第64話 出る杭は打たれる
球技大会から一週間が過ぎ、学校の雰囲気がある程度落ち着いてきた。
とはいえ悠斗の周囲は少しだけ変化しており、元チームメイトと世間話や昼飯を一緒にする事も多くなっている。
今も蓮を交えて三人で昼食を摂っている最中だ。
「しっかし今日は寒いなぁ」
「今日は寒波が来たらしいぞ。綾香も言ってたが、この調子だと月末には雪が降るかもな」
「うわぁ、雪の中自転車を漕ぎたくねえな……」
「そっか、芦原は自転車通学だったな。でも電車通学も大変だぞ? 下手すると止まるからな」
「それもそれで辛いものがあるな」
だいぶ打ち解けてきたからか、他愛のない話で盛り上がる事もある。
悠斗と一緒に居てくれる事は嬉しいのだが、急に目立った者への非難の視線は相変わらずだ。
それでいて悠斗が視線を向けようとすると目を逸らされるのだから、溜息の一つもつきたくなる。
(食事くらい楽しくさせてくれよ……)
球技大会を頑張った事に後悔などない。けれど、責めるような視線に友人を晒してしまうのは申し訳なく思う。
唯一の救いはこの場に女子が居ない事だろう。
もし居た場合、更に視線がキツくなったはずだ。下手をすると、この場で陰口を叩かれていたかもしれない。
視線以外は何事もなく昼飯を取り終え、食堂から出る。
「悪いな、食べにくかっただろ」
悠斗が何かした訳ではないが、あの場に悠斗が居たから空気が悪くなったのは確実だ。
謝罪をすると、蓮達がにこやかな笑みで首を振った。
「気にすんなって、俺も元宮も気にしてないから」
「だな。というか、悠が試合で目立ったからって逆恨みし過ぎだろ」
「全くだ。ああいうのは知らんぷりしておけばいいんだよ」
「……ありがとう」
今のところ、仲を深めた人達からは責めるような視線や言葉はもらっていない。
いい友人に恵まれたと小さく笑みつつ、食堂前の廊下を歩く。
すると、向こう側から小柄な人物を含めた数人の女子がやってきた。
「……ふふ」
今日は食堂の近くの中庭で昼食を摂っていたらしい。
輪の中心に居る美羽が、一瞬だけ悠斗へと微笑を送る。
反応してしまえば親しい事がバレるので、罪悪感を覚えつつも無反応で応えた。
彼女達と話すような仲でもないからか、会話する事なくすれ違う。
「あの人、芦原って人だったよね?」
「うん。なんていうか、試合の時と雰囲気が違ったね」
「私はああいう方がいいなー」
後ろから遠慮のない声が聞こえてきて、背中がむず痒くなる。
悠斗の容姿を非難する人が居なかったのは幸いだ。
安堵から肩を落とすと、再び後ろから声が聞こえてくる。
「地味だった癖にバレーで目立てて、さぞ気分が良いだろうな」
「それに、髪を切っただけで持ち上げられるんだぜ? 羨ましいもんだ」
クラスメイトから言われた事はないが、見ず知らずの人から陰口を叩かれる事はこの一週間で何回かあった。
明確な悪意のこもった会話にちくりと胸が痛み、ひっそりと苦笑する。
そのままこの場を乗り切ろうと足を進めるが、蓮達が立ち止まった。
「どうした?」
「悠だって聞こえてただろ。どいつだ?」
「さっきと同じように放っておけよ。害なんて無いんだし」
「食堂は視線だけだった。でも、今は芦原に直接言ってただろうが」
「はぁ……」
二人の厚意は嬉しいのだが、食堂前の廊下は人が多く、犯人が出て来る事はないはずだ。
どうしたものかと頭を悩ませていると、先程すれ違った美羽が居るグループも悠斗達の後ろで止まっているのが見えた。
その中心である美羽が、きょろきょろと周囲を見渡している。
(気にしないでいいのになぁ)
自惚れていいのならば、悠斗への陰口を見過ごす事が出来ないのだろう。
とはいえ、美羽のそんな態度は余計に犯人が出て来なくなるだけだ。
美羽の方も理解したようで、肩を落としたのが見えた。
「私、陰口とか好きじゃないんだよねぇ」
少し幼げな声が、人の多い廊下に不思議と響く。
周囲の友人に対して言ったようにも聞こえたが、その声色には陰口の犯人に対する明らかな嫌悪が含まれていた。
彼女達も不満に思ったのか、あれこれと言いながら反対方向へと歩いていく。
「ただ球技大会で頑張っただけなのにねー」
「髪を切っただけで文句をいう人もいるんだね」
「……」
美羽が悠斗の方へと一瞬だけ振り向き、遠目ではあるが目を細めた気がした。
小さい背中が妙に頼りになるなと思いつつ、蓮達の肩を軽く叩く。
「行こうぜ。怒ってくれてありがとな」
胸に刺さった小さな棘は、いつの間にか抜けていた。
ランニングから帰って来たのはいいのだが、日が暮れて一段と寒くなったからか、汗ばんだ体が急激に冷えていく。
玄関を開けても誰もいない事が、一段と寒さを感じさせるのだろう。
「暖房をつけてランニングに行けば良かったぁ。寒過ぎだろ……」
自室で汗を拭き、トレーニングウェアを脱ぐ。
美羽にしては珍しく、今日は学校帰りに寄り道をしてくるようだ。
文面でしか分からなかったが何度も謝罪されたので、申し訳なさそうに眉を下げている美羽が簡単に想像出来た。
「走っていても寒かったんだ。帰ってくるだけでも辛いだろうな」
流石に防寒対策はしていると思うし、電車内ならまだ暖かいのかもしれない。
しかし、今日は一段と冷え込んでいるのだ。
今日の昼のお礼として何か出来ないかと考えながら時刻を確認すると、美羽が帰ってくる時間まで少し余裕があった。
「折角だし、行くか」
部屋着に着替えるのを取り止め、外出用の厚着をする。
この周辺に同じ高校に通っている人はいないので、悠斗達の関係がバレる事はない。
着替えを終えるとファスナー付きのパーカーを手にし、すぐに家を出発した。
駅のホームに電車が止まる。
事前に美羽に連絡を取ったが、あの電車で帰って来ているらしい。
すぐに人の波が改札口に殺到し、その中を注意深く観察する。
すれ違いになっては駄目だと神経を研ぎ澄ませていると、淡い栗色の髪を靡かせた可憐な姿が目に入った。
好意を自覚したからか、人混みの中でも一際美羽の存在が輝いて見える。
「美羽」
すぐに近寄りつつ声を掛けると、美羽の体がびくりと跳ねた。
驚きに目を見開いている姿からすると、どうやら全く予想していなかったようだ。
「え、どうして?」
「ランニングが終わって暇だったんだよ。さ、帰ろうか」
「う、うん」
戸惑いながらも隣を歩く美羽の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩く。
「今日の昼はありがとな。すっきりした」
「いいんだよ。私が我慢出来なかっただけだから」
「それでも、俺は感謝してるんだよ。これはそのお礼だ」
素直にお礼を受け取らない美羽に小さく苦笑しつつ、手に持っていたパーカーを羽織らせた。
美羽は最初何をされたか分からなかったようだが、すぐにへにゃりと頬を緩める。
「ありがとう。正直寒かったんだぁ」
「それなら良かった。嫌がられたらどうしようかと思ってたからな」
「そんな事しないよ。……あったかい」
ふっと表情を和らげ、美羽がパーカーの袖に腕を通した。
サイズが違い過ぎて手が見えないのだが、何が面白いのかぱたぱたと上機嫌に袖を揺らす。
あまりの無邪気な仕草に、悠斗の頬が勝手に緩んでしまった。
「……どうしてあんな事を言うんだろうね。悠くんはあんなに必死に頑張ったのに」
美羽が転ばないように注意していると、隣から悲しみに満ちた声が聞こえてきた。
正直なところ悠斗も同じ気持ちなのだが、全員が納得しない事も十分に理解している。
「仕方ないさ、出る杭は打たれるってやつだ。一応言っておくが、美羽が気に病む必要はないからな」
もしかすると、美羽が自分のせいだと落ち込むかもしれない。
念の為に釘を刺せば、ばつが悪そうに苦笑された。
「もう、そう言われたら謝れないじゃない」
「謝らなくていい。俺は後悔なんてしてないからな」
「……ずるいなぁ」
小さな呟きには歓喜と呆れが込められている気がした。
強引に悠斗の責任にした事がバレているので、肩を竦める事しか出来ない。
そんな悠斗に美羽は溜息を落とすが、すぐに穏やかな笑顔になった。
「じゃあ今度から私の周囲であんな事があったら、その人達を怒るよ。それが、私に出来る事だからね」
「程々にな」
悠斗には美羽の行動を止める権利などない。しかし、あまりやり過ぎると悠斗と美羽の関係を疑われるだろう。
軽く注意しても納得がいかないようで、美羽が頬を膨らませた。
「大丈夫。悠くんに迷惑が掛からないようにするから」
「頼むから大事にはするなよ?」
「分かってるよ。でも悠くんの優しさも、心強さも何も知らない人が勝手に言うんだよ? 黙ってる事なんて出来ないよ」
「そこまでべた褒めされるとは思わなかったな」
美羽が悠斗を褒めつつ陰口を叩く人に怒るという器用な事をする。
気恥ずかしさを押し込めて呆れの目を向けると、当然だとでも言わんばかりに大きく頷かれた。
「当然だよ! だって悠くんだもん!」
「……ありがとな」
人の噂などその内消えていくとはいえ、これからも陰口を叩かれるのだろう。
けれど、美羽が悠斗の隣で溌剌とした笑顔をしてくれるのなら、絶対に大丈夫だ。
先程美羽を待つ時はずっと寒かったはずなのに、今の悠斗の心は温かい熱で満たされているのだった。




