第76話 クリスマスイブのパーティー
何の面白みもない終業式が終わり、ようやく冬休みとなった。
寝転べそうな程に広い車の中で、蓮がだらりと力を抜いている。
「はー、終わった終わった。全く、無駄に話が長いんだよ」
「蓮、そういう事を口にしては駄目ですよ。ありがたいお言葉なのですから、せめて心の中で思うだけにしておくべきです」
「文句を言うのは否定しないんですね……」
綾香の口から、蓮を責めているようで責めていない言葉が出てきて苦笑した。
あまり堅苦しくないとは思っていたが、お嬢様っぽい綾香でも思うことは同じらしい。
悠斗の指摘に、綾香がわざとらしくしまったという風な顔になる。
「ふふ、内緒でお願いしますね」
「バラすような相手はいませんよ」
「こんな高級な車の中で、どうして落ち着いてられるのぉ……?」
他愛のない話で盛り上がっていると、悠斗の隣に座っている美羽が弱々しい声を上げた。
不安そうに悠斗の服の裾を掴んでいるので、場違いな車内が落ち着かないのだろう。
縮こまった姿があまりに可愛らしく、悠斗を見上げる姿に綾香がぴくりと反応する。
しかし理性を制御しているようなので、悠斗も頭を撫でて落ち着かせたいという欲を必死に我慢した。
「俺は諦めてるだけだぞ。今更じたばたしたってどうしようもないからな」
諦めているのは本当だが、悠斗よりも落ち着いていない人が傍にいるので、妙に冷静になれているだけだ。
やはり同じ境遇の人が居るのは心強い。
「私は慣れてますので」
「俺も同じくだ。まあ、ここまでの物には普段乗らないけどな」
蓮と綾香は全く動じていないようで、家の中と変わらないくらいにリラックスしている。
二人の落ち着いた様子に、へにょりと眉を下げた美羽が肩を落とす。
「学校から少し離れた場所にこんな車が止まってるからびっくりしちゃったよ。……しかも中から綾香さんが出てくるし」
「それは同意だな。騒ぎにならないよう気遣ってくれたのは有り難いけど、違和感が凄かったし」
「だよねぇ」
美羽と悠斗の関係が周囲に知られないように。そして、悠斗達が高級な車を持っている人と知り合いだと知られないように配慮してくれたのだろう。
しかし、人気のない道に高級車は明らかに浮いていた。
乗るのが怖すぎて、今度家に招待された時は自転車で向かおうかと考えたくらいだ。
庶民二人が意気投合すると、くすくすと微笑ましそうに綾香が笑う。
「ただの車ですし、緊張しなくていいんですよ?」
「「無理です」」
落ち着いているように見えるだけで、悠斗とて緊張しているのだ。
体が沈み込みそうな程に柔らかい座席を傷を付けたり破ったりしてしまえば、土下座では済まされない。
美羽も同じ気持ちなのか、全く同時に同じ言葉を口にしたのだった。
外を見れば、黒い幕が掛かった街並みが一望出来た。
「……マジかぁ」
「はへぇ……」
カーペットはいかにも高級そうで、上がるのを躊躇してしまいそうになる。
繁華街の近くにあるマンションの最上階。そこで悠斗と美羽が呆けたような声を上げた。
「普通のマンションじゃないですか。ただちょっと広いだけですよ」
「……いや、普通の人はワンフロア丸ごと家にしませんからね」
おそらく一部屋借りるだけで相当な金額になる場所を、綾香は一階まるごと買ったらしい。
やはりというか、綾香も蓮と同じく規格外のようだ。
さらりと言ってのけた綾香の言葉を訂正しつつ目の前を見る。
あまりにも豪華な部屋に反して、今の悠斗達は大きめのこたつに身を寄せていた。
「にしても、この部屋にこたつは違和感が凄いな」
「いいでしょう? こうして友人と身を寄せ合うのは夢だったんです」
蓮の呟きに綾香が子供のような幼い笑顔を返したので、本当に楽しみだったのだろう。
悠斗の想像するパーティーとは違っていたが、堅苦しい食事をするよりずっと気が楽だ。
ただ、こたつの上には普段絶対に食べられないような食事が並んでいる。
「パエリアはまだ分かるけど、ローストチキン――しかもこんなに大きいの――なんて普通出せないと思うんだけど」
「ビーフシチューにピザまであるし、四人で食べきれるか……?」
あまりにも豪華な食事を前に、再び庶民二人の顔が引き攣った。
そんな悠斗達を上流階級二人が生温い笑顔で見つめる。
「その時はその時だって、気にすんな」
「もし味が気に入ったのなら作り方を教えますよ?」
「本当ですか!?」
料理を作る側としては、ローストチキンはまだしもほかの料理の作り方は知っておきたいようだ。
今までにないくらいに目を輝かせた美羽に、綾香がくすりと小さく笑う。
「その前に、まずはいただきましょう」
「だな。いただきます」
「「いただきます」」
豪華な部屋での小さな食事会が開始された。
まずは滅多にお目に掛かれないローストチキンを口に運ぶ。
「おいひぃー!」
「いやぁ、マジで美味いな」
何が、とは言えないが、間違いなく美味しいと思う。おそらく普段悠斗達が食べている食材とは全く違うのだろう。
美羽も満面の笑みで食事しているので、舌に合ったらしい。
「自慢のシェフが作ったので失敗はないと思ってましたが、お口に合って良かったです」
「しぇ、シェフがいるんだ……」
当然の事のようにさらりと告げられ、美羽の顔が引き攣る。
こういう所は悠斗達との違いを感じてしまうなと、ひっそりと苦笑した。
「料理の値段とかも気にしたら負けだからな、美羽」
「……だよね。聞かなくて良かったよ」
美羽は値段を気にしていたようだが、聞いたところで委縮してしまうだけだ。
悠斗も自分からねだるつもりはないものの、出された料理は気にしないようにしている。
「綾香の家で申し訳ないけど、バレーの時のお詫びってやつだ。俺が言うのもなんだが遠慮すんなよ」
「まだ覚えてたのかよ。律儀なやつだなぁ……」
蓮から誘われた事もあり、どうやらこのご馳走はバレーの時の高級料理らしい。
要らないと言ったにも関わらず準備した蓮に、呆れた目を向ける。
「物足りないなら別の物を準備しようか? そうだなぁ……。キャビアとか、フォアグラとか」
「いいですね。持って来させましょうか」
「ひぃ! そんなの見た事ないよぉ……」
「いや、止めてください。俺達の胃をストレスで壊す気ですか……」
そんな物をタダで食べた日には、本当に胃が痛くなってしまう。
美羽も珍しく悲鳴を上げて縮こまったので、友人の家での料理としては遠慮したいようだ。
庶民二人がぶんぶんと首を振る姿を見て、綾香がおかしそうに笑う。
「ふふ、こういう日くらいは良いじゃありませんか」
「「遠慮します」」
「む……。そこまで言うなら仕方ありませんね。止めておきましょうか」
強く悠斗達が否定したからか、綾香が不満そうにしつつも料理の準備を止めてくれた。
ホッと胸を撫で下ろすと、蓮が呆れた風に笑う。
「ホント勿体ない二人だなぁ。まあいいさ、それなら目の前にある料理を平らげようぜ」
「ああ。これだけでも十分なくらいだからな」
気を取り直して料理を口に運ぶ。
しみじみと味を噛み締めていると、綾香が悠斗と美羽を見ながら微笑ましそうに笑んだ。
「なんというか、お二人とも一緒に食べ慣れてますよねぇ」
「食べ慣れてる?」
「はい。美羽さんは自然に悠斗さんのお皿に料理を載せてますし、悠斗さんはきちんとお礼を言ってますから」
「……マジですか」
綾香に指摘されて初めて気が付いたが、そういえば最近悠斗は料理を取り分けていない気がする。
もちろん美羽が作ってくれる料理の中には、取り分ける必要のない料理もあった。
けれどいつも美羽が取り分けていたからか、既にそれが当たり前と思ってしまっていた。
ついつい美羽に甘えていたのだと指摘され、申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。
「悪い。そんなところまで任せてしまってたんだな」
「気にしないでいいよ。私がやりたくてやってるんだから」
「いや、でもなぁ……」
気負うどころかふわりと優しい笑みをしているので、美羽の言った事は本当なのだろう。
しかし、悠斗が食べるものは悠斗が取るべきだ。
眉を下げて唇を尖らせると、蓮が「まあまあ」と悠斗を宥めた。
「悠が命令している訳じゃないんだし、いいんじゃないか?」
「そうですよ。感謝を忘れないでいるだけでも、する側としては十分に嬉しいですから」
「うん。悠くんはお礼を言ってくれるから、それだけで嬉しいの」
「……まあ、それならいいけど」
三人に諭されては、文句を言えない。
渋々納得する悠斗をよそに、美羽が綾香に耳打ちする。
「ありがとうございます」
「いえいえ、余計な事を言ってしまってすみません。この調子で頑張ってくださいね」
「はい」
「……?」
美羽達が小さい声で話すので詳しい内容は良く聞こえなかったが、謝ったりお礼を言ったのは分かった。
しかし、先程までの会話で謝罪や感謝をする理由が分からない。
頭の中に疑問符を浮かべていると、蓮がピザを差し出してきた。
「ほら悠、こっちのも食べろって」
「あ、ああ」
釈然としない中、美味し過ぎる料理に舌鼓を打つのだった。




