5 願い
皇太子殿下は続ける。
「そこで、婚約が成立する方向で協力して頂けるなら、あなたの願いを何でも叶えたいと思っているんだ」
急にそう言われても、戸惑ってしまう。祖国のためになる婚約であれば、もちろんするつもりだ。
「お言葉ですが、この婚約に私の個人的な意思はあまり関係ないのでは?」
そう問うと、殿下はふと微笑んだ。横に流した、緩く編まれた三つ編みが重たそうに少し動く。
「一般的な政略結婚はそうだが、私の母は“カミラ姫の同意のない婚約は認めない、ただし皇太子の婚約者はカミラ姫以外認めない”と譲らなくてね。どうやらあなたに無理強いはしたくないらしい」
それは、なかなか無茶な要求だわ‥‥私は国の決定に従うつもりだけれど、この方は皇帝陛下の私的なお言葉に大人しく従うのかしら?
ルシファー様は立ち上がり、私の側まで来て膝を折った。そっと手を取り、彼の整った顔が近くなる。
「どうか、私を助けると思って協力して欲しい。母は言い出したら聞かなくてね‥‥あなたの望みは何? エストリアに嫁いでも生活の質は落とさないと約束するし、私が生きている間は、アルカナには手を出さないと約束しよう。有事の際も助力を惜しまない」
金の瞳が下から見上げる。彼に見つめられると、自分の心の底まで見通されるようで少し怖かった。操られるように口が勝手に開く。
「私は‥‥恋がしてみたいです」
知らずそう声に出していた。思わず空いた方の手で口を押さえる。
それが意外だったようで、皇太子殿下の瞳が少し見開かれ、次いで楽しそうに笑った。
「はは、冷静に見えても、あなたはそう言う方だった。変わらず可愛らしい姫君なんだね」
「あの、ルシファー様とは初対面ですよね?」
「ああ、もちろんそうだよ」
では、お祖母様がお手紙で私の事を書いていたのかしら? 恥ずかしいわ。
殿下は私の頬に触れ、笑顔のまま話す。
「あなたの言う“恋”がどのようなものか知りたいので、参考までにあなたが読んでいる小説を貸して頂けるかな?」
「ええ、分かりました」
「‥‥では、お近付きの印に、使い魔を贈ろう」
彼は私の目の前に自分の両手を差し出した。
その手のひらの上に、太ったガチョウのようなものが一羽現れる。ただ普通と違っていたのは、尻尾がウサギのそれで、後は襟巻きのように首の周りを紫色のもふもふが取り囲んでいた。
「あの、こちらは‥‥?」
「アイポロスと言う悪魔だよ。あなたを覚えさせたいから、髪を一本いただけるかな?」
殿下はそれを私の膝の上に置いた。大人のガチョウより一回り小さいけれど、横に大きいので重量感はある。
「ジゼル、お願い」
言われた通りジゼルに髪を一本切って貰い、皇太子殿下に手渡す。彼はそれをガチョウに与えていた。
「これで覚えたよ。私と君の命令は聞くから、ペットにするといい」
いきなり悪魔なんて貰って大丈夫かしら? 襲ったりはないようだけど‥‥大人しいし。
「あの、お世話はどうすればいいですか? お庭の池で放し飼いにしても?」
「部屋で飼えるよ。食事はカミラ殿下が取る際に、野菜を一皿分用意してあげて‥‥あと、変化も出来るから、身に付けてもいい」
そうして、彼は使い魔に向かって『指輪』と言った。すると今まで鳥だったものが、紫のもふもふの球がついた指輪になった。
「それから、このアイポロスは使い勝手がいいけれど、力を使いすぎると機能を停止して眠ってしまうので、注意してね」
「分かりました」
とりあえず、“ベリー”と言う名前を付けて、部屋で飼ってみることにした。ジゼルも何も言わないし、実害はなさそうだ。
「おまえは、鳴かないのね?」
ソファーに座り、隣にベリーを置いて撫でる。
「普段も眠ったりはするの?」
そう尋ねたら、目を閉じて体勢が低くなり脚が羽毛に隠れた。睡眠は取るらしい。
「“ブレスレット”」
命じると、紫のもふもふが付いたブレスレットに変化した。何となく分かって来たわ。
ベリーのおかげで、退屈せずに済みそう。