第29話 時を告げる
しばらく進むと、遠目に岩壁がそびえたっているのが見えてきた。
「ソラ、見える?あれを越えたらホザートよ。」
大きな裂け目を指差しながらロッツさんが続ける。
「あの真ん中がドクロ谷。夜には本当にドクロを見た人もいるらしいが、昼間は出たことねぇな。」
「そうね。秒針の音が聞こえることがあるくらいで、特に襲われたって話は聞いたことがないわ。ホザートまでいくのには一番安全よ。」
そう言って、アンナさんはにこりと笑った。
近づくに連れて、赤土でできた岩壁のあちらこちらから、どこからともなく、カチッ、カチッ、という時計の音がしてきた。
ゴツゴツした岩肌から、ところどころ何かの巣穴がせり出ている。角が三本あるシカらしき生き物や、二メートル近い巨鳥など、見たことのない生き物がたくさんいた。
時折、鳴き声や仕草から敵意を感じることもあったけれど、谷へと続く道に近寄ってくることはなかった。
秒針の音がはっきりと鳴り響いてくる。入り口に着く頃には無数の音に囲まれていた。
「さぁ、ドクロ谷よ。ここを抜けたら、ホザートが見えてくるの。」
アンナさんが教えてくれた。
身構えるマーサと僕を尻目に二人は変わらず気楽に歩いていく。遠足にでもきているかのような足取りだ。ピートにいたっては先に進みすぎて、しばらく姿を見ていない。
谷の両側を見渡すと、片側からは溶岩のようなものが垂れてきていて、もう片側は分厚い氷のようなものが張っていた。ジリジリと温度の上がるはず真昼間なのに、不思議と全く気温を感じなかった。谷の中は暗く、乾いた砂の匂いがしていた。
谷の真ん中にさしかかろうとしたその時、ロッツさんが右手を横に出し、みんなの歩調を制した。二人のさっと顔色が変わる。そして、僕たちを囲むように身構えた。
それを見た僕とマーサも背中合わせになった。四方に声帯するような陣形であたりに注意を払う。ピートはフワフワと僕たちの上を旋回し、あたりに目を光らせていた。
ボォーン
ボォーン
ボォーン。
低く太い古時計の音が鳴り響く。その音は谷に反響していき、やがて秒針の音は聞こえなくなった。
「なんでい、今の音は…。」
「はじめて聞いた音ね。気味が悪いわ…。」
そう言いながら、なぜだかアンナさんの表情は楽しそうだ。
「警戒しなきゃだね、ソラ。」
マーサの眉がキリリと上がっている。
圧迫された空気が周りに充満していく。何も目に入ってはこないのに、何かがたくさんいる気配。耳を澄ましても、僕たちの息遣い以外、何も聞こえない。
と、どこからともなく、ひんまがった大きな古時計が少し向こうに浮かび上がってきたのが見えた。音もせず、気配も感じとれない。
「ドクロ…か?」
ロッツさんの顔に緊張が走る。
…この感じ。もしかして…。
「大丈夫です、恐らく危害は加えられません。」
僕の確信めいた言葉にマーサたちは驚きの表情を浮かべた。
ドクロは時告げだったのか。懐かしいな。
僕は光の元素を体全体にまとう。
途端、時告げが無数に現れる。僕たちは何重にも完全に囲まれてしまった。
…!!
背筋に視線が突き刺さる。振り向くと、一瞬、先ほどの古時告げと目が合った。
かと思うと、まばたきの間に視界から消えていた。
気配を感じて、正面に向き直ると、すぐ目の前に、ほんのわずか数センチのところに、それはいた。
尋常ではない雰囲気をまとった巨大な時告げを前に、誰も身動きを取ることができなかった。
額から汗が噴き出る。頬を伝って、地面に落ちていく。
古い時告げは僕としばし睨み合ったあと、一歩下がり、ポォォーンと優しい鐘を打った。
すると、無数の時告げたちは居直り、僕たちに向かって、お辞儀した。
「ソ…ソラ。これは、どういうことなの。」
震えた小声をマーサがしぼりだす。
「わからない…。」
「けど、敵意は感じないわね。」
アンナさんがニコッと笑う。時告げたちはだんだんと薄くなり、消えていった。
カチッ…カチッ…。
気がつくと、再び秒針が鳴り響いていた。
ようやく谷の向こうが見えてきた。出口もほど近い。と、少し先で細雪が空中にふわふわと浮かび上がっていた。
足元に目をやると、無数の雪がぷくぷくと地面からこぼれている。
「あっ。」
「わぁ!」
「おぉ!」
口々に歓声がもれる。
「久しぶりの出迎え雪ね。出迎え雪は幸福の調べ。ソラくん、きっといいことあるわよ。」
「はい…?」
「ホザートには言い伝えがあってね、街に入る時に雪が上るといいことがあるの。」
「祝福されてるってこと?ドランドにも女神様がいるんだね。」
ロッツさんとアンナさんは目を見合わせて、なんだか嬉しそうにこっちを向いた。
「そうね。」
「あぁ、そうでぇ。」
そう言うと、ロッツさんは空を指さして、くるくると小さく三回円を描いた。
懐かしい。ドランドの人も似たような仕草で祈るんだな。
谷を抜けると少し向こうに街が見えてきた。
街を中心にして何本も道が伸びている。大きな街だと一目で分かった。
心なしか、みんなの足取りも軽い。地平線の向こうまで、青空が拡がっていた。




