19 初恋
翌日の記憶はほとんどなく、私はずっと眠っていた。弟の話では、ルシファー様やリーディアがお見舞いに来て下さったらしいけれど、覚えていない。
そして次の日、当初の計画ではアルカナに帰国する予定だったけれど、大事を取ってもう一日休む事にした。
朝、沐浴を済ませてベッドの上で軽い朝食を取り、弟と話していたら、部屋をノックする音がした。
「はい、どなたですか?」
弟がドアを開けずに尋ねると、外で待機しているケイ・ロスの声がした。
「皇太子殿下がお見えです」
弟は私を見て返事をする。
「すぐ支度いたしますので、お待ち下さい」
そうして、服と髪を整えた私をベッドに残し、『私、今日はディア姉様と遊ぶから。夕方戻るね‥‥あ、護衛騎士もみんな連れて行くのでよろしく』と一方的に告げて出て行った。
「おはよう。体調はどうかな?」
ルシファー様はベッド脇に置かれた椅子に座る。私は上半身を起こし、体をクッションに預けていた。
「少し怠さは残っていますが、もう大丈夫です。念の為に今日一日は大人しくしているように言われました」
「そう、良かった」
彼の手が私の頬を撫でる。その手を握った。
「先日は二度も助けて頂いてありがとうございました」
「いえ、こちらこそ危険な目に遭わせてしまい申し訳ない」
私を映す金の瞳に覗き込まれる。今日も装飾品は金色なのねと思いながら手を離し、目を逸らした。
あの夜の告白が、今になって恥ずかしい。
殿下から事件について説明があった。皇族のお二人が離宮に居る間は皇城よりも警備が手薄になるので、それを狙って上級魔族を呼び出し、私を贄にして皇帝陛下を廃そうとしたらしい。
さらに地下に拘束していた中級魔族を街へ放つぞと脅して、皇太子殿下と自分の娘を結婚させようと企てたそうだ。
ノックの音がしてリーディアが様子を見に来てくれたけれど、気を使ってすぐに出て行った。
また二人になり、金色が気になりつつも下を向く。
「あの、ルイーズも出払っていて‥‥お茶のご用意もできず、すみません」
「ああ、先程ルイーズ嬢に『騎士も全員連れて行くので、王女殿下をよろしく』と頼まれたよ」
ルシファー様が微笑む気配がした‥‥この先ずっと悩むよりも、今聞いておこう、と勇気を振り絞る。
いつの間にか再び繋がれていた右手を見下ろしながら、口を開いた。
「あの‥‥殿下のその装飾品の色は、私の髪に合わせていると伺ったのですが‥‥いつからその色になったのですか?」
その問いに、彼は落ち着いた声で答える。
「あなたと言葉を交わしたのは前回の訪問が初めてだが、姿を見かけたのは、もう5年ぐらい前‥‥あなたが初めて王都の劇場に足を運んだ時を覚えているかな?」
私は顔を上げて記憶を探る。
「ええ、あの時は従姉妹のリーディアと、私と彼女の母親も一緒でした。歌劇をボックス席で観賞したのです」
その華やかな世界に引き込まれて、手すりから乗り出すようにリーディアと二人で観たわ。
「その隣のボックス席に、私と陛下も居たのだよ。アルカナの王妃陛下とカリス公爵夫人がセッティングして下さったんだ」
まあ、そうだったのね?‥‥全く気付かなかったわ。
困惑する私を見て、ルシファー様は微笑んだ。
「あなたは一度も私を振り返る事はなかったが、私は可愛らしくはしゃぐ金髪の少女をずっと眺めていたかな‥‥その後も何度か、次回以降は一人で劇場の席に居たけれど、全く気にも留められずだった」
彼は、今日は巻いていない私の髪を一房すくう。
「陛下からは、アルカナの金か銀を皇太子妃にと言われていたが、私は最初からあなたしか目に入っていなかった」
昨夜に続いての告白に戸惑ったけれど、私も彼に心を奪われているのは事実だわ。
「私も‥‥愛しているのはあなたです」
気持ちを告げると、抱きしめられた。そのまま押し倒されたので、慌てて胸板を押し返す。
「ちょっと待って下さい。こう言うのは結婚してからじゃないと困ります」
「‥‥一昨日は、弟と寝たのに?」
至近距離で金の瞳が見つめる。
あっ、ご存知だったのね? だけどやましい事はしていないわ。
「ルイーズには、ただ寝る場所を貸してあげただけですよ?」
今度は瞳を逸らさなかった。私の本心を知られても構わない。もう隠している事はないもの。
ルシファー様は諦めたのか、体を起こした。




