第38話 アマヤドラ
そんな僕たちの緊張感を嘲笑うように、正面から、ズサッ、ズサッと足音を立てながら悠々と歩いてくる。僕たちはそちらに注意を向ける。
木々の影から大きな翼の生えた虎が姿を現した。
まだ二十メートルは向こうにいるが、視線がしっかり僕たちと合っている。体は不思議と軽かったが、この場をやりすごせる気がしない。
「よかったねぇ。」
ピートがポツリとつぶやいたのが聞こえてきた。何がよかったんだ?今すぐに逃げ出したい気持ちでいっぱいだよ。
僕たちは正面に並び立ち、猛獣を迎えた。
マーサの目は見開き、頬がひきつっている。
歩いてくる獣の体は金色に光り輝いていた。小さく見積もっても体長五メートルはあるだろうか。濃い紫や赤のラインの模様が体を貫いており、長めの牙に、見るからに固くて鋭い爪。黒光りしている三叉の尾は長く、生えかけの翼は発光している。
見た目はもちろん、優雅に歩く様子からも、周りと同化する必要性がないことが、はっきりと見てとれた。
ホラアナグマの比じゃない。そう感じたのは僕だけではなかったようで、震えも通り越して、諦めにも似た雰囲気が二人の間に流れていた。
マーサは瞳を震わせて、言葉を絞り出す。
「アマヤ…アマヤドラ…なの…かな?」
「アマヤドラ?」
「…図鑑でしか見たことないんだけど…。」
マーサはいぶかしげにうなずいた。
「僕も…できることなら…今すぐ逃げ出したい…。」
僕はすくんだ足をギュッとつまんだ。
「でも、あんな色じゃなかったし、体長は一メートルくらいだって…。」
「…無駄だよぉ。」
ピートはフワフワと旋回しながら言った。こんな時でもピートは平常心だ。
じんじんする太ももが僕の心を支えてくれる。
「…ソラぁ。恐怖心は…?」
「…友達。」
決まって交わした父さんとの合言葉。全く…ピートの言う通りだよな。時間がもったいない。覚悟を決めないと。
「…大丈夫。何とかなるよ。」
マーサの目をしっかりと見据えて、ひきつった笑顔で想いを伝える。
こわい。
逃げたい。
もう、本当にだめかもしれない…。
それなのに、どこか楽しんでるような自分もいる…。
ふぅーっ、と深呼吸を一度して、全身を脱力する。
“キラーソ・マルモッラ”(鎧光)
あたりに充満している元素を光と混ぜて、できるだけ圧縮して身にまとう。アームドを左腕から剣の形にして伸ばし、右手には光の元素をありったけ圧縮して、握り込む。
どのみち短期決戦。出し切ろう。
「マーサとピートは援護して。」
すでにピートは大小様々な水球を作って、空中に浮かべている。
僕は歩み寄るアマヤドラをむしろ凝視しながら、ゆったりと向かっていく。おびえを気取られないように。アマヤドラの基本元素は…土…森…水…。中でもかなり水が多い。水か。この森に雷があれば良かったんだけどな。
あと五メートル…あと三メートル。互いに足が止まる。それ以上は距離を詰めてこない。僕が一歩近づくと、アマヤドラは一歩分下がり、一歩離れると一歩分前に来る。互いに弧を描くように一定の距離を保ったまま、相手の出方をうかがう。
と、次の瞬間…目の前からいなくなっていた。
どこだ?消えた?慌てて左右に目をやる。どこにもいない。
「ソ…ァー!……ラー!……え!」
後ろからマーサが何か言っているようだが、風にかき消されてうまく聞きとれない。急に地面が暗くなる…上か!
一瞬で真上から襲いかかるのに、予備動作なしか。化け物め。かろうじて、爪をアームドで受け流す。すぐさま横へ一回転し、体勢を整えて、アマヤドラへ向かって剣を伸ばす。
ガキィン!ガァァン!
爪とアームドがぶつかり合う音が響く。むき出しの暴力。力を全て的確に打撃に乗せてくる。それに速い。かろうじて身体が反応してるだけで、だんだん力負けしていく。
ギィィン!
後ろへ弾き飛ばされてしまった。
まずい、次が来る。
“ ピルーコ・アルジーロ”(土連弾)
マーサは両手をアマヤドラに向けて拳大の砂土を放つ。
僕は慌てて体を小さく丸くする。が、同時に、アマヤドラも無数の土の塊を浴びて後ろへ飛ばされていた。
覚えた技をもう使いこなしている。やっぱりマーサはすごいな。ピートにチラリと目をやると、細かな無数の水針をこちらにむけている。
アマヤドラが大きく息を吸う。急速に体内で火の元素が練り上げられているのがわかった。
とんでもない量の炎がくる。そう感じた瞬間、予想以上の豪火に見舞われた。とてもじゃないけど、間に合わない。かろうじて顔を腕で覆い、その場にしゃがみこんだ。
同時に、空気を切り裂く音が聞こえた。ピートの水針が僕を守るように通り過ぎていく。暴力的な炎と相打ちになり、あたりは蒸気に覆われた。
助かった、と息を付いたのも束の間、敵を見失ったことに気がついた。
しまった。
どこだ。
あたりを確認しかけて、ふっと父さんの言葉が頭をよぎる。
「ソラ。見るんじゃない。感じるんだ。元素を通じて、本質を視るんだ。」
そうだ。落ち着け。見るんじゃない。感じるんだ。慌てて半円球状に光を拡げていく。