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ラーメン屋の杏仁豆腐

作者: 宮野ひの

 ズルル。ズル。店内にラーメンをすする音が響き渡っている。平日にもかかわらず、ラーメン屋『流れ星』は満席だ。


 テーブル席は家族連れ、カウンター席はサラリーマンなどの一人客で埋め尽くされている。時折、子どもの「おいしー」「あつい!」と元気な声が聞こえてくる。


 私は背筋を正して、杏仁豆腐にスプーンを入れた。ぷるんとした白い塊は、あまり噛まずとも、喉をするっと通り抜ける。後味もしつこくなく、さっぱりしていて美味しい。


 先に席に着いていた、カウンター席のサラリーマンに、訝しげな目で見つめられた。しかし、それも一瞬のこと。すぐに自分の中途半端になっているラーメンに箸を入れた。


 私はラーメン屋に来てすぐに杏仁豆腐を注文した。もちろん、ラーメンを食べることはせず、デザートだけ頼んだということだ。店員さんからも「杏仁豆腐だけで大丈夫ですか?」と目を丸くして聞かれた。


 ラーメン屋『流れ星』は、特別杏仁豆腐が美味しい店というわけではない。むしろ、味噌ラーメンの方が、来店した人みんな頼むと言われているほど、人気が高い。言っちゃ悪いけど、私が食べているのは、どこにでもある杏仁豆腐だ。それを私は、単品で頼んで、ゆっくりと堪能しているということだ。


 杏仁豆腐を半分まで食べたところ、私はスマホを取り出して、最新のニュースをチェックした。

ある人気俳優が地下アイドルと不倫していたという速報が目に入ってきた。若くに結婚したものの、順調にキャリアを積んでいて、来年にはドラマの主役が決まっていた俳優だった。笑顔が爽やかで、私も少し好きだった。


 いつもなら「不倫してたの!? サイテー」と憤るところを、私は許す気持ちになった。むしろ、ここから挽回してほしいと、心の中でエールを送った。ニュースを一通り見た後、杏仁豆腐を食べる作業を再開した。


 私のお気に入りのYouTuberが、最近うさんくさいと感じるようになった。当初は、大食い動画やクレーンゲーム動画をアップしていた。企画自体は目新しいものではなかったが、素直なリアクションに好感が持てて、いつの間にかファンになっていた。


 だけど、最近は「人と同じことはするな」というような、自己啓発のような動画をアップするようになった。「貧乏のままで一生を終えるのは嫌だろう?」というメッセージ性を感じる動画を見た時は少しイラッとした。しかし、元々好きなYouTuberだったからこそ、すぐに嫌いになることはできなかった。


 毎日アップされる動画を欠かさずに見ていたら「本当にそうなのかも」と相手の言うことも一理あると感じるようになった。特に、「人と同じことはするな」というフレーズが頭に残った。


 人と同じことしかしたことない私は、ぐるぐると考えた結果、ラーメン屋で杏仁豆腐を頼むことに決めた。今の私にできる、精一杯の個性がある行動だった。


 しかし、地元のラーメン屋で実行に移すのは恥ずかしい気持ちがあったので、電車で1時間ほどの場所にある、ラーメン屋『流れ星』で杏仁豆腐を頼んでみたわけだ。旅の恥は掻き捨てということわざがあるように、知らない土地だと、思い切りが良い行動も平気で取ることができた。


 先ほどの、不倫のニュースを見た時も、多くの人が取る反応とは別の反応を取ってみた。自分がしない行動を取ったら、違う人間になったようで面白かった。


 そうこうしているうちに、杏仁豆腐をすべて食べ終えた。満席のようだし、そろそろ店を出ようかな。


 店員さんにお金を支払った後、入口の扉を開けたら、ぽつぽつと雨が降っていた。


 傘は持ってきていない。


 私は少し迷った後、雨で灰色に濡れている道路に向かって、一歩足を踏み出した。走るたびに、頭が濡れる感触がした。自然と小走りになる。途中、コンビニを発見したけどそのままスルー。テンションがハイになった私は、柄にもなく笑顔を作る。


「人と同じことはするな」と人が言ったことを、真似している私は馬鹿なのかもしれない。だけど、気分は最高だった。このまま、どこまでも走っていけそうな気がした。

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