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第73話 パーカー

 平日も悠斗の部屋で勉強するようになって数日。美羽が勉強終わりにゆっくりする時間が長くなっている。

 流石に制服のままベッドに上がるつもりはないらしく、縁に寄り掛かっているのはこれまでと同じだ。


「そろそろいい時間だけど、帰らなくていいのか?」


 普段よりも一時間以上ものんびりしており、流石に心配になって尋ねた。

 言い方が悪かったようで、美羽が顔をほんのりと曇らせる。


「あ、もしかして邪魔だった?」

「そういう訳じゃないけど、もうかなり夜も遅いんだ。大丈夫なのかって思っただけだ」

「どうせ帰ってもお風呂に入って少し自習をするだけだからね。焦って帰る理由なんてないよ」


 そもそも、丈一郎から文句を言われていないのだ。早く帰る理由がないというのは分かる。

 しかし、夜遅くまで男性の部屋にいるというのもいかがなものだろうか。

 疑問はあっても美羽が納得しているのなら帰れという訳にもいかず、小さく苦笑する。


「まあ、それならいいんだが」


 いっそ。美羽が帰ると言い出すまで部屋に居てもらってもいいかもしれない。

 そうして更に一時間が経つと、本のページをめくる音が聞こえない事に気が付いた。

 不思議に思ってゲームを中断して振り返ると、美羽がうつらうつらとしている。


「……いや、寝たら駄目だろ」


 早寝の人であればもう寝ているかもしれない時間なので、船を漕ぐのは分かるが油断しすぎだ。

 それほどまでに悠斗を信頼していると分かっても、素直に喜べはしない。

 流石にもう帰すべきだと、華奢な肩に軽く触れて揺さぶる。


「美羽、起きてくれ」

「んぅ……。あれ……?」


 眠りが浅かったようで、長いまつ毛がふるりと震え、ゆっくりと瞼が開いた。

 普段よりもとろみを増したはしばみ色の瞳が、悠斗を視界に収める。

 今の状況を理解していないのか、無垢な表情で首を傾げた。

 

「わたし、ねてた……?」

「ああ。明日も学校だし、もう帰ろうか」


 眠気で普段よりも幼い感じが強く、出来る限り甘やかしたい気持ちになる。

 けれど、ここで寝てしまうと美羽を泊める事になってしまう。

 心を鬼にして立ち上がるが、美羽がぐったりとベッドのふちに体重を掛けた。


「ねむいー、かえりたくないー」

「……っ」


 女性の口から「帰りたくない」と言われて動揺しない男などいない。

 しかし美羽は単に眠気が強く、動きたくなくて言っているはずだ。

 無自覚に男心をくすぐる美羽にひっそりと溜息つきつつ、僅かに早くなった心臓の鼓動を抑えつける。


「帰らないと丈一郎さんが心配するだろ? それに、準備も無しに泊まるつもりか?」

「おじいちゃんは多分怒らないと思うけどなぁ。……というか、あれ? 準備してたら泊まっていいの!?」


 悠斗の言葉になぜか眠気が吹き飛んだようで、美羽が目を輝かせて尋ねてきた。

 澄んだ瞳の奥には期待が揺らめいているような気がする。


「え? あ……」


 悠斗の発言が非常に危ないものだったのだと、言われて初めて気が付いた。

 動揺に騒ぎ立てた心臓が、必死に頬へと熱を送っていく。


「……駄目だ。そんなの却下に決まってるだろ」


 視線を逸らしつつ答えれば、美羽がムスッと頬を膨らませる。


「えぇ……、どうして?」

「どうしても何も、男の家に泊まるなんて危険過ぎるだろうが」

「毎日夜遅くまで一緒にいるのに、泊まるのが危険なの?」

「……そもそも、泊まって何するんだよ」


 泊まるのが危険だというなら今の状況はどうなのかという質問に、どう答えればいいのか分からない。

 苦し紛れに話題を逸らすと、不満気に睨まれた。

 しかし悠斗の質問には答えてくれるようで、瑞々しい唇が言葉を紡ぐ。


「本を読んで、勉強して、ゲームして……。こうやってゆっくり過ごすの」

「それ、今と変わらないだろ」

「変わらなくていいんだよ。私にとっては大切な過ごし方なんだから」


 上機嫌そうに頬を緩めつつ告げられた言葉からは、ここで過ごしたいという思いがこれでもかと込められていた。

 甘い笑顔に一瞬だけ許可しそうになってしまったが、ここで折れては駄目だと思いなおす。


「それでも泊まるのは駄目だって。ほら立ち上がってくれ」

「むー。分かったよぅ」


 思いきり不満そうにむくれられて、早速決意がぐらつきそうになった。

 それでも何とか帰る準備をうながし、美羽を先に行かせて忘れ物の確認をする。

 確認を終えて玄関へと向かうと、悠斗を待っていた美羽から納得のいかなさそうな目を向けられた。


「悠くんの部屋、過ごしやすいのに……」

「それは嬉しいけど帰るぞ」

「いじわるー」


 ちくちくと言葉の棘で悠斗を刺しつつ、けれど悠斗が絶対に譲らないのを理解したのか渋々と美羽が靴を履いた。

 玄関を開けると、夜も更けた十二月の空気が入り込んでくる。

 身を裂くような冷気にぶるりと美羽が震えた。


「うぅ、寒いよぅ」

「もう十二月も半分以上過ぎてるし、もうすぐ雪が降るかもな」

「それより、この寒さの方が問題だよ……」


 暖かい部屋から急に冷気の中に放り込まれたからか、雪の事などどうでもいいらしい。

 甘い空気にしたい訳ではないが、こういう時は現実的なのだなと小さく笑む。

 とはいえこの寒さは女子には辛いだろう。想像でしかないが、スカートを履いていると下半身が凍えてしまいそうだ。

 残念ながらそこはどうしようもない。しかし、少しでも温まればいいと部屋から持ってきたパーカーを羽織らせる。


「ほら、これで多少は温かくなるだろ」

「……えへへ、ありがと」


 先程までの不機嫌などあっさり吹き飛んだようで、美羽がへらっと頬を緩めた。

 ぶかぶかのパーカー姿は以前見た時と同じく、撫でたくなる程に可愛らしい。


「じゃあ行くか」

「はぁい。お邪魔しました」


 ゆるゆるの美羽から視線を外し、二人並んで夜道を歩きだした。


「にしても寒いな……」

「そうだねぇ。でも、悠くんのこれがあるからあったかいよ」

「なら良かった」


 白い息を吐きつつ他愛もない話をし、シンと静まり返った住宅街を歩いて東雲家に着く。


「ねえ悠くん。これ借りていい?」


 パーカーを返してもらおうと思ったが、手が出ていない袖をひらひらとさせながら美羽が尋ねてきた。


「……いや、どこで使うんだよ」


 美羽に悠斗のパーカーを着せる事が出来たのは、周囲に人が居ないからだ。こんな服装で人が多いところを歩けはしない。

 それに家で着るとしても生活が不便過ぎる。

 どういうつもりだと訝しむと、美羽が茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


「部屋の中だよ。あったかいから普段着にするの!」

「暖房をけるか、自分の服で厚着すればいいだろうが。はい没収、失礼するぞー」


 サイズが合っていないのが幸いし、美羽の胸元に触れる事なくファスナーを下ろす。


「あー!」


 両袖を引っ張ってパーカーを奪い返すと、非難の声を挙げられた。

 夜の静かな空気に美羽の声が響き、バツが悪そうに眉を下げる。


「なら、悠くんの家から帰る時に使っていい?」

「……ま、それくらいならいいか」


 必ず悠斗の元に戻ってくるのだし、防寒着を一着使わせる事くらい構わない。

 悠斗のパーカーにどうして必死になっているのか分からないが、呆れ気味に許可すると美羽の顔が輝いた。


「ありがと、悠くん。それじゃあおやすみ!」

「ああ、おやすみ」


 ぶんぶんと手を振る美羽に笑みを向け、東雲家を後にする。

 美羽が見えなくなってから、ふと美羽の着ていたパーカーに鼻を当てた。


「……何か、少しだけいい匂いがするな」


 ほんの僅かだが、美羽の匂いが移ったのだろう。先日美羽を駅まで迎えに行った際にも使ったので、それも原因の一つかもしれない。

 何をやっているのかと自分自身に呆れつつ、少しだけ弾んだ心臓の鼓動を落ち着かせるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 美羽ちゃんが今までのよい子の反動で無自覚小悪魔化した…!?今までの前提が無いと、からかうのが好きなあざとい後輩キャラのようなムーヴに見えるね…。
[一言] 更新お疲れ様です。 毎回毎秒可愛いな。パーカー残念でしたね。 悠くんのパーカーは頂いていく!(ガ○トー感) って感じなことしたかったんやろなぁ…
[良い点] 寝起き美羽ちゃんかわゆす [一言] これお泊まりからの同棲コースが間近ってことですかね? あれ?いつ恋人になりましたっけ??(違
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