第212話 重症な友人
悠斗の誕生日も過ぎ、もう少しで夏休みが終わるある日。芦原家に珍しい客が来た。
玄関を開けると、蓮と同じくらい整った顔の男子と、これと言った特徴のない女子が居る。
男子の方――直哉が、気の抜けた笑みを見せた。
「来てから言うのも何だけど、本当に良いのか?」
「もちろん。二人なら大歓迎だ。上がってくれ」
「それじゃあ、お邪魔します」
「お、お邪魔します!」
直哉が隣の女子――桜をリードし、家に上がる。
すぐにリビングへ連れていくと、ちょうど美羽がキッチンから出てきた。
花が咲くような笑顔を浮かべ、直哉と桜を歓迎する。
「こんにちは、二人共!」
「こんにちは、東雲さん」
「こんにちは、えっと、東雲先輩!」
直哉は柔らかく、桜はおっかなびっくりという風に挨拶した。
いくら美羽が居るとはいえ、突然男の家に招待されたのだから、緊張するなという方が無理だ。
桜の態度にくすりと笑みを落としていると、美羽がはしばみ色の瞳を輝かせた。
「せ、せんぱい……! 私が、先輩!」
「……いや、前に会った時に自己紹介は済ませたんだろ? その時に呼ばれなかったのか?」
美羽は外見上、幼く見られてばかりだったので、年上扱いに感動を覚えているのだろう。
とはいえ、以前会った際に自己紹介は済ませたはずだ。
疑問をぶつければ、美羽が髪を靡かせるように首を振る。
「ううん。あの時は自己紹介だけだったから、呼ばれなかったの」
「そう言う事か」
「あ、あの、同じ高校でもないのに、駄目でしたか?」
眉をへにゃりと下げて桜が美羽を見つめた。
庇護欲をそそる姿に美羽の心が打ち抜かれたのか、小さな体がふらつく。
その後、美羽とは思えないくらいに俊敏な動きで桜の肩を掴んだ。
「全然大丈夫だよ! むしろ、もう一回言って欲しいな!」
「は、はい! えっと、美羽先輩」
「~~~っ! 私、二年生になって良かったぁ!」
悠斗が知る限り、上位に入るくらいに万感の思いが詰まった声を美羽が上げた。
その相手が悠斗でない事が少しだけ悔しいが、美羽の立場なら仕方ないだろう。
更にテンションを上げた美羽が、桜の手を握って勢い良く振る。
美羽にしては珍しい行動に、悠斗も含めて三人が固まった。
「何かあったら何でも言ってね! 私に出来る事なら絶対に力になるよ!」
「あ、ありがとうございます?」
桜が目をぱちくりとさせ、美羽を受け入れた。
桜も背が高くないからか、こうして見ると姉妹のように思える。もちろん、美羽が妹だが。
余計な事を口に出さずに見守っていると、直哉が気まずそうな顔で悠斗へ耳打ちしてくる。
「何か、東雲さんの雰囲気が違くないか?」
「いつもよりテンションは高いけど、あんなもんだぞ?」
「そ、そうか」
直哉が神妙な顔をしながら美羽と桜へ視線を向けた。
先日はすぐに別れたし、茉莉と言い合っていた時とは全く違うのだから、戸惑うのも無理はない。
とはいえ、そろそろ引き剝がさないと話が進まなさそうだ。
「美羽。松藤が困ってるぞ」
「あ、う、うん」
悠斗の指摘に、美羽があっさりと桜の手を離した。
ようやく冷静になったのか、ばつが悪そうな顔になる。
「ごめんね、松藤さん」
「桜でいいですよ。それに、嫌ではないので大丈夫です」
「ありがとう! 桜さん!」
「はいはい、落ち着けっての」
再び手を繋ごうとする美羽を止め、全員が席に着いた。
先程キッチンから美羽が持って来たクッキーを摘まみながら、今日の事について話を進める。
「改めて、招待してくれてありがとう。まさか俺が誘われるなんて思わなかったよ」
「あそこで会ったのも何かの縁だしな。まあ、ゆっくりしてくれ」
一応、夏休み前に直哉達に会った際に、直哉とは連絡先を交換していた。
とはいえその後は特に話す事もなかったのだが、少し前に美羽とショッピングモールでデートした際に、直哉達とばったり会ったのだ。
その際にゆっくり話したいと美羽と相談し、どうせならと家に招待したのが今日だ。
直哉からすれば険悪な雰囲気だったにも関わらず招待されて、意外なのだろう。
けれど、似た立場であった人として、出来る限りの事はしたい。
肩の力を抜いて告げれば、直哉が柔らかな笑みを浮かべた。
「そうだな。それじゃあ、遠慮なく寛がせてもらうよ」
「あ、あの、今更ですけど、私も来て良かったんですか?」
桜と会ったのはこれで三回目だし、まともに話した事は無い。
しかし、直哉と桜だからこそ招待したのだ。
肩を縮こまらせて、居心地悪そうにしている桜へ笑みを向ける。
「もちろん。ああ、本が読みたいなら、俺の部屋にあるから好きに読んでいいぞ。……好みの本があるかどうかは分からないけど」
「そうなんですか!? でも……」
一瞬だけ目を輝かせた桜が、すぐにしゅんと肩を落とした。
何となく考えている事が分かるので、美羽に目配せする。
余裕の笑みを浮かべた美羽が、小さく頷いた。
「後で美羽に案内させるよ。美羽、いいか?」
「もちろん! 悠くんの持ってる本は、悠くんと同じくらい知ってるからね!」
好きな男が居る前で、他の男の部屋になど誰だって行きたくはない。
だが、同じ女性である美羽が案内するなら、桜の気も紛れるだろう。
少し心配ではあるが、悠斗は行くつもりなどない。
美羽が知っているとは思えないものの、仮に知っていても危険な場所には手を出さないはずだ。
不安は無くなったようで、桜がホッと胸を撫で下ろす。
「で、でしたら、お願いします!」
「はーい!」
その後はお互いの自己紹介を改めて行い、穏やかに時間が過ぎていった。
「にしても自分の部屋を好きに使わせるって、悠斗は凄いなぁ……」
話も一段落し、美羽は桜を悠斗の自室へ案内している。
二階から扉が閉まる音が微かに聞こえ、直哉がしみじみと呟いた。
「美羽は俺の部屋をほぼ知り尽くしてるからな。悪い事も絶対にしないし、大丈夫だろ」
「……ホント、理想のカップルだな」
直哉が先程まで見せなかった、痛みを押し殺したような笑みを浮かべる。
やはりというか、桜の前ではある程度強がっていたらしい。
散々情けない姿を見せているのだろうが、それでも強がっていたい気持ちはよく分かる。
「それで、調子はどうなんだ? 松藤も居ないし、今なら遠慮なく話せるぞ」
「学校は随分と過ごしやすくなったよ。あいつの立場がどんどん悪くなって、俺の悪い噂が嘘じゃないかって話になってる」
「おお、良かったじゃないか! ……あいつに関しては、自業自得だけどな」
悠斗が少し前に元マネージャー達に真実を伝えたからかは分からないが、直哉は昔のように爪弾き者にされなくなったようだ。
代わりに、茉莉の立場が元マネージャー達に聞いた時より、悪くなっているのだろう。
隣に住んでいるだけの他人に悪態をつくと、直哉が呆れたと言わんばかりの表情で頷いた。
「そうだな。夏休み前になると女子は誰も話し掛けてなかったし、男をとっかえひっかえして、しかも金づるとしか見てないって悪い噂が立ってたな」
悠斗の予想通り、茉莉は相当酷い状況のようだ。
直哉も既に未練はないのか、茉莉の事を考えている瞳は冷え切っている。
「夏休みの間は……どうだろうな。まだ関わってくれる男を利用してるんじゃないかな」
「はぁ……。そこまで墜ちたのか。しかもそれでも変わらないって、マジか」
何度でも変われるチャンスはあっただろうに、それでも変わらない茉莉に諦観を込めた溜息を零す。
どうせ悠斗には助けを求めないはずだし、悠斗に迷惑が掛からない所で勝手にして欲しい。
悠斗は誰にでも手を差し伸べるような、聖人ではないのだから。
「まあ、そっちは分かった。それで、松藤とは?」
「桜とは……。こっちも問題なんだ。桜が俺の彼女だって噂が広がってるんだよ」
「……そうか」
いつの間にか名前呼びになっているので、何かあったのだろう。
根掘り葉掘り聞いてみたいし、第三者からすれば問題でも何でもない。
しかし途方に暮れた声を発したのだから、直哉としては本当に頭を悩ませているようだ。
緩みそうになる頬を抑え、直哉の肩に触れる。
「なあ直哉。松藤と一緒に居るのは嫌か?」
「嫌なもんか。桜には返しきれない恩があるんだ。それに、桜はいつも俺を気遣ってくれて――」
直哉の口から、桜をべた褒めする言葉が溢れ出した。
悠斗からすれば惚気としか思えないが、直哉としては真剣に、どれほど桜に恩があるのかを言葉にしているだけなのだろう。
明らかに好意があるにも関わらず、恩だと言って感情に蓋をする姿に、悠斗自身を見ているようで胸が痛くなる。
「まあ、何だ。きっと松藤は周囲の事なんて気にせず一緒に居るだろうから、離れない方が良いぞ」
「そうなのか? でも、俺の彼女だなんて桜は嫌だろ」
「…………これは俺と同じくらい重症だなぁ」
悠斗も大概酷いが、直哉も相当なものだ。
いっそ言葉にしてすっきりさせたいが、他人の悠斗がそこまでしてはいけない。
溜息をつきつつ、何としても桜から離れないように、何度も何度も言い聞かせるのだった。




