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妓楼街の娘  作者: たなかさか
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第一話

 

 雲一つない蒼空に夜に慣れた目には眩しすぎる太陽。

 寒く感じていた風も最近は涼しく感じる季節になった。通りに咲いた桃色の花が雪解けを知らせる。

 夜とはうってかわり静まった見慣れた景色を横目に(すい)は「ああ、早く寝たい」と眠気と闘いつつ帰路に着いていた。

 瞼は重く、このまま路地裏で一眠りしようかと回らない頭で考えたが、それは以前やろうとして注意されたことがあった。止めておこう。

 布団までもう少し、と気持ち歩を早めて着いた先は大層ご立派な建造物だ。

 表玄関は閉まっているので、裏口からのそのそと上がる。磨かれた床に綺麗に貼られた壁、手入れが隅々まで行き届いているのが分かる。

 この時間は殆どの者は眠りについている。物音立てて起こすのは悪いとひっそり部屋に戻ろうかと思ったが、ドシンと大きく建物に響いた物音に翠は何かと首を傾げた。

 太陽はあと数刻しないと最も高い位置に昇らないというのに、珍しい。誰か起きているのだろうか。起きているにしても、眠りについた者を起こすような物音を立てるのは良くないだろう。

 注意しておくべきかと二階に上がれば、今度は怒鳴り合いが聞こえる。客の拗らせかと渋い顔になったが、どちらの声も男だ。


(女客の拗らせほど怖いものはないものねぇ)


 かと言えど、男同志の喧嘩もそれなりに面倒臭い。特に取っ組み合いやらになれば。

 因みに女の喧嘩は見ていて耳がキンキンと痛くなってくる。よく回る口に高い声、手を出せば爪が凶器となって襲ってくる。それに加え、事が落ち着いたかと思えば後日ねちねちと引き摺ってくるものだから余計面倒臭い。何故あんなにも事細かに、また自分が絶対的被害者となるように妄想物語を織り込んでくるのか。


(それよりも。客が帰ったとはいえこんな朝から騒いでは叱られるでしょうに)


 怒鳴り声は続いている。

 先まで眠気と闘っていたのに覚めつつあることに気付いて肩を落とす。

 ため息をひとつ零して、翠は声のする部屋へ向かった。




「───翠」


 声のする部屋は上に昇る階段前の角部屋だった。新造たちの寝所部屋と記憶している。襖に手をかければ、背後から声を掛けられた。

 開きかけた手を止めて振り返れば、男がひとり。


紫昂(しこう)兄さま」


 そう返せば、紫昂とよばれた男はふわりと淡く微笑を浮かべた。絹の衣を羽織って腰辺りで帯を結び付けただけの軽装からみるに寝ていたのだろう。はだけた姿とはらりと流れる濡羽色の黒髪がなんとも艶かしい。それに加え、切れ長の瞳に色気を醸し出す涙黒子、整った鼻梁、薄い唇、雪のように白く映える肌。そこらの女性がこの姿を目にすればくらりと目眩を起こして倒れるのが殆どだろう。

 それを前に翠が平気と立っていられるのは、慣れているからというのもあるが、ただ単純に美男に限らず男と云うものには特に興味がないからだ。だからといって女に興味がある訳でもない。



「兄さまも物音を聞いて?」

「僕は気にしないんだけど。羅蓮(られん)がね、ほら。すぐ不機嫌になるから」

「ああ。それは早く静かにさせなければいけませんね。他の兄さまも迷惑しているでしょうから」


 先程からぎゃんぎゃんと怒鳴り合う声は止むことなく、余計に煩くなる一方だ。

 襖越しのこちらの声が聞こえていないのか、耳に入らないのか。襖を少し開いて覗けば、騒音の元凶が二人、お互い胸倉を掴み合い睨み合っていた。そんな二人を窘めようと間に一人割って入ろうとしているが、一触即発な場面のようだ。


「…どう?」

「どうもこうも。よくある喧嘩だと思います」

「それなら仲裁に入って終わらせようか」

「そうですね」


 襖に手を掛けて横へ押し遣ると思いのほか力を入れすぎたのか滑りやすい襖はガンッと音を立てて壁にぶつかった。

 部屋内の三人は我に返り気づいたのか、徐々に顔が青ざめている。

 新造の三人のよく喧嘩をして問題を起こす顔触れだった。もっとも間に入っていた一人は巻き込まれであろうが。


(ここは紫昂兄さまが口出したほうがいい場面か)


 翠は開きかけた口を噤んで紫昂に目配せをすると、「了解」と小さく耳元で苦笑された。

 女は舐められやすい。特にあまり関わりのない男からは特に。

 紫昂や羅蓮、その他この楼内で年長と呼ばれている昔からの馴染みであり、幼い頃から翠と面識のある者であればそんなことはないのだが。


「さて、何の騒ぎかな」

「し、紫昂兄さま…」


 ぎくぅと効果音が着きそうなほど顔を青く顰めて、肩を小さくする三人。

 紫昂はそれほど怖くない部類の筈だがと翠は首を傾げる。羅蓮なんかはすぐ拳骨を頭にお見舞いするものだから炊事場に冷たい水と手拭いを求めにやってくる者が多い。

 部屋の中を見渡せば布団があちこち吹っ飛ばされており、常日頃から整理整頓を心掛けるようにと言いつけられている筈だがこの有様では整理整頓の"せ”の字もない。


「今回はどんな理由での喧嘩かな?」

「…(がく)の寝相が悪いから」

「いや、お前だって! 毎晩毎晩邪魔なんだよ!」

「はぁ? 斈がおれの布団に入ってくるからでしょ」

(こう)が入ってくるから俺が移動してんだよ!」

「はいはい。喧嘩はそこまで」


(またしょうもない理由か)


 紫昂が理由をやんわり聞こうにも言い合いが始まるようでこのままでは堂々巡りだろう。

 新造の喧嘩は大概理由がしょうもないもので、周りを巻き込むような真似は止めるようようにと言ってはあるもののこの年頃の男子はこんなものである。

 ため息を零して部屋を何気なくまた見回せば投げられたであろう布団の下に違和感を感じる。


(あれは……陶器の破片?)


 破片から白磁に碧で模様の付けられた調度品だろうか。気になって部屋に入り込み、布団を捲る。


「ん?」

「あ゛っ…………」

「やべ……………」


 白磁の破片が幾つも散らばり、無惨にも粉々になっている。元々は花が生けてあったのだろう。花弁も散らばり、布団は水を吸っていた。緑色に色移りした所もあるようだ。

 新造たちは誤魔化せると思ったのだろうか。あわあわと口を動かして言い訳を探したようだが見つからず、紫昂の前でもっと小さくなった。紫昂はどんな顔をしているかは見えていないが何処かどす黒い気配を感じる。


(新造の寝所にあるような物だから、それ程高くはないでしょうけど)


 それでも平民には手の出しようのない金額にはなる。それをぽんぽんと壊されては困るがひとつほどだったらここでは痛くも痒くもないだろう。だが、ここで許してはまた壊されかねない。

 紫昂も同じような考えなのか、それとも隠そうと誤魔化そうとしたことが気に触ったのか。黒い気配を抑え込もうとすることはせず、一段と冷えた声で罰を言い渡す。


「…斈、皐は罰として廊下と厠の掃除を二月(ふたつき)するように。(せい)は廊下の掃除を一週間」

「え、なんで清は……」

「何か異議があるのかな」

「……………………いえ、ありません」



 こうして数え切れないほどの喧嘩のひとつは終幕した。





「紫昂兄さま、二月は長すぎるのではありませんか。あの子達が店に出るまで2年ほどあるとはいえ、芸を習う時間は他の子と比べて減ってしまうでしょう?」

「それは自業自得かな。これ如きで芸を疎かにして、ここの男娼になれないのだったらそこまでだったって話だからね」


 事を収めて新造三人に静かにするようにと言い付けた後。

 翠も紫昂も一度冴えてしまった目は中々閉じれず、炊事場から茶と饅頭でも頂いて一緒に食べようとなった。

 二階の勾欄に背を預けて、そう先程のことについて言及すれば笑って返された。翠からすれば紫昂は優しい兄的な存在であったが、新造らからすれば違うのかもしれないと意外に思う。


「…紫昂兄さまは意外と厳しいのですね」

「そう翠に思われるのは心外だなぁ。でも彼らにはどうせなら色々な経験積んで売れっ子の男娼になって欲しいからね」


 そう言って紫昂は饅頭を細い指先でちぎって口に放り込んだ。


 男娼。

 この遊郭街には遊女もいれば遊男もいるのだ。男が男に身体を売る店もあるが、この妓楼は女向けに造られた店だ。高級妓楼と名され、一級の芸を嗜んだ男たちが並ぶ。店を訪れるのは主に金のある婦人客ばかり。

 日中女人禁制である男妓楼に女である翠がいるのは父の影響だ。

 ここの現在楼主である翠の父は元々、遊男だった。それなりに売れた遊男だったらしい。三十五まで務めあげた後、先代楼主から跡を継ぐ気はないかと持ちかけられ現在へ至る。

 いい歳である父は結婚して子供を作る気など毛頭なかったのだが、最後の客との間に子ができてしまった。それが翠だった。

 因みに翠は母の顔を覚えていない。父は詳しく話す気などないようで「美人でいい女だった」と零すばかりだった。死んだのか生きているのかそれすらも分からないが、当の娘である翠は「別に今更母に会っても」と冷めた返事をするものだからこの話は滅多に上がらない。

 それから子供時代を妓楼で過ごした翠は十四の時、女妓楼にて職を得た。妓楼といっても妓女ではなく妓楼の護衛として。

 父の知り合いである女妓楼の楼主は翠を禿として五つの時引き取ろうとしていたようだが、父が娘を妓女として育てるのを渋り、その間にも翠は歳を重ね、諦めた結果こうなった。そして剣技は元々嗜んでいたという炊事場のはくという男に習い、その後もなんやかんやあって女妓楼に雇われることとなった。

 初めは店の者にも客にも妓女と間違えられることもあったが、今では護衛として認められている。まあ、時々馴染みでない客には妓女だと思われて絡まれることもあるが。


 翠は饅頭の最後の一口を口に入れて、口端を拭う。

 そして思い出したように口を開く。


「そういえば、臨時で楼主が集まりをするそうです。一週間後に」

「ああ、聞いたよ。なんなら僕も参加するからね」

「紫昂兄さまも?」

「付き添いだけどね。"も”ということは翠も来るの?」

「屋敷の護衛として、ですけれど」


 勤めている妓楼の楼主、白紗(はくさ)から翠直々に宜しくと頼まれた。勿論、昼間とはいえ妓楼をものの抜けらにする訳にもいかないので何人か残し、連れていかれるのは翠ともう一人の男の護衛、そして妓女の朔那(さくな)だ。


(なんの集まりでしょう。臨時なんて珍しい…)


 少し気になるところではあるが、探っても仕方がない。

 翠は茶を喉に流し込み、そっと立ち上がる。


「ん、寝るの?」

「まあ、今日の夜も仕事ですから」

「じゃあ、僕も寝ようかな」


 紫昂も立ち上がり、翠が持っていたお盆を横からかっ攫う。翠は取り返そうとするものの身長差がそれを阻み、紫昂はくすり、と笑みを零した。


「…紫昂兄さまは、また背伸びました?」

「いや、もう伸びるような歳でもないよ」


 揶揄うような声色が気に触り、むっと顔を顰める。翠もまだ十七で伸び盛りにはギリギリ数えられるが、最近はめっきり背が伸びなくなっていた。女性の平均よりは上であるが、護衛している身であればもう少し欲しいところでもある。因みに紫昂は今年で二十一になる。背が伸びるような歳でないと言われればそうなのだが、翠には伸びているようにしか思えなかった。


 炊事場まで二人で茶器を返して、二階に上がる階段のところで翠と紫昂は互いに挨拶をして分かれた。

 翠の部屋は裏口より廊下を真っ直ぐ行った突き当たりに当てられており、翠の父より男は誰も入らないようにキツく、それはキツく言い付けられている。(誰がこんな奴に手を出すんです、客にはもっと何がとは言わないが豊満な女がいるでしょう)と翠は呆れたが言っても拗れるだけなので心でそう呟くだけにしている。


 布団を引っ張り出して身体を滑り込ませる。

 目が冴えてしまっているかと思いきや、身体は疲れていたようで瞼が下りる。眠る前はいつも昔の事やらが思い出されるが、今日はそう思い起こすこともなく。

 翠は静かに意識を手放した。





あらすじにも記載しました通り、カクヨムにも掲載しております。

お試しとしてこちらのサイトにも掲載しました。

拙い文章と設定ではありますが、よろしくお願いいたします。

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