第5話 咎の印
橙紫のグラデーションが空を覆っていく。門灯がポツリとたたずむ。
いつもなら、つるべを落とすように夜がやってくるが、今日は祝謝祭。咎人たちを送り出すために、どこもかしこも、ひっくり返したようにお祭り騒ぎだ。村のあちこちにはかがり火が組まれ、こころなしか寒さもぐっとましな気がする。
「ソラ、痛みはどうだ。」
父さんがそっと背中をさすってくれる。
「まし、かな。」
張りつくような笑みを浮かべた。冷や汗が止まる気配はない。剣山で皮膚の奥まで突き刺されているかのようだ。
「無理するなよ。」
「うん。」
「……もう、旅立つんだな。」
「…そうだね。出発前に母さんと兄さんにキンモクセイでも供えにいこうかな。」
「喜ぶだろうな。父さんも一緒に行くよ。」
もうすぐ僕の番だ。何とか痛みをこらえながら立ち続ける。見たことのない顔ばかり並んでいる。それもそうか、いくつもの村からここにやってくるわけだし。
「つぎぃー、まいれー!」
いかめしく呼ぶ声に少しイラリときた。遠くで見かけたことはあったけど、はじめてこんなに近くまで来た。ろうそくがじんわり燃えているような匂い。周りの空気が澄んでいくのを肌で感じる。
「ばあちゃん、久しぶり、元気だったか?」
父さんが優しくハグをした。
オババ様は口をパクパクさせて、父さんの方を向いている。音は音だけど、よく聞き取れない。
「おぉ、それは良かった。長生きはするもんだろ。息子なんだ。頼むよ。」
オババ様がこちらへと向き直る。きちんと目が合った。ニコッと笑いかけてくれる。優しい光に包まれた手を左肩に付近をあてて、絵柄を確認してくれた。すぅっと痛みが引いていく。なんだかよくわからないけれど、すごいな。
円環のジュノ。昔は大陸に名を轟かせたらしい老エルフ。現在ではきちんと意思疎通ができる人も限られていて、ほとんど関わる機会はない。噂ではもう千年以上もこの村を守ってくれてるらしい。
(これは…今までに見たことのない紋様じゃな。ドラゴン、いや、龍と…月光じゃろうか。何にせよ、東方におられる三賢人様にお見せになるがええ。御子にご加護があらんことを。)
古エルフ語。よくわからない言葉がつらつらと耳に入ってくる。でもって頭の中にはきちんと話しかけてくるものだから、なんだか不思議な気分だ。
「ソラ。なんて言われたんだ。」
「オババ様が言うには、見たことのない紋様だって。」
「へぇ。」
「龍と月光って言ってたよ。」
「痛みはどうだ?大丈夫か?」
父さんはそう言いながら左肩をポフポフさする。
「うん。ジュノ婆が触れた途端、嘘みたいにひいていったんだ。」
「なら、安心だ。それにしてもジュノ婆が見たことないなんて、よほど珍しい模様なんだな。」
「そうなのかな?それよりも何だかまだ頭の中がぐるぐるしてるよ。」
「言葉ってのは壁だからなぁ。習うより慣れろってな。」
「そんなもんなの?で、父さんはどう思う?僕の印。」
「模様はあくまでも、添えのもの。印と理解し合えることが一番大切だよ。兄さんにもよく言われてたろう。」
そう言えば、「ソラの見ている世界が全てじゃない!大事なことほど目には見えていないもんなんだよ。」って兄さんにも、よく叱られたっけ。
「って言っても、模様も気になるじゃないか。」
「そうだよな。んー。龍と月光…ねぇ。」
「それでさ、行き先なんだけど。」
「どこになったんだ?」
「なんか、東方のさんけん…。」
父さんが急に人差し指を口元に立てて、辺りを見回した。
「ソラはここに。」
見慣れないほど殺気だった顔で入口の方へすっくと歩き出した。同時に、頭の中に言葉がスゥーッと流れ込んでくる。先ほどよりも雑音が混ざった感じではあるけれど。振り返るとオババ様は何やら両手を掲げて、何かを唱えている。
(村のみんなはこの館へお入りなさい。子らよ。急ぐのです。)
おばば様の意図はわからないが、なんだか無性に体の内側がぞわぞわした。少しすると、大勢の人たちが、がやがやと入り口からなだれ込んできた。レクサやゲインの姿も確認できる。
と、一瞬、父さんが何かと闘っているイメージが頭に流れ込んできた。怖気が背中を駆け抜けていく。
「起きている時の夢が一番こわいのよ。だから、寝ながらみる夢は大丈夫。ゆっくりおやすみ。」
こわい夢を見た時、半ベソをかきながら抱きつきにいくと、母さんは決まってそう言っていた。
居ても立っても居られず、人の流れに逆行して、父さんの後を追っていく。けれど、入ってくる人が多すぎて、すぐに見失ってしまった。
胸の鼓動が速くなる。かき分け、かき分け進んでいくと、急に後ろから右腕をがしっと掴まれた。
「ソラ!」
「ユンナ?」
「どこ行くのよ。奥に行かないと。」
ぎゅっときつく握りしめてくる。いつも以上にはっきりした二重だ。
「行かなきゃ。」
偉そうな言葉が口をついて出てきた。何の役割も与えられていない、ただの咎人。でも、根拠のない義務感が僕を引っ張っていく。
僕の声を聞いたユンナは、おもむろに手をほどいていく。少しうつむいて泣き出しそうな声で言った。
「…独りにしないで。」
…そうだ。
あの時も、そう言われたんだ。同じ表情で、か細く、絞り出した声で。
思い出せなかった言葉が、忘れていた表情が、今まさに目の前で触れているかのような記憶としてよみがえってきた。その先は相変わらずピントが合わないけれど。
「もちろん。大丈夫。」
頭で考えるよりも先に言葉が出ていく。軽くユンナにハグをする。ありえないほど冷たい空気が体の周りを覆っていた。