第69話 学校生活の変化
週末に学校で出された課題は金、土、日曜日に分けて出来るので、この三日間は晩飯後にゆっくりする事が多い。
とはいえリビングには遊ぶ物があまりなく、晩飯を摂った後はソファに座ってテレビを見たり、スマホを弄るのが殆どだ。
この過ごし方に不満はないものの、今日は美羽と肩が触れてしまいそうになっている。
以前は端と端とまではいかずとも、触れそうになる事などなかった。
「……何か、近くないか?」
「もしかして、近いのは嫌だった?」
思わず尋ねると、美羽が顔を曇らせた。その瞳は不安に揺れている気がする。
困らせるつもりなどなかったのだと、苦笑を浮かべつつ首を振った。
「嫌じゃないけど、昨日までとは違ってるなって」
「やりたい事をやってるだけだよ」
穏やかな微笑みからは、心のままに行動しているのが伝わってくる。
近付かれるのは嫌どころか嬉しいし、過剰な接触などしていないのだ。
これくらいの行動は気にしない方がいいと、深く考えるのを止める。
「……ま、いいけどさ」
「ふふ、ありがと」
これまでは仮に近付いたとしても、それは勉強等で近付かなければならない事情があったからだった。
しかし、今は用事もなくただ近くにいるだけだ。
悠斗とは違う体温や甘い匂いから、どうしても美羽を意識してしまう。
美羽が上機嫌そうに唇をたわませるので、そっと視線をテレビへと向けた。
出来るだけ美羽から意識を外そうと思ったのだが、袖をくいくいと引っ張られる。
「今度から悠くんの部屋で課題をしていい?」
「え、リビングじゃなくてか?」
悠斗達は晩飯を終えてから、そのままリビングで課題をする事が殆どだ。例外は先日のテスト勉強くらいだろう。
また最近の休日は悠斗の部屋で遊んでいるが、それでも課題はリビングで行っている。
本当にいいのかと確認を取れば、はっきりと頷かれた。
「いいよ。悠くんも勉強道具を毎日持って降りるのは大変でしょ?」
「俺が楽する為に移動してもらう事になって悪いな」
「悠くんが謝る必要はないよ。でも今日は課題を急いでやらなくてもいいし、明日まとめてやろうかな」
「ならそうするか」
元々美羽に付き合って折角だからと課題をやっていただけだ。
美羽がしないというのであれば、悠斗の方から勉強を急かす理由はない。
とはいえ、リビングに居ては美羽も暇なのではないかとも思う。
「暇なら俺の部屋に行くか、それとも帰るか?」
「うーん。今日はこうしてゆっくりしていたいな」
少なくともまだ帰るつもりがないのが分かって、悠斗の心に喜びが満ちた。
緩みそうになる頬を抑えつつ、簡素な返事をする。
「あいよ」
「……ねえ悠くん。最近、学校で何か変化はあった?」
ゆっくりしたいとは言っていたが、ゲームや読書よりも話をしたい気分だったらしい。
好奇心と不安が混じった声色からすると、聞いてもいいのか迷っていたようだ。
こういう所は変わらないなと小さな笑みを落とす。
「美羽のお陰で陰口はなくなったよ。少なくとも俺に聞こえるように言ってくる人はいないな」
元々そう多くなかったとはいえ、悠斗の耳に届くように言ってくる人はいた。
しかし、以前美羽が陰口を叩いた人を責めたので、そのお陰か随分過ごしやすくなったのだ。
この調子だとこれまでと変わらない生活をしていけば、そう遠くないうちに陰口はなくなるだろう。
それに前髪も再び伸ばし始めたので、元に戻った悠斗に話し掛ける人はそれほど増えない気がする。
いいことずくめのはずなのに、悠斗の話を聞いた美羽は不満そうに顔を歪めた。
「それは嬉しいけど、そうじゃなくて……。その、女子からは?」
「そうだなぁ……。挨拶や世間話をする人は前より増えたけど、それだけだ。何も変わってないな」
以前より女子と関わる機会は多くなったが、口数の多くない悠斗が話し掛けに行くなど、用事がなければしない。
クラスの女子に興味はないし、こうして魅力的過ぎる異性が傍にいてくれるのだから。
大した変化は起きていないと呆れ気味に首を振れば、美羽が安堵したように肩を落とす。
「……そっか、良かった」
「良かった?」
「あ、う、うん! 悠くんの友達が増えるのは嬉しいけど、いっぱい遊ぶようになったら帰ってくるのも遅くなるのかなって思ってたから!」
焦った風に美羽が首を振り、艶のある長髪がシャツ越しに悠斗の腕をくすぐった。
むず痒さを覚えつつも、少し前の悠斗と似たような心配を美羽がしている事に、くすりと笑みを零す。
「ぼっちなのは否定しないがな。残念ながら新しく友達を作って遊ぶよりかは、こうしてだらだらしていたいんだよ」
「美羽もいるしな」という歯の浮くような言葉など言えるはずもなく、心の奥底へと叩き込んだ。
想い人が家で帰りを待ってくれているのだ。我ながら浅ましいとは思うが、美羽以外の人と遊ぶよりも帰ってくることを優先したい。
「そ、そうなんだ……。えへへ」
悠斗の発言の何が嬉しかったのか分からないが、美羽が頬をゆるゆるにさせてはにかむ。
「じゃあ悠くんが髪を切っても、話題にならなかったんだね」
溢れんばかりの邪気のない笑顔から、悠斗の事をけなすつもりがないのは分かる。
それでも悠斗の見た目など話題にする価値もないと言われた気がして、ぐさりと何かが胸に突き刺さった。
「……馬鹿にされてないか?」
「違うの! 悠くんを傷つけるつもりなんてなかったのー!」
顔の引き攣りを抑えたつもりだったが、美羽には悠斗がダメージを負った事が一発でバレてしまったようだ。
悠斗の腕を掴んでぶんぶんと振り、必死に言い訳をしてくる姿も可愛らしい。
「悠くん、私のクラスでちょっと有名になっちゃったから、他の女子からアピールされてないか心配だったの!」
「俺がアピールなんてされるはずがないだろ。というか、何で有名になってるんだよ」
髪を切って球技大会で決勝まで進んだだけでモテるなら、誰も苦労はしない。
訳が分からないと溜息をつきつつ首を捻ると、美羽が「しまった」という風な顔をして視線を逸らした。
「……何でもない」
「いや、流石にそこまで言われたら気になるんだが」
美羽の事ならまだしも今回は悠斗の事なのだから、内容を聞いてもいいはずだ。それに、思わせぶりな態度は気になる。
少々強引に追及すれば、美羽が言いにくそうにぽつぽつと語りだす。
「ギャップがあっていいとか。顔が結構整ってるとか」
「はあ? いや、わっかんねえな……」
女性から褒められるのは嬉しいはずなのに、あまりにも現実感がなさ過ぎて思いきり首を傾げた。
頭に疑問符を浮かべる悠斗を見て、どこかホッとしたように美羽が息をはく。
「……それでいいよ。というか、それでお願いします」
「美羽がそう言うなら、俺が知らなくてもいい事だろうな」
どうせ今の生活を変える気などないので、顔も知らない人からの賛辞はただ受け取る事しかできない。とはいえ嬉しいのは確かだ。
にこりと笑むが、反対に美羽は何か言いたげにもごもごもと口を動かす。
「何というか、申し訳なくなるなぁ……」
「俺の見た目でどうして美羽が申し訳なくなるんだよ」
「……秘密」
がっくりと肩を落とす美羽に、再び悠斗は首を傾げるのだった。




