第67話 わがまま
「おめでとう、美羽」
テスト結果が発表された放課後。自室で美羽に荷物を預け、直してくれたのを確認してから、美羽へ賞賛の言葉を送った。
悠斗は美羽から順位を聞いていない。けれど、悠斗にすら分かるくらいの結果を残したのは知っている。
「ありがとう、悠くんのお陰だよ」
美羽が嬉しさからか頬を淡く紅色に色付かせ、花が綻ぶかのように笑みを零した。
悠斗のお陰と言われるのがむず痒く、ほんの少しだけ視線を逸らす。
「俺は大した事なんてしてない。これは美羽の頑張りの成果なんだからな」
「ううん。悠くんにご褒美をもらえるって思えたから、ここまで頑張れたんだよ。だから悠くんのお陰なの」
「……それなら有難く受け取っておくよ。改めて、八位おめでとう」
「ふふ、ありがとね」
素直に受け入れる事は出来ないが、ほんの少しでも美羽の力になれたのなら誇らしく思う。
再び美羽の努力を褒めると、美羽がへにゃりと目を細め、唇に弧を描かせた。
「それじゃあご褒美をもらっていい?」
「おう。あんなに頑張ったんだから、多少無茶なものでもいいぞ」
美羽ならば悠斗が苦しむような要求をしないと信用しているが、何より今まで一度も取れなかった順位を取った事を労いたい。
覚悟を決めて胸を張ると、美羽の目が輝いた。
「本当!? 何でもいいんだよね!?」
「……そこまで念押しされると流石に怖くなるな」
美羽は自分から何かをねだる事など殆どしないので、確認を取りたい気持ちは理解出来る。
けれどこの喜びようからすると、本当に大変な要求をしてきそうだ。
大きく出たのは失敗だったかと顔を引き攣らせれば、美羽がふわりと微笑む。
「大丈夫。お金もかからないし、道具とかも要らないから」
「ならいいんだが。それで、何がいいんだ?」
「えっとね……」
美羽が近付いてきて、少し手を伸ばせば触れてしまいそうな距離で止まった。
おずおずと悠斗を見上げる瞳は僅かに潤んでいる。
「頭を撫でて欲しいな」
「そんな事でいいのか?」
美羽への好意を自覚してから頭を撫でる事が難しくなり、全くしていなかった。
正直なところ、ご褒美とはいえ撫でると考えただけで恥ずかしい。
とはいえ、もっと大変な要求をしてくると思っていたので拍子抜けでもある。
小さく苦笑して確認を取ると、美羽が柔らかく笑んで頷いた。
「うん、それがいいの。一番のご褒美だよ」
「分かった。それじゃあいくぞ?」
撫でられる為に頑張ったのでれば、悠斗の羞恥など些細なものだろう。
間違っても美羽のおねだりを否定しては駄目だ。
僅かに鼓動を早めた心臓を無視し、淡い栗色の髪に手を伸ばす。
「ん……」
壊れ物に触れるかのようにゆっくりと優しく頭を撫でれば、美羽が気持ち良さそうに目を細めた。
しっかりと手入れしているであろう髪はさらさらで引っ掛かりなどなく、梳くように撫でても指の隙間をするりと抜けていく。
「こうして撫でるのは久しぶりだな」
「最近全然してくれなかったからね。まあ、前までは球技大会の件で私が気に病んでたからしてくれたんだろうけど」
「あの時は目の前の事で精一杯だったからなぁ」
「……今は、違うの?」
悠斗を見上げるはしばみ色の瞳には、期待が揺らめいているように見えた。
その熱い視線に心が震え、悠斗の唇が動かされる。
「今は、美羽の髪を堪能してる」
「私の髪、どうかな?」
「さらさらで、気持ちいいよ。ずっと撫でていたいくらいだ」
絹糸のような髪は極上の触り心地で、出来る事なら毎日撫でたい。
ただ、いくら友人とはいえ女性の髪を無遠慮に触っては駄目だ。
前までは理由があったが、今はそんなもの無くなっているのだから。
せめて今だけは楽しもうと手を動かしていると、美羽が可愛らしさを詰め込んだ笑顔を浮かべた。
「いいよ。悠くんならいつでも、何度でも撫でて欲しい」
「……男にそんな事を言うと、調子に乗るから駄目だぞ」
美羽は悠斗に気を許しているだけで、撫でられるのが気持ちいいという以外に他意はないはずだ。
仁美にすら撫でられなかったというのもあり、撫でられるのが余計に嬉しく感じるのだろう。
丈一郎に頼めば何度でも撫でてくれそうだが、美羽が甘えてくれているという事実が指摘を躊躇わせる。
とはいえ軽々しく言っては駄目だと注意すれば、美羽がぱちりと瞬きし、瞳の色を明るくした。
「悠くんなら大丈夫だよ」
「信用してくれるのは嬉しいがな、こんな事をされたらどうするんだ?」
口で言って駄目ならば触れて分からせるしかないと、撫でている方と反対の手を美羽の頬に触れさせる。
以前一度だけ触れた時は美羽の顔を上げさせる為だった。なので感触を楽しむ余裕がなかったが、今回は違う。
滑らかでありつつも柔らかさのある頬は、触るのが癖になってしまいそうだ。
これならば分かってくれるだろうと思ったのだが、美羽は悠斗の手へと頬擦りした。
「悠くんの手、気持ちいい……」
うっとりと瞳を細めて幸せそうに微笑む美羽に、心臓が騒ぎ立てる。
まさか嬉しそうな反応をされるとは思わず、動きが止まってしまった。
「こうして撫でられるのもいいね」
「……あのなぁ」
悠斗の動揺など知るかとばかりにすりすりと頬を擦りつけられ、がっくりと肩を落とす。
どうしてこんなにも無防備なのだろうか。
「少しは警戒してくれよ」
「二ヶ月以上一緒に居る人の何を警戒すればいいの?」
「はぁ……」
瞳に悠斗への信頼を込めて無垢な表情で首を傾げる美羽に、あれこれ考えているのが馬鹿らしくなった。
少なくとも美羽が嫌がっていないのは確かなのだ。
それでいいのだと余計な思考を停止させ、髪と頬の感触を堪能する。
「……私、悠くんのお世話をしたかったんだけどなぁ」
どこかむず痒い空気の中、無言で頭と頬を撫でていると、美羽がぽつりと呟いた。
「今は違うのか?」
以前と違い、美羽は積極的に悠斗の世話をしてくれている。
その変化も最近だったので今度はどう変わったのかと尋ねれば、美羽が嬉しさと申し訳なさを混ぜ込んだ微笑を浮かべた。
「今は甘えたい、甘えさせて欲しいって思うようにもなったの。……悠くんのお世話をしたいのに、こんなのおかしいよね」
「……この馬鹿が」
妙な考え方をしている美羽に呆れてしまい、滑らかな頬を摘まむ。
そのままむにむにと引っ張ると、美羽は瞳をぱちくりとさせた。
「何で怒られたの?」
「甘えるのも、甘えられるのもお互い様だろうが。俺が料理に家事と美羽に甘えてるんだから、美羽だって甘えればいいんだよ」
「でも、それは私のやりたい事だから――」
「美羽のやりたい事は俺の世話だけなのか? もう美羽は自由なんだ。丈一郎さんや美羽のお母さんからの教えに倣うのは構わないが、縛られる必要はないんだよ」
おそらく、女性は男性を支えるべきという考え方が未だに美羽の中に根付いているのだろう。
その考えは簡単に直せはしないし、間違っていないという人もいるはずだ。
だが、悠斗の考えは違う。美羽が甘えてもいいし、甘えて欲しい。
諭すように告げると、美羽が目を丸くして見せた。
「甘えて、いいの?」
「もちろんだ。出来る限り甘やかすよ」
「もっともっと、やりたい事をやるよ?」
「それが自由って事だろ。本当に嫌だったらちゃんと言うから」
不謹慎だとは思うが、丈一郎よりも悠斗へ甘えたいと言われている気がして頬が緩む。
そもそも、好意を抱いている人に頼られて喜ばない人はいない。
我が儘になってもいいのだと伝えれば、美羽が頬を紅潮させて甘さを帯びた笑顔を浮かべた。
「……うれしい」
その笑顔があまりに幸せそうで、何だか見てはいけないような気がして、美羽から視線を逸らす。
未だに触れ続けていたので美羽から離れようと手を動かした瞬間、ほっそりとした物に抑えられた。
「じゃあ自由になった私の、最初の、自分勝手なわがままだよ。もっと撫でて?」
「……お安い御用だ」
魅力的過ぎる笑顔でおねだりされては断れない。
悠斗の心臓に全く優しくないお願いに口だけは軽く答えつつ、甘やかすのを再開した。




