第52話 決着
「ハァ……、ハァ……」
息が苦しい。体の動きが鈍い。
普段ランニングをしているので、体力にはそれなりに自信があったのだ。
だが観客というプレッシャーの中で何試合もするとなると、こんなにも疲れるとは思わなかった。
ましてやあと一セットで負けるという所まで追い込まれているので、焦りも加わっているのだろう。
(大会って、こんなにキツいんだな……)
勝たなければならないと意気込む裏で、思考の冷静な部分が「諦めろ」と囁いてくる。
力の差は十分に理解した。勝てないのが分かってしまった。
それでも必死にボールを追いかけているのは、周囲の人のお陰だ。
折れかけていた心を、チームメイトやクラスメイトからの励ましと応援で何とか奮い立たせる事が出来たのだから。
もちろん、他のメンバーと悠斗とでは試合に掛ける意気込みが違い過ぎる。
けれど、最後の最後まで投げ出さないでいてくれるのだ。悠斗が諦める訳にはいかない。
「……っく。悪い!」
「大丈夫だ!」
チームメイトが上げたボールが、悠斗から離れた場所へと向かっていった。
全力で追いつき、信頼しているエースへと思いきりパスする。
しかしボールは悠斗の狙い通りに上げられず、蓮の位置から少しズレてしまった。
「すまん、やれるか!?」
蓮は悠斗の声に応えず、怖いくらいの真剣な眼差しでボールを追う。
ズレなど関係ないと言わんばかりに力強く放たれたボールは、相手のコートに突き刺さった。
クラスメイトの歓声の中で着地した蓮が、獰猛な笑みを悠斗に向ける。
「やれるに決まってるだろ! どんどん渡せ!」
「じゃあ任せた!」
横暴にも思える意見だが、そうしなければ立ち向かえないのを全員分かっているので、誰も異論を唱えない。
とはいえ蓮だけだと流石に厳しいので、意識が逸れたタイミングで他のメンバーにもボールを渡す。
そうして必死に得点を稼いだ結果、何とか二セット目はリードしつつ最後まで来た。
ここに来て更に気を引き締めたのか、敵チームの動きが良くなる。
(上手くいってくれよ……)
ここは何としても一セット取っておきたい。
チームメイトが絶好の場所に上げてくれたので、蓮の方を向いた。
「蓮、頼んだ!」
蓮へと声を掛けてパスするフリをして、手首の動きだけでボールを弾く。
狙いは敵コートの中心である、蓮を警戒して空いたエリアだ。
「……え?」
どうしようもない時を除いて、悠斗は出来る限り蓮や他の人にパスしていた。
だからこそ悠斗の行動に反応出来なかったようで、静かにボールがコートへと落ちる。
「凄い! これで並んだね!」
「追いつきやがった! いい勝負になるじゃねえか!」
これでどちらのチームも後が無くなったと、周囲から大きな歓声が上がった。
上手くいって良かったと安堵しつつベンチへ戻ると、チームメイトから背中を叩かれる。
「決めてくれてありがとな!」
「あんな事も出来るのかよ!」
「ただの思いつきだ。多分、次は通らないだろうな」
悠斗が警戒されなかったから決まっただけで、あんな一発芸は二度と通用しないだろう。
まだ安心しては駄目なのだと、休憩しつつも気は緩めない。
蓮も笑顔を浮かべているが、瞳は真剣そのものだ。
「ふー。助かった、悠」
「いや、勝手な事をして悪い」
先程のプレーは、蓮を信用していないと取られてもおかしくはなかった。
しかし、からりとした笑みで蓮が肯定してくれる。
「何言ってんだ。最高だったぜ。……それで、体力は大丈夫か?」
「なんとか、な。あと一セットくらいやってみせるさ」
折角ここまで来たのだ。疲れていても、弱音を吐くつもりはない。
他のメンバーの顔にも疲労が色濃く出ているが、気力は漲っているのが分かる。
短い休憩を終えて、チームメイトが集合した。
「うし! じゃあ泣いても笑ってもこれが最後だ! 全部出し切るぞ!」
「「おう!」」
全員で体を寄せ合って声を出す。この一体感を得られるのも最後だと思うと少し悲しくなる。
余計な感情を抱く暇はないと、頭を振って思考を切り替えた。
審判の指示に従ってコートに立つ。
ふと向こう側の応援席を見れば、微笑を浮かべた美羽と目が合った。
試合前はすぐに目を逸らされたが、今は視線を向けられ続けている。
小さな口が「頑張って」と言っている気がした。
(負けたくない)
クラスメイトの応援より、蓮の激励より、声すら届かない美羽の応援に一番元気が出た。
そして最後の試合が始まったが、後が無いからか相手も必死になっている。
先程のようにはいかなくなり、すぐに点数が伸び悩んだ。
じわじわと点差が開き、あと一点で悠斗のクラスが負けとなる所まで来てしまう。
「あ!」
チームメイトが触れたボールが、コートの後方に向かっていく。
試合が終わるのだと周囲から声が上がった。
どうやっても蓮に渡せない距離であり、悠斗が触ったところでコートに戻せないだろう。
それでも、最後の最後まで諦めないと全力でボールの元に向かう。
コートに落ちる寸前のボールに飛び込んで――
「Aクラスの勝ち!」
「「「ありがとうございました!」」」
周囲からはどちらのチームも称える声が送られていた。
全てが終わったという気怠さの中、敵だった選手と握手する。
「なあ、芦原だっけ。バレー部に入らないか?」
握手をした男子生徒が提案してきた。
その誘いは嬉しいが、悠斗のバレーはここで終わりだ。
「いや、やめとくよ。戦力にはならないと思う」
「分かった。気が向いたらいつでも来てくれ」
「ああ。ありがとう」
短い挨拶を交わして体育館を出ようとすると、クラスメイトに捕まった。
「いやー、熱かったな!」
「ありがとな、芦原! 本当に楽しかった!」
「みんなお疲れ様ー! 芦原、最後凄かったよ!」
「……ありがとな」
悠斗を賞賛する声に胸が痺れる。
負けたとはいえ、こんなにも暖かい気持ちになるとは思わなかった。
それと同時に、どうしても胸がズキズキと痛む。
「悪い、ちょっと休憩してから教室に戻るよ」
「おう、涼むのは良いけど、風邪引くなよー!」
クラスメイトには申し訳ないが、一人で体育館裏へと向かった。
体育館の中で別の学年の決勝戦を行っているからか、人は全く居ない。
ここなら大丈夫だろうと座り込み、壁に凭れ掛かる。
「ちくしょう……」
悠斗への励ましの言葉は本当に嬉しかった。しかし、悔しさが大きすぎて素直に喜べない。
クラスメイトの前だったので我慢していたが、もう抑える必要はないはずだ。
「勝ちたかったなぁ……。また、何も出来なかったなぁ……」
負けた事で、美羽との話は無しになった。
あれほど大口を叩いておいて、結局全てを無駄にした不甲斐なさに視界が滲む。
「……悔しいか?」
顔を俯けていると、先程まで聞いていた声が掛かった。
どうやら悠斗の後を尾けてきたらしい。
「悔しいさ。蓮の、綾香さんの協力を無駄にしたんだからな」
「別にそこはいいさ。俺も綾香も優勝しなきゃ怒るなんて言った覚えはない」
「でも、俺は……」
蓮や綾香だけではない。悠斗に願いを託してくれた全ての人を裏切ったのだ。
無力感に苛まれ、口からは溜息しか出て来ない。
「ありがとな、悠斗。俺の願いが叶った」
「……願い? そんなのあったのか?」
ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げた。
蓮は悠斗と試合に出たいだけだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
横目で蓮の顔を見ると、負けたとは思えない程に晴れやかな笑顔をしていた。
「悠斗と一緒に試合に出て、出来る事なら勝ちたかったんだ。どんな小さな試合でもいい、それでも悠斗と一緒にバレーをして、勝ちたかったんだよ」
「何でだよ。部活の大会で勝った方が評価に繋がるだろ」
「そうじゃねえよ。……あれだけ必死に頑張った人間が、たった一度の試合も出来ずに、勝てずに終わるのが許せなかったんだ」
「そんなのよくある事だ。努力が必ず報われる訳じゃない。それに、試合に出るのが本当の目的じゃなかった」
三年間運動し続けても、結果が出ない人など沢山いる。蓮とてそんな事は分かっているはずだ。
そして、悠斗がなぜ運動が出来ないにも関わらずバレーを続けたのか。その理由を蓮は知っている。
誠実な理由ではないのに、蓮の顔には痛々しい笑みが浮かぶ。
「それでも、悠が努力したのには変わらない。俺だって学校でも家でも努力が実らない人は山ほど見てきた。でもな、俺を救ってくれた奴に報われて欲しいと思うのはおかしな事じゃないだろ?」
「救ったって……。俺、何かした覚えはないんだが」
おそらく中学時代の事を言っているのだろうが、悠斗にはその記憶がない。
あの頃は少しでも上手くなろうと、邪険にされても部員にアドバイスをお願いしていた気がする。
その中で蓮に話し掛けた事もあり、最終的に蓮は少しだけだが教えてくれた。
むしろ迷惑だったのではないかと首を捻ると、蓮がどこか遠くを見るような目をする。
「それでいいさ。ただ、一回くらい勝利の味を知って欲しかっただけだ」
「分かった。……勝つのは、楽しかったな。本当にありがとう」
蓮がそれでいいと言うのであれば、思い出す必要はないだろう。
絶対に負けられないというプレッシャーの中でだったが、それでも勝利は泣きたい程に嬉しかった。
全て蓮のお陰だと頭を下げれば、申し訳なさそうに眉を下げて蓮が首を振る。
「礼なんて言うな。悠の望みを叶えられなかったんだからな」
「それは俺の責任だろ。蓮が気に病む事じゃない」
「……全く、お前は」
目的が違うからと蓮を怒る気はないし、意気込みが違うとクラスメイトを責めるつもりもない。
気にするなと笑むと、蓮の顔がくしゃりと歪んだ。
「悠がそこまで必死になったんだ。俺に出来る事は何でもするから、遠慮なく言ってくれ」
「それで俺が高級料理を望んだらどうするんだよ」
心配されるような事ではないので冗談を言うと、蓮の顔に爽やかな笑みが戻ってきた。
「ははっ! それなら悠斗の為に今度用意するか!」
「いや、マジで勘弁してくれ。値段が気になって気持ち良く食べられない」
悠斗の舌には庶民の料理が合っている。むしろ高すぎて腹を壊しそうだ。
本気にするなと頼み込むと、からからと笑って蓮が立ち上がる。
「期待しててくれよな!」
「おい、だから――」
「先に戻るから、体を冷やし過ぎるなよー」
悠斗の言い分を聞かず、蓮はひらひらと手を振って体育館裏から居なくなった。
悔しさに満たされていた胸が少しだけ軽くなり、けれど再び顔を俯ける。
美羽にどんな顔をして会えばいいのだろうかと考えていると、誰かの靴の音がした。
おそらく、再び蓮が戻ってきたのだろう。目を向けずに口を開く。
「もう帰って来たのか? いくらなんでも――」
「お疲れ様、悠くん」
「……え?」
思わず顔を上げると、そこには悠斗の予想していない人が立っていた。