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序幕 2


 バランド公爵家の当主の座を引き継ぐものは、例外なく皆男であった。これは公式の記録を紐解いても、例外のない()()だ。バランド公爵家の実子に、女が生まれた記録はあるが、それは全員、兄弟がいてのことだ。兄弟がいない場合の嫡子は皆、男であった。そして、バランド公爵家の血が絶えたという記録もないので、それらは皆実の子であったはずだ。

 そんな都合の良い()()があるだろうか? とノエルは、記録を紐解いて疑問に思っていた。現に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ノエルは体の性は女として、この世に生を受けた。だが、物心ついたときより男として育てられてきた。世の貴族のご令嬢が身に纏うような、レースやフリルをたっぷりと含んだ華美なドレスなどは着たことは一度だってなかったし、二度目の人生でもどうやらそうであるらしかった。これは、当主は男でなければならない、という考えのもとでなされた決断だった。

 思うに、実子が一人しか生まれなかったとき、そして女しか生まれなかったときには生まれた女の子を男として育て、当主に据えてきたのではないか? 貴族の子供が一人しかいないことは珍しいことなので、そう例は多くないだろうが、記録には残されていないそんな事実があったのではないか。ノエルはそんな風に思う。

 ノエルの母は、ノエルが赤子の頃に流行り病で死んだと聞いている。後妻や妾を持たないバランド公爵に、ノエル以外の子ができることはない。彼がなぜ後妻や妾を持たなかったかといえば、ノエルは()()()()()のだと考えているが、世間は、バランド公爵は愛妻家であったのだと解釈しているようだった。正当な後継者は、公爵家の家格に見合う血を持たねばならない――女を男と偽って当主に据えることよりも、そちらを重視したのだろう。

 そして、ここ近年の数代はフランシス王国の王立騎士団の団長の座に就いたものは皆、バランド公爵を冠する者たちだった。どのような力が働いて、どのような背景でそうなったかはノエルには与り知らぬことだが、事実はそうだ。王国の軍を率いるに足る資質もそうだが、政治的な背景も当然そこにはあっただろう。その点で言えば、ノエルの父であるバランド公爵が王立騎士団の団長に座にあることは、当時の情勢からみても、バランド公爵の資質からみても不思議な状況ではなかった。

 だが、一度目の人生ではバランド公爵は、魔王軍との戦いの最中で斃れた。その訃報を受けた当時、ノエルはすでに王国騎士団に所属する騎士であった。その頃には王国最強の騎士と目され、英雄のような扱いを受けていたノエルは、父の亡きあと、二十三歳という若さで公爵の地位と騎士団長の座を引き継ぐこととなった。……年齢を考えると、これは異例なことだった。

 騎士団長に据えられたその真意はやはり、ノエルには分からぬことだったが、王国最強の騎士たるノエルを騎士団長に祀り上げることで、士気の向上を図ったのではないかと思う。英雄と称されるノエルを騎士団長に据え、魔王討伐の任を与えることが、魔王軍との戦いで疲弊した王国を、もう一度立ち上がらせるための采配だったのではないか。実際、魔王の作り出す『瘴気』の対策は難航していたし、それに渡り合うための対抗手段がノエルのもつ『精霊の加護』しかなかったのも事実だった。

 だが、その采配は結果的には失敗だった。ノエルの死んだあと王国がどうなったかは、もう知る由もないが、恐らく、それが王国の起死回生の一手だったのだろう。人間側はそれほどまでに追い詰められていた。であるならば、その後王国は遠くない未来に敗れていたであろうことは想像に難くない。

 あまりに分の悪い賭けだった、と言わざるを得ない。そして流されるばかりの人生だったと、今になって思う。自分の意志で成し遂げた決断が、一度目の人生で一つでもあっただろうか。自分で望んで手にしたものはあったのだろうか。

――わからない。そして、そんな自分が、二度目の人生を手にしたところで何が変えられるのか……。

今のノエルの胸中に渦巻くのはそんな思いだけだった。


 ◇◇◇


 ノエルが時を遡ってから、数日が経った日の頃。数日が経ったにも関わらず、ノエルは自身が置かれている状況に、未だ慣れはしていなかった。元々、幼少の時より子供らしくない子供だったせいか、二十四だった頃と同じ振る舞いをしても、使用人たちは不審に思ってはいないようだった。だが、“騎士団長”だったときのような振る舞いをしてしまったときには、流石に妙だと思ったのか、戸惑ったような反応をされた。

 振る舞いもそうだが、何より慣れないのは身体の感覚だ。体は軽いのに、思ったように動けない。それも当たり前だ。体のできていない子供だ。訓練用の木刀一本振り回すのも一苦労だし、攻撃魔法の一つだってまともに使えないくせに、魔法を使おうとすると異様に疲れるのだ。本当に時を遡ったのだと実感する。

ともかく、体が思うように動かないことに腐っていても仕方がない。また一から鍛え直すべしと、ノエルが再び目を覚ましてからの数日は毎日、剣術と魔法の稽古に勤しんでいた。

この数日でノエルは思考を巡らせていた。一度は死んだ身なのだから、もう一度同じ結末を迎えたとしても惜しくはないだろう。ただ、歩んだ道の先がまた空虚だったなら……と思わなくもない。もう一度同じ道を歩むなら、せめて救いの一つくらいはあってほしい。

 そんな思いが稽古に現れたのか、剣術の指南役が「ここ数日はノエル様、頑張っておられますね」と嬉しそうに声をかけてきたものだから、面食らってしまった。ノエルの剣術の指南役は父の手が空いているときは、バランド公爵自らが勤めているが、王立騎士団の団長ともなれば、それも毎日とはいかない。そこで、騎士団の団員であり、父に手ほどきを受けた兄弟子ともいうべき騎士が交代で引き受けていた。

 元々、ノエルは何をやっても初めから人並み以上に出来てしまう。それで努力を怠ったことはないが、大抵のことはすぐにできるようになってしまって、いつも涼しい顔をしているものだから、余裕があるように見られてしまう。剣術の稽古にしてもそうだ。だが、この数日のノエルは指南役の兄弟子がもうよいと言っても、もう一度、もう一度と要求してくるものだから、必死に見えたのだろう。

 頑張っている、だなんて声をかけられたのは初めてだったので、ノエルはなんて言葉を返してよいかわからず、気まずそうに視線を地面に落とすだけだった。ちょうど胃のあたりがそわそわとしてなんだか落ち着かない感覚に、ノエルは「もう良い」と思わず逃げ出してしまった。

 おろおろとする兄弟子を背に、稽古場所にしている裏庭から駆け足で離れていく。幸いにしてバランド公爵家の敷地は広い。いつもの稽古場所でなくとも、一人で素振りをするくらいの広さの場所ならいくらでもある。人気の少ない場所を見つけ、立ち止まって息を整えてから額に滲んだ汗を拭った。

 息を整えたところで、ノエルはちらりとあたりを見回した。辺りは色とりどりの花が咲き誇る、整えられた庭園だった。ノエルもバランド公爵も、花を愛でるような趣味はなかったが、亡くなった母が大事にしていたのだという。母が亡くなった今もなお、父は庭師に言いつけて整えさせているのだ。

 その庭園の隅にノエルはいた。いくら今は人気がないとはいえ、稽古場所にするにはあまり向かないだろうと思い、別の場所を探そうと踵を返そうとした。

「なあ、おまえノエル・バランドだろ?」

 不意に、声がした。振り向くと、庭園の舗装された道に今の自分とそう歳の変わらなさそうな子供が立っていた。身に纏っている服は、すぐに上等なものだとわかった。貴族の子供だろう。快活そうな翡翠色の丸い目を、面白そうに――あるいは嬉しそうに――瞬かせてこちらをじっと見つめている。短く整えられた明るい茶色の髪が、より快活そうな印象を与える。

 その明るい茶色の髪の毛――フランシス王国ではそう珍しい色ではないが――と、なにより特徴的な翡翠色の瞳に覚えがあった。たしか、父の副官を務めていた男がそんな色の目をしていたはずだ。

 そして、一度目の人生でもこんなことがあったような気がする。場所はこんなところではなかったように思うが、よく家に来ては――どういう経緯でうちにいたのかは知らないが――稽古の邪魔をしようとしてくる少年がいた……ような気がする。なにせ、十数年も前のことで、幼少期の記憶は朧気なのだ。

 少年は促されるまでもなく、ずかずかとノエルに近寄ってきて「おれはリュファス・セギーだ」と自己紹介をした。少年が口にしたその名前――正確には姓のほうに覚えがあって、ノエルは記憶を探る。翡翠色の目と、“セギー”という名前、父の副官。答えはすぐに降ってきた。

「お前、セギー侯爵の息子か」

「そうそう! おれ、よく父上について、この家にきてたんだけど……、おれのことはしらなかったか?」リュファスは楽しそうに口元に弧を描いて、ノエルの答えを待たずに続ける。「おれはおまえのことしってるぞ! いつも稽古ばっかりしてるだろ、おまえ」

 そうだ。一度目の人生では、この少年はノエルが稽古している場によく現れては、邪魔をしようとしていた。そんな少年のことをノエルは「うっとおしい奴だ」と思い、相手にはしていなかった。

「……知らない。初めの頃は、よく声をかけてきてうるさいやつだと思ってたのに、次第に見なくなったな」

 ぽつり、と口を衝いて言葉が出ていた。その言葉の真意を測りかねているリュファスが、子供ながらに怪訝な表情を浮かべている。

 慌てて「なんでもない」と言葉を取り繕うと、リュファスは「おまえヘンなやつだなー」と、からからと屈託なく笑って見せた。ノエルは、そんな風に笑うリュファスも十分に変な奴だろう、と思ったが今度は口には出さなかった。

「まあ、いいや。それよりさ、おれたち友達になろうぜ」

 脈絡もなく発せられた提案に、ノエルは面食らって「友達」とオウム返しをする。

「そうだよ! おまえ、いつも一人で稽古ばっかしててつまらなくないのか? おれがもっと面白いことおしえてやるよ!」

 リュファスは白い歯を見せて、ノエルの目の前に手を差し出した。自分と同年代の、子供の手だった。

 以前のノエルならば、彼の差し出された手に目もくれず、踵を返していたことだろう。だが、今はどうだろう。ノエルは差し出された手をじっと見つめたまま、暫し考え込んでいた。

 彼の言う「もっと面白いこと」にはさほど興味はない。だが「友達になろう」だなんて、ノエルからすれば奇妙な提案を、平然と、なんでもないことのように言い放ってみせる彼に少しだけ興味が湧いた。

 ――彼の手を取れば、運命とやらが変わるのだろうか? 打算が八、彼への興味が二といったところだろうか。

 気づけば、ノエルは彼の手を握り返していた。同年代の子供の手だ、と思っていたが、握り返したその手にはノエルと同じような豆がいくつもあった。貴族の道楽や儀礼的な剣術のためのものではなく、戦うための剣士になろうとしている手だった。

 それが意外で、ノエルは口元に小さく――それこそ、近くでよく見なければわからないほど――笑みを作っていた。リュファスは一瞬、驚いたように目を見開いて、それから間もなく破顔してみせた。

「よろしくな、ノエル」



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