶ」
「もう、逃げたくない」
言った瞬間、母さんの誕生日、妹の笑顔が、胸の奥で“錨”みたいに沈んだ。
進学、就職、社会
全部、理由をつけて逃げるだけだった俺が、初めて“留まった”。
剣を、握り直す。
走馬灯が、また走る。
様々な文明の戦いが見える。
様々な英雄が見える。
英雄ごとに、この剣の様とは違う
世界を割る剣。
星を落とす剣。
巨人を黙らせる剣。
概念を断ち切る剣。
俺の腕が――勝手に構えを覚える。
いや、俺じゃない。
剣の中の“何か”が、俺を使っている。
ネプラキオンが、突っ込んできた。
速い。
目の前が歪む。
体当たりだけで周辺の木々が真っ二つに裂け、地面が抉れる。
森が、破壊の音で満ちる。
ルルリサが叫ぶ。
「ギガドロ!!! 避け――」
避ける?
間に合うわけがない。
その瞬間、俺の視界が変わった。
色んなものがスローで見える
ネプラキオンの体内。
水晶の中を循環している未知の発光体が――血管みたいに“流路”を作っている。
その流路に、綻びがある。
たった一箇所。
胸の奥――骨の鎧の継ぎ目に、脈が集まる“核”。
そこを切れ、心の奥底が言っている。
ネプラキオンが容赦なく突進してくる
俺は、剣を迷いなく貫き切る
空気に、刃を“通した”。
振り抜いた先で世界が一拍遅れる。
正面衝突する瞬間、この宝剣の風圧でネプラキオンが吹き飛ばされる
吹っ飛んだネプラキオンの体が、空中でわずかにガクンと揺れた。
ルルリサの目が開いた。
「……今何が……?」
俺は答えない。答えられない。
頭が割れそうだ。
剣の中の英雄たちが、俺の骨の中で騒いでいる。
ネプラキオンは怒ったのか、尾の筒をこちらへ向けた。
鉱化光が、面で噴き出す。
逃げ道がない。
だが、ルルリサが――最後の力を振り絞る。
大量の鎖が瞬時に巨大な盾になる
鉱化光が、その壁に当たる。
壁は鉱物になる。
でも、その鉱物が砕ける瞬間
一瞬だけ、ネプラキオンは動きが止まった
その一瞬の静止を見て俺は奴の胸元へ飛び込んだ。
剣の柄を両手でしっかり握り、核へ。
骨の鎧が、刃を拒む。
でも剣は、拒まれない。
恐らく普通の剣ならあの骨に触れた瞬間刃が折れるだろう、そんな感触だ
拒む“概念”ごと、切る。
奴の本体の水晶を貫く
ゴリッ、という感触の後、突然――抵抗が消えた。
刃が、すっと入った。
ネプラキオンの体内の流体が、逆流した。
美しい光の循環が、壊れる。
水晶の中の光が、悲鳴みたいに乱舞する。
ネプラキオンが、初めて音を出した。
火炎放射器みたいな頭が、開いて――
そこから出たのは炎じゃない。
「……ッ……ッ……」
言語にならない、圧。
俺の鼓膜が裂けそうになる。
でも、剣が言う。
もっと。
深く。
終わらせろ。
俺は、押し込んだ。
核が割れた。
割れた瞬間、鉱化光が“吸い戻る”。
ネプラキオンの全身が、内側から結晶化していく。
中身の水晶が膨張し、ひび割れ、全身へ走る。
ルルリサが叫ぶ。
「離れて!」
俺は剣を抜いて、転がるように後退した。
次の瞬間。
ネプラキオンは、巨大な結晶の像になり――
パリン、と音を立てて砕けた。
粉じゃない。
ホログラムみたいな破片が、空へ舞って、どこかへ吸い込まれる。
強制送還。
宴のルール通りに。
——静寂。
その静寂の中で、俺の身体が熱くなった。
剣じゃない。
俺の中が、変わっていく。
皮膚の下に、薄い結晶の膜が走る感覚。
骨が、共鳴する。
「……これ……」
俺は自分の手を見た。
指先に、微細なプリズムが浮いている
膝をついたままのルルリサを見る
肩の鉱化が、途中で止まっている。
さっきの“核破壊”で、鉱化光の侵入が止んだんだ。
どうやら操作者がいないとそれ以上の影響はないらしい
恐らく治癒できる範囲だろう。
「……能力、取ったわね」
ルルリサは無邪気な笑顔で笑う。声がかすれている。
俺は、剣を握ったまま、笑いたいのに笑えない。
「取った……のか……?」
ルルリサは息を吐いて、うなずいた。
「結晶呪……まだ弱いけど……“次”に繋がる」
その瞬間。
森のどこかで――拍手みたいな音が、ひとつだけ鳴った気がした。
錯覚じゃない。
“見られている”。
俺は背中が冷えた。
ルルリサが小さく呟く。
「……目立ったわね。剣も、あんたも」
ルルリサの頬が心なしか赤い、瞳がキラキラしてる。変な感じだ
俺はスマホを見た。
22時40分
残り時間は、削られていく。
でも。
さっきまでの俺とは違う。
剣を抱え、薄い結晶膜の感覚を確かめながら、俺は言った。
「行こう、ルルリサ。頂上へ」




