第51話 侵食
ある晩、急な来客があった。
部屋中に響き渡るドレさんの声でリビングに呼ばれ、扉を開けると、トットさんが座っている。
「ソラくん、マーサちゃん。すまんが、少し話を聞いてくれんか。」
いつもとは全く違う真剣な眼差し。
空気に気圧されて、うまく足が出ない。
マーサの顔色が一気に変わる。
「二人ともぉ、とりあえず座ろうよぉ。」
ピートは、ヒョロヒョロと飛んでいく。いつも通りのピートに少し救われた気がする。
僕たちが腰を下ろすと、ルーブさん、イエさんも後からやってきた。二人とも、視線を落とし、静かに椅子をひいた。
「アク・ヴォ・モントに行き、この国を救ってくれんか。」
予想外の一言に僕たちはしばらく言葉に困った。話が全く見えない。
「どういうことですか?」
マーサが落ち着いたトーンで聞き返す。
トットさんは、とても丁寧に話をしてくれた。この国の成り立ち、歴史、毒風の発生、侵食、この国の行く末。
「じゃあ、このまま放っておくと、この国は…。」
マーサはなんとか言葉を絞り出す。
「毒島になる。汚染が進んでゆくと、少なくとも今住んでいる者たちは住めん。」
「だから、ママもパパも…。」
「そうなんだよ、マーサちゃん。あの2人のおかげでこの島の寿命はずいぶん伸びたのさ!」
「でも、それも今しばらくのことで、それが過ぎたら、あの2人だけでは到底止められないですわ。」
ルーブさんは小さく首を振った。
「…でも…あぶない。」
イエさんの言葉からしばらく沈黙が時を刻む。
「行こっか?」
マーサが微笑みながら僕とピートに向かっていった。
「いいよぉ。」
返事が早いな、ピートは。
「もちろん!」
もともと行きたかった場所だし、何よりこの街に戻ってきてから、ずっと、あの水山から小さな声で呼ばれてる。気になって仕方ない。
「ありがとう。できる限りのサポートをさせておくれ。」
「久しぶりに難易度の高い冒険だね!腕が鳴るね!」
「仕方ないですわね。力を合わせて頑張りましょう。」
「…てつだう。」
それぞれに覚悟が決まる。
大丈夫。このチームなら、きっと毒風を止められる。
次の日から、各々、準備をすすめていった。
僕たちは旅立つ準備として、いろいろな確認に時間をあてた。
その後、とりあえず1ヶ月後に集まろうという話になり、組み手や瞑想など好き好きにトレーニングを重ねた。
武器や防具なども一通り試して、修練を深めた。父さんと別れて以来、久しぶりに時間をとって修行できた。
道具も少し手に馴染んだ頃、約束の日が来た。
◇ ◇ ◇
冷え込みの激しい朝。
胸が高鳴り、逃げ出したくなる、そんな気持ちを小脇にかかえたまま、この日を迎えてしまった。
窓には結露、吐息は白く暖かかった。ドランドでもそうだったが、この国では何日かに一度は強烈な冷え込みがやってくる。
僕たちが準備を整えて、リビングに向かうと、すでにイエさん以外はそろっていた。円卓ではトットさんとルーブさんが干菓子をつまみながら談笑している。ドレさんも席に着く。
「首尾はどうかな?」
トットさんが僕たちをゆっくりと見ながら話す。
「イエさんからもらった道具も手に馴染んできましたし、準備は万端です。」
「ソラもわたしも、いつでもアク・ヴォ・モントに向かえます。」
マーサの方が余程、肝がすわっている。いや、もしくはネジが外れているのか。
「お二人に、これを差し上げますわ。旅立つ前に、必ず打ってくださいまし。」
ペン型の注射器に飴色の液体が入っている。
「これは?」
危ないものではないだろうが、一体何だろう。
「わたくしがこれまで研究した血清の中でも、いちばんの出来のもの。ある程度、アク・ヴォ・モントで受ける異常状態を緩和してくれますわ。太ももに強く押し当てて使いますの。」
そうだった。見た目や言葉遣いとは違って、ルーブさんは医者だ。それもこの国では並ぶものがないほどの。
「あんたたち、必ず生きて帰ってくるんだよ!」
ドレさんが壁の方をチラリと見た。
久しぶりに願をかけたらしい。みんなの視線がそちらに向かう。
そこにはトットさんを見つめていた時の僕とマーサとピートが描かれた絵が飾ってあった。相変わらず本物と見紛う画力だな。
気がつくと、後ろにイエさんが来ていた。
「ライおじ…あの地図…。」
「そうそう。伝承図か。イエちゃん、持ってきてくれんか。」
「もう…ある。」
イエさんが机に何かを広げて、トットさんが話し始める。
「少し聞いておくれ。ずいぶん昔だが風土病にかかって、行き倒れていた冒険者を助けたことがあってな。確か薬を作ったのはルーブちゃんだったか…?」
「ええ、そんなこともありましたわね。」
「その後、助けた若者と意気投合してな。勢い余ってアク・ヴォ・モントの話をしてしまっての。そしたら、宿を後にしてから、一週間もせん内に、この地図を持ってきたのだ。『奥までは行けていない。一人では難しいところがある』と言うておったかな。とりあえず自分には仲間と探索する時間がないから好きに使ってくれ、と地図を残していった。」
それは古い羊皮紙で、紙の右上に方角を示すマークと走り書きのような字でアク・ヴォ・モント内部と書いてある。他には特にこれといって何も書いてなかったが、文字を一目見た瞬間、僕は頭頂部からつま先まで感電した。