第8話 相棒
それにしても暑い。放り出された時は肌寒いくらいだったのに。急いで動き始めたからなのか、だんだんと体温が上がってきた。
視線を手前に戻すと、海岸までは近いように見えて、かなりの距離がありそうだった。所々、巣穴らしきものも確認できた。
月明かりの下、大きな影や、細長い影、小さな影など、色々な生き物の影が映し出された。海岸線は数十秒おきに霧がかかったり、消えたりしている。すごく見通しが悪い。海岸を抜けるより、森にまぎれている方がいいかもしれない。
再び大木に身を寄せる。今度は森側に視線を巡らして、辺りをうかがった。向かって右奥に道らしきものが目に入ってくる。
道をたどっていけば、おそらく村に出ることができるだろう。木々の隙間から砂地が遠くの方に見える。忍んだ動きで大木から一歩離れたその時、バサッという音とともに多くの影が空に浮かんだ。
やられた!
すでに囲まれていたのか。目視ではなく、元素をつかって確かめるべきだった。周りの把握は危機管理の基本。そんなことにも頭が回らないなんて。行動が一手遅れた結果がこれか。
でも、泣き言を言っている場合じゃない。すぐに切り替えないと。
木の枝の少し下、不気味に赤く光る目が無数に見えた。こうなっては応戦するより他はない。幸い、この辺りは光の元素や雷の元素に満ちている。なんとかして追い払って、逃げ道を探そう。
アームドを胸の中心部から左肩へ、肩から指先へと展開していく。が、思った通りにアームド
を拡げられない。体の端へ行けば行くほど、うまく力が入らず、元素を感じることも難しい。特に指先にはもうほとんど感覚がなかった。
一羽が鳴き始めると、続いて、二羽、三羽と鳴き続いた。十数羽はいるだろうか。少しひらけた場所に移動しないと。先に敵の把握だけでもしなければ。そう思って、光を周りに拡げようと試みたが、細かいコントロールが効かない。光を十分に拡げられないし、索敵もできない。
まずいな…。
こうなったら、逃げるが勝ち、か。目くらましだけ焚いて、あの小道まで一息に走ろう。
と、一歩踏み出そうとしたそのとき、自分がとんでもないミスをしていたことに気がついた。足に力が入らない。いや、体全体に力がこめられない。
大木を真上に見上げると、やはり枝の根元に青白く明滅しているリンゴがたんまり実っている。まさか背中を預けていたのが巨大なポップルツリーだったなんて。しくじった。はっきりと匂いはしていたのに。
ポップルツリー。毒林檎の木。甘い香りの毒を放つ植物。こんなに大きなサイズのものが存在していたとは思いもよらなかった。光の国の何倍なんだ。毒にあたるのは久しぶりだな。毒…ふと母さんとの会話が頭をよぎった。
「いつ来ても、ここには誰もいないね。」
「そうね。」
しっとりとした明るさの中、僕たちは紫の花に囲まれている。群生、という言葉がぴったりの景色。さわやかでいて、少し甘い香りが一面に広がっている。
「こんなにきれいなのに。どうして?」
「それはね。ユーコッドの蜜が猛毒だからよ。」
「えっ…。」
ほおのあたりがひくつく。
「大丈夫よ、ソラは大丈夫。」
ママは僕のほおをなでて、微笑んでいる。
「…?」
「ソラにも見えるでしょ。光の元素。だから毒で還ることはないの。」
ママの手のひらにはホワホワとした綿毛のような塊が煌めいている。
「でも、もし体がしびれてきたり、動かなくなってきたら教えてね。光の元素を体に流すから…。」
それだ。体内に流せばいいんだ。慌てて、そこら辺にある光の元素を集めて胸に手を当てる。いくらか流したけれど、完全に解毒することはできなかった。多少動ける程度まで回復してラッキーってところか。それにしても、ここまで暗いと、相殺するだけの量は確保できないし、何より強毒を近くで浴びすぎた。
一度戻ったのも束の間、だんだんと体の芯から熱くなり、手足も先の方から痺れてくる。鼓動は一層速くなる…もって三十分くらい。この木がポップルツリーだということは、先ほどの赤目は恐らくポップルバットの群れ。たいしてダメージのある攻撃はしてこないだろうけど、気絶した後に、どこに連れて行かれることやら。
そんなことを考えていると、ふと、こぬか雨のように首周りからひんやりしていっていることに気がついた。
…この感じはもしかして…。
「ピート?」
懐かしい感覚と共に少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
「そうか。一緒に来てくれてたのか。ありがとう。」
声に応えるように小型の龍が姿を現した。透き通るようなアクアブルーの体。僕が生まれる前からの相棒。慌ただしく揺れていた心がふわりと着地する。
「少しめんどうに巻き込まれているんだ。合わせてくれ。」
「ソラは相変わらずの貧乏くじだねぇ。」
こんなときでもピートはピートか。
「ご覧の通りだよ。」
僕は赤光りする枝をプルプルと指さして言った。
「じゃあ、早いとこ片付けてしまおうかぁ。」
おっとりとした返事とともにピートは霧状になり、ぼやけていく。いつもは手のひらサイズなのに、あっという間にそこらへんに生えている木よりも大きくなった。
頭がふらふらして、心臓はキリキリと痛む。この様子だと三十分どころか五分と持たないような気がしてきた。多分、数回攻撃したら倒れるだろうな…。いや、一回に賭けよう。一度の大技で追い払うしかない。