エピローグ〜愛と選挙とビターチョコ〜
11月9日(月)
学校創設史上初めて自治生徒会の出直し選挙が行われてから、約一年が経った。
生徒会選挙での言動が問題視された一部の生徒をのぞき、3年生になった僕らは、いよいよ本格的な受験モードの準備に入る時期でもある。
校内では、先週末に新しい生徒会長を選ぶ選挙が実施され、第106代の生徒会執行部において、広報の役職を務めた2年生の天野友梨さんが、第107代の生徒会長に当選している。
例年の生徒会執行部より、少しだけ短い任期を全うした第106代目の生徒会長は、この日、退任の挨拶を行い、次の代の生徒会長である天野さんに引き継ぎを終えたあと、約一年にわたって執務を行った生徒会室を名残惜しそうに見渡している。
「では、会長……じゃなかった光石さん、生徒会室のカギは預けておきますね」
新しく生徒会長に就任した天野さんは、意味深長な微笑みを浮かべながら、光石琴に告げる。
少しバツの悪そうな、あいまいな笑みで「ありがとう、天野さん」と返事をする前会長にカギを手渡したあと、新しく生徒会長となった下級生の女子生徒は、
「旧執行部では広報係として、お世話になりました。放送・新聞部のみなさんにも、よろしくお伝えください」
と、光石に招待された僕に向かって、深々とお辞儀をする。
「いやいや、こちらこそ……放送・新聞部の取材に協力してくれてありがとう」
そう返答した僕に対して、天野さんは、
「新しい生徒会執行部のことも、見守ってくださいね。それでは、佐々木先輩も、ごゆっくり……」
と告げて、ふたたび、ニコリと微笑んで、生徒会室を立ち去る。
「もう、天野さんったら……」
苦笑しながらつぶやく彼女の言葉にうなずいた僕は、
(去年の今ごろは、あんなに落ち込んでいた天野さんが……ホントに強くなったな……)
と、感慨深い想いで、一年前のことを思い返していた。
そんな僕に、「ねぇ、佐々木くん……」と、遠慮がちに声がかかる。
振り返ると、声の主は、
「また、二人きりになっちゃったね……」
はにかむような表情をしながらも、僕の目に真っ直ぐな視線を送ってくる。
そんな彼女の仕草に、今日、自分がこの場所に呼ばれた意味を認識して、僕は思わず固いツバを飲み込んだ。
「そ、そうだね……また、こうして、二人で話すことができて、本当に嬉しいよ」
僕は、正直に想っていることを口にしたんだけど、光石琴は、途端にいぶかしげな表情になり、
「ホントに……?」
と、疑わしい者を見るような目で聞いてくる。
「ほ、本当だよ。あのとき、君に手渡した手紙に書いたように、僕の気持ちは、1年生だったときから、少しも変わってない! いや、むしろ、ますます君のことを好きになって…………」
そこまで言って、僕は自分が相当はずかしいことを口にしていることを認識し、顔が赤くなっていくのに気づいて、焦りながら、あわてて口を手に当てる。
すると、赤面する僕の表情や仕草がおかしかったのか、彼女は、クスクスと小さく笑い声をあげたあと、
「そうだったんだ……心配して、損しちゃった」
と、つぶやいた。
「でも、佐々木くんも悪いんだからね……! せっかく、生徒会に取材に来てくれた、と思ったら、ハザマさんや天野さんとばかり、お話ししてるし……」
「いや、それは、選挙管理委員会や生徒会広報の担当者に、色々と聞かなきゃいけなかったし……」
僕は、取材活動に専念していたことをアピールするために、そう答える。
ただ、それは、あくまで建て前であって、三つの理由のうちの一つでしかない。
残る二つの理由のうち、一つは、以前の生徒会選挙の最中に、拡散された僕が光石琴からプレゼントもらった、ということを曲解されないよう、距離を置いた方が良い、と考えていたこと。
そして、もう一つは、彼女からの生徒会役員の広報の役職の就任要請を断ったことで、気まずさを覚えていたからだ。
そうして、距離を置きながらも、あのときの便箋に綴ったように、その気持ちが変わらない(どころか、彼女への想いは、より大きくなっていた)ことで、一年後に彼女から呼び出してもらうことを願い続けていた僕は、自分自身の性格の意気地の無さと勝手さに嫌気が差していた。
さらに、意気揚々と「生徒会選挙のSNS広報の裏側を暴いてやる!」と、意気込んだものの、学外のことについては、あまり成果をあげられなかった不甲斐なさは、僕自身の自己肯定感をより下げる結果になった。
(こんな状態じゃ、生徒会長として成果をあげている彼女に合わせる顔がない)
という想いの一方で、それでも、
(あのときの彼女の想いが、変わらないでいてくれたら……)
と、すがるような気持ちでいる自分の至らなさに、何度も自己嫌悪に陥っていた。
そうして、自分の身勝手さを自覚していた僕は、あのとき、便箋につづったように、彼女が自分をこの場に呼び出してくれたことが、なかば、信じられない程だ。
(こうして、約束どおり、生徒会室に呼んでくれたと言っても、僕の行為が許してもらえるわけじゃない……)
彼女から、どんな叱責や恨み言を言われ、自分が望むような言葉が聞けなかったとしても、甘んじて受け入れよう――――――。
表情には出さないように努めつつも、僕は、そんな風に覚悟を決めていたんだけど……。
目の前のクラスメート(幸運なことに3年生になっても彼女とは同じクラスだった)は、僕が予想もしていなかったことを口にした。
「ねぇ、佐々木くん。もらったお手紙に書かれていたとおり、あれから一年待ったよ。あの約束のこと、まだ覚えてる?」
真っ直ぐに、僕の目を見て彼女は問いかける。
その視線に、一瞬だけ気圧されるような気持ちになったけど、光石琴の想いを受け止めなければいけないと、すぐに思い直して、僕もそらすことなく彼女の目を見据えて答える。
「も、もちろんだよ! 一度だって忘れたことはないし、僕の気持ちがずっと変わらないっていうのも、本当だ!」
すると、彼女は緊張した面持ちのまま、少し、震えるような声で、問いかけてきた。
「そ、それじゃあ……佐々木くんの気持ちを、ちゃんと聞かせて?」
その言葉の意味を確認しながら、僕は1年生の頃から密かに想いを寄せていた相手に、自分の気持ちを告げる。
「光石琴さん、ずっとキミのことが好きでした。僕と付き合ってください!」
異性に告白するなんて、初めてのことだったし、マンガや映画で見るような、この上なくベタなセリフになってしまったので、
(これで良かったのかな……?)
と、不安に感じたりもしたけれど――――――。
目の前の女子生徒は、僕のストレートな言葉を受け止めるように、ゆっくりとうなずいて、少し、はにかむような表情で答える。
「佐々木くん、ちゃんと、気持ちを伝えてくれてありがとう。私も、自分の想いを伝えさせてもらうね」
彼女の言葉に、だまってうなずいて、じっと、その言葉を待つ。
「佐々木望海くん。私も、ずっとあなたのことが好きでした。この気持ちは、ずっと変わらないと思います。だから――――――」
そこで、言葉を区切った光石琴の目を見据えながら、僕は思わず固い唾を飲み込んだ。
「受験が終わって合格したあとも、あなたの気持ちが変わらなければ、私とお付き合いしてください!」
それは、まるで、想定していないことだった。
「えっ!? 入試が終わるまで?」
僕は、彼女に聞き返す。コクリ――――――と、うなずいた。
「だって、いま、佐々木くんと交際をはじめたら……嬉しすぎて、勉強が手につかなくなってしまうそうだもん……」
うつむきながら、消え入りそうな声で答える彼女の頬が、朱色に染まっているように見えるのは、傾いた西日に照らされているから、だけでは無いと思う。
そのことを認識すると、僕自身も頬が熱くなるのを感じはじめる。
「そ、そうか……そう言ってもらえるのは嬉しいかな……でも、良く考えたら、僕も光石と同じで、いま付き合ったら、勉強する時間が無くなっちゃうかも……」
「だよね……?」
照れくさそうに上目遣いで問いかけてくるその姿は、思わず抱きしめたくなるほど可愛らしかった。
(い、いや……まだ、付き合ってないのに、そういうのはダメだよ)
自分の中に残っていた理性で、なんとか衝動を抑えた僕は、精一杯の笑顔で返答する。
「あ、あと、4ヶ月だよね? 光石には、一年も待ってもらったから……僕も光石の気持ちを信じて、待たせてもらう。来年の3月に一緒に笑えるようにがんばろう!」
そう答えると、彼女は満面の笑みをたたえて、大きく「うん!」と返事をして、
「佐々木くんなら、そう言ってくれると思ってた!」
と、弾むような声で語った。
(良かった……なんとか、彼女の期待に応えられたみたいだ……)
そう安堵しつつ、僕は相手に悟られないように、心のなかでため息を漏らす。
実は、僕と光石琴は、同じ大学を第一志望としていて、その志望校では、前年度まで推薦入試の枠があった。
だけど、ケイコ先輩の推薦が取り消しになったことは、僕たちの学年にも響いて、先輩と同じ学部を志望している光石琴も、(生徒会長を務めたにもかかわらず)残念ながら推薦入試を受けることができなかった。
それもこれも、ケイコ先輩の推薦入試枠をつぶそうとした、団体のせいではないか……と、僕は憤りを感じずにはいられない。
もっとも、当のケイコ先輩自身は、自力でアッサリと志望校への入学を勝ち取り、いまは、時事系VTuberの中の人として、大学生活との二足のわらじ生活を満喫している訳だけど……。
(でも、僕はともかく、光石は来年まで合格発表を待つ必要は無かったかも、なんだよな……)
僕が、そんなことを考えていると、目の前の相手は、どこまでも他人想いの言葉を口にした。
「いまの2年生のためにも、私たちががんばって、推薦枠を復活させないと、だしね!」
全校生徒が慕う彼女の人柄に触れたことで、より愛おしさが込み上げてきた僕は、
「そうだね! がんばろう!!」
と返事をする。すると、ふたたび、「うん!」と答えたあと、光石琴は、小さな箱を取り出した。
「私のことを待ってくれてるって約束してくれたお礼、渡してもイイ?」
それは、僕の好物である九楽園口駅のそばにあるチョコレート専門店のチョコアソートだった。
「今なら、受け取ってもらっても誰にも文句は言われないよね?」
笑顔でそう付け加える彼女に、「ありがとう、嬉しいよ」と一言お礼を言って、縦長の形状の箱を受け取る。
「せっかくだから、一口食べてみない?」
という声にうながされるように、僕は小箱のリボンを解いてフタをあけ、一番カカオの含有量が高い、濃い茶色のチョコを選んで口に運ぶ。
カカオの苦みが口に広がったのが顔にあらわれたのか、口角がかすかに動いた僕の表情を見逃さなかった彼女は唐突にたずねてきた。
「ねぇ、ビターチョコレートを甘くする方法って知ってる?」
なんのことかわからずに、「い、いや……知らない」と答えると、
「それはね……こうするんだって……」
という言葉が聞こえて、次の瞬間、頬に柔らかなモノが触れるのを感じた。
何が起きたのかを理解して、さっきよりも、もっと頬が熱くなるのを感じながら、僕は、この幸せな瞬間をあと4ヶ月も我慢できるだろうか、と思いはじめていた。




