第79話 聖夜のイルミネーション
美羽と一緒に、近くの大型百貨店の側にあるイベント会場へ到着した。
とっくに日の落ちた冬の黒い空の下、色とりどりの電飾によって目の前のアーケード街が輝いている。
「わあ……!」
澄んだはしばみ色の瞳を大きく見開き、美羽が感嘆の声を上げた。
頬が緩んでいるだけでなく、うっすらと赤らんでもいるので、お気に召したらしい。
喜びを溢れんばかりに表現してくれる美羽にひっそりと笑みを零し、悠斗も輝く街並みを眺める。
「綺麗だな」
「うん! 家の近くでこんなイベントをやってるなんて思わなかったよ。本当に、綺麗……」
色鮮やかに輝くイルミネーションは幻想的だ。
美羽が呆けたように見惚れる気持ちも分かる。
こんなに美しい景色を美羽と見る事が出来て、嬉しさに胸が弾んだ。
「それじゃあ見るだけになるけど、付き合ってくれるか?」
「もちろんだよ! 行こう、悠くん!」
「ああ」
周囲の光に負けないくらいの眩しい笑顔をしつつ、美羽がぐいぐいと悠斗を引っ張っていく。
子供のような無邪気な態度に心臓がとくりと鼓動し、小さな手に連れられて悠斗は歩き出した。
「写真で見たものより凄いな……」
本来であれば、この場所は誰も住まなくなった寂しいアーケード街だ。
けれど今は複雑な光が周囲を照らしており、まるで別世界に迷い込んだように思える。
興奮を隠しきれないのか、美羽が瞳を輝かせて周囲をきょろきょろと見渡した。
「凄い凄い! 周り全部光ってるよ!」
いくら夜であっても美羽のような美少女が満面の笑顔でいるのだから、それなりに多くの視線が向けられている。
とはいえその視線の行き先の殆どは、悠斗の隣でぶんぶんと繋いだ手を振り、喜びを表す美羽だ。
悠斗への冷たい視線が少ない事に、ホッと胸を撫で下ろす。
(周囲にイルミネーションがあるとはいえ、俺の顔がよく見えないだけなのかもしれないけどな)
周囲からの非難の目線には耐えるつもりだったが、時間を遅くした事で思わぬ副産物が得られた。
この様子だと、嫌な思いをして空気を冷やす事はないだろう。
美羽を楽しませる為に来たのだから、今日くらいは見逃して欲しい。
気持ちを切り替え、可愛らしくはしゃぐ美羽を見ると、悠斗の頬が勝手に緩んだ。
「はしゃぎすぎて転ぶなよ?」
「その為に手を繋いでるんだから、大丈夫だよ。いざとなったら支えてくれるでしょ?」
絶対の信頼を瞳に込め、美羽が悠斗を見つめる。
ふにゃりと緩んだ頬からは、ただひたすらに嬉しさが溢れていた。
想い人に頼られているという事実に、悠斗の心臓が僅かに跳ねる。
「おう、任せてくれ」
「ふふ。ありがとう、悠くん」
笑い合いながらゆっくりとアーケードを抜ければ、そこには大勢の人が集まっていた。
事前に調べた限りだと、この先にある大きな木が飾り付けられており、それが今日の目玉らしい。
人が多すぎて少しずつしか前に進めないので、見るまでにかなりの時間が掛かるだろう。
こんな場所で逸れてしまうのは絶対に駄目だと、ほんの少しだけ美羽を引き寄せた。
「結構待つ事になるから、逸れるなよ?」
「なら、こうすればいいよね?」
照れ臭そうに淡く穏やかな笑みを浮かべながら、美羽がより体を近付けてくる。
もう手を握るだけでなく、悠斗の腕を抱き締めるような体勢だ。
そんなに密着されるとは思わず、びくりと体を震わせてしまった。
どうすればいいか分からずに硬直する悠斗を、悪戯っぽい目が近い距離から見上げる。
「驚き過ぎだよ。逸れないようにっていう対策なんだから」
「……あのなぁ、だからってやって良い事と悪い事があるだろ」
いくら悠斗が信用されていると分かっていても、こんな事をされてしまえば美羽を強く意識してしまう。
呻きそうになるのを堪えつつ苦言を呈した。
けれど、美羽が何の心配もないような無垢な笑顔を浮かべる。
「やりたい事をやっただけ。悪い事なんてないよ。……だめ?」
普段よりも近い距離から、上目遣いの潤んだ瞳が悠斗の胸を擽ってきた。
本人が意識しているのか分からないが、その仕草はあざとすぎる。
「……好きにしろ」
好意を向けている人が腕に抱きついてくれたのだ。駄目な訳がない。
抱き付いて欲しいとは言えずにそっぽを向きつつ許可すれば、美羽がくすくすと軽やかに笑った。
「じゃあ好きにするね。大丈夫、こういう事してる人達はいっぱい居るんだから、誰も気にしないよ」
「俺が気にするんだが?」
事前の予想通り、順番待ちの人達の殆どがカップルだ。
確かに周りの人は悠斗達を気にしないのかもしれないが、悠斗はそうもいかない。
小さな手の柔らかさは未だに慣れないし、ミルクのような甘い匂いが一段と濃ゆくなっているのだから。
渋面を作って回りくどい言い方をした悠斗を、美羽がからかうような目で見つめる。
「もしかして、私を意識してる?」
「そりゃあそうだろ。美羽の手は柔らかくて温かいからな」
匂いの感想はマナー違反だと思うので、口には出来ない。
これだけでも結構恥ずかしく、我慢して告げたのだが、なぜか美羽が眉を下げた。
「それは嬉しいけど、もっとこう……腕を抱き締められた感想はないの?」
「そこまで言わなきゃならないのかよ……。正直、ドキドキする。……なぁ、もういいだろ?」
美羽とて悠斗が喜んでいるのは分かっているはずだ。
どうして必死に隠した感想を暴かれなければならないのだろうか。
これ以上悠斗の心臓を虐めないでくれと懇願すると、美羽がむっと唇を尖らせた。
「……私の体には何もないんだね」
「厚着してるんだから、分かる訳ないだろうが」
「それ、私のスタイルが良くないって言ってない?」
よくよく考えれば、美羽の体勢は手以外の女性の感触を味わってもおかしくはない。
一応、美羽が多少あるのは不可抗力で知っている。だが残念ながら感じず、そのせいで悠斗の頭にそんな発想が浮かばなかった。
しかしここで変な事を言えば、悠斗は間違いなく怒られる。
「……いや、そんな事は、ないぞ?」
悪気は一切なかったものの、とんでもない失言だったのは間違いない。
引き攣った笑顔で否定すれば、ぷくっと美羽が頬を膨らませた。
「うそつき」
「いやいや、本当だって。信じてくれ」
「ふーーーーん」
じとりとした視線が悠斗を射抜く。
やましい事など考えていないと証明する為に、近い距離でじっと見つめ合った。
すると、美羽が僅かに頬を染めて視線を外す。
「……今日は、許してあげる」
「アリガトウゴザイマス」
このままではいずれ悠斗が怒られそうだったので、美羽から退いてくれるのは有り難い。
しかし体を離す気はないらしく、少しずつ前に進みながらも体は密着している。
そのまま長い時間待ち続け、ついに悠斗達の前へ光り輝く木が現れた。
「……凄いな」
「きれい……」
二人して目の前の木を呆然と見上げる。色とりどりのイルミネーションが施された木は壮大で、溜息しか出て来ない。
この景色を見れただけでも、待ったかいがあるというものだ。
「悠くん、ありがとね」
目前の光景に圧倒されていると、美羽がぽつりと呟いた。
「いや、俺こそ一緒に来てくれてありがとうだ」
「それもあるけど、今までの事もだよ。私を変えてくれて、傍にいてくれてありがとう」
とろりと蜜を帯びた目が悠斗を見つめる。繋いだ手が、きゅっと少しだけ握る力を強めた。
吸い込まれそうな程に綺麗な瞳に見つめられ、悠斗の心臓が急に跳ねて息苦しさを感じてしまう。
「……ありがとう。美羽のお陰で、俺は楽しく過ごせてるよ」
たった三ヶ月だが、美羽と仲を深めてから、悠斗はとても穏やかな毎日を送ってきた。
それは高校に入学して惰性で過ごしていた半年よりも、充実した日々だったと断言出来る。
もちろん球技大会等で大変な事もあったが、それも今は良い思い出だ。
改めて感謝を伝えると、美羽の表情がふにゃりと緩まった。
「ねえ悠くん。これからも、一緒に居てくれる?」
「俺の方こそお願いしたいくらいだ。美羽の料理を食べ過ぎて、学食の昼飯じゃあ味に満足出来なくなったからな。今日の晩飯も楽しみなんだぞ」
美羽が悠斗の舌に味を合わせてくれているからか、昼飯ですら美羽のご飯を食べたくなってしまっている。
そう思うと、冬休みで殆どの食事を美羽が作ってくれる今の状況は、恵まれ過ぎているのだろう。
帰ってからの晩飯も絶品だろうと頬を緩めれば、喜びに満ちた甘い笑顔を向けられた。
「……今はそれでもいいよ。ずっと待つから」
「すまん、もう一回言ってくれ」
美羽の言葉があまりに小さくて、周囲の喧騒に紛れてしまった。
もう一度と懇願すると、美羽がくすりと小さく笑う。
「晩ご飯、期待しててねって言ったの」
「おう。手伝えることがあったら言ってくれ」
「大丈夫。悠くんはゆっくりしてていいからね」
「そういう所は変わらないな」
最近の美羽は悠斗への遠慮がなくなってきているが、それでも料理の準備は絶対に一人で行っている。
頼ってくれてもいいのにと苦笑すれば、首を横に振られた。
「ヤだよ。料理を作るのは私の楽しみなんだから」
少し前までの美羽ならば、役目だと言っていただろう。
しかし、今はこんなにも前向きになってくれている。
美羽の言葉に胸が暖かくなり、繋いだ手を軽く引っ張った。
「よし、なら帰るか。腹減った」
「うん。いっぱい作るから、たくさん食べてね」
ずっとここに居ては後ろの人に迷惑だと思い、イベント会場を出る。
ちょうど人が少なくなってきたところで――
「あれ、芦原じゃん。何してんの?」
「……悠斗、久しぶり」
この場で会いたくない、今まで会わないようにしていた二人と、出会ってしまった。




