残されたもの
嫌なものから逃げるように、僕の意識は覚醒した。
町の教会、その高い天井が見える。足は未だ痛いものの、当時に比べてはるかに良くなっている。
上体を起こし、自分を改めて見てみると、ちゃんと下半身は残っているのが目視できたし腹に何かが刺さっている訳でもない。そこまで確認して、なぜそんなことを確認しているのか疑問に思ったのだが、それを深く考える時間はないようだ。
「え、もう起きてる?」
入口から知らない声が聞こえ、体をそちらに向ける。金髪の見知らぬ女性がガラス瓶を持って立っていた。
「気分はどう?痛いところは?」
「...両足が少し」
「だよね。まだポーション2個しか使ってないもの。むしろ痛みで騒いでないのが不思議なくらいよ」
女性は慣れた手つきでガラス瓶の中身を両足へ塗っていく。
「あなたは?」
「そういえばまだ自己紹介してなかったわね。アタシはレン。冒険者よ」
「冒険者...」
「それよりもあんた、あの巨人を倒したの?」
「なんの...」
そこまで口にして思い出す。自分たちを襲った魔物のことを。1度思い出せばその記憶の前後も湧き出てくる。
全壊した我が家。僕と目を合わせる姉の姿...。
「...っ!姉ちゃんは!?ぼくの姉はどうしたんです!?」
「死んだわ」
「...え?」
「あなたのお姉さんは亡くなったの。アタシたちが着いたときには既に息がなかった。むしろあなたが生きている方が不思議なのよ」
この人は何を言っているんだ。だって、あの時はちゃんと目が合ったじゃないか。なら、
「落ち着いて。少しずつでいいから、現実を見ていくの」
「そんなこと言ったって!だって!姉ちゃんは、僕を助けて...」
僕は姉があの時どんな状態だったか詳しくは知らない。だから、あの時点で致命傷だったのか分からない。分からないからこそ、気づいてしまった可能性。
「僕のせいで、姉ちゃんは死んだのか...?」
いやだ。そんなこと思いつきたくなかった。だがその考えが浮かんだら、それは既に手遅れだった。
あのとき放たれた異能の風は、風だけで体を浮かせるほど強力なものだった。姉の異能は本来そこまでの威力はなく、軽い布を飛ばすことで辛うじて打撃ができている程度である。
火事場の馬鹿力というのであれば、それは自分の上に重なる瓦礫をどかせるほどのものだったのではないか。僕が自分の足で動けていれば、姉は自身の力を自分に使えたのではないか。
仮にそうでなくても、巨人の気はこちらに向いていた。自分があのまま攻撃を受けていれば、姉が潰されることなんてなかったはずだ。つまりは、姉を見殺しにして自分だけが助かろうとしたのか、僕は。
それは或いは、遺された人の宿命なのかもしれない。あの夜の、"たられば"が溢れてくる。僕が見殺しにしてしまったという罪は、僕にはあまりにも重く、決して切り離せない鎖となって体に巻きついた。
「...お姉さんのことを話すのは早すぎたかもなぁ...」
僕を見て、レンはそう呟く。彼女の目には同情の色が差している。
この部屋に鏡はない。だからセツナにはまだ分からない。彼の健康的な体は痩せ細り、髪色は元の黒から病的な白へ変貌したことを。その頭を掻きむしり、少量の血が爪に付いていることすら気づかない。
「...急に辛いことを言ってしまって悪かったね。また来るよ」
そう言い残し、来た扉から彼女が退出する。
教会の奥。怪我人の治療が目的とされた休憩室には狂人、セツナだけが取り残された。
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「カイン、彼の様子は?」
「今レンが治療しているところ。そっちは終わった?」
「問題ない。それより、住民は見つかったか?」
教会の外でカインが腰を下ろしている。夜通しの活動だったのもあり、赤髪で活発な印象を与えるその顔には疲れが見える。
魔物に危険性が見られなくなったため、町の住民には元の生活に戻ってもよいと伝えるつもりで避難先へ顔を出した。だがそこにあったのは先ほどまで生活をしていた痕跡のみで、食器の上にスプーンが置いてあることや割れた食器の中身がまだ温かいスープであったことなど、まるでついさっきまでいたのに突然消えたかのような状態だった。
それからカインには住民の捜索、レンには少年の治療を任せ、私は少年の家で亡くなっている「家族」の姉にあたる人物の埋葬をしていた。
「辺りに外へ向かう足跡が見当たらなかった。あの人数が動いて足跡の一つもないなんてあり得るか?」
「…普通は考えられないな」
「お、ユースリスが帰ってきてる」
話していると教会からレンが空のポーションを持って出てきた。彼女もまた、目の下に隈ができており元気がなさそうだ。
「あの、少年のことなんだけど…」
「何かあったか?」
「目を覚まして痛みで暴れてる、とか?」
レンは首を振って否定する。バツが悪そうに話し始めていく。
「目を覚ましたのはいいんだけど、あの子のお姉さんのこと聞かれちゃって…その…」
「正直に伝えたのか?」
「…うん。そしたら、『自分が殺したんじゃないか』って…アタシにはどうしようもなくなっちゃって…」
魔物が現れた当時あの家で何があったのかは分からない。だが1つ間違いないのは、悪いのは魔物であって少年ではないことだ。しかしこれをそのまま伝えても救いにはならないだろう。どうしたものか…
「俺ちょっと行ってくるわ!」
「は?おいカイン!ちょっと待て!」
あいつが突っ走ると碌なことにならない。経験則からくる危険を排除するべくカインの背を追う。
部屋に入ると少年はベッドで上半身を起こしたまま、かたまっていた。カインはそれを見るやいなや、少年の肩を掴んで目を覗き込む。
「大丈夫か、少年!もう大丈夫だ!私が来た!」
「…」
…カイン、そのセリフは今じゃないと思うぞ。
「魔物はもういないし、君は生きてる。お姉さんのことは残念だと思うけど、今考えるのはそっちじゃない!」
「…」
「失ったものばかり数えるな!お前さんに残っているものはなんじゃ!」
「…」
カインに任せるのはやっぱり失敗だったか。今すぐに引っぺがさなければ。少年の傷をどれだけ抉るか未知数だ。
「おいカイン、いい加減にしろ…」
「…手紙」
少年がそう呟く。
「僕の家に黒い手紙がありませんでしたか?」
「…本気で少年が会話できるようになるとは。カインお前…」
「言ったろ?任せろって(キリッ)」
「一言も聞いてない。そのキメ顔やめろ。それより、手紙とはもしかしてこれか?」
拾った黒い紙切れを手渡す。なぜか持ってきてしまったが、これが少年のものなのであれば拾っておいて良かったと思える。
「…ひらけない」
「もしかして、鍵付きか?」
「大人が何言ってるんですか。紙に鍵なんて付けられるわけないじゃないですか」
「お前が何言ってるんだ。秘匿性があるものは封印の異能を持つ業者に、『条件』を満たさない限り開かない封印を施してもらうだろ。それを鍵付きって呼んでるだけだ」
「…」
「ユースリス、もしかしてこの子…」
「あぁ、この土地でしか生活していなかったんだろう。私たちの常識がこの少年にはない」
…少年は、手紙を持ちながら笑った気がした。
「冒険者さん、僕を外へ連れて行って」
「…理由を聞かせてもらおうか」
「僕には両親の記憶がないんです。もしかしたらこの手紙が両親からのものかもしれない。それを確かめるために、この手紙をどうにか開いてみたいんです」
「俺は賛成だぞ!」
元々、住民のいなくなったこの町に少年だけを置いていくつもりはなかったため私もそのつもりだった。だが、さっきまで自身を責め立てていたらしいこの少年に何があったのか。
「本当に手紙を開けるためだけか?」
「…ほかに何があるんですか」
「…分かった。連れて行こう。少年、名前は?」
「セツナ」
「よろしくな、セツナ!俺がカインで隣のがユースリス。女の人はレンだ!」
「分かりました。よろしくお願いします」
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この人たちの言うことなんて心に響かなかった。けれど、ここでまともなフリをしなきゃ、1人では何もできないじゃないか。
自分の心に蓋をしろ。嘘で塗り固めろ。確実に魔物を殺せるまでは。
死にたい。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。
今すぐにでも姉ちゃんの後を追いたい。
でもだめだ。ここで死んでは姉ちゃんの命が無駄になる。だから、贖罪のために生きなければならない。
「すべての魔物を皆殺しにしてやる。僕が死ぬのは、そのあとだ」