分岐点
この大陸には、名前がついていない。
理由は単純で、大陸が1つしか無いから。
名前とは、仕分け作業を効率良く行うための手段だ。はじめから1つしかないものに名前なんてつけなくても、「大陸」で伝わる。
だから、「魔王」にも名前なんてついていない。
...今思えばこれも、一つの過ちだったのかもしれない。
──そうやって、名の無い「魔王」は目を閉じる。終わらない悪夢から逃げるように。
__________
「セツナ、起きなさい!」
僕の1日は、姉ちゃんの起こす声で始まる。
「いつまで寝てんの布団引っぺがすわよ!」
我が家は僕と姉ちゃんの2人暮らし。両親は遠くで暮らしてる...らしい。本当なのかは怪しいところだ。
「ちょっと、今日は布団干したいんだから早くどきなさい!」
僕たちの生活している町は「大森林ファウスト」という地域のどこか、らしい。地図がないから詳しい場所は分からない。
その町の中ではなく、そこからはずれた森の中にあるのが僕たちの家だ。「なんで?」と姉ちゃんに聞いたら、「お母さんがお金なくて、安いとこ買ったらここだった」とのこと。子供だけで住まわせるならちゃんとして欲しいものだ。
というかそもそも.......
「いい加減起きなさい!」
そう怒鳴られ、愛しの布団が僕の手から離れていく。視界が明るくなり、僕の布団を吹っ飛ばした張本人、姉のハルカと目が合った。
「...おはよ」
「お腹空いたから早くご飯作ってよセツナ」
「自分でやったらいいじゃんか」
起こされた僕の最初の仕事は朝食作りだ。姉ちゃんが料理を教えてくれたのだが、習得したと見るや自分では作らなくなった挙げ句、お腹が空いたら僕に催促するようになったため最近は仕方なく起きてすぐに作るようになった。
「だってセツナの方が料理うまいんだもん」
「やーいへたくそ」
「今すぐその服に引火させてもいいのよ?」
「勝てないのでやめてください」
僕が物心ついた辺りから、やるべき事は2人で分けるようになった。姉ちゃんは洗濯や掃除をするため僕は買い出しをしている。
いつも通る山道。焚き火には使えない、鉄かと間違うほど堅い木の枝。名前は知らないけどよく木に止まっている黄色い鳥。遠くに見える別の山、木材で整備された登山道。
「いつものおっちゃん、今日は登ってないのか」
赤い服で登るもんだから普段は遠くからでも分かる。夫婦で薬屋をやっていて、よくキノコや薬草を取ってるのだが、腰でもやったのだろうか。
見慣れた景色を通り過ぎ、町へ駆ける。
今日買うものは、この前姉ちゃんが怪我した時に使ったポーションを1つ補充するのと食材がいくつか。先にポーションを買おうと薬屋に寄ったらおばちゃんがぼやいていた。
「うちの主人はまた山に行ったんかねぇ…今日は特に足りないもの無いはずなんだけど…」
「今日は登ってるとこ見ませんでしたよ?」
「ぇえ?...あのバカはまたほっつき歩いてんのかい…!?」
と店を飛び出して行ってしまった。会計も済んでないから非常に困った。
待ってる最中、外をうろつく守衛のおじさんが、「よそ者がこの町に来ている」と話しているのを聞いた。この町に来客とは珍しい。
3人組の冒険者らしく、そこの剣士は「異能」を使うらしい。
「異能」とは限られた人だけが扱える特別な能力である。例えば手から炎を出すとか、水を操るとか、不可能な事を可能にする神秘だ。その言葉の響きのカッコ良さも相まって子供の頃は「自分にも異能があるんじゃないか」と憧れたものだ。
ちなみにだが、15歳になった今でも僕には何もないため、既に諦めている。つらい。
...なかなかおばちゃんが帰ってこないので、代金だけ置いて別の店へ向かうことにした。
帰り道、冒険者パーティーらしきものを見かけたが、そのパーティーよりも、パーティーの女の子を必死に口説こうとするおっちゃんとそれに腹パンする薬屋のおばちゃんに目が行ってしまった。僕が余計なこと言わなければおっちゃんが倒れることはなかったのかもしれない。悪いなおっちゃん。
家に帰ってきたらちょうど姉ちゃんが洗濯物を取り込むところだった。
「ただいまー」
そう声をかけると、姉ちゃんは驚いたようにこっちを向いた。まずいと、そう思った頃には脇腹に強い衝撃が飛んできた。もう慣れてきたとはいえ痛い。
「もう何回目だよ姉ちゃん!いい加減、洗濯物を飛ばす前に止めてよ!!」
「ごめんってぇ!急に話しかけて来ないで!」
「あいさつはしろって怒ってきたのはどこの誰だったっけなぁ!?」
…実はこの理不尽な姉こそ、僕が異能を諦めることにしたきっかけである。
僕の姉は、風を操る異能を持っている。僕の一番古い記憶が、5歳の時に姉の風が暴発して料理に使っていた火が僕の服に引火したことのため、もう12年以上前から使えていたらしい。
姉が持っているものだから、自分にも異能があるんじゃないかと当時の僕は憧れ、冒険の書を作っていつでも書けるよう用意をしていた。だがそれはいつまで経っても叶わず、いまは既に黒歴史と化している。また姉から、
「気をつけないと人を殺しちゃうかもだし、近くに魔物が出る土地でもないんだから要らないよこんなの」
と言われ続け、確かに人に当てたら守衛に捕まって僕の冒険の書が1ページも埋まらず終わるなと思い、次第に異能なんて無くてもいいやと諦めがついたのである。
でもせめて火が出せれば、料理もわざわざ火起こしからやらなくて済むのになぁ、と思わなくもないのが本音である。
寝る前に、布団の中で考えることがある。
僕はこの町で15年過ごしているが、ここは良い場所というのは分かっているつもりだ。
親もいないのに僕をここまで育ててくれる優しい姉に恵まれて。十数年も変わらない姿で見守ってくれる町の人に囲まれて。
それでも、「足りない」と思ってしまうのは悪いことだろうか。
森の深くまでは行ったことがない。当然、他の町へも行ったことがない。
「冒険に出たい」
そんな考えをひとり呟く。
あわよくば、同年代の友達が欲しい。この町には僕と姉しか子供がいないから、友達と遊んでみたい。
いつか叶えたい夢を思い描く。冒険のゴールは決めてある。
「…僕たちの両親ってどんな人なんだろうな…」
もう何度も考えた、ゴールで待つ答えを想像しながら、僕は眠りについた。
雲ひとつない真夜中、僕の家の前に、黒いすらっとした服を着た人が降り立つ。歩いて向かう先は、月の光が差し込む僕の部屋の大窓。黒くて四角い「何か」を持ってゆっくりと近づいてくる。外から土足で上がった彼は、廊下を横切り、まっすぐ僕の部屋へ入る。「何か」を僕の枕元に置いた彼は、僕の頭を触ろうと…
「やめろぉ!!!」
…今のは、夢…?だって、現実なわけないよな?赤の他人が勝手に僕の部屋に入ってくるなんて非常識がすぎるもんな?頭触ろうとしてきたしな?あんな高そうな服着た人ってこの町にいないし…。
あまりにもリアルな情景だった。だから、怖くなった。
「完全に目が覚めてしまった…」
外はまだ月がはっきり見える真夜中。奇妙にも程がある夢を見たな、と心を落ち着かせ枕の方へ目を向けると、そこには夢で見た黒い「何か」がある。
「手紙…か?」
薄さも考えるとそんな感じがする。というかこれがあるってことは…
「まさか現実だったのか…!?」
あまり信じたくはないが、あるものは仕方ない。その手紙を触ってみる。…なんか、重くね?
持ち上げようと少し力を込めた途端、僕の部屋を黒い霧が覆い尽くした。
「…!?」
煙たさに声が出ない。微かに舌に乗った霧は想像を絶する苦さを与えてくる。
「げぇっ…かはっ…!?」
苦い、吐き出したい、外の空気を、体が、苦い、動かない、倒れる、床に、苦い、頭が、吐き出したい、目が、吸いたい、苦い、苦しい、何もしたくない、何も見たくない、もっと、苦い、吸い込みたい、体に、もっと、もっともっともっともっともっともっと…
…その場が再び月光に照らされるようになった頃、僕はさっきの黒い霧を全て肺へ入れ、しかし口から黒い息が漏れることはないほど、体全体へ染み込んだようだった。
体を動かせるようになって、体を起こしてみる。
僕の部屋から外に向かってまっすぐ、閉じられているはずの窓を貫通して、黒い何かが道をつくっている。それに従って歩いてみる。窓に頭をぶつける。ぶつけて初めて、窓を開けてないことに気づく。横に開けて、外へ出る。窓の鍵は壊れていた。黒い何かは庭の外で途切れている。庭は不自然に暗い。「そこ」に辿り着く。
初めは小さな音だった。あまりにも低い音。意識がはっきりしてきた。それは次第に大きく…
瞬間、爆風で体が吹き飛ばされた。
「…は?」
それで正気に戻された僕は、家のあった方へ目線を動かす。
跡形もなく崩れた家。瓦礫の中から染み出した血溜まり。それを成した巨人と目が合う。
僕の冒険の書は、全てを失うことから始まった。