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第66話 前とは違う距離で

「本当に俺の部屋で勉強するのか?」


 土曜日の午後。美羽が悠斗の部屋に勉強道具を持ち込み、テーブルの上に広げている。

 以前一度だけこの部屋で課題をする流れになったが、両親が単身赴任先に戻ったので結局無しになっていた。

 なので、悠斗の部屋で勉強をするのは今日が初めてになる。

 念の為にもう一度確認すれば、美羽が大きく頷いた。


「うん。もしかして嫌かな?」


 真剣に勉強するのなら、悠斗の部屋などではなく慣れているリビングの方が集中出来るはずだ。

 けれど美羽が要求してきたので、本当にここで勉強したいのだろう。


(何で俺の部屋なんだか……)


 色々な物がある悠斗の部屋の方が遊べると言うのなら、まだ理解出来る。

 けれど、今日の目的は勉強だ。わざわざここで行う理由がない。

 とはいえ否定する理由もないので、苦笑しつつ首を振った。


「嫌じゃない。美羽が良いなら構わないぞ」

「ありがとね」

「にしても、いつもと変わらないな」


 昨日あれ程やる気になった割には、今日の美羽は普段通りな気がする。

 もう少し意気込んでいてもおかしくはないと首を傾げると、微妙に呆れたような視線をいただいた。


「そりゃあそうだよ。私がやる気になってるからって悠くんに同じ事を強要はしないし、ずっと気を張るのも疲れるからね」

「俺は絶対先にダウンするから、正直助かる」


 普段から勤勉な美羽がやる気を出すのだから、悠斗がどう頑張ってもついて行けはしない。

 悠斗の態度はあまり良いものではないのだが、美羽が柔らかく目を細めて微笑む。


「追い込むのは家に帰ってするから、分からないところは遠慮なく聞いてね」

「いいのか?」

「それが一緒に勉強するって事でしょう? まあ、不真面目な人と勉強するなら監視の意味もあると思うけどね」


 悪戯っぽく笑みながら告げられたものの、内容が心臓に悪すぎて顔が引きってしまった。

 この様子だと、美羽が必死に勉強している前で遊び惚けていたら激怒されそうな気がする。

 もちろんそんな事はしないが、それ以外にも変な事はしないと決意した。


「気を付けます」

「別に悠くんを注意した訳じゃないよ。変に気を遣わなくていいからねって言いたかったの」


 美羽が瞳を可愛らしく細めているので、嘘ではないはずだ。

 息苦しい勉強会にならないようにという配慮が有難い。


「ありがとう。それじゃあ前と同じようにやるか」

「うん」


 美羽に感謝しつつ、勉強会を開始するのだった。





 ほぼ毎日美羽と課題をしているので、二人きりの勉強というのは慣れきっている。

 ただ、普段とは違って場所が悠斗の部屋なのがあまりに違和感だ。

 リビングのテーブルには十分にスペースがあり、美羽とも十分に距離が取れていたが、自室のテーブルはそれほど余裕がない。

 結果として手狭な感じがしているのも、違和感を強くしているのだろう。

 とはいえ向かいの美羽は普段と変わらず綺麗な所作で勉強しているので、この状況を変に思っていない気がする。


「ふー」


 勉強を続けて二時間もすれば、悠斗の集中力が切れてきた。

 溜息をつきつつ肩の力を抜くと、美羽が小さく笑みながら立ち上がる。


「良い時間だし、休憩しようか」

「でも美羽はまだ勉強出来るんだろ?」

「そうだけど、今から根を詰めても仕方ないよ。じゃあ下から何か持ってくるね」

「それくらいなら俺がやるよ」


 美羽の方が勉強への意欲が高いのだから、今回は目標のない悠斗が準備すべきだ。

 立ち上がろうとしたのだが、美羽が悠斗を手で制した。


「いいよ。気分転換したいし、私がやる」

「……まあ、そう言うなら甘えようかな」


 こんな時でもいつも通りな美羽に小さく笑みつつ、体の力を抜いて机に顎を乗せる。

 すぐに美羽が部屋を出て行き、それほど時間を掛けずに帰ってきた。


「はい、お茶とお菓子だよ」

「さんきゅ」


 やはり頭を酷使した後の糖分はありがたい。

 ほうと息を吐き出せば、美羽も同じように溜息をついた。


「やっぱり悠くんのご褒美があると思うと、いつもよりやる気が出るね」

「そう言えば、今まで今回のようなご褒美は――いや、すまん」


 なかったのかと問おうとしたが、流石に意地悪が過ぎる。

 これまでは丈一郎と溝があったのでご褒美などありえなかったし、一位を取れと要求してきた仁美は言わずもがなだ。

 悠斗の謝罪に美羽が懐かしむように遠い目をしつつ、儚いと言いきれるほどに淡い笑みを浮かべる。


「ふふ、なかったよ。一位じゃなかったからね。でも、期待だけはされたの」

「本当に、ごめんな」


 そんな笑顔をさせたかった訳ではないのだ。

 深く頭を下げれば、美羽が先程とはうって変わって上機嫌そうに唇をたわませる。


「大丈夫、今は悠くんのお陰でやる気一杯だよ。……ああ、そうだ。昨日は忘れちゃってたけど、悠くんのご褒美は何がいい?」

「今回はいいさ。美羽と一緒に勉強してたら成績が上がりそうだしな」


 目標が無いので血眼になって勉強はしないが、今日と明日の二日間しっかりと勉強すれば成績は上がるだろう。

 少なくとも下がりはしないはずだと笑みを向けると、納得がいかなさそうに美羽がむくれた。


「でも、私だけご褒美をもらうのは不公平じゃないかな?」

「前回美羽が何が何でもご褒美を拒否して、最終的にケーキを分けたのを忘れたのか?」


 美羽の言い分からすれば、前回の美羽はきちんとしたご褒美をもらうべきだ。

 人の事など言えないとじっとりとした目線を送ると、思いきり視線をらされた。


「ほら、私は成績が上がらなかったし」

「あのなぁ、俺と美羽の順位じゃ上がりやすさが違い過ぎるんだ。何度も言ってるが、二十位以内に入れるだけでも凄いんだからな?」

「でも、悠くんへのご褒美……」


 さとすように言い聞かせても、美羽はムスッと唇を尖らせたまま物言いたげな視線を悠斗に送っている。

 このままでは絶対に納得しないと思うので、悠斗が折れるしかないのだろう。

 がしがしと頭を掻きつつ、大きく息を吐き出した。


「分かった分かった、じゃあ俺も何か考えとく。それでいいか?」

「絶対だよ。やっぱり無しとかは駄目だからね?」

「分かってるっての。ほら、勉強を再開しようぜ」


 このままでは内容を決めろと言われかねないので、悠斗にしては珍しく勉強の続きを促す。

 美羽も勉強に戻ると思ったのだが、じっと悠斗のノートを見つめていた。


「どうした?」

「ねえ悠くん。もしかして、暗記系のものを先にしてる?」

「そうだな。計算系のものはどうしても美羽に聞く事が多くなるから、後にしてるよ」


 いくら遠慮するなと言われても、あれこれと聞いてしまえば美羽の勉強の邪魔になる。

 前回と同じく後回しにしていると答えれば、美羽がくすぐったそうに瞳を細めた。


「じゃあ気を遣ってくれる悠くんに悪いし、今から集中して教えようかな」


 にこりと笑みながら美羽が立ち上がる。

 反対側から教えないのかと首を傾げていると、美羽が悠斗の隣へと腰を下ろした。


「さあ、勉強の続きだよ」

「待て。何でこっちに来てるんだよ」


 前回は向かい合いながら教えてもらい、それで何の問題もなかったのだ。

 今回はテーブルが狭いので、悠斗の方を覗き込まなくても分からない箇所を見れるだろう。

 疑問をぶつけると、美羽が茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。


「こっちの方が見やすいから。駄目?」

「駄目じゃないけど……」

「じゃあいいよね」


 美羽がノートを見る為に身を寄せて来ているせいで、ミルクのような甘い匂いがふわりと香る。

 ここまで近い距離にいた事など殆どなく、悠斗のものではない体温すら感じてしまい、心臓の鼓動が速くなった。

 そんな悠斗の動揺など知らないとばかりに、美羽がくいくいと袖を引っ張ってくる。


「ねえねえ、しないの?」


 おそらく無意識なのだろうが、だからこそ無防備な仕草が悠斗の精神をがりがりと削っていく。

 ここまで来てやっぱり離れてくれなど言えず、一度目を閉じて深呼吸した。


「やるさ。覚悟は決めたからな」

「何の覚悟なの? 勉強はしてるよね?」

「気にすんな。……ホント、自覚がないのは狡いだろ」


 小さく呟き、出来るだけ美羽を意識しないように勉強へと集中する。

 けれど、横に居るせいで視界に入ってしまう真っ白い首元や、香ってしまう良い匂いに全く集中出来ないのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「ねえねえ、しないの?」 …。 お巡りさんこの作者です。
[一言] はっ!?これはてえてえの香りッ!!!
[良い点] 悠斗の部屋での勉強会か。美羽にとってはそれだけでモチベーションが上がってそう。がっつり追い込むのは家でやるみたいだし、サボってたら監視をするという名目で悠斗を見つめるつもりなのかな。 お…
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