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第7話 旅立ち



何が起きてるんだ。

父さん、助けて。動けないよ。


目が合うと、父さんは少し寂しげに優しく微笑んだ。体の自由が全くきかない。ただただゆっくりと後ろへ引っ張られていく。周りの景色は闇に飲み込まれていき、どれだけもがこうとも、真っ暗い何かが僕をつかんで離さない。


だめだ、身動きが取れない。でも…。


周囲の空気がひんやりとしてきた。向こうの世界がだんだん小さくなっていく。

「ソラ。またな。」とつぶやく父さんの足元からは真っ黒な元素が渦を巻いて、スルスルと体にまとわりついていく。見覚えのある漆黒の大きな鳥が地面から順々に生まれてきていた。父さんは左手を前に突出し、指先で召喚陣を起動した。そこから避難用のカバンを呼び寄せると、フワッと僕に投げてよこした。

カバンを受け取り、遠くなった世界を見上げると、雷を帯びた黒い光の球が父さんの周囲に漂っていた。黒狼がこちらを向いて、ニヤリと笑うのが小さく見えた。父さんは僕を隠すかのように位置取り、たくさんの黒い鳥とともにゴドムに向かって空間を駆け上がっていく。張り詰めた空気がひしひしと伝わってくる。瞬きのあいだに、黒い渦はズズズゥーッと閉じてしまった。


ただただ真っ暗な空間に包まれている。視覚が全く意味をなさない。やがて、森の香りもどこかへ消えてしまった。首筋にひんやりとしたものがまとわりつく。汗がぽたぽたと滴り落ちていく。異様なまでに闇。自分がすっぽりと収まり、一つになったような錯覚に陥る。懐かしい感覚を身体が思い出した。



「瞑想しよう!」

そう言っては兄と納屋へ忍び込んだ。

父さんは決まって朝晩、そこで瞑想していた。とても不思議な場所だった。畳が三枚敷かれているだけの空間。明るければ壁画も、天井も見ることができたのだろうけれど、そんなものにはまるで興味はなかった。

僕たちの身長でも頭を屈めないと通ることができないほどの小さな入り口を閉めると、そこにはいつも宇宙があった。どんなに落ち込んでいても、どんなに気分があがっていても、なぜだか鼓動は穏やかになり、自分という器から少しだけ溶け出したような心持ちになれた。何もない世界。扉を閉めた途端に暗がりが広がっていき、兄はもちろん、自分の輪郭すらわからなくなった。でも、それは僕にとって不安や恐怖の源にはならなかった。暗闇は周りと同化するために必要なことだと信じて疑わなかった。



それでも、今回ばかりは落ち着くことはできなかった。行き場のない感情が、定まることのないイメージが体中を駆け巡っている。今考えるべきではないことだと頭ではわかっていても、それを止めることはできなかった。



 ◇ ◇ ◇



何分経っただろう。少し鼓動は落ち着いてきた。と、急に遠くの方からものすごいスピードで赤白い光がやってきた。その光に包まれたかと思ったら、ものすごい力で後ろにぶん投げられた。なんとか受け身を取り、体を小さく丸めながらゴロゴロと転がっていく。耳の奥に葉っぱやら枝やらを押しつぶす音が響いてくる。甘ったるい香りが急に鼻の奥まで広がってきた。


痛!


大きな木に背中を強打し、ようやく勢いがとまった。目をあけると、ズンズンと縮んでいく暗闇への穴が見えた。いくつもの色が目に飛び込んだきた。ここはどこだろう。りんごを焼いたような香りの奥に、かすかに潮の香りも漂っている。



あたりを見回すと遠くの方に明るい海が見えた。反対側には森が向こうまで続いている。見上げると雲ひとつない空がはっきりと広がっていた。


「そうか…。」


思いがけず、言葉が舌の上を滑り落ちていく。ここは光の国じゃない。どこか知らないところへ来てしまったんだ。

冷たく乾いた空気が海の方から吹き込んでくる。とりあえず大木を背にして、草木の茂みに身を隠した。速くなった鼓動を落ちつかせ、頭の中の整理につとめる。


父さんと別れてからどれくらいの時間が経ったのか、僕らに何が起きたのか、色々なことが頭をよぎっていく。答えの出ない疑問がほとんどだ。

でも、僕たちに何かとんでもない災いが降りかかってきたという事実だけは疑いようがなかった。あのゴドムという黒狼は一体何だったのだろう。父さんはつとめて笑顔でいてくれたけれど、明らかに危険を察知していた様子だった。あそこまで張り詰めた父さんを見たのは初めてだ。あの暗闇が何だったのかはわからないけれども、きっと僕を逃がしてくれたにちがいない。


「グゴァァ、グゴァァ」


耳障りな音が夜風に乗って、森中をこだまする。雲隠れしていく月が夜を余計に作り出していく。


「ギョェイ、ギョェイ、ギュゥエーッ」


甲高く耳に障る、聞いたことのない鳴き声が森に響き渡る。それに応えるようにやや低めの鳴き声がかえってきた。何かを伝え合っているのか、何度も鳴き声のやり取りが交わされている。

僕が狙われている可能性もないとはいえない。ここで、ゆっくりはしていられない。できるだけ目立たないように行動して、離れないと。

這うようにして、あたりをうかがう。

大木の裏手を覗き込む。森の裏側は少し進んだところから、緩やかな崖になっていて、そのまま海に行けそうだった。海の方へ少し身を乗り出して周りを確認した。

遠く海を眺めると、水平線に雲がそびえたっていた。その雲に向かって海の途中から雷道ができている。沖合の方からずっと向こうまで、雷が枝分かれして海の上を走っている。それとは別に、黒っぽい風が渦を巻いて、こちらに向かってきていた。



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