第211話 おかわり
「「はぁ……」」
風呂場に二人分の溜息と水音が響いた。
ぐったりと浴槽へ体重を掛ける悠斗に、美羽が寄り掛かっている。
温めなおしたお湯の温度が気持ち良く、疲れが溶けていくようだ。
「もう足に力が入らないよぉ」
「……やり過ぎたのは確かだけど、謝らないぞ」
行為が終わる頃には、美羽が立ち上がる事すら出来なくなっていた。
なので、風呂場まで悠斗が運んできたのだ。
こうなったのは悠斗が求め過ぎたせいだが、元を正せば美羽が煽って来たからに他ならない。
憮然とした態度で告げると、くすりと小さな笑い声が耳に届いた。
「うん。私が悠くんを誘惑したせいだからね。それに、いっぱいしてくれて嬉しかったよ」
「ホント、程々にしてくれよ? 一緒に風呂に入る度にあんな風に煽られたら大変だ」
「ふふっ。それは次の私の気分次第だねぇ」
頬に濡れた髪を張り付け、美羽が妖艶な笑みを浮かべる。
この様子だと、毎回悠斗の理性を削りに来るに違いない。
嬉しくはあるものの、積極的過ぎる美羽に頬を引き攣らせた。
「……覚悟しておくよ」
溜息交じりにぽつりと零し、風呂の心地よさに目を細める。
散々求めたので、瑞々しい肢体を晒している美羽と密着していても、体が反応する事はない。
とはいえ美羽が魅力的なのは変わらず、もっと触れたくて少し強めに抱き締めた。
お湯の熱と美羽の体温が、悠斗の体をじんわりと温める。
「一緒にお風呂に入るって、幸せだねぇ……」
「確かにな。それじゃあ、夏休みの間は毎日一緒に入るか?」
しみじみと呟かれた言葉に頬を緩ませ、少しからかい気味に尋ねた。
最初に風呂に入った際に緊張したり、美羽に誘惑されたとはいえ、こうして触れ合いながら風呂に入るだけでも満たされる。
もちろん次回から美羽に誘惑される可能性はあるし、夏休みは終わりに近付いているものの、この幸福感は嵌ってしまいそうだ。
悠斗の言葉に美羽が頬を染め、悪戯っぽくこちらを見上げる。
「そうなると、毎回私が悠くんに襲われちゃうね?」
「なら、いっそ風呂に入る前にするか?」
「それはやだ。汗掻いたりしてるもん」
美羽が頬を膨らませ、首元に回している悠斗の腕を叩いた。
やはりというか、そういう所は気にするようだ。
悠斗としても、ランニング終わりの汗だくな体を美羽に委ねたくはない。
くすりと笑みを落とし、小さな耳に口を寄せた。
「なら体を洗ってからだな。……それと、本当に毎日一緒に入ってもいいんだぞ?」
「……前向きに考えとく」
最初は偶にだったはずなのだが、どうやら善処してくれるらしい。
返答を急かす必要もないので、唇に弧を描かせつつ浴槽を見渡す。
淡い栗色の髪が水面を揺蕩っている光景は、言葉が出ない程に素晴らしい。
一つの芸術品のような在り方に、ほうと溜息を落とした。
「こうして見ると、美羽の髪は本当に長くて綺麗だよなぁ」
「普段はある程度纏めてるんだけどね。今回は纏める元気が無かったから……」
悠斗からすればずっと見ていたいのだが、美羽は違うようだ。
おそらく、髪が長い人にとっては、あまり気持ちの良い光景ではないのだろう。
しゅんと肩を落とす美羽の頭を、ゆっくりと撫でる。
「俺はこの光景を見られて満足だぞ。ずっと見ていたいくらいだ」
「えぇ……? こう、気持ち悪くない?」
「全然。俺の髪じゃあ、どうやってもこんな事は出来ないからな。最高の景色だよ」
水面に浮かぶ淡い栗色の髪を、一房掴んで持ち上げる。
水に濡れた髪が悠斗の手に絡みつくが、少しも気持ち悪いとは思わない。
ゆっくりと浴槽に戻せば、再び美羽の髪が水面に浮かんだ。
心からの賞賛に、美羽がもぞりと体を震わせる。
「……なら、いいや」
羞恥と照れが混じった呟きを落とし、美羽が肩の力を抜く。
夏場にも関わらず、熱いお湯の中で、のぼせそうになるまで身を寄せ合っていたのだった。
美羽は風呂に浸かってある程度元気が戻ったようで、先に悠斗を上がらせた。
そして悠斗の手を借りる事なく着替えを終え、普段と同じピンク色の寝間着で悠斗の自室に来た。
そのまま寛ぐかと思ったのだが、顎に手を当てて何かを考えだす。
「どうした?」
「んー? 折角だし、もっと悠くんを喜ばせたいなって」
「そうは言うけど、もう十分過ぎるくらいに色んなものをもらったんだが」
楽しいデートにプレゼント、絶品の料理や一緒に風呂に入るなど、既に悠斗は最高の誕生日を過ごせている。
もちろん、美羽を味わい尽くしたのもその一つだ。
これ以上何をするのかと訝しめば、美羽がパンと手から乾いた音を響かせる。
「そうだ! 悠くん、適当なシャツをもらっていい?」
「シャツ? ……まあ、いいけど。ほら」
何を考え付いたのかはよく分からないが、それでも言う事に従って空色のシャツを渡した。
すると、シャツを受け取った美羽が扉へ向かう。
訳が分からず首を捻っていると、美羽が扉の前でくるりと振り返った。
「悠くんの夢、叶えてあげるね?」
美羽が余裕すら見える態度で笑みを濃くする。
そのまま機嫌良さそうに、悠斗の部屋から出て行った。
美羽の言動から目的を把握しようと思考を巡らせると、一つの行為が頭に浮かんだ。
「……そりゃあ男の夢だけどさ。もらい過ぎだっての」
男の夢をどこで知ったのかは分からない。おそらく、綾香や紬、クラスメイトからだろう。
何にせよ、悠斗としては望む所だ。
胸を弾ませながら待っていると、そう時間を掛ける事なく自室の扉が開いた。
僅かに頬を赤らめた美羽が、ゆっくりと部屋に入ってくる。
「えへへ、どうかな?」
悠斗の予想通り、美羽は先程渡したシャツを着ていた。
普段も似たようなシャツを着ているし、ショートパンツなので生足がバッチリ見えるものの、悠斗の物を使っているというだけで破壊力が違い過ぎる。
そして首元の釦はあまり止められておらず、美しい鎖骨が惜しげもなく曝け出されていた。
男心を容赦なく擽る姿に、ごくりと喉が鳴る。
「最高だ。……ちなみに、ズボンとかは?」
「さあ、どうだろうね? 確かめてみる?」
艶っぽく笑んだ美羽が、ゆっくりとシャツを持ち上げる。
散々求めたせいで痕のついている太股が、少しづつ見える面積を大きくしていく。
もう少しでその奥が見えてしまう所で、美羽がぴたりと動きを止めた。
「最後は、ね?」
「……あのなぁ、多少休憩して元気が戻ってるんだぞ?」
思春期の男子生徒の欲望を舐めないで欲しい。
風呂場では気力がなかったが、今はある程度戻っている。
脅しの意味も含めて告げると、美羽が頬を真っ赤に染めて瞳を潤ませた。
「それならそれでいいよ。むしろ、こう言うべきかな?」
美羽がシャツから手を離し、ベッドへと腰を下ろす。
シャツがぶかぶかとはいえ、足を曝け出したのだ。そのせいで、奥がばっちりと見えてしまった。
美羽にしては珍しい黒色にどくりと心臓が跳ねて、熱を下半身に送り始める。
そんな悠斗の体を知ってか知らずか、美羽が悠斗へ手を伸ばした。
「おかわり、どうぞ?」
「……ああもう、本当に!」
期待がありありと込められた瞳に、そのくせ無垢さすら感じるおねだりに、あっさりと悠斗の理性は崩壊した。
がしがしと髪を掻きつつ、美羽へと近付く。
どうやら、まだまだ誕生日は終わらないらしい。




